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2006年3月31日 (金)

ガガーリン20 モスクワへ14日

ガガーリンは4月13日、着陸地点でプラウダやイズベスチヤらの記者のインタビューに答えました。
ガガーリン14合同インタビュー参照)。

明けて14日はガガーリンがモスクワでフルシチョフ首相と初めて会い、
赤の広場でソビエト連邦の人々に向かって挨拶をする日。
ガガーリンはモスクワへIL18型機で向かいました。
イズベスチヤのオストロウーモフ記者はこの機に同乗し、
その中でガガーリンから聞き出したことを15日の紙面で書いています。
これによると、ガガーリンは記者に対して、
飛行機の窓からの光景を示しながら、再び宇宙からの眺めについて語っています。


「ほら、今と同じように、地平線に淡い薄青色の帯があったんだ。
その色は青色になってゆき、さらに濃い青色になってゆく。
けれど、宇宙では、すべてが、もっと鮮やかでコントラストがはっきりしていた。
そしてこの色の連なりは濃い黒によっておわるんだ。
На горизонте бледно-голубая полоска, так же переходит она в синий, 
в густо-синиий цвет. Но там все это ярче, 
контрастнее, и заканчивается эта гамма красок густо-черными цветом.)」


地球の地平線の上に見える美しい色合いを交信記録、インタビューで語ってきましたが、
それぞれ色味の表現が違っていて、今回はガルボイ、シーニーが使われています。
微妙に表現が変わるから、より立体的に色のイメージをとらえることができる気がします。

さて、このあとガガーリンは星に関して新たなことを語っています。


「飛行士たちのように僕も星座のことはよく知っている。
けれど、見分けることはできなかった。あまりにも早く空を通り過ぎていくから。
私の速さといったら、時速2万8000キロメートルだ。
その上、夜の時間を体験したのは短かった。
私が地球の闇の面を飛行していたのは40分ぐらいだった」


この他に興味深いのが、記者が「自分自身の持ち物で宇宙に持っていったものはありますか?」と尋ねた時の記述です。

「ほら、この時計だ(Вот часы.)」とガガーリンは腕を挙げた。

〔ボストーク ガガーリン〕で検索すると、
時計の情報がたくさんヒットしたのはこのことだったのですね。
ガガーリンが宇宙で身につけていた時計についてはあらためて別の機会に触れる予定です。

さて、14日12時37分、ガガーリンを乗せた飛行機は7機の戦闘機に護衛されてモスクワのブヌコボ空港に着陸します。
その様子をイズベスチヤ(4/15)と
ソ連人間宇宙船の成功』-祖国は英雄を祝う-から引用。

ガガーリン少佐が足ばやにタラップをおりてくる。
「ウラー(私メモ:バンザイの掛け声)」の歓呼と拍手のあらしがかれを迎える。
赤いじゅうたんの上を100歩ばかりすすんで、
ガガーリン少佐はニキータ・セルゲービッチ・フルシチョフの前に立つ。
かれは、挙手の礼をして、報告する。


さて、このときのガガーリンの言葉がイズベスチヤにも掲載されていますが、
宇宙飛行が見事に成功しましたという簡単な挨拶で特筆すべきことはありません。

この後、フルシチョフ首相とガガーリンとその妻は、
空港からモスクワの赤の広場まで、大勢の熱狂的な市民の歓迎を受けながら、
赤い薔薇で飾られた空色(голубой)のオープンカーでパレードをします。
赤の広場に到着すると、
設けられた特別席でガガーリンは集まっている人々に向かって挨拶
(『ソ連人間宇宙船の成功』の10)をします。
ですが、この挨拶は、フルシチョフへの敬意や祖国の同志への感謝の言葉ばかりで、
私が目当てにしているようなものはありません。

このあとのフルシチョフの長い演説(『ソ連人間宇宙船の成功』の11)は
政治家らしい鼓舞する力のみなぎった演説。
記事では、演説の合間に(さかんな拍手)(さかんな拍手、「ウラー」のさけび)
(ながい拍手)(さかんな、長い拍手)という言葉がもりだくさん記載されています。
赤の広場での人々の熱狂ぶりが伝わってきて面白いです。

フルシチョフの演説の中でちょっと詩的だなと思った表現はこれです。


宇宙船ボストークの飛行は、いわば宇宙へのソビエトの最初のつばめである。
Полет  космического  корабля 《Восток》--- это так сказать, первая советская ласточка  в космос.

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2006年3月30日 (木)

新宿御苑の桜。根桜(ねざくら)も。

今日、新宿御苑に行ってきました。
花冷え、花曇りでしたが、ソメイヨシノはちょうど満開。
枝々にふっくらとたわわに花が咲きほこっています。
開花率ほぼ100%、でも、下に散り始めているはなびらは無し、といういい見頃でした。
Gyoensakura

ソメイヨシノの薄桜色、オオシマザクラやアメリカという品種の少し明るい桜色、
散り始めたしだれ桜の青みがかったピンク色、寒緋桜の濃い紅色etc.。

桜色のこまやかなバリエーションを楽しむことができました。
どの桜も枝ぶりが見事だったのですが、びっくりしたのが、
桜の太い幹からいきなり花の束が〔はえている〕木もあること。

Mikisakura_1

どうやってあんな堅―い幹を破ってこんなやわらかな花びらが若芽が生まれるのでしょう。

幹のあちこちから桜の花が咲いてる様子はとてもラブリー。

中には幹というよりも
地面に横たわる部分(根と認定していいと思うのですが)から〔はえて〕咲いているものも。
Sakuranone_3

夜桜ならぬ〔根ザクラ〕。

可憐だけど生命力のたくましさを感じさせられました。

わかりづらいかもしれませんが、写真中央が、根から咲いている桜。

その〔根ザクラ〕のアップです↓
Nezakura_1

2006年3月29日 (水)

ガガーリン19 神発言

宇宙からの帰還

 

宇宙飛行士ガガーリンが語った言葉を追っています。
発端は「地球は青かった」のロシア語の原文を知りたかったことでした。

「地球は青かった」の原文はおそらく「Земля голубоватая./ゼムリャー ガルバヴァータヤ」。
(詳しくは
ガガーリン10を)
ただ、まだ断言はできません。もう一つ気になることもあって、資料調べを続けています。

その気になることというのは、ガガーリンの神発言。
「ガガーリンは宇宙には神がいなかったと発言した」といわれているようなのです。
立花隆も『宇宙からの帰還』でこのように書いています。


最初に天を周回したユーリ・ガガーリンは、こう述べた。
「天には神はいなかった。あたりを一所懸命ぐるぐる見まわしてみたがやはり神は見当たらなかった」
ガガーリンのこのセリフはアメリカ人大衆に大変なショックを与えた。
アメリカでは、ガガーリンのセリフとして、「地球は青かった」より、
このセリフを記憶している人のほうが多いくらいだ。
(略)
ガガーリンのセリフは、第一に神への冒涜であった。
第二に、無神論コミュニズムのアメリカ・キリスト教文化に対する優越性を誇る挑発的言辞であった。


もし、ガガーリンが本当にこう語ったのであれば、この原文も知りたいんです(私って原文マニア?)。

ただ、今のところ、神に関する発言をした資料はみつかっていません。
この神発言、出所含めて、真偽のほどはあいまいです。

「正しい。ガガーリンがテレビで発言した」という説もあれば、
「アネクドート(ロシアの小噺)だったものが、
いつしか本当にガガーリンが語ったこととして間違って伝わってしまった」という説もあります。

『宇宙からの帰還』は、最初に読んだ時、宇宙空間や地球の神秘性、
哲学的な美しさを感じさせてくれた本ではあったのですが、
あらためて読んでみると以下の記述にもひっかかるものがありました。


人類史上はじめて宇宙空間に出た人間であるソ連のユーリ・ガガーリンの最初の感想が、
「地球は青かった」であることを多くの人が記憶しているだろう」


ガガーリンがボストークから送った交信記録でも、
モスクワ放送がボストークからのガガーリンの言葉を伝えた時も、
ガガーリンの帰還後も、資料を見る限りは、最初の感想は「地球が青かった」ではありません。

立花さんが本の中で書かれたように、
多くの人がガガーリンの最初の言葉が「地球は青かった」と記憶しているというのなら、
なぜ日本ではそういう認識になってしまったのか。それも追ってみたくなりました。

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ブリヤート人アーティスト

このカテゴリーでは注目のロシアのアーティスト、ダシ・ナムダコフについて少しずつご紹介します。

ナムダコフは1967年生まれの彫刻家。最近ではグラフィック、ジュエリーデザインも手がけています。

ロシアのアーティストと言っても、正確にはブリヤート人で、
シベリア地方のブリヤートの文化が色濃く息づく大地で生まれ育ちました。

ロシアの映画監督セルゲイ・ボドロフが2007年公開で撮影を続けている
映画「Монгол. Часть первая(MONGOL/モンゴル)」の美術も担当しています。

若き日のチンギス・ハーン(テムジン)を描くこの映画は、
そのテムジンを浅野忠信が主演し、衣装をワダ・エミが手がけることでも話題となっています。

ロシアの映画制作会社
CTBのサイトで、この映画の情報が見られます。
このページ   ttp://www.ctb.ru/movie/view.jsp?id=25
の下を辿っていくと
в ролях(キャスト)のトップにTadanobu Asano として浅野忠信が名をつらねています。

このページ  ttp://www.ctb.ru/movie/crew.jsp?id=25&
を開いて下へ辿っていただくとХудожник постановщикのところに、
Dashi Namdakovが。ブリヤート人であるナムダコフ。
その顔立ちは私たちにとても似ていて、日本人とブリヤート人とのルーツのつながりを感じさせられます。

ダシ・ナムダコフ一覧はこちら

2006年3月28日 (火)

ガガーリン18 命日と妻ヴァレンチナさんの写真

昨日3月27日はガガーリンの命日でした。
1968年3月27日、ガガーリンは、セリョーギン空軍大佐とミグ戦闘機で飛行訓練中、
モスクワ北東のウラジーミル地方で墜落事故死。34歳でその生涯を閉じました。

その訃報は3月28日の日本の新聞各紙で報道されていますが、
当時の記事を読んで気がつきました。
1961年4月12日の人類初の有人宇宙飛行からの帰還時は少佐だったのですが、
亡くなる時、ガガーリンは大佐になっていたのですね。

34歳での死。今生きていたとしたとしてもまだ72歳。
伝説になるには早すぎました。
妻ヴァレンチナと9歳、7歳の愛娘レーナとガーリャを遺しての旅立ちは早すぎました。

宇宙史の新たなページを拓き、親善大使として世界を歴訪したガガーリン。
再び宇宙を飛ぶという夢は叶うことはなかったのです。
本人は親善大使として世界各地で脚光を浴びるよりも、
宇宙へ行くための過酷なトレーニングを地道に重ね、
再び宇宙を目指す生活を送りたかったのかもしれません。
新たな宇宙飛行に備えていた矢先の事故死とも言われています。

