ガガーリン27 ニコライ・レーリヒ
(ガガーリン23の続きです)
ガガーリンはプラウダに連載した『ダローガ・フ・コスモス(宇宙への道)』の中で、
地球の夜の面から昼の面へ飛行する時に地平線上に現われる色彩の美しさに感嘆し、
ニコライ・レーリヒの絵のようだと語りました。
画家ニコライ・レーリヒ、どんな人なのでしょう。
ニコライ・レーリヒ(Николай Рерих/Nicholas Roerich 1874-1947)はロシアの画家ですが、その活動は多岐に渡り、
ヒマラヤ探検家、思想家、戦時下の文化財保護提唱者などとしてその生涯を語られています。
10代の頃から、考古学、土地に残る古い風習や伝説などの民俗学に興味があったようです。
20世紀前半バレエ界のみならず芸術の分野で新たな潮流を起こしたディアギレフのパレエ・リュス(ロシアバレエ団)にも関わっています。
ストラヴィンスキーの音楽、ニジンスキーの振付で知られる『春の祭典』(1913)では、レーリヒは衣装と美術を担当。
ストラヴィンスキーとともに台本も手がけました。
レーリヒは画家としての活動を続けながら、しだいにインドに惹かれていきます。
1923年家族とともに念願のインド旅行を実現。カルカッタ、ヒマラヤ山麓のシッキム他に滞在。
そびゆる山々を目にしながら、さらにヒマラヤに魅せられていきます。
1925年には中央アジア探検隊の団長となって妻エレーナや長男ユーリとともに、モンゴル、チベットなどを3年かけて調査。
サンスクリット語、インド哲学などに精通し、東洋文化の研究者であるユーリは、
『アジアの奥地へ』という本にこの時の探検記をまとめています。
ニコライ・レーリヒは後にインドのクルー渓谷にウルスヴァティ研究所を設立。
晩年もヒマラヤを描き続け、このクルー渓谷が終の住み処となりました。
レーリヒの作品をみると、ロシアの宗教絵画イコンを思わせる神秘的な空気を感じます。
様々な色彩の天空をバックにした雄大なヒマラヤの山々が印象的です。
『ヒマラヤに見せられた人』(加藤九祚著/人文書院)によるとレーリヒは日本に来日した際、富士山の絵を2枚描いているそうです。
レーリヒは『シャンバラへの道』という本も執筆。
シャンバラというとヒマラヤの雪山の奥にあるといわれる理想郷というイメージでしたが、
この本を読むと、そんな理想郷が実際にあるかというよりももっと精神的に理想の境地や、
チベットの叡智をレーリヒは追究しているのかなという気がしました。
ガガーリンがレーリヒを知っていたことは意外でした。
『ダローガ・フ・コスモス』の中で、鋳物の技術研修で派遣されたレニングラードで、
エルミタージュ美術館やロシア美術館を頻繁に通ったことを語っています。
美術にはもともと興味があったのかもしれません。
レーリヒに関しては、1970年にソユーズ9号で、1975年にはソユーズ18号で宇宙飛行をした
ソ連のヴィタリー・セバスチャノフ(Виталий Севастьянов)も本の中で語っています。
ロシアのサイト『宇宙百科アストロノート』の本のコーナーで、
セバスチャノフの本『дневник над облаками(雲の上での日誌)』が閲覧できます。ttp://www.astronaut.ru/bookcase/books/sevastian/sevastian.htm
この本の中で
Я вспомнили свою запись в дневнике, который вел на 《Союзе-9》
:《Очень нравятся восход и заход Солнца.
Утренние и вечерние зори описать невозможно! Рерих в натуре!》
Да, действительно я видел эти зори раньше----на полотнах Н.К.Рериха.
私はソユーズ9号の中で付けた日誌に「日の出と日没がとても好きだ。
朝焼けと夕焼けは筆舌しがたい。レーリヒそのものだ」と書いたことを覚えている。
そうなのだ。本当に私はこの朝焼けや夕焼けをすでに見ていたのだ。レーリヒの絵の中で
と書いています。
レーリヒに関する資料
【書籍では】
『ヒマラヤに魅せられたひと ニコライ・レーリヒの生涯』加藤九祚著/人文書院
『シャンバラの道』ニコライ・レーリヒ著・澤西康史訳/中央アート出版社
【サイトでは】
Nicholas Roerich virtual museum レーリヒの絵の数々が見られます。
Nicholas Roerich Museum ニューヨークのレーリヒ美術館のサイト。ここでも絵の数々が見られます。
引用の提示がないものは私による拙訳です。
(追記/「地球は青かった」の名言のあとに「レイリッヒのブルーのようだった」という言葉が続くそうですね。
というメールをいただくことがありますが、私自身が目にしている文献では、そうなってはいません。
イズベスチヤとプラウダの記者に「空はとても暗かった。一方地球は青みがかっていた」と語った際、
レーリッヒうんぬんとは語っていないようです。
また、この27でご紹介したとおり、レーリッヒの絵のようだったというのは、
地球が青かったということではなくて、
地平線(&水平線)上にみられる大気の色の移り変わりのことだと現段階では思います 2007.1.21)
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秋田さんのブログで『アジアの奥地へ』が紹介されているのを見て、感激しました。この本を出版した連合出版の八尾と申します。加藤先生の『ヒマラヤに魅せられた人』を読み、レーリヒのヒマラヤの旅の詳細を知りたいと思ったのがきっかけです。民博におられた加藤さんのところに伺い翻訳・監修(鈴木美保子・藤塚正道訳)をお願いした日のことがついこの前のことのように思い出されます。ありがとうございます。
投稿: MY | 2014年8月12日 (火) 13:12
八尾さま。このブログをみつけてくださりありがとうございます。
『アジアの奥地へ』は『ヒマラヤに魅せられた人』をきっかけにレーリヒに興味を持たれた八尾さんによって生まれた本だったのですね。
八尾さんがいらっしゃったからこそ、私たちがレーリヒのことをいろいろ知ることができたのですね。とても感激です。
私が最初にレーリヒを知ったのは雑誌『ムー』でした。シャンバラ、シャングリラの言葉とともに紹介されていました。
そのレーリヒの名がガガーリンの口から出たのを知った時は興奮しました。
加藤氏は私にとって活字を通しての人、でありますが、八尾さんにとっては直接お会いになって交流をされた方なのですね。
コメントをくださり本当にありがとうございます。
投稿: emi | 2014年8月13日 (水) 00:29