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2006年4月29日 (土)

ガガーリン36 重なる人物

『ダローガ・フ・コスモス/宇宙への道』は、ガガーリンが自らのおいたちから宇宙飛行士を目指す道にいたるまで、人類初の宇宙飛行のこと、帰還後のことを語った本です。

その中から、
空への憧れ北方任務についてのエピソードを中心にご覧いただきました。

ガガーリンの生涯には、宇宙飛行士としての偉業以外にいくつものポイントがあります。
1)子供の頃、飛行機や操縦士に憧れを持つような強い体験がある。
2)飛行機の操縦士となる
3)過酷な自然と遭遇する辺境の地での任務を体験
4)最期は飛行機操縦中の不慮の事故で生涯を終える
5)どちらかというと無骨な外見ながら、詩情を持っている(これは私の主観です・・・)

この1)から5)。ある人物の生涯と似ていると思いませんか?

続きは5月1日頃に。

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2006年4月28日 (金)

ガガーリン35 北方任務

ガガーリンは1957年の夏、オレンブルグの航空士官学校を卒業後、戦闘機のパイロットになります。
卒業成績がよかったため、勤務地を自由に選べる立場だったのですが、
「行くのなら一番つらいところへいこう。
原文:Ехать туда, где всего труднее.」
と、設備も整わない環境、苛酷な自然の待つ北方(север)を志願します。

北方っていうと日本の中では、東北や北海道を思いうかべると思いますが、ソ連の中での北方です。その〔北方ぶり〕、は半端ではありません。
当時ガガーリンはヴァレンチナさんと既に結婚していたのですが、彼女がまだ医学校に通っていたので、彼女をオレンブルグに置いて、単身で赴きます。
(ヴァレンチナさんが来たのは1958年の8月)

『ダローガ・フ・コスモス/宇宙への道』に、その北方任務について詳しく書かれています。任務の過酷さがわかると同時に、自然描写の美しさもそこかしこから感じとることができます。
いくつかご紹介しましょう。

〔北方へ向かう〕
任務先がいかに辺境の地かがわかるのは、ガガーリンが北方を志願した仲間と勤務地に向かう道中の列車からの景色を語っているくだりです。

道中ずっと、私たちはチェスに興じ、窓際に立って、氷花をつけたカレリアの森の風景に眺め入った。やがて梢のとがった樅の木も姿を消し、北極圏に入った。自然は刻々、荒涼とした、異様なものになっていく。
車窓の外ははじけるような凍寒(私メモ:原文はмороз。氷点下の極寒のこと)で、霧が渦巻いていた。時計の針は正午を指しているのに、あたりは透きとおるような空色の夜に包まれている。


〔古参のパイロット〕
北方の自然の過酷さが並大抵ではないことは北方の勤続が長いベテランパイロットについて書いているくだりからもうかがえます。

ワシリエフ大尉は、自分を北部地方の古参だと自負しているだけあって、突然に吹雪をまき起こしたり、北氷洋から絶えず霧や風を吹き寄せる、きまぐれな変わりやすい北極の自然が絶えずたくらむワナから一度ならず脱出していた。
彼とはじめて話をしたあと、私たちは、ここ北極地方では単に飛行機を飛ばせることができるだけではだめで、悪天候の下でも、またさらには夜間でも操縦できなければならないのだということを知った。

(『宇宙への道』日本共産党中央委員会出版部)

〔春までお預け〕

冬の北極圏は、「白夜の夏」の反対で、昼間も夜のように薄暗い世界です。そのため、夜間飛行経験のないガガーリンは、冬の間操縦させてもらえません。冬が終わるまでの間、理論面の勉強に打ち込み、航空工学をもう一度復習し、北方の条件下での飛行機操縦の資格を得るための口頭試験を受けたといいます。
それだけ、特別な能力技術が北方飛行には必要だったのですね。

春になって、やっと操縦させてもらえた時のことを次のように語っています。自然描写が美しいです。

私たちは、すべてが春の息吹きを感じ、北極圏の長い夜が同じように長い北極圏の昼間に席をゆずりはじめた3月の末になって、飛行をはじめた。編隊の指揮官が私を乗せて飛行した。
飛行機に乗る時、私は飛行前に味わうあのなつかしい興奮を感じた。数ヶ月もの間、私は大空に舞い上がっていく機会がなかった。夜が終わり、夜明け前の薄明かりの青みがかった薄もやをついて飛行機は飛び立った。高度を上げながら、私はいつもの飛行の時のように機体と一心同体になっていた。

