ガガーリン31 星の種その2
2001年3月、惜しまれつつ閉館した東京渋谷の五島プラネタリウム。
このプラネタリウムで活躍されていたお一人が村松修氏。
そのプラネタリウムと星を愛する想いが溢れた洒脱な語り口は今なお、多くのファンによって伝説となっています。
村松さんは現在は「しぶてん」で、天文の魅力をいろんな方々に伝え分かち合う活動をされています。
(※追記 2010年に渋谷にコスモプラネタリウムができ、村松氏も解説員として復帰されました!)
その「しぶてん」に私もたびたび足を運び、星の勉強をさせていただいています。
今年の2月「しぶてん」にうかがい、ガガーリンを中心に始めるブログのことで助言をいただいた時のこと。
ガガーリン28のガガーリンが星を種にみたてた表現のくだりをお話した時、
村松さんは、いつもの洒脱な軽やかな口調でこうおっしゃいました。
天文に携わる立場からすると、ガガーリンは星にあまり詳しくなかったのかも。
天文好きだったら、地上で見ているあの星が宇宙でどう見えるかを一番確かめたくてそれを書くだろうから、と。
そのお言葉は、目からうろこでした。
今まで気がつきませんでしたが、確かにそうです。
ガガーリンが星座や星の名前を語った記事に出会っていません(今まで私が目にした資料の範囲では)。
ガガーリンは帰還後、モスクワに向かう飛行機の中で馴染みの記者に、
自分は他の飛行士同様、星座に詳しいけれどボストークの中から見分けることができなかった。
それは星が素早く窓の左右に動いたり、夜の時間が短かったりしたからと語っています
(ガガーリン20参照)。
他の宇宙飛行士はどうだったのでしょう。
1963年にボストーク6号で女性初の宇宙飛行をおこなったテレシコワは自伝の中で、
地球の周回軌道に乗った後の様子をこんな風に書いています。
一時間以内に、昼や夜にかわりました。
この変化は一瞬のうちにおこなわれるのです。
光がみちあふれていたのに、一秒後には闇になるのです。
のぞき窓からは、私が子供の時から知っていた大熊座、それにオリオン座、ふた子座を見ました」
『テレシコワ自伝 宇宙は拓かれた大洋』宮崎一夫訳/合同出版株式会社より
テレシコワは宇宙船の窓から星座を見ることができたんですね。
ただ、ボストーク6号はガガーリンのボストーク1号とは仕様も改善されているところがあるかもしれませんし、
飛行時間も違うので、テレシコワが星座を見分けることができたのに、
ガガーリンが見分けることができなかっただけで、彼が星座を知らなかったからと断言することはできません。
それに、ガガーリンを含め宇宙飛行士に選ばれた者は肉体面、精神面を鍛えるハードな訓練をこなし、
ロケット工学、天文学、地球物理学、宇宙医学などの理論面も学んでいます。
星座の知識も持っていたのは間違いないと思います。
ただ、天体望遠鏡で小さい頃から星を眺めていて、
星がきっかけで宇宙に憧れ続けた天文少年ではなかったんだろうなと推測できそうです。
夜空が畑に星が種に見えたという言葉は〔あの星は何座の何等星で・・・〕という知識と離れたところで、
子供のような自由な発想で生まれたものではないでしょうか。
知識を持ちながら知識に縛られず、自由な発想で星空やいろんな自然現象を眺められるようになりたい。
そんなことを気づかされました。
村松さんをはじめ、私がプラネタリウムのカリスマ解説員と思う方々は、みんな、
〔知識〕と〔心で感動したこと〕の両面から星を語っていらっしゃるなあとあらためて感じました。
そして、<ガガーリンが天文に詳しくないかもしれない>。
そのことが、私がガガーリンに興味を持った根源につながっていることに気づきました。
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