それでも、短くも充実した輝かしい人生だったといえるでしょう。
ガガーリンはモスクワの赤の広場に面しているクレムリンの壁に埋葬されて眠っています。

昨日の命日に関してロシアの新聞などで何か報道されていないかしら、
と思ったのですがみつけられませんでした。
ただ、2002年4月12日の
news.ru
(ロシアのニュース)の記事がヒットしました。
ttp://www.newsru.com/russia/12apr2002/gagarin.html

この記事を開くと、4枚画像がでてきますが、
一番下の画像の眼鏡をかけた女性が、ガガーリンの妻ヴァレンチナさんです。
1962年に来日当時、〔物静かで控えめだけど芯がしっかりとした女性〕と新聞各紙で紹介されたヴァレンチナさん。
この写真をみてもそんな穏やかな印象を受けます。

この記事の見出しは
【ガガーリンは別の飛行機との正面衝突を避けるために命を落とした】で、
宇宙飛行士アレクセイ・レオノフが、
「ガガーリン大佐とセリョーギン大佐は、他の飛行機の衝撃波を受けて、きりもみ状態になって墜落した」
と語っているようです。
ですが、彼らの事故死についてはいろいろ諸説があるようなので、
きちんと調べてみないとはっきりとしたことはわかりません。
(調べてみてもはっきりしたことはわからない気がしますが(^_^;) )。

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2006年3月27日 (月)

ガガーリン17 あひるのガガーリン

あひるのガガーリン
あひるのガガーリン

 

前から気になっていたんです。
絵本『あひるのガガーリン』(二宮由紀子文/いちかわなつこ絵/学研)

図書館の蔵書検索で〔ガガーリン〕を調べると必ずこの絵本が挙がってくるのです。
「これは、絶対ガガーリンには関係ない本。
があがあ鳴くからガガーリンっていう名前に設定されているあひるの絵本よ、きっと」
と、今までチェックすることはなくスルーしていました。
けれど、あまりにも、調べるたびに『あひるのガガーリン』が出てくるので、
思いきって今日、本を手にとって読んでみたのです。
すると。。。

ガアガア鳴くからガガーリンなのではなく、
ガガーリンに魅せられ、宇宙へ飛ぼうとして燃え尽きた哀しいあひるの物語でした!

っていうのは真っ赤なウソで、
やっぱり、宇宙飛行士ガガーリンとは無関係。
ガアガア鳴くあひるのガガーリンと、があ子というあひるが登場する絵本でした。
あひるの形の雲がぷかぷか浮かんでいたりする、楽しいイラストと、ほのぼのとしたお話の作品でした。

ところで、実は、
「ガアガア鳴くからガガーリンだなんて、その発想はまったく、宇宙飛行士ガガーリンとは関係なしだわ」
とは言い切れないのです。

ロシア人の苗字辞典というサイトによると、
ガガーリン(Гагарин/Gagarin)という苗字の由来は、
ガガーラ(Гагара/Gagara)という鳥で、この鳥の名自体が、その鳴き声が由来らしいのです。
ttp://lib.walla.ru/?lib=dictionary&d=9&id=2569

このサイトによると


ガガーラは大きな水鳥で通常は黒い色の鳥。
この鳥の発する鳴き声から、ガガーロイ(ガガールから発生した言葉)は笑い上戸の人のニックネームになっている。
最初の宇宙飛行士の父は「
私たちガガーリン家は陽気な家系なんです。だから、こういう苗字を持っているんです」
と語っている。
とのこと。(2011.2.24追記 現在上記のリンクは切れています)

ガガーラガガーラと鳴くガガーラと、があがあ鳴くあひるのガガーリン。
ベースの部分で同じ発想だったんですね。

さて、ガガーラはどんな鳥でしょうか。
「gagara」で画像検索してみてください。

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2006年3月26日 (日)

ガガーリン16 飛ぶことがすべて

ガガーリン1415でご紹介したガガーリンへのインタビュー。
他にどんなことが語られているのかを抜粋して簡単に。

【無重力体験について】

「無重力状態があらわれたとき、わたしの気分はすばらしく良好でした。
なんでも、らくにできるようになりました。手も、体中が自分のものではないように感じました。
無重力状態で宇宙食を食べましたが、地上で食べる時と同じでした。
私はこの状態で仕事をし、ものを書き、自分の観察を記録しました。
手にはまったく重さがなかったけれども、筆跡は同じでした」


【ツィオルコフスキーについて】
ツィオルコフスキーは「ロケットの父」「宇宙旅行の父」といわれる旧ソ連の科学者です(1857-1935)。
記者たちにこの科学者のことを尋ねられ、ガガーリンは、中学時代から彼の本を読んでいたこと。
宇宙で自分が体験したことが、ツィオルコフスキーの著書『地球の外(Вне Земли)』に書かれていたこととさほど違わなかったこと、
ツィオルコフスキーの予見が的確だったことを語っています。

【好きなスポーツ】
バスケットボール、スキー、スケート、バドミントン

【好きな作家】
トルストイ、プーシキン、チェーホフ、ポレヴォーイを挙げています。
特にポレヴォーイの『真実の人間の物語』を愛読していて、
子供の頃から、その主人公マレーシェフが好きだったと答えています。
ポレヴォーイという作家も『真実の人間の物語』も初めて聞く名前だったので調べてみました。

『真実の人間の物語』は、第二次世界大戦中に空中戦で不時着、負傷して両足を切断した
ソ連空軍の飛行士アレクセイ・マレーシェフの実話を基にした作品のようです。
両足を失い、絶望したマレーシェフは周りの人の支えで、少しずつ希望を見出します。
義足で歩けるようになり、踊ることさえできるようになったことを見せて、
軍の資格検査をパス。再び戦闘機のパイロットとして復帰、というストーリーのようです。

『ピーターと狼』やバレエ音楽『ロメオとジュリエット』で知られるプロコフィエフも
この『真実の人間の物語』を歌劇にしていたんですね。
初めて知りました。

ボストークで地球を一周し、〔宇宙飛行士〕という称号を手にするまで、ガガーリンは戦闘機のパイロットでした。
だからこそマレーシェフに共感するところがあったのでしょう。

【好きな仕事】
好きな仕事は?と訊かれ、ガガーリンは、

「なによりも、飛ぶことが好きです。(Больше всего я люблю летать.)。
飛ぶことはおそらく私にとって人生のすべてです。Полеты , пожалуй, для меня вся жизнь.)
と答えています。その他、飛行機での飛行とボストークでの飛行について触れています。

1955年7月、サラトフの航空クラブ時代。
ガガーリンはヤク18型で、教官が同乗しない単独飛行を初めて経験しました。
そのわずか6年後、彼が一人で、翼のない新しい乗り物で宇宙へ行くとは一体誰が想像できたでしょうか。

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2006年3月25日 (土)

ガガーリン15 たぐいまれなる美しさ(1961年4月13日のガガーリンのインタビュー。イズベスチヤ&プラウダ版とタス通信版)

以下、私の拙訳で。

〔まずはプラウダから〕

記者にボストークからの眺めを訊かれて---

「すべては、高空飛行士が成層圏に上昇して眺めたものととてもよく似ています。
しかし、もちろん、宇宙からの方が視界は広く、色調は鮮やかで、濃く、少なからず高空飛行とは違う独特のものです。
太陽に照らされている地球の昼の面は大河、大きな貯水池、森、土地の起伏、海岸線が非常に良く見えました。
ソ連上空を飛行中、コルホーズの大きな四角い畑をとてもはっきりと見分けることができました」


海洋面がどう見えるを訊かれて---
「黒っぽく見えました。時折、ところどころまだらに輝いてみえました」

地球は丸いことを感じたかを訊かれて---
「もちろん、感じました。
地平線を目にした時、地球の明るい面から、真っ暗な空へのコントラストが効いたグラデーション(原文переход)が見えました。
私たちの惑星は、青みがかった光の輪にとりまかれているようでした。
この青みがかった帯は、少しずつ暗くスミレ色にそして黒色へとなっていきます。

Наша планета была как бы окружена ореолом голубоватого цвета. 
Потом  эта полоса постепенно темнеет,  становится фиолетовой, а затем черный.
)
このグラデーションは言葉では言い表せないほど美しいものです」

宇宙船が地球の夜の面から昼の面へと向かう時の様子を訊かれて---
「まず、明るいオレンジ色の帯が現われます。
その帯はしだいに、ゆるやかに見覚えのあるあの薄青色に移り変わります。
そしてふたたび、濃いスミレ色へ、それからほぼ黒い色へ。
この色調の連なる光景はまったく筆舌しがたい美しさです。

Сначала идет яркая оранжевая полоса. 
Потом она очень плавно незаметно переходит все в тот же знакомый уже нам  голубой цвет,
 а затем снова темнофиолетовые и почти черные тона.)


太陽、月、星に関して---
「太陽は驚くほど明るかったです。
目を細めても肉眼では見ることはいけません。
地球上で見るよりも、おそらく数十倍、あるいは100倍明るかったです。
とてつもない明るさです。星々も明るくはっきりと見えます。
宇宙空間の黒色を背景にひときわ際立っていました。
月は残念ながら見ることができませんでした」


〔イズベスチヤでは〕

地球の昼の面、夜の面、空、太陽、月、星がどうみえるかの答えとして---
「高度から、地球の昼の面はとてもよく見えました。
海岸線、島々、大河、大きな貯水池、土地の起伏を非常によく識別できました。
わが国の上空を飛んでいた時、コルホーズの大きな四角い畑を見分けることができましたし、
また、どこが耕地でどこが牧草地がわかりました。
かつて、私は1万5000メートルの高度に昇ったことがあります。
衛星船からの眺めは、もちろん、飛行機からの眺めよりははっきりとではありませんが、それでも非常によく見えました。
飛行中、私は初めて、自分の眼で地球の丸い形を見ることができました。

Мне довелось впервые собственными глазами увидеть шарообразую форму Земли.
地平線を眺める時と同じように見えます。

地平線の光景はとても独特でたぐいまれなる美しさだったことを語らなければなりません。
地球の明るい表面から、星の見える漆黒の空への色彩豊かなグラデーションを見ることができました。
その境い目は非常に繊細で、まるで地球の球体を取り巻く膜の帯でした。それは淡い青い色でした。

Перехот этот очень тоненький,  как бы пленка‐поясок,  
окружающая земной  шар.  Она нежно‐голубого цвета .
(私メモ/пленкаは膜。薄皮。フィルム)

そしてこの青い色から黒への移り変わりはこの上なくなめらかで、美しいものでした。
言葉で伝えることはできません。

私が地球の陰から出た時、地平線は別のものとなって現われました。
地平線の上には、明るいオレンジ色の帯があって、それはしだいに再び青い色に、さらに濃い黒へと移り変わっていきました。

На нем была ярко‐оранжевая  полоска,  
которая затем  переходила опять в  голубой  цвет и  снова в  густо‐черный.
)