(『宇宙への道』日本共産党中央委員会出版部)

このあと、日の出の描写になります。私の訳で。

太陽が空と地上を朝やけの金色に染めて、地平線に現われたところだった。眼下には、バラ色の雪に覆われた丘や、水滴がはねたように点在する青みがかった(синеватый)湖、花崗岩の切り立った崖に波が打ち寄せるコバルトブルー(темно-синее)の冷たい海が通りすぎていった。

この眺めを見て、ガガーリンは「なんと美しいんだろう」と口にし、班長から計器から注意をそらすなと指摘されます。そして、ガガーリンは「飛行士はけっして飛行機の操縦から注意をそらしてはならない」ということを肝に銘じるのです。
ボストークでガガーリンが操縦することはありませんでした。けれど、計器の数字を読む、自分の心身の状態を報告する、日誌をつけるなど様々な任務が目白押し。ボストークからの眺めに感嘆の声をあげたあと、この班長にこの時に戒められた言葉を思い出すエピソードも『ダローガ・フ・コスモス』には書かれています。

〔危機一髪〕
ガガーリンはアクシデントも経験しています。晴天の日に飛行中、天候が悪化。吹雪による視界不良で引き返すことになりました。ところが、まさかの燃料不足。その中で着陸地点への最短飛行ルートを考え、着陸地点が上空から見えない中、計器を頼りに無事略陸をおこないました。

〔オーロラ〕
北極圏といえば、オーロラ。ガガーリンは飛行中にオーロラを見ていました。私の訳で。

短い秋がすぎ、夜の長い北極圏の冬がまたやってきた。私とヴァーリャ(私メモ:ヴァレンチナさんの愛称)は空の半分を覆ってゆらめくオーロラにたびたびみとれたものだ。それは壮大で、何にも比べようのない眺めであった。私は、空と大地をつなぐオーロラの青みがかった銀色(серебристо-голубоваты)のゆらめく光の中を飛行した。そして家に戻ると、私は、幾千メートルもの高度から眺めるオーロラが地上でも見るものよりさらに美しいことをヴァーリャに語るのである。


〔高度な飛行技術〕
飛行訓練の方もますます複雑なものになった。春の嵐に波立つ海上を飛んだり、空中戦のさいに重要な編隊飛行を練習したり、計器だけをたよりに『盲目』飛行をしたり、無線航法を研究したりした。海上で模擬空中戦も行なった。こうしてガガーリンは高度な飛行技術を身につけていくのです。
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この35で特に記載のない青字部分は『宇宙への道』江川卓訳/新潮社からの引用です。
読みやすくするため、何箇所かひらがなを私が漢字に変換しています。
〔〕はガガーリンが設けた見出しではなく、私が項目を立てたものです。

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2006年4月27日 (木)

アンデスの指人形

Spiderman
これ、なんだと思いますか?
毛糸で編まれたスパイダーマンの指人形です。

京王線沿線の一週間ぐらいでお店が変わる、出店(でみせ)でみつけました。
メイドインアンデス、です。

知らなかったのですが、天童といえばこけし、ロシアといえばマトリョーシカ、というようにアンデスといえば指人形なんですね。

さて、このスパイダーマン、へなちょこです。スパイダーマンというと敏捷性のあるヒーローというキャラ設定だと思うのですが、敏捷性のかけらも感じられません。

どんな方が作ったのでしょう。アンデスの高地の厳しい陽射しの中で暮らし、皺が刻み込まれた褐色の肌をしたおばあちゃん。茶色味がかった奥まった瞳のおばあちゃんが、「これを作ってね」って渡された1枚の写真を見て、編んだのでしょうか。きっとスパイダーマンの映画も見てなくて、どんなヒーローかも知らなくて、「どこか遠くの国の部族の守り神かねえー」って思いながら編んだのかも。

この指人形、指に入れて使うというより、パソコンの脇に寝そべってもらっています。
見ているだけでなごめます。
イライラしたりカリカリした時にコイツを眺めると頭に昇っていたものがプシュプシューっと抜けていきます。
緊張して肩に力が入っている時にこの子を眺めると、リキミが抜けていきます。
癒し系も大切だけど、心と身体のいらない力をほどく自分だけの脱力系アイテムを持つことも大切。

ちなみにミッキーマウスやドナルドダッグの指人形らしきものもありました。らしき、というのはあまりに似ていなかったから。ディズニーの関係者が見たら、へなへなって卒倒して、コピー商品のクレームをつける気も起こらなくなりそうなくらいの似ていなさ。(それでもミッキーもどき、ドナルドもどきも可愛かった!)

