ガガーリン26 地球は青かった
(25の続きです)
ガガーリン10原文に辿りつくで、「Земля голубаватая」
が「地球は青かった」の原文ではないか、と書きました。
確かに文字面で言えば、「ゼムリャー(地球)は」「ガルバヴァータヤ(青みがかっている」という構文になるこの言葉が原文と言えます。
ですが、ガガーリンが何度も折りに触れ語ってきたのは、地平線上の青い光の層の美しさ。
「地球はオーラのようなアクアブルーの光に包まれていた」ということ。
ところで、ロシアの検索エンジンでは「地球は青かった」
にどんぴしゃの言葉はなかなかみつかりませんでした(1)。
実際、ロシアでは「地球は青かった」という言葉はさほど広まっていないように私は感じます。
ガガーリンの有名な言葉といえば発射直前に語った「パイエーハリ!(出発)」のようです。
ガガーリンの帰還直後の当時の日本の新聞でも「地球は青かった」という言葉は出てきませんでした(9)
1962年の3月に『地球は青かった』という映画(1961年ソ連制作)の日本語版が公開されています。
映画を見ておらずこの原題がわからないのですが、
当時のパンフレットを見ると、副題のように英語で「WAY TO THE SPACE」と書かれています。
ソ連でこのドキュメンタリー映画が公開された時、
『地球は青かった』というタイトルでなかった可能性が高いです。
ガガーリン著『地球の色は青かった』が朝日新聞社から出版されています。
あかね書房からも『地球は青かった』が出版されています。
けれどこの2冊とも23で触れてきた『ダローガ・フ・コスモス』の翻訳本。
なので、原題は『ダローガ・フ・コスモス』。
『宇宙への道』という意味のタイトルが日本で『地球の色は青かった』『地球は青かった』に変化。
『地球は青かった』という本がソ連で出版されていたわけではないのです。
ロシアのサイトを調べてきた範囲では『地球は青かった』というような言葉がタイトルになっているガガーリンの本も映画もありません。
以下、あくまでも今の段階での私の推測です。
名言「地球は青かった」は、ガガーリンが語ったいろんなことの中で
地球は青みがかっていた。地球をアクアブルーの光がつつんでいた。地平線に膜のように青い光があった。。。
という言葉に一番感動し、それが大切と思った誰かが表現したフレーズなのではないでしょうか。
地球が単に青みがかっていたというだけではなく、
ガガーリンが繰り返し何度も触れてきた地平線に見える青い光の層の美しさ、
その光に地球が包まれているということもひっくるめてて「地球は青かった」を打ち出したのではないでしょうか。
朝日新聞社の本『地球の色は青かった』の出版が1961年8月。
映画『地球は青かった』の公開は1962年の3月頃。
遅くてもこの頃からガガーリンといえば『地球は青かった』が定着していたのでしょう。
立花隆は『宇宙からの帰還』で、アメリカではガガーリンの言葉は「地球は青かった」よりも「
神はどこにもいなかった」の方が知られていると書いています(19)。
「The earth is blue」という表現。英語のサイトでも見られますが、
この言葉が本のタイトルや映画のタイトルになっていなければ、
キャッチーな見出しに使われていなければポピュラーになりにくいのかもしれません。
ガガーリンは地球が丸いことを自分の目で見たとも語っていますが、
もし、『ダローガ・フ・コスモス』の日本語訳のタイトルが『地球は青かった』ではなくてて
『地球は丸かった』だったら。ちょっとロマンが半減していたかも。
ガガーリンの様々な言葉の中から、
地球と、地平線と、ガルボイアリオールのくだりに注目して、
「地球は青かった」という言葉にまとめてくれた人がいたからこそ、
日本では津々浦々誰もが「地球は青い」ことをこの45年間感じてこられたのかなあ。
ラッキーだなあと思いました。
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