私は月を見ませんでした。
宇宙での太陽は地球上で見るより数十倍も明るく輝いていました。
星は非常によく見えました。明るくくっきりと輝いていました。
天空のすべての眺めは地球で見るのよりもはるかにコントラストがあり、くっきりと見えました」


(私メモ:горизонт は地平線、水平線両方の意味がありますが、ここでは地平線と訳しました)

両紙、若干言葉が違っていますが
6の交信記録でガガーリンが伝えてきたことと重なることがおわかりいただいけると思います。

新聞を見る限りは、交信記録の詳細が公表されていませんので、
一般の人にとっては、この両記者によるガガーリンのインタビューが、
宇宙からの地球の様子に関する最初の克明な描写といえるかもしれません。

イズベスチヤの記事の訳は
『ソ連人間宇宙船の成功』(8)にあります。
朝日4/14、毎日4/14(夕刊)、読売4/14(夕刊)にもこの記事の要約あり。

心地いいと感じる風景を思い浮かべることは、
心の緊張をほぐし、リラックスするためにいいと言われていますが、
美しい色を思い浮かべる時も、心が澄んだり、晴れやかになったりしませんか。
ガガーリンの言葉からそんなひとときを楽しんでいただけたらうれしいです。

〔追記 タス通信版〕
ガガーリンは地球と宇宙空間の境目の地平線の眺め(太字部分)にとりわけ心を動かされています。
同様の描写を4月13日のタス通信のインタビューでも語っています。

この原文は当時のソビエトの新聞「コスモリスカヤ・プラウダ(Комсомольская правда)」
1961年4月14日掲載のものをネットで閲覧できます。

その部分を抜き出してみましょう。

 Во время полета, сказал Юрий Гагарин,
мне довелось впервые собственными глазами увидеть шарообразную форму Земли.
Такой она кажется, когда смотришь на горизонт.

 Надо сказать, продолжал он, что картина горизонта очень своеобразна и очень красива.
Можно видеть необыкновенный по красочности переход от светлой поверхности Земли к совершенно черному небу,
на котором видны звезды.
 Переход этот очень тоненький, как бы пленка-поясок, окружающая земной шар.
  Она нежно-голубого цвета. И вот весь этот переход от голубого к черному происходит необыкновенно плавно и красиво. Даже трудно передать это словами.
 А когда я выходил из земной тени, то горизонт представлялся иным.
На нем была, ярко-оранжевая полоска, которая затем переходила опять в голубой цвет и снова в густо-черный.

このタス通信のインタビューは、当時のサンケイ新聞、アカハタが紹介しています。
各紙から日本語訳を引用します。

サンケイ新聞1961年4月14日朝刊では

「飛行中、私ははじめて自分の目で地球が丸いことを見ることができた。
地平線の眺望がきわめて独特で美しいものであったことをいいたい。
地球の明るい表面から星の輝く全く暗黒の空へ移るときの不思議な色合いをみることもできた。
この移行部はきわめて薄いもので、ちょうど地球を取り巻くフィルムの帯のようであった。
それはやわらかな薄青色を呈していた。
薄青から黒への移行はきわめてなだらかに美しく行なわれた。
ことばではいい表せない。
地球のカゲから飛び出すと地平線は別のもののようになり、
オレンジ色の輝きを放ち、つづいてそれは再び薄青色になった。」

(私メモ:最後のи снова в густо-черный. の訳が省略されています)


アカハタ1961年4月15日では
「地球が丸いことをこの目ではじめてみた。
地平線のながめは、まったく独特でうつくしかった。
地球のあかるい面から、星の輝く暗黒の空に入るときのめずらしい色合いの変化をみえた。
この変化の部分は、ひじょうに薄く、地球をとりまくフィルムか、幅のせまい帯みたいで、うす青色だった。
うす青から暗黒へのうつり変わりは、とてもなだらかできれいだ。
なんともいえない。
地球の影から出るときは、地平線はまったく別物にみえ、オレンジ色に輝き、そしてまた青から黒へと変わる」


アメリカのニューヨークタイムズが1961年4月14日の紙面で、タス通信版のインタビューの英訳を掲載しています。
ニューヨークタイムズ関連記事は(ガガーリン78に)

During the flight, I was able, for the first time,
to see with my own eyes the spherical shape of the earth.
You can see it when you look at the horizen.
The view of the horizon was different up there and very beautiful.

You can see a beautiful transition from the bright surface of the earth to the completely dark sky,
in which the stars are visible.

This transition is very subtle. It is as though a film ringed the earth,
It is of a delicate blue color.
This change from the blue to the dark is very gradual and lovely.
It is difficult to render it in words.

And when I emerged from the shadow of the earth, the horizon looked different,
There was a bright orange strip along it, which again passed into a blue hue and once again into a dense black color.


-------
私たちは宇宙飛行士にならなくても、宇宙から見た地球の映像を享受できているので、
ガガーリンの言葉をききながら、「ああ、あの眺めのことね」と想像できます。
それができなかった当時の人はどんな風に、地球をとりまく美しい色合いを想像したのでしょうね。
----------------------
上記の「青」の表現は地球をとりまく薄い青い膜のようなものについて語った言葉です。
名言「地球は青かった」の元となったと思われる「地球は青みがかっていた」に関しては
ガガーリン10 ガガーリン62を中心にご覧いただけましたら。

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2006年3月24日 (金)

ガガーリン14 合同インタビュー

4月13日、プラウダのデニソフ記者とイズベスチヤのオストロウーモフ記者は
ガガーリンに合同インタビューをおこないました。

14日のプラウダでは【ガガーリンは語る】の見出しで、
イズベスチヤ紙では【宇宙飛行士は語る】の見出しでその内容が掲載されています
(これらは着陸地点からのルポとは別のもの)。

かなりボリュームがありますが、まず、ガガーリンがボストークからの眺めを語っているところを抜粋してみます。

ただ、てこずりました。
両記者の文面が同じではないんです。
どちらかがガガーリンの言葉を要約したり、カットしてしまったり。
内容は一緒でも言葉づかいが違っているところもあります。
ガガーリンの生の言葉を知りたい者にとっては、どちらの記述がガガーリンの言葉で、どちらが記者のアレンジかわからない箇所があります。
ですので、要所要所で原文を記します。

ガガーリン15へ 

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2006年3月22日 (水)

UFOは地球に着陸していた!

その姿を見たら誰もがUFOは60年代にすでに地球に着陸していた!と思うでしょう。
Futuro(フトゥロ)という建物を見たら。

フトゥロは1968年にフィンランドの建築家マッティ・スローネン
(Matti Suuronen/正しくはスローネンかスーロネンかわかりません)が設計したレジャーハウスです。
丸いぽっこりした建物に丸い窓。その造形はどうみてもUFO。
宇宙人やテレタビーズが降りてきそう。

2001年10月に東京で開催されたデザイナーズウイークというイベントでは、
赤坂にFUTUROが上陸。船内見学ができたのだとか。それを体験された方々がうらやましいです。

2001年10月のCASA BRUTUSにもフトゥロ特集が。

世界にわずか10あまりしか存在しないというフトゥロですが、
その一つが今でも日本にあり、前橋の学校法人フェリカ学園、
フェリカ建築&デザイン専門学校が所有されています。
この学校のトップページにフトゥロというコーナーがありますので、クリックしてみてください。
謎のUFO型住宅futuroの全貌がわかります。

フトゥロがお庭にあったら、いいですよね。
週末フトゥロの中で読書したり、くつろいだり。
その窓から外を眺めたら、見慣れた家の周りの風景が、別の惑星の光景、別世界に感じられそう。

ジェネオンエンタテインメントからはフトゥロの写真をジャケットにした未来住宅というアルバムが発売されていて、
ttp://db.geneon-ent.co.jp/search_new/show_detail.php?softid=285832に詳しい情報が出ています。

フトゥロに会えるサイトをいくつかご紹介しましょう。

DVDの制作や販売をしているナウオンメディアではフトゥロDVDを扱っています。
プロダクトの中の design&art DVD の中に、
フゥトロDVD「FUTURO~北欧・謎のUFO住宅を追え~」があります。
視聴も少しできます。ttp://www.nowondvd.net/products/futuro/index.html

70s-The Futuro Houseではいろんなフゥトロ一覧が。

FUTURO-HOUSE NETというサイトはフトゥロの魅力がはじけています。
特にphoto album –videoは必見。動くフトゥロがみられます。

arc space.com にもフトゥロとこの設計者スローネンの写真あり。
このphotoを見ると、ユーモア、洒落っ気がある人だったんだなあって思えます。
ttp://www.arcspace.com/books/tomorrows_house/

ロシアのサイトもおすすめ。
面白いことに、ロシア語ではフトゥロって、Футуроって書くんです。
このФが、フトゥロの形にそっくりだと思いませんか。

ttp://www.membrana.ru/articles/inventions/2003/12/25/202900.html では
住宅の脇に何気なくたたずむ緑色のフゥトロ。
雪山に着陸したフトゥロ。
空飛ぶフトゥロを発見できるでしょう。

ttp://www.interfax.by/?id=43&arch=1&arch_id=23488では、芝生の上のフトゥロ。

また、ヤフーで「Matti Suuronen」で画像検索、
グーグル<で「Matti Suuronen」でイメージ検索しても、
FUTUROやスローネンの写真がたくさん出てきます。

この円盤型レジャーハウス、また、東京に再上陸してくれないかしら。
大きなプラネタリウムの中にフトゥロを置いて、その窓越しに満天の星空を見たら、
きっと本当に宇宙を旅している気分になれそう(^o^)

FUTUROって響きもいいですよね。
なんか力が抜けていて。フューチャー(未来)とレトロの造語でしょうか。
FUTUROの文字の中にUFOの文字が隠れているのも巧み!

大阪万博などにつながる、〔古き良き近未来テイスト〕に溢れています。

フゥトロに乗船シリーズ    星やプラネタリウムINDEXはこちら

ガガーリン13 新聞を見比べて

「地球は青かった」の原文は、4月12日にガガーリンが帰還後、
イズベスチヤやプラウダの記者らに語った「Земля голубоватая
ゼムリャー ガルバヴァータヤ」にほぼ間違いないことは
ガガーリン10で触れました。

ですが、もう少し、帰還後ガガーリンが語った言葉を何回かに分けて追ってみます。

イズベスチヤ、プラウダを中心に、宇宙からの眺めに関する言葉を抜粋して訳してみます。

まずは、フルシチョフ首相との電話での会話から。

1961年4月12日モスクワ時間13時、ガガーリンは、ソチに滞在中のフルシチョフ首相と電話で会話をしました。
その中では、ボストークからの眺めを以下のように報告しています。

Во  время  полета,  я  видел  Землю  с  большой  высоты .
Были  видны  моря,  горы  большие  города,  реки,  леса.