中南米雑貨屋のチチカカでもいろんな指人形をみかけましたが、スパイダーマンやディズニーもどきはなかったでした。どこかでまたみつけたいです。

無防備な後ろ姿もご覧ください。
Spidermanback

脱力系アイテム その2 豆ずきん

2006年4月26日 (水)

ガガーリン34 飛行野郎その2

ガガーリン3233につづき、「飛行野郎」ガガーリンの姿をもう少し追ってみましょう。
『宇宙への道』の中で、空へのあこがれがどう芽生えてふくらんでいったのか、いろいろなエピソードが描かれています。そのポイントを簡単にまとめてみました。

〔はじめての飛行機と操縦士〕
ガガーリンが生まれて初めて飛行機を見たのは7歳の頃。
ドイツとの戦争中、飛行機2機がガガーリンの村に不時着をした時でした。
少年たちはみんなが現場に駆け寄りました。飛行士の身体に触りたがり、操縦席に入りたがり、ガソリンの匂いをむさぼるように吸い込み、翼に付いた弾痕の跡を数えたのです。ガガーリンは飛行士の胸元に輝く勲章にも憧れを感じました。
村人すべてにとってこの飛行士はヒーローだったのでしょう。こんな風に書かれています。


「村ではみんなが飛行士たちに家の中に入って泊まるように希望した。だが彼らはその夜を自分の〔ヤク〕(私メモ:飛行機の名前)機のもとで過ごした。私たちも同じように眠らなかった。寒さで身をふるわせながら朝まで彼らと一緒にいた。
二日目に飛行士たちは、その名誉ある記憶を我々に残して飛び去った。我々は誰もが飛びたくなった。そして彼らのように勇敢でみごとな人になりたかった」

(『地球の色は青かった』朝日新聞社より)

〔ツィオルコフスキーを読破〕
10代の頃、物理学サークルでガガーリンはソ連のロケットの父といわれるツィオルコフスキーについて研究。彼の作品や関連本を読破しました。ツィオルコフスキーの言葉でガガーリンが特に気に入ったのが次の言葉です。私の訳で。


「人類は永遠に地球上にとどまっていることはない。
光と空間を追い求めて、最初は遠慮がちに大気圏外に到達し、その後、太陽をとりまくすべての空間を征服するだろう」
Человечество не останется вечно на Земле, но,  в погоне  за светом и пространством,  сначала  робко проникнет за пределы атмосферы,  а затем завоюет себе все околосолнечное пространство.


科学者ツィオルコフスキーが本の中で予見した宇宙旅行、来たるべき未来のビジョンに驚嘆したガガーリンはこう述べています。

おそらく、私はこの日から医学ではまだ病名のきまっていない新しい病気---宇宙への抑えようのないあこがれ неудержимая тяга в космос----にとりつかれたのだろう」

〔単独飛行〕
ガガーリンが、教官が同乗しない単独飛行を初めておこなったのは、1955年7月、サラトフの航空クラブでのこと。その時の気持ちをこう語っています。


「私は飛行機を滑走路に引き出し、エンジンをかけ、機の尾翼をあげた。すると機はなだらかに地面をはなれた。これまでにない歓喜がこみあげてきて、私はどうしようもなかった。飛んでいる! 私は一人で飛んでいるのだ! 最初の単独飛行の瞬間は、飛行機乗りにしか理解できないものだろう。(中略)
いま私は、飛行機とひとつに溶けあっていた。それはおそらく、疾走する馬と騎手とが一体になる。そういう気持ちだったろう。機の全部品が私の意志の伝え手となり、機は私の意志に従えられ、私の望むとおりのことをやってくれる」


念願の単独飛行を体験したガガーリン。その歓びが伝わってくるようです。

〔パイロットの道へ〕
ガガーリンは鋳造技師になることよりも、オレンブルグの航空士官学校に行って、戦闘機のパイロットになる道を目指します。ガガーリンたちの新たな出発の時、サラトフの航空クラブのマルチャノフ教官が語った次の言葉、ガガーリンにとって印象深かったようです。


