ガガーリン8 その日ソビエトで
1961年4月12日当日。ガガーリンと地上との交信はそのまま生中継されたわけではありません。
ソ連で、ガガーリンの宇宙飛行について初めて報道されたのは、
4月12日モスクワ時間の10時2分(日本時間同日16時02分)のモスクワ放送(ラジオ・モスクワ)のようです。
モスクワ放送で、どう伝えられたかを見ていきましょう。
(いずれもタス通信の発表を受けての報道です)
10時2分の臨時ニュースでは:
4月12日にボストークが打ち上げられたこと、宇宙飛行士はガガーリン少佐であること、
現在も地球の周回軌道を飛行中であること伝えています。
10時30分のニュースでは:
9時52分にガガーリン少佐は南米上空にあって、
「飛行は正常に行なわれており、気分は良好」と伝えてきた、と報じています。
11時のニュースでは:
10時15分にガガーリン少佐はアフリカ上空にあって、
「飛行は正常に行なわれており、無重力状態によく耐えています」と伝えてきた、と報じています。
11時10分のニュースでは:
10時25分に制動エンジンにスイッチが入り、宇宙船は軌道から降下をはじめた、と伝えています。
12時23分のニュースでは:
ガガーリン少佐が10時55分、予定の地域に無事着陸したと伝えています。
そして、モスクワ放送は12日夜7時のニュースで、ボストークで飛行中のガガーリンの肉声を録音したものを公開しています。
これについては、4月13日の読売新聞が、史上はじめての「宇宙からの人間の声」という記事で、以下のように書いています。
私はいま地球を見ている。視界はきわめて良い。地上からの声もよく聞こえる。(以上が最初の声)
飛行は依然うまくいっている。視界も良好。すえてのものがよくみえる。
空間のある部分は雲でおおわれている。私は飛行を続けている。万事正常。すべてが完全に働いている。私は依然飛行を続けている。(中ごろの声)
気分は上々。士気も盛ん。機械は正常に働いている(最後のころの声)
4月12日、人類にとって記念すべき日ですが、
今のように全世界衛星生中継があるわけでもなく、
交信記録でガガーリンが語った、地球のふちが青い光の輪になっていたというコメントはニュースで伝えらえれていないようです。
(当日のソ連のテレビでどう報道されたのかはまだ調べていませんが)
では、どこから「地球は青かった」が生まれたのでしょうか。
日本の当時の新聞でどう伝えられたのかをみてみましょう。
ガガーリンINDEXはこちら
« ガガーリン7 交信記録を読んで | トップページ | ガガーリン9 当時の日本の新聞では »
「 ガガーリン」カテゴリの記事
- 今日は4月12日水曜日(2023.04.12)
- ガガーリン103 映画『ガガーリン 世界を変えた108分』を観ました(2015.01.08)
- ガガーリン102 山梨県立科学館(甲府)に行ってきました(2014.04.30)
- ガガーリン101 プラネタリウム番組「はるか地球をのぞむ」。ガガーリンの言葉の翻訳を担当させていただきました。(2014.04.16)
- ガガーリン100 ソチ五輪の開会式でガガーリンが少し登場しましたね(2014.03.02)
コメント