飛行中、非常に高いところから地球を見ました。海、山々、大都市、河、森が見えました。

記事はイズベスチヤ4/14の1面。プラウダ4/13の2面に掲載されています。

ソ連人間宇宙船の成功』の(4)にこの電話やりとりの全文訳があります。

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2006年3月21日 (火)

ガガーリン12 直筆サインを発見、たぶん

すごーい宝物を発見しました、たぶん。
と言っても、ガガーリンマニアでない方には、ふーんぐらいのものかもしれませんが。

東京・経堂の日本ロシア語情報図書館に頻繁に通っています。
1961年当時のロシアの新聞が閲覧でき、ガガーリンに関する本が日本のもの、
ロシアで出版されたものを問わず、ざくさくとみつかるからです。
「ロシアの古本屋さんまで行かないと入手できないかー」と諦めていたものがあるので、ありがたやです。

それで、また、図書館を訪ね、宇宙天文コーナーの棚の一冊を手に取りました。
『宇宙への道』というタイトルの本です。
ガガーリンの伝記ともいえる『宇宙への道』は、ガガーリンを語る上で欠かせない本ですので、
あらためてご紹介させていただきますが、日本ではいろんな出版社がいろんなバージョンで出版しています。

今回の本はどこのかしら?と見ると、
翻訳は日本共産党中央委員会宣伝教育文化部、出版元は日本共産党中央委員会機関紙経営局
となにやら仰々しい様子。
ふうんと思って、ページをめくった私。
見開きの左側にガガーリンの写真、右に文字の走り書きを目にした2秒後には、
私の瞳は、パカーと見開かれていたはずです。

「ガ・ガ・ガガーリン!」 
走り書きの黒いうねった文字は、どうやっても「ガガーリン」以外には読みようがないのです。
Pgagarinsign
↑これが直筆と思えるサイン

「印刷かしら。直筆でサインが書かれているかのように
本物っぽく印刷してぬか喜びさせる本が多いし」
とページをめくると、黒い線はところどころ裏写りしてます。

発行年は1962年5月。宇宙に人を送ることができたソ連とはいえ、
当時、裏にインクがにじむサインを印刷できる技術があったとは思えません。

司書の方々にお見せしたところ、その本が納入された当時の担当者はもう在籍しておらず、
誰が持ち込んだ本かは不明とのこと。
また、この本にガガーリンのサインがあるという報告は伝達されてこなかったけれど、
かなりの確率で本物じゃないかしら、とのことでした。

(この図書館の前身の日ソ図書館は、日ソ協会(現、日本ユーラシア協会)と協力関係であり、
その日ソ協会は1962年にガガーリンが来日した時、歓迎集会を主催されたそうです。)

ほぼ100%本物、と思う理由はほかにもあります。

1)1969年に出版された
   「ダローガ・フ・コスモス(宇宙への道)」。
P1969book

左ページ下にガガーリンのサインが印刷。
P1969gagarinsign
↑拡大すると筆跡がそっくり

2)ガガーリンは、この本が出版された1962年5月に来日している(5月21日から29日まで)。
  この本の図書館への納入日がその直後の6月10日。

3)小学館から出版された『少年少女世界の名作37巻 ソビエト編』のうちの一篇がガガーリンについて。
  その中で使われているガガーリンの写真のクレジットは『日ソ協会』になっている。
  ガガーリンと日ソ協会のつながりを感じさせる。

4)1969年版「ダローガ・フ・コスモス」では、1962年の日本での滞在のことを、
  ガガーリンが詳しく語っており(対談相手として糸川英夫博士の名前も登場)、
  その際、頻繁に『общество“Япония- CCCР”』という単語が出てくる。その意味は日ソ協会。

たぶん、多くの日本人がそうだと思うのですが、私もガガーリンの映像、肉声、まったくと言っていいほど
目にも耳にもしたことがなかったでした。
ガガーリンは伝説の人。別の時代に生きた過去の人。
という感覚だったのですが、ガガーリンの筆跡を目にして、確かに彼が存在していたんだと、強く実感できました。

まるで、旧友からの手紙の筆跡を見て、その友人を思い出すように。
彼の直筆と思える文字をそっとなぞりながら、彼の存在をすぐそばに感じました。

本当に生きていたんだ。そして日本に来たんだと。

こんなお宝が無造作にある図書館。おそるべし。まだまだ掘り出し物があるかも。

ガガーリンはロシア語ではГагарин
このГの文字は、筆記体になると英語のTとJを合わせたような書体になります。

↓これは、私が『ガガーリン』をロシア語の筆記体で書いてみたもの。
Piwrite

『宇宙への道』の見開きにある文字が、
ガガーリンと読めることがおわかりになると思います。

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2006年3月20日 (月)

今夜は宇宙遊泳

どこかに遠出したいなあと思った日、
最近海に潜っていないから泳ぎたいなあと思った日、
空が晴れていて、星がいっぱい見えて、あー夜空に飛んでいきたいなあと思う
星日和の日。

そんな夜は宇宙遊泳なんていかがでしょう。しかもあなたのお部屋で。


JAXA(ジャクサ/宇宙航空研究開発機構Japan Aerospace Exploration Agency)
のHPにはいろんな映像や写真が満載のライブラリーがあるんです。
その名はデジタルアーカイブス。
誰でもパソコンからアクセスして、宇宙にまつわる貴重な映像や写真を自宅のパソコンで見ることができます。

JAXAのトップページから、JAXAデジタルアーカイブスをクリックして、
ビデオアーカイブスをクリックするとビデオコーナーへいきます。
たくさんの映像があって目移りしてしまいますが、まず、宇宙遊泳におすすめなのはこの3つ。

1)ビデオNo:50M2000000223_02
キーワードに 月と地球映像 と入力して検索開始。
すると2つビデオが(ライブラリーの収録映像が増えるとヒット件数は変わるかもしれません現われます。
下段のビデオNo:50M2000000223_02の左の映像枠(まっくらで何も映ってませんが)を選択してください。
毛利衛さんが搭乗されたエンデバーからの映像です。

特におすすめは
9:24からの〔月と地球映像〕
なだらかな弧を描く地平線の上に十七夜ぐらいの形の月。
地球 月という光景を「Moon&the Earth」と語りながら撮影されています。
そのカメラのズームを引くと、地上には関東地方が。
「Tokyo!」「Tokyo Bay」「マウントFuji!」「アメイジング!」「ファンタスティック!」
と感嘆する毛利さんら宇宙飛行士の声が入っています。
そして、そしてカメラは富士山に寄ります。緑と茶色の大地にポツンと、そこだけ白い小さな山の姿が映ります。
15:56からの〔シャトルの夕暮れ〕では、赤からすみれ色までの虹色のグラデーションに輝く様子が美しいです。

2)ビデオNo:50M2000000219_02
アーカイブス検索のキーワードに 夜明けと入力して検索開始。2つのビデオの下段になります。

4:18からの〔シャトルからみた夜明け〕
真っ暗な画面の中で地球のへりがかすかに青く光ります。
シャトルが進んでいくにつれ、青く光る細い線は帯へ、そして面へとなってゆきます。
発光しているようなスカイブルーから濃い藍色までの色合いの美しいこと。
アングルを変えず、たっぷりと7分ぐらい映像は続きます。
シャトルのゴーという音が臨場感を高め、まるで自分自身が宇宙船に乗って、地球の周りを回っているような気持ちを味わえます!

3)ビデオNo:2003000030_01
アーカイブス検索のキーワードにNHKと入力して検索開始。
2件でてくるうちの下段になります。船内の毛利さんたちの実験の様子も見られます。
空中に浮かんだリンゴがゆっくりと回転を続けます。
大きな水玉が、ふよっふよっ、と漂います。
上空から俯瞰する地球の陸地、海。雲もたっぷりと眺めることができます。
こちらにも月と富士山の映像はあります。
圧巻は25:00からの〔青い大気の中に沈んでゆく月〕
青いベールをかぶるようにゆっくりと沈んでゆく月はおごそかな気持ちにさせられます。

ガリレオも坂本竜馬も宇宙からの地球の姿を見ることはできなかったんですよね。
私たちは現代に生きているからこそ、それを誰もが追体験できる!宇宙飛行士になるための過酷な訓練もなし。
重装備の宇宙服を身につけることもなし。
それこそジャージで、缶ビールやケーキ片手に、のほほんと、お部屋で宇宙遊泳を愉しめるのです。
シアワセ、シアワセ。

宇宙遊泳を楽しむ時のイチオシの音楽は、
こちらでご紹介。
星やプラネタリウムINDEXはこちら

2006年3月19日 (日)

森のシンフォニー

横浜の市ヶ尾で素敵なお店をみつけました。
木のおもちゃを扱っているその名も森のシンフォニー。

店内にはいろんなおもちゃがありました。
虹色の積み木に天井から吊り下げれたカラフルな木のモビール。
イースターエッグにロシアのマトリョーシカまでも。
ドイツ、スイスetc.の国からの魅力的な木のおもちゃの数々。
木の素材に囲まれて、心がほっこりしてきます。

どれもお持ち帰りしたいものばかりの中で、私が購入したのはドイツ語のアルファベットのカード。

Pdasalphabet
パッケージのはりねずみの絵に心を奪われてしまいました。
AからZまでの一枚一枚に、その文字から始まる動物の絵が描かれていて、とっても愛らしいんです。
子供が図工の時間に描いたような素朴な絵がたまりません。
動物は色鉛筆で背景は水彩で。
オレンジ系、グリーン系、イエロー系のグラデーションとその色のにじみ具合が美しくて、うっとり。

Pchze

Zは動物じゃなくて森の精のような絵になってzwergと書かれています。
(ネットって便利。調べてみたら小人でした)

作者の描いた時の楽しさ、喜びがそのまま絵に宿っているよう。
手にとってトランプのカードみたいに扇型に広げて眺めるだけでうっとり。
部屋のあちこちに飾りはじめていますが、今、いいことを思いつきました。
すべてのカード、裏は同じ柄なんです。
なので、もう一組買えば、Aが2枚、Mが2枚・・・と同じカードがペアになり、
トランプの神経衰弱ゲームができます!