「未来はきみたちの世代のものだ。きみたちは、ぼくらが夢にさえ見たこともない飛行機に乗って空を飛ぶようになるだろうよ」
Будущее принадлежит вашему поколению.  Вы  еще полетаете на  таких машинах, которые нам и не снились)


〔ミグ〕
オレンブルグの航空士官学校時代、ガガーリンはミグに搭乗することを待ちわびるます。ミグのことを

「急角度の後退翼を陽光に輝かせた〔ミグ〕は実に美しく、建築家もうらやむほどの、誇らしく奔放な線の調和をみせていた」
と書いています。車好きが車のフォルムを語るように。こんなところからもガガーリンの飛行好きが察せられます。
そして念願のミグでの単独飛行のことを次のように書いています。
「〔ヤク18〕型ではじめて単独飛行をやったときとおなじような調子だった。私はあのときとおなじ心のときめきを覚えながら離陸し、雲のない空に大きな円を描き、幸福感にあふれて飛行場にもどった。(中略)
美しくて乗心地がよく、機動性に富んだ〔ミグ〕はいっぺんで私の気に入った。操縦は容易で上昇性能はすばらしかった。私は自分の翼が大きくなり、力強くなったのを感じた」


〔スプートニク〕
1957年10月、ソ連の第一号人工衛星スプートニクがあがりました。そのニュースを聞いて、ガガーリンと航空学校の仲間は未来の宇宙船の創造図を描きました。その時のことをこう語っています。

「私はこの宇宙船のスケッチを自分のノートに書き込みながら、すでに一度味わったことのある、なにか病的な、まだはっきりとは自覚されぬ心のうずき、例の宇宙へのあこがれを、ふたたび感じていた」
Я, делая зарисовки этого корабля у себя в тетради, вновь почувствовал  уж е знакомое мне какое-то болезненное  и еще не  осознанное  томлениеб, все ту же тягу  в космос, в которой  боялся признаться самому себе.

今回も長くなってしまいましたが、ガガーリンの飛行機好き、そして宇宙へのあこがれがふくらんでゆく過程をを感じていただけましたか。
(このガガーリン34で特に記載がない引用(青字部分)は『宇宙への道』江川卓訳/新潮社からです。

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2006年4月23日 (日)

フルーティーなラベンダー

Lavenderkashmir
ラベンダーの香りで初めて、本当にいい香り!と感激したのが、アナリュテージというメーカーのエッセンシャルオイル『ラベンダーk』。
カシミール地方のラベンダーです。

たぶん、多くの人がラベンダーの香りを嫌いになる理由もなく、好感を持っていらっしゃるように、私もラベンダーは普通に好きな香りでした。
ただ、エッセンシャルオイルだけでなく、芳香剤をはじめいろんな製品に使われていて、あまりにも身近すぎて、「これがないと困る」と思えるほど惹かれる香りではありませんでした。

アナリュテージのエッセンシャルオイルを販売している青山の「ボタニカルズメディカ」に初めて行った時、瓶が赤いということにびっくりしました。エッセンシャルボトルの瓶といえば、ニールズヤードをはじめとする瑠璃色のボトルや暗い色のものというイメージだったので。赤いボトルは、お菓子に使うエッセンスかシロップが入っているかのよう。

次に一つの植物の香りにいろんな種類があることにびっくりしました。
ラベンダーだけで10種類以上、ユーカリも10種類以上、イランイランも4種類もあるのです。

ラベンダーに関していえば、今までのラベンダーのイメージの通りのものもあれば、スパイシーでエキゾチックなものもありました。ラベンダー一つでこんなに幅が広いなんて・・・。

そして私が、はじめて、ラベンダーって本当にいい香り!と感激したのが、
この『ラベンダーk(カシミール)』。
パンフレットに〔ラベンダーと思えないほど甘くフルーティー〕と書かれていますが、本当にそうなんです。

ラベンダーは青紫色の花のイメージ通り、とても心を鎮めるパワーがあると思います。
砂時計の砂が上から下に静かに落ちて、なだらかな放物線を描いてひろがっていくように、浮き立つ心をすーと鎮めてそれを地に広げていくようなイメージがあります。

『ラベンダーカシミール』ももちろん、上から下へ降りて鎮める、というのも感じさせますが、その一方、何かが下から上へとはばだいていく感覚があるのです。
ふわりと花が開いて香りが飛んでゆくように。蝶がひらひら舞い上がるように。
降りてくるものと、ふわっと舞い上がるもののバランスが絶妙で豊か。
馥郁という言葉がぴったりの香りです。