森のシンフォニーのオーナーのご夫妻はドイツ他に行かれて買い付けをされているようです。

積み木の中にはバウハウスのものもありました。
パッケージに印刷されたBAUHAUSの書体も積み木の一つ一つのフォルムもかっこいい~。
バウハウスの積み木に感激していると、ドイツのバウハウスのミュージアムのお話を聞かせてくださいました。

そして、スイスのネフ社(Neaf)の積み木をいろいろ見せていただきました。
ネフ社の積み木いいですね。
配色、フォルム、どれも素晴らしいですが、特にびっくりしたのが、立方体の積み木。
立方体を解体して、アトランダムに並べるだけで、いろんな形になるのです。
もうアートオブジェの領域。
子供のおもちゃである積み木に
カナリアイエロー、黄緑、緑、コバルトブルーの4色というモダンな配色をするところにもしびれます。
こういう積み木なら、遊んでいた子供が大きくなった時、
どこかにしまいこむのではなく、
ずっと部屋に飾りつづけることができていいなあ。
親になる年齢まで飾れるし、子供ができたら受け継がせることができるなあと思いました。

森のシンフォニーさんのブログを拝見していたら、
12月2日の記事にネフ社のグレートーンの積み木がでています。
すっごくシックでおしゃれ。こういう配色のセンスに脱帽。
私も一気にネフファンです。

ガガーリン11 ソ連邦大使館による冊子

ロシアの新聞、プラウダ(Правда)やイズベスチヤ(Известия)の
ガガーリンに関する記事を読む時に、とても役立つ本が、
日本ロシア語情報図書館にありました。

それはソ連大使館から1961年5月に発行された
『人類最初の宇宙飛行 ソ連人間宇宙船の成功』(日本語)。
Psorenpou
いい働きをしてくれている冊子です。
国家の威信をかけて、ってこういうことでしょうか。

フルシチョフの祝電、ガガーリンや科学者たちが会見で語った言葉などが訳されています。
イズベスチヤやプラウダのフルシチョフの祝電やガガーリン、科学者たちのコメントを読む時にいいサポートになります。

写真も豊富で、ガガーリンが乗った宇宙船ボストークの内部写真も掲載されています。
光学式装置付きイリュミナートルも映っています。

この冊子で訳されているのは以下のことになります。
言葉が少し古めかしかったり仰々しかったりするのですが、目次を原文のまま紹介します。

人類の発展における素晴らしい道標 という章では
1)ソ連の共産党員と全国民、すべての国の国民と政府、すべての進歩的な人びとへの呼びかけ。
2)フルシチョフ首相の祝電。
3)衛星船「ウォストーク」号による世界最初の人間宇宙飛行の成功的実現に参加したすべての科学者、
  技師、技手、労働者、すべての集団と組織へ。
  最初のソビエト宇宙飛行士ユーリー・アレクセービッチ・ガガーリン同志へ。
4)フルシチョフ首相と最初の宇宙飛行士ガガーリン少佐との会話。

最初の人間の宇宙飛行はこのようにおこなわれた という章では
5)世界最初の人間宇宙飛行について(タス発表)
6)最初の宇宙飛行からの人間の無事帰還について(タス発表)
7)宇宙船からのガガーリン少佐の通信
8)ユーリー・ガガーリンは語る

9)最初の宇宙飛行士

祖国は英雄を祝う の章では
10)ユーリー・アレクセービッチ・ガガーリン少佐のあいさつ
11)フルシチョフ首相の演説
12)クレムリン大宮殿におけるレセプション
13)ソ連邦最高会議幹部会令---
    世界最初の宇宙飛行士ガガーリン少佐にソビエト連邦英雄称号を付与することについて
14)ソ連邦最高会議会令---
    称号「ソ連宇宙飛行士」の制定について
15)ソ連邦最高会議会令---
    飛行士ユーリー・ガガーリン少佐に「ソ連宇宙飛行士」の称号を付与することについて

人間の理性の勝利 の章では
16)衛星船「ウォストーク」号によるソビエト人の世界最初の宇宙飛行の成功にさいしてひらかれた
   新聞記者会見
17)ネスメヤーノフの演説
18)ガガーリンの演説
19)シサキャンの演説
20)パーリンの演説
21)フョードロフの演説
22)ガガーリン少佐との一問一答
23)新しい世界の象徴---セミョーノフ
24)最初の航宙家はこうして養成された---パーリン
25)着陸の模様について---ノボポリャンスキー

26)宇宙空間開発の決定的な一歩

27)宇宙船「ウォストーク」号の構造
28)人間の宇宙空間飛行の医学的・生物学的諸問題
29)宇宙飛行士の訓練
30)最初の宇宙飛行士

通し番号は私が便宜的につけました。
この他、掲載されている写真は、ガガーリン、妻、娘の家族写真、オレンブルグ飛行学校時代の写真、
発射前のガガーリン、赤の広場で歓迎を受ける様子などです。

4月25日のプラウダ新聞の記事の訳も載せながら、5月には発行されています。
ガガーリンの偉業を早く詳しく日本のみんなに知らせなければと思ったからでしょうか。
要望があったからでしょうか。
ソ連の新聞が入手しづらく、情報そのものも入りにくい当時、素早い対応でよくまとめてくれた、
という印象を受けました。

ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月18日 (土)

宇宙遊泳/坂本龍一


エスペラント

 

 

 

宇宙遊泳気分を楽しむ音楽。
そのイチオシは坂本龍一の「ア・カーヴド・ストーン」。
モリサ・フェンレイというダンサーとのコラボレーションのためにつくられたアルバム『エスペラント』の中の1曲です。

1985年に新宿の文化服装学院遠藤記念館で、あるイベントが行なわれました。

坂本龍一、アルバム『エスペラント』に参加しているパーカッショニストの YAS-KAZがステージで演奏。
その音楽をまとうように、
ベリーショートヘアでボーイッシュでキュートな前衛舞踏家モリサ・フェンレイが踊りました。
(このパフォーマンスコンサートイベントを企画制作した会社の新米スタッフとして、
私も現場にも関わっておりました。
それで、伝説コラボを生で見る機会に恵まれたのです(*^。^*))。

前衛といっても攻撃的なものではなくて、
素朴であり、未来的でもあり、青い光の中で神聖な空気を発し、
アーティストたちのエネルギーが調和した素晴らしいコラボがそこにありました。

以来、名盤『EAPERANTO』を聴いてきましたが、手持ちはレコードだったので、手軽に聴けるようになったのはCD化されてから。

さて、「ア・カーヴド・ストーン」ですが、独特の浮遊感があります。
マリンバとピアノとシンセと太鼓系の不思議な音が中心の曲です。
マリンバの深い木の音色が、ポロロン、ポロロン、ポロロットゥンというフレーズを繰り返します。
それに呼応するかのように、太鼓のような音が、トゥン、トゥーン、トゥン、トゥン、トゥンを繰り返します。
そして、ピアノやウインドチャイムのような音が遠くの方で、時には右の方から、左の方から、自由自在に加わります。
シンセのファーという和音が奥の方で長い螺旋を描くように流れてゆきます。

エコーのせいでしょうか。すべての音に奥行きがあります。
音楽というよりも、分子構造のモデルのように、
3次元の空間の中に、立体的に音をデザイン・レイアウトしてみました!というかんじ。

それぞれの楽器があまり絡み合わずほどよい距離を持って、自分の場所で回転して漂っています。
それがなんだかスペイシー。
マリンバのリフレインや、すべての楽器の音色の心地いいこと!

漠とした空間にゆるゆると自分が拡がっていくような、
それなのに感覚はどんどん研ぎ澄まされていくような不思議な曲です。

『A CARVED STONE』を聴きながら、さらに宇宙遊泳を楽めるアイテムにJAXAのビデオライブラリーがあります。
おすすめは星やプラネタリウムのカテゴリーのこちら

こちらもご覧ください。

星と楽しむ音楽INDEXはこちら

 

2006年3月17日 (金)

ガガーリン10 原文にたどりつく!

東京・経堂にある日本ロシア語情報図書館で、1961年4月のイズベスチヤ紙を閲覧しました。
プラウダも読みたかったのですが、4月分だけが残念ながら見当たらないとのことでした)

感動です~。
縮刷版ではありません。新聞そのものが紐でくくられ一ケ月ごとに保管されているのです。
当時の生の新聞です。
紙面の端が少し黄ばみがかり、40年以上の月日の流れを感じさせるその新聞をそっとめくっていくと・・・。

4月12日の紙面ではガガーリンのことについて何も触れていませんでした。
日本の新聞では『12日の夕刊イズベスチヤによると』、というくだりもあったのですが。
(イズベスチヤは当時、モスクワでは一日一回夕方に、全国では一日一回朝に発行されていたようです。
私が閲覧しているのは全国版。ですので、ガガーリンについての初めての報道が4月12日には間に合わなかったようです)

13日になると、出てきました!
ガガーリンの写真とともに、黒、朱色の極太ゴシック体のキリル文字で彼の偉業を伝える見出しが躍っています。
ロシア構成主義を代表するグラフィックデザイナー、リシツキー(Лисицкий)のデザインを彷彿とさせるかっこよさ!

震える手でページをめくり、まず、16日までの見出しを追いました。
やはり、「地球は青かった」にあたる言葉はありません。
一つ一つ記事を追ってみることにしました。

イズベスチヤの記者オストロウーモフ氏の着陸地点からのルポが4月13日に掲載されていました。
朝日4/13夕刊、毎日4/13夕刊、読売4/13朝刊の元になっている記事です。
日本の各紙で『空は暗く、地球は青~』と書かれていた言葉の原文を探してみると。。。
(以下私の訳で。)

ガガーリンの言葉として、

Небо очень и очень темное , а Земля голубоватая . とありました!
голубоватаяを辞書で引くと、青みがかった、薄青色の、となっています。
露英辞典だとbluishと出てきます。(Blueではありません)

原文はつまり
『空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていたとなるのです。

「地球は青みがかっていた」
Земля голубоватая。ゼムリャー ガルバヴァータヤ。
---日本でのちに「地球は青かった」と一人歩きするのはまず、この言葉にマチガイありません。

ところで、国会図書館で4月のプラウダを閲覧しました。
4月13日のプラウダではこのくだりはこう書かれています。


「宇宙の中で、空はどうでしたか?」
「暗かったです。同志諸君。とても暗かったです」
А Земля?/一方、地球は?」
Голубоватая, как большой шар. Замечательная картина!
青みがかっていて、まるで大きな球のようでした。素晴らしい光景でした」。


この言葉が原文だとすると、私の疑問
『ガガーリンが見た青は、シーニーだったのかガルボイだったのか?』
答えはガルボイです。
そして、「地球は青かった」は、ガガーリンが飛行中に言った言葉ではなく、帰還後、記者たちに語った言葉と言えます。

これで一件落着?
いえいえ、新たなスタートです。断言する前に、もう少し、ガガーリンの帰還後の他のコメントを調べてみる必要があるから。 
※追記※関連ページ ガガーリン
15 20 21 23 48
      「地球は青かった」真意のロシア語はこちらだと思います→25 49

それに、ガガーリンは興味深いことをもっともっーと、語っているのです。

このつづきはまた明日。

余談ですが、ガガーリンの取材で派遣されていたイズベスチヤ新聞のオストロウーモフ記者は、
とても粋な文章で着陸地点からのこのルポをしめくくっています。


私が「イズベスチヤの読者たちは熱烈な祝辞をあなたに送っています」と
申し上げると、人類初の宇宙飛行士は
「私からの心からの挨拶を彼らにお伝えください」と語った。
その瞳は、いまなお、星の光を反射しているように、輝いていた。


歴史的な出来事、その英雄に自分が立ち会えているという記者自身のよろこびが伝わってくるような気がしませんか。

日本の3紙もオストロウーモフ記者の言葉を添え、彼のルポを紹介しています。


『最初の宇宙旅行者は、こう記者に語った。彼の両眼は、まだそこに
 星の光がうつっているようにキラキラと光っていた』
 (朝日4/13夕刊)
『ガガーリンの目は星の光を残しているようだった』 (毎日4/13夕刊)
『彼の目は星の光を反射するかのようにきらきら光った』 (読売4/13朝刊)

1961年4月12~16日の新聞は読んでいるだけでエキサイティング。
図書館で勉強や調べものをなさる方は、息抜きタイムにこの4月の縮刷版やマイクロフィルムをご覧なってみてください。
夢、未来、快挙、進歩。そんなエネルギーに触れることができます。

補足です。
イズベスチヤではオストロウーモフ記者が、プラウダではデニソフ記者が、
4月12日のドキュメントとして執筆した着陸地点からのこのルポ。両記者は、


ガガーリンが軌道に乗る前にすでに「地球が見える、もやに包まれている。気分は非常によし」と伝えてきた

と書いています。原文では

Вижу землю, покрытую дымкой. Самочувствие отличное.

ですが、ガガーリン6で紹介した交信記録には、
「もやにつつまれている(покрытую дымкой)」にあたる言葉はありませんでした。

ただ、交信記録の一つでは「Вижу землю...」となっています。
その聞き取りにくい部分がпокрытую дымкойだったのでしょうか。
(2011.12.22追記)
イズベスチヤの1961年4月12日の記事がネットで閲覧できます。
詳しくはガガーリン98を。

ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月16日 (木)

ガガーリン9 当時の日本の新聞では

1961年4月12日の、ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行。
当時の日本の新聞はどう伝えたのでしょうか。

調べたのは、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の縮刷版です。
出向いた図書館で縮刷版が置いてあるのがこの3紙だったので。
また、このブログを読んで興味を持ってくださった方が、ご自身で確かめる時に、
この3紙だったら全国各地の図書館で閲覧しやすいかなあ思い、取り上げてみました。

1961年の4月のページをめくっていくと・・・。
すごく面白かったです~。
当時、事前に発表するってことはなかったのでしょうか。

ガガーリンを乗せたボストークが打ち上げられたのが、
4月12日モスクワ時間9時7分(日本時間15時7分)、
108分の飛行の後、着陸がモスクワ時間10時55分(日本時間16時55分)ですが、
日本では4月12日の朝刊まではこの一大プロジェクトはわかっていなかったのですね。

朝日4/11夕刊は
【ソ連の人間打ち上げ説 当局の確認えられず】
朝日4/12朝刊は
【モスクワ市民は否定的 人間衛星の打ち上げ】【打ち上げは完全なうわさ 米航空宇宙局次長】
という見出しで記事を載せています。

新聞各紙で使われている単語も現代の感覚と違います。
今は〔有人飛行〕という言い方が一般的だと思うのですが、〔人間宇宙船〕という言葉がばんばん出てきます。


『モスクワは「宇宙人間」のうわさでもちきりだが~』
『ソ連は最初の人間宇宙飛行を実施し、生きたまま回収したかも知れない~』
 
(朝日4/11夕刊)

『観測筋では“宇宙人間”第一号をナマ身の姿でみせるために発表が延びているという可能性もないではないとしている』 
(毎日4/11夕刊)

これらの表現に、10代の頃愛読していた学習雑誌によく載っていた、
捕獲された宇宙人(両手をバンザイのように挙げて地球人と手をつないでいる小さな宇宙人)
の写真を思い出してしまうのは私だけでしょうか。

少し脱線しましたが、ガガーリンのことは、4月12日の夕刊から各紙報道しています。


【ソ連、人間衛星に成功 ガ空軍少佐乗り込む】
(朝日4/12夕刊)

【初の人間宇宙船成功 ガガーリン少佐、元気で飛行中】
(毎日4/12夕刊)

モスクワ放送が、人類初の宇宙飛行に成功したと伝えたのは日本時間の16時2分なので、
日本の夕刊にその記事が間に合ったことにまずびっくりです。
「地球は青かった」という見出しを求めてページをめくってみると・・・。
3紙とも出てきませんでした。
新聞でガガーリンのニュースが一段落するのが4月16日なのですが、それまでに出てくることはありませんでした。

そのかわり、どんな言葉が出てきたかというと。

朝日4/13夕刊は
【空は暗く、地球は青色 米・アフリカ沿岸など識別 ガガーリン少佐語る】
の見出しのもと
『空はとても暗かったが、地球は青みがかっていた』
というガガーリンの言葉を紹介しています。

毎日4/13朝刊は
【米国、アフリカよく見えた ガ少佐語る 空暗く、地球は薄青】
の見出しのもと
『空は非常に暗かったが、地球は薄青色だった』
とガガーリンの言葉を紹介しています。

毎日4/14夕刊は、ガガーリンとイズベスチヤやプラウダの記者らとの会見でのコメントとして
『地球はその上部は明るい色彩の薄い帯状の巻くでぐるりと取り巻かれ、あたりは全く暗い空なのだ。
この帯状の薄い幕はやわらかい空色であった』
と記しています。

読売4/13朝刊は見出しには、青という言葉はなく、本文にガガーリンの言葉として
『空はとても暗く地球は青みを帯びていた』
と記しています。

読売4/14夕刊は、毎日夕刊と同じくイズベスチヤらの記者の会見から
『薄い青色のフィルムが地球のまわりをぐるりととりまいているようにみえる』
と紹介しています。

意外でした。
黒地に白ヌキで大きく、ガガーリンは語る「地球は青かった!」という活字が躍っていると思ったのです。
ただ、各紙が4/13、4/14に紹介しているイズベスチヤ紙の記者らとの会見でガガーリンが語った言葉に
「地球は青かった」の元がある可能性がすごく高いです。

ロシアの当時の新聞をみてみることにしましょう。

ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月15日 (水)

ガガーリン8 その日ソビエトで

1961年4月12日当日。ガガーリンと地上との交信はそのまま生中継されたわけではありません。

ソ連で、ガガーリンの宇宙飛行について初めて報道されたのは、
4月12日モスクワ時間の10時2分(日本時間同日16時02分)のモスクワ放送(ラジオ・モスクワ)のようです。
モスクワ放送で、どう伝えられたかを見ていきましょう。
(いずれもタス通信の発表を受けての報道です)

10時2分の臨時ニュースでは:
4月12日にボストークが打ち上げられたこと、宇宙飛行士はガガーリン少佐であること、
現在も地球の周回軌道を飛行中であること伝えています。

10時30分のニュースでは:
9時52分にガガーリン少佐は南米上空にあって、
「飛行は正常に行なわれており、気分は良好」と伝えてきた、と報じています。

11時のニュースでは:
10時15分にガガーリン少佐はアフリカ上空にあって、
「飛行は正常に行なわれており、無重力状態によく耐えています」と伝えてきた、と報じています。

11時10分のニュースでは:
10時25分に制動エンジンにスイッチが入り、宇宙船は軌道から降下をはじめた、と伝えています。

12時23分のニュースでは:
ガガーリン少佐が10時55分、予定の地域に無事着陸したと伝えています。

そして、モスクワ放送は12日夜7時のニュースで、ボストークで飛行中のガガーリンの肉声を録音したものを公開しています。
これについては、4月13日の読売新聞が、史上はじめての「宇宙からの人間の声」という記事で、以下のように書いています。


私はいま地球を見ている。視界はきわめて良い。地上からの声もよく聞こえる。(以上が最初の声)

飛行は依然うまくいっている。視界も良好。すえてのものがよくみえる。
空間のある部分は雲でおおわれている。私は飛行を続けている。万事正常。すべてが完全に働いている。私は依然飛行を続けている。(中ごろの声)

気分は上々。士気も盛ん。機械は正常に働いている(最後のころの声)


4月12日、人類にとって記念すべき日ですが、
今のように全世界衛星生中継があるわけでもなく、
交信記録でガガーリンが語った、地球のふちが青い光の輪になっていたというコメントはニュースで伝えらえれていないようです。
(当日のソ連のテレビでどう報道されたのかはまだ調べていませんが)

では、どこから「地球は青かった」が生まれたのでしょうか。
日本の当時の新聞でどう伝えられたのかをみてみましょう。

ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月14日 (火)

ガガーリン7 交信記録を読んで

交信記録を見ると、ガガーリンは9時10分に、地球が見える様子を語っています。
ただ、これはまだ大気圏内で荷重に耐えながらの言葉。
周回軌道に乗ってからの9時21分「のぞき窓を通して地球、空、地平線を眺めています」が、
人類が宇宙からの地球を眺めを語った最初の言葉と言えるのかもしれません。

さて、肝心の<地球は青かった>に関する言葉ですが、9時27分に語っているのですね。

(最後に補足)

「地球の縁、地平線の際は非常に美しい青い光の輪になっています。
この光の輪は地球から離れるにつれ、暗くなっていきます。
По краю Земли, по краю горизонта такой красивый голубой ореол, который темнее по удалению от Земли.


ガガーリンが感じた青は、シーニーではなくガルボイでした。
1389main_mm_image_feature_18_rs4_4n
ですが、『地球という惑星が青かった』ではなく、宇宙空間との境い目の大気の層が青く見えたことを語っていたのですね。

今、あたりまえにのように、私たちが宇宙からの地球の写真で目にしている、あの青いオーラのような薄い層の色合いを。

ちなみに、『光の輪』と訳したのは原語ではОРЕОЛ(アリオール)。
露和辞書では光の輪、円光、後光、光背、ハレーションと訳されています。
英語ではhaloやオーラにあたるものです。

sunrise_sts101_med
10時6分の「虹が~」のくだりはきっと、地球の夜の上空を飛び、夜明けを迎えた時、
太陽光線によって地表の縁が虹色のスペクトルに輝くさまを語っているのでしょう。

画像を2つご覧いただいていますが、
これはガガーリンが撮影したものではありません
(帰還後の会見で、地球の写真は撮影したかを聞かれ、機材を持っていっていないので撮影してません、と答えています)。

いずれも
NASAVisible EarthNASA IMAGESのパブリックドメインからの画像。
スペースシャトルから撮影されたものです。
ガガーリンが、青い光の輪と、地表の虹色の報告をした時に目にしていたのはきっと、こんな光景。と推測して入れてみました。

交信記録はかなりのボリュームです。
ガガーリンは宇宙船の操縦こそしないものの、宇宙船が正常に働いているか。
自分のコンディションはどうか。通信状態は良好かなどの連絡、計器の数字の逐一報告など任務はてんこもり。

その肉声を聴けるサイトはまだ確認していません。
ですが、地球の眺めを報告するくだりだけでも、
交信記録の所要時間と内容のボリュームから、いかに彼がスピーディーに語っているかがわかります。
なんと表現したらいいかわからず、言葉を詰まらせて沈黙が続くということはなかったはず。

初めて見た光景なのに、それを言葉でぱきぱき表現できるところに、
ガガーリンの文学的な才能を私は感じてしまいます。
特に、現代の私たちは宇宙からの地球のビジュアルを知っているからこそ、
ガガーリンの描写力、表現力の的確さに感嘆することができます。

彼は著書「ДОРОГА В КОСМОС(ダローガ・フ・コスモス/宇宙への道)」の中で、
感動することによって、美しさにみとれることによって、装置から目が離れてはいけない、
任務がおろそかになってはいけないと自分を戒めたと語っています。

それでも、ガガーリンは、<宇宙から見た地球を自分が世界中の人々に伝えなければ。
写真がないので言葉で伝えなければ>という使命感を抱いて、自分の目と心に地球の姿を焼き付けたのかなと思いました。

さて、9時27分。確かにボストークから、地球のまわりの青い大気の層の美しさを語っていますが、
この言葉が「地球は青かった」に訳されたのでしょうか。
(補足)
この続きはガガーリン10をご覧いただきたいのですが、前もって補足します。
日本で「地球は青かった」と訳されたガガーリンの言葉の原文はこの交信記録の中の描写ではありません。
地球帰還後に記者のインタビューを受けて「空は暗かった 一方、地球は青味がかっていた」と答えた言葉です。
この言葉が日本の各新聞に「地球は薄青」などの表現で大見出しとなり、すぐに「地球は青かった」という言葉づかいになりました。
この交信記録のコメントは日本で紹介されるのは少し経ってからになると思います。


他の資料を見ていくことにしましょう。

引用の文献を記していないものは私による拙訳です。


ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月11日 (土)

キュートな掃除機やってきた

キュートな掃除機がやってきました。その名はヌバックくん。
笑顔が愛くるしい掃除機ヘンリーくんの仲間です。

最初は普通の掃除機を買うつもりで量販店に行ったのですが、どれもごつかったり、妙に派手な2色づかいで、掃除機をかけようというテンションが下がりそうなものばかり。
そんな時、雑誌のデザイン家電特集で見たイギリスの
Numatic社のヘンリー君を思い出して、ネットで調べてみたのです。
びっくりしました。
ヘンリーくん。いろんな兄弟や仲間がいたのです。ちょっと大きめのチャールズくん、小さめのジェームスくんetc.。
そして、フランス用のシックな色づかいのヌバックくん。

こんなキュートな掃除機なら部屋に置いておきたい!
「掃除機をかけなきゃ」ゃなくて、「一緒に掃除をしようか」とトコトコ部屋の中を連れて歩いて、楽しく掃除ができそう。と、早速注文。

そして、昨日、待ちにまったヌバックくんが我が家にやってきました。
いわゆるねずみ色です。結構大きいです。(うわっ、デカ!って思います。でも、掃除機というよりも、おもちゃの入ったバケツみたいな楽しいイメージ。置き場所に困らなければ、部屋にヌバックくんを飼うつもりでインテリアのひとつとして使えそう)。
ヌバックくんは顔がありません。掃除機を買ったご主人さまが自分で目や口を貼るのです。

のっぺらぼうのヌバックくん。
顔が無いと、いかにも業務用という感じで味けないです。
でも、へんな流線型の最近の掃除機より無骨でレトロな雰囲気がいい感じです。

のっぺらヌバックくんに貼るシール。
シールの鼻の部分をくりぬきヌバックくんの鼻に通すので、
ぴったりの位置に目と口をつけることができます。
福笑いのように自分でアレンジもOK。

顔がつくとヌバックくん。
かわいいです~。

おでこにはnuvacの名前が。
グレーのお顔に合わせ、
私は黄緑とグレー使いのマットの
上に鎮座させています。

2006年3月10日 (金)

ガガーリン6 交信記録

9時7分に「出発だ!(ПОЕХАЛИ!/パイエーハリ)」と言って宇宙へ飛び出したガガーリンは、
すぐ宇宙船の状況などの報告をしています。
9時8分にコロリョフの「スタートから70秒経過」の声に、
ガガーリンは「了解。70秒経過。気分は非常に良し。飛行を続けています。荷重が強まっています。すべて順調」と答えています。

以降、ガガーリンの言葉から、地球の眺めに関する報告を中心に抜粋。
(あくまでも私の訳なので、完璧と思わず、ロシア語の心得のある方はぜひ原文をご覧なってください)

補足
1)ガガーリンが「見える」「見る」と報告する時には2つの動詞が使われていました。
  видеть(ビージチ/見る、見える)と、
  наблюдать(ナブリュダーチ/観測する、眺める、注視する)です。
  どういう使い分けをしているのかわからなかったので、ビージチは
ラベンダー色
  ナブリュターチは
青文字にしました。
述語のвидно(ビードナ/見える)はそのまま黒文字です。

2)イリュミナートルは、のぞき窓と訳しました。

<ここから交信記録の抜粋です>

9:10
「地球を
見ています。地球を良く識別できます
(私メモ/交信記録を公開しているサイトによってはブゾールを通して地球が
見えます)」

9:11
「河が
見えます。土地の起伏がよく識別できます。視界良好。
すべて(ブゾールを通して)非常によく見えます。視界非常に良し」
「ブゾールののぞき窓を通して地球を
眺めています。土地の起伏、雪、森を識別できます」
「地球の上に雲が
見えます。積雲です。そしてその先の闇も。なんという美しさ」
「ブゾールののぞき窓に地球を
眺めています。地球は雲にますます覆われました」

9:12
「地球が
見えます。ブゾールに地平線が見えます。地平線は足元の方へ移動しています」

9:13
「(ブゾールを通して)地球を
眺めています。視界は良好。すべてを識別できます。
空間の一部は積雲に覆われました」

9:15
「今、地球はますます雲に覆われました。積乱雲が覆っています。
積乱雲の膜が地球の上にあり、地表はもう見えません。
面白い。今、眺めが開けました。山々の起伏、森が・・・」

(私メモ/このあと回線の拠点が変わり、交信相手はコロリョフから別の人に変わります。

9:17 
「ブゾールののぞき窓を通して地球を
眺めています

9:21
「気分は非常にいいです。飛行を続けています。機械の調子は非常にいいです。
のぞき窓を通して地球、空、地平線を
眺めています
「無重力状態がはじまりました」
「今、地球はブゾールののぞき窓から消えました」
「無重力状態に適応しています」。
「今、ブゾールののぞき窓に太陽が現われました。」
「今、太陽が鏡から消えました。空は黒いです。しかし、空に星は
見えません
たぶん照明が邪魔しているのでしょう。仕事のための照明を切り替えてみます。
テレビジョンの照明が邪魔しています。そのために。何も見えません」
(私メモ/9:18に運搬ロケットとの分離。軌道に乗り無重力状態になったようですので
9:21の言葉が厳密には宇宙から送られた初めての言葉といえるのかもしれません)

9:25
「任務に従って9時18分7秒、運搬ロケットからの分離をおこないました。気分良好」
「キャビンのパラメーターは、気圧―1.湿度65%、温度20度・隔壁室の気圧1」
「無重力状態に耐えられています」

9:26
「無重力状態は興味深いです。
すべてが泳いでいます。
(私メモ/ガガーリンがうれしそうに語っているとの注釈あり)
すべてが浮かんでいます。素晴らしい。面白い!」

9:27
「ブゾールののぞき窓を開けました(私メモ/遮光フィルターを開けたという意味?)。
地球の地平線が浮かび上がっているのが
見えます
しかし、空に星は見えません。
地球の表面が見えます。地球の表面がのぞき窓から見えます」
「空は黒い。一方、地球の縁、地平線の際は非常に美しい青い光の輪になっています。
この光の輪は地球から離れるにつれ、暗くなっていきます。
原文 Небо черное, и по краю Земли, по краю горизонта такой красивый голубой  ореол, 
который темнее по удалению  от  Земли.


9:57
「アメリカ上空にいます」

10:04
「地球の陰の部分にいます。遠地点にいます」

10:06
「地球の地平線が
見えます。非常に美しい光の輪です。
最初に、地表の際から虹があらわれ、その後下へと移動しています。
大変美しいです(私メモ/うまく訳せません)
原文Вижу горизонт Земли. Очень такой красивый  ореол.
Сначала  радуга от самой поверхности Земли  и вниз.  Очень красиво.


「すべてが右ののぞき窓を通過していきます。ブゾールを通して、星々が
見えます
非常に美しい眺めです。地球の陰の部分の飛行を続けています。右ののぞき窓に
いま星が一つ
見えます。のぞき窓の中を右に左に動いています。去りました」

10:09
「10時9分15秒。地球の陰から出ました。
ブゾールののぞき窓の右側に太陽が現われる様子が見えます」
「今、ブゾールを通して地球を
眺めています。海の上を飛行しています」

(私メモ/交信記録はこのあと10時24分まで続きます。
10時25分に制動エンジン装置に自動スイッチが入り、
ボストークは再び大気圏へ。
10時55分に無事着陸しました)

ガガーリンシリーズはまだまだ続きます。ぜひ
ガガーリン1からお読みください。
ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月 9日 (木)

ガガーリン5 ボストークの窓

ガガーリンの1961年4月12日の交信記録を読みすすめる前に、
ボストークからどんな風に地球を見ることができたのかを確認しておく必要があります。

というのも、「ボストークには窓はないと思う」と語った博士がいたことから、
ガガーリンは帰還後おこなわれた会見で、このような質問をされているのです。
「あなたは地球がよく見えたとおっしゃられましたが、宇宙船の窓(окно)からご覧になったのですか。
それともカラーテレビ装置からご覧になったのですか?」
それに対し、ガガーリンは「私は宇宙船のイリュミナートル(иллюминатор)から見ました」
と答えています(イズベスチヤ新聞 1961年4月16日より)。

宇宙船の構造について私は詳しくありませんので、
あくまでもいろんな資料で発表されていることからボストーク1号の窓についてまとめてみると。。。

ボストーク1号にはイリュミナートルと呼ばれる窓が3つあったようです。
(イリュミナートルは、明り窓、覗き窓のこと。英語ではbulls eye)

1961年4月25日のロシアの新聞プラウダは紙面1枚分を使い、
ボストークの構造について、内部の写真入りで詳しく書いています。
その中で、ボストークには3つのイリュミナートルがあり、
そのうちの1つが光学式イリュミナートルであること、
イリュミナートルは耐熱ガラスで、飛行中に、宇宙飛行士が観測することを可能にしたものと記されています。

光学式イリュミナートルはどんなものでしょうか。
プラウダのこの記事を抜粋して訳されたものがありますのでそれを紹介します。


「光学的方向指示器はパイロットキャビンの窓の一つに設けられている。
これはニ個の環状の反射鏡とフィルターと網目のはいったガラスからなっている。
地平線から来た光は最初の鏡に入り、ついで窓のガラスを通って第二の反射鏡に投射する。
そしてこれによって光は、網目入りのガラスを通って宇宙パイロットの目に入る窓の中央部を通して、
宇宙パイロットは足元にある地表の部分をながめることができる」
(訳 金光不二夫『地球の色は青かった』朝日新聞社発行 巻末資料より)


ガガーリンの交信記録では、この光学式イリュミナートルはвзор(ブゾール/視線の意味)という名称ででてきます。

イリュミナートルの図や写真は以下のところなどで見ることができます。

ロシアのサイトЭпизоды Космонавтики(宇宙飛行学のエピソード)』の中で図解されています。ttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/pervushin/vostok.html

②では上から3つめに小さな丸窓 イリュミナートル иллюминаторの文字が、
その下に光学式イリュミナートル(иллюминатор с оптическим ориентатором)の文字が見えると思います。

③の図では上から三番目の文字列がテレビカメラ(地球からガガーリンの様子を観察するための)、
その下に光学式イリュミナートルがありますね。

〔書籍では〕
『世界の宇宙開発』旺文社にわかりやすい図解で。

『人類最初の宇宙飛行 ソ連人間宇宙船の成功』ソビエト社会主義共和国連邦大使館発行 にボストーク内部写真
『地球は青かった』ガガーリン著・岸田純之助訳/あかね書房 イリュミナートルとボストーク内部写真

以上のビジュアルをご覧いただかないと想像がむずかしいかもしれませんが、
球形のキャビン内でガガーリンは歯医者さんの椅子に座るように仰向けになって座ります。
丸いカーブの天井あたりに左右にあるのがイリュミナートル。
真正面の壁面にあるのが光学式イリュミナートル『ブゾール』。という位置関係と言えるでしょう。

ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月 6日 (月)

ガガーリン4 交信記録発見

ボストークに乗船しているガガーリンと地上のコントロールセンターとの間の交信記録をみつけました。

〔交信記録、ネットでは〕

1)
ガガーリン宇宙飛行士訓練センターのサイトではこちら。
  ttp://www.gctc.ru/gagarin/live/sved_polet.htm 
  タイム表示がされていてわかりやすいです。(ロシア語)

2)
COSMO WORLD のサイトではこちらから
  ttp://www.cosmoworld.ru/spaceencyclopedia/gagarin/index.shtml?doc10.html
 コールサインの呼びかけなども記載されています(ロシア語)

ロシアのサイトでは上記以外でも様々なところで公開されています。

News ru ではこちら 
  ttp://www.newsru.com/russia/12apr2004/gagarin_print.html

〔書籍では〕

3)「НАШ ГАГАРИН」(ナーシ・ガガーリン/私たちのガガーリンの意)
  プログレス出版 1978年(ロシア語)タイム表示あり。交信記録は抜粋。

4)「FIRST MAN IN SPACE」プログレス出版 
  1984年(英語)こちらも抜粋で多少交信記録あり

----------

【2時間以上にわたる交信記録】

交信はガガーリンとセルゲイ・コロリョフ(プロジェクトの設計主任で、
後にソ連宇宙開発の父と位置づけられる)他との間で交わされています。

記録は、ガガーリンがボストークに乗り込んだ後、7時10分から始まり、
大気圏再突入のために制動エンジンが始動する10時24分まで記載されています。

まず、交信記録のボリュームに驚かされました。
10秒から長くても30秒おきの頻度で交わされているのです。
その内容は、主に、ガガーリン自身の心身の状態、宇宙船の状態、無線通信の状態。
そして、宇宙からの地球の様子です。

資料を照らし合わせてみると、それぞれ言葉が一致していないところがあります。
1)を中心にして、9時7分の打ち上げ以降のガガーリンの報告から、
地球の眺めに関するものを中心に抜粋してみましょう。
ですが、その前に。。。

ガガーリンINDEXはこちら

ガガーリン3 プロフィール

ガガーリンのプロフィールと、人類初の宇宙飛行が成し遂げられた
1961年4月12日のことを簡単におさらいしてみましょう。

〔ガガーリンのプロフィール〕
ユーリイ・アレクセーエヴィッチ・ガガーリン
Yurii Alekseevich Gagarin
Юрий Алексеевич Гагарин

1934年3月9日、ロシア共和国スモレンスク州のコルホーズ(集団農場)で働く両親の元に生まれる。
オレンブルグ航空士官学校卒業後、戦闘機のパイロットとして北方勤務を勤める。
宇宙飛行士に志願した後、厳しい選考を経て、選抜される。

1961年4月12日、27歳の時に、ボストーク1号にて大気圏を飛び出し、地球の周回軌道を飛行。
人類初の宇宙飛行士となる。
1968年3月27日、ジェット機飛行訓練中の不慮の事故で34歳の若さで亡くなる。

宇宙から地球を眺めた様子を語った「地球は青かった」という言葉が有名である。

〔1961年4月12日の宇宙飛行〕

モスクワ時間午前9時7分(日本時間午後3時7分)旧ソビエト・カザフスタン共和国にあるバイコヌール宇宙基地から、
ガガーリンを乗せボストーク1号打ち上げ。
地球周回軌道を一周する。
もっとも地球から離れた地点 上空327キロメートル
もっとも地球に近い地点 上空181キロメートル
10時55分(日本時間午後4時55分)、サラトフ近郊に着陸。
総飛行時間108分。

人類初の宇宙飛行となる。
この記念すべき日にちなみ、4月12日は<世界宇宙飛行の日>とされている。

ガガーリンINDEXはこちら

2006年3月 4日 (土)

資料圧縮成功!

図書館などで借りた本をコピーして溜まっていく資料。みなさんはどう保管されているのでしょうか。
ホッチキスでとまらない枚数になると、Wクリップやガチャックで閉じてみるけれど、ページをめくりづらくなるし、
クリアファイルに入れてしまうと、本のようにすぐ取り出せないので、不便。

そこで、ふと思ったのが〔製本〕。

パソコンを持っていなかった頃、PC使用で利用していたキンコーズに製本サービスがあったことを思い出して、今日、行ってみました。

Gagarinshiryojpg

大成功でした。
製本方法はいくつかありましたが、選んだのはリング製本。お値段は1冊わずか300円。
それで、資料が開きやすく、保管しやすくなるのだからお安いものです。

とくにA4横の資料は開くと、机の上でものすごく幅をとってたので製本さまさま。
スケッチブックのように裏側にページをめくれるため、パソコンを打ちながら、隣のわずかなスペースに資料を置けて助かります。

もう一つ、kinko'sで感動したのがコピー。

コピーは今までは近所のコンビニを利用していました。映りはいいのですが、両面コピーができないのが難点。
今までこんな感じでした。たとえば、文庫本を見開き40ページをコピーする場合。

1)A4の用紙の上側に収まるようにコピー。コピー枚数は20枚、200円。
2)もう少し圧縮したい場合はコピーした1枚目と2枚目を上下に並べて、A4でもう一度コピー。

こうすると20枚だったものが、10枚に減ります。代金は100円。

1)&2)で、合計300円使って、枚数は半分になっただけ。
コピーしたものをさらにコピーするので、孫コピーにとなり画像は不鮮明に。プチ圧縮どまりで物足りません。

そこで、今日、製本の仕上がりを待っているあいだに、だめもとでスタッフの方に尋ねてみると。。。
驚くべき性能が最近のコピー機にあったのですね!

それは〔両面集約〕
両面集約は、サイズ、のりしろなどを指定し、あとは、本をコピー機の画面の同じ場所に置いていくもの。

もし、文庫本の2~9ページの合計4見開きをコピーする場合、
p2~3を開いて、スタートボタンを押す。次の見開きを開いて、スタートボタン、
次を開いて、スタートボタン、最後にp8~9を開いてスタートボタンを押す。
すると、表面の上段にp2~3、下段に4~5、裏面に6~7、8~9と収まったA4の紙1枚がトレイに出てくるのです。

これだと、孫コピーがなく、一気にコピーができます。
300円かけて、10枚にしたプチ圧縮と違って、20枚をわずか5枚にする、本当の圧縮ができるのです。
しかも、値段が、仕上がりの1ページ1カウントで9円なので、10ページ分として合計90円!

今まで膨大なコピー費をかけてきました。
2)の手順でコピーしたものを上下に並べる際、一度家に戻って、紙を切って、セロテープで貼る作業。
面倒でした~

両面集約は、手間なし、料金安し、画像鮮明でバンバンザイです。
もっと早く知っていればよかったでしたっ。

*もしかしたら、すべての店舗に両面集約のコピー機があるわけではないかもしれません。どうぞ事前にお確かめくださいませ。

2006年3月 2日 (木)

ガガーリン2 ロシア語の2つの青


Pbluejpg
ロシア語では〔青い〕を表す単語が二つあります。
それはсиний(シーニー)とголубой(ガルボイ)。
研究社露和辞典によると、シーニーはガルボイに比べ、暗青色。
ガルボイはシーニーに比べ、淡青色、空色と書かれています。

どんなものがどちらの色に分類されるのか調べてみました。

まず〔シーニー〕は・・・。
ロシアの国旗の青、フランス国旗の青の色。メーテルリンクの「青い鳥」の青。
プリンターのインクカートリッジのブルー(ただし、ガルボイと表記のものもあり)。
シーニーは英語に訳すと blue もしくはdark blue。フランス語ではbleu。中国語では藍色的、青色的。

一方〔ガルボイ〕は・・・。
ブルーキュラソーの青。ピカソの<青の時代>の青。
ガルボイを英語に訳すと light blue、sky blue。フランス語では bleu clair。中国語では浅藍色的、天藍色的となります。

ちなみに、青い空、青い海、青い瞳、星のシリウスの青は、シーニーもガルボイもどちらも使われているようです。
ブルーサファイヤのブルーはシーニーを使う方が一般的でしょうか。

また、虹は日本では赤、橙、黄、緑、青、藍、紫ですが、ロシアでも7色のようで、
красный(赤)、оранжвый(橙)、жёлтый(黄)、зелёный(緑)、
голубой、синий、фиолетовый(紫)。
ここでは、日本で、青、藍と表現している色がガルボイ、シーニーに対応しているのですね。

三菱の24色の色鉛筆を引き出しから取り出して、
青系の3本〔水色〕〔青〕〔群青色〕を並べてみました。
この中の水色~青の色調がガルボイ、青~群青色がシーニーなのかなあと思います。

ガガーリンINDEXは
こちら

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emi

  • プラネタリウムでのヒーリング番組制作に携わった後、現在は 土井利位侯の「雪華図説」をライフワークとして調べ中の図書館LOVER。月に魅せられ、毎日、月撮り。月の満ち欠けカレンダー(グリーティングライフ社)のコラムも担当。              興味対象:江戸時代の雪月花、ガガーリン他。最近は、鳥にも興味を持ち始め、「花鳥風月」もテリトリーとなっています。   コンタクト:各記事のコメント欄をご利用くださいませ。コメントは私の承認後、ブログ内に反映される仕様にしています。公表を希望されない方はその旨をコメント内に明記くださいますようお願いいたします。
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