ラベンダーだけだと気分が落ち着きすぎてしまうという方にも、
このラベンダーカシミールはいいかも。

蓋を開けて、スーハー。ああー、いい匂い。再び蓋を閉じる。
それだけで充分気分さわやかリフレッシュ。なので、たくさん楽しんいるわりにあまり香りが減ってません。

街ではあまりみかけないメーカーですが、思わぬところにお店が入っていて、ずらりと赤いボトルが並んでいたりします。出先でみかけたら、ぜひ、〔利き酒〕気分でいろんな香りを試し嗅ぎしてみてはいかがでしょう。

2006年4月21日 (金)

ガガーリン33 写真いろいろ

ガガーリン32で、ガガーリンは飛行野郎だった、ビジュアルもほっこりじゃがいも系、人なつっこく陽気なイメージと書きました。

書籍やロシア他のサイトなどではたくさんのガガーリンの写真が発表されています。ぜひそれをご覧いただきたいなと思うのですが、どこに許可を取って、ブログにアップしたらいいのかよくわかりません。

そこで、私のブログに掲載というのではなくて、ロシアのいくつかのサイトのアドレスを記して、そこを辿っていただくという形で、写真をご覧いただこうと思います。


ガガーリン23他で触れてきた手記『Дорога в космос/ダローガ・フ・コスモス』は、ロシアのサイト『эпизоды космонавтики』(宇宙飛行士のエピソードの意)で、原文を読むことができます。

このサイトの中で『ダローガ・フ・コスモス』のページはttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/gagarin/doroga/obl.htmlです。
ttp://epizodsspace.no-ip.org/bibl/gagarin/doroga/d-v-k-61pr/d-v-k1.htmlです。

ガガーリンの子供の頃からの写真も掲載されています。
その中から、航空クラブや航空学校時代の〔飛行野郎〕ぶりがうかがえるものを中心にご紹介しましょう。

ttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/gagarin/doroga/09.jpg は
10代の頃、リュベルツィの農機具工場で鋳造工として技術を学んでいた頃の写真

ttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/gagarin/doroga/17.jpg 
初飛行の後のガガーリン(左から2番目)

ttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/gagarin/doroga/18.jpg には
「空へのあこがれ」というキャプション

ttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/gagarin/doroga/19.jpg は
オレンブルグ航空学校時代

ttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/gagarin/doroga/24.jpg には
航空学校時代。飛行を成功させたあと。というキャプションがついています。
車好きが愛車の前でポーズをつけて撮る写真のよう。
本当に飛行機が好きなんだなあって感じませんか。

ttp://epizodsspace.testpilot.ru/bibl/gagarin/doroga/28.jpg は
パラシュート降下訓練前のガガーリン



(2015.1.24追記)HP構成が変わり、『ダローガ・フ・コスモス』が閲覧できるのは
ttp://epizodsspace.no-ip.org/bibl/gagarin/doroga/d-v-k-61pr/d-v-k1.html

↑上記の「航空学校時代」以前のものはこのURLでみられます。
ttp://epizodsspace.no-ip.org/bibl/gagarin/doroga/d-v-k-61pr/d-v-k2.html

↑上記の「パラシュート降下訓練前のガガーリン」はこのURLでみられます。
ttp://epizodsspace.no-ip.org/bibl/gagarin/doroga/d-v-k-61pr/d-v-k3.html
の3つとなりました。



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このほかガガーリンの写真が一同にみられるサイトをいくつかピックアップしてみました。ttp://www.peoples.ru/military/cosmos/gagarin/photo.html
『リュージ(人々の意)』というサイトです。ガガーリンに関する写真がみられます。

ガガーリンの写真が一番集まっているのは「
Russian Archives Online」のガガーリンのコーナーでしょう。
英語表記のサイトです。「gagarin」で検索を。


РГАНТД(The Russian state archive of the scientific and technical documentation)の中には、ガガーリンのお宝映像や音声のページもありますが、まずこのサイトのフォトコーナー(ttp://vystavki.rgantd.ru/gag70_cd/data/foto.htm)のそれぞれの写真のアドレスを。

ttp://vystavki.rgantd.ru/gag70_cd/data/foto/7.jpg は
ポーズをつけたガガーリン(1961)

ttp://vystavki.rgantd.ru/gag70_cd/data/foto/g-n.jpg は
星の街で(1961)
この写真のガガーリンは痩せてみえます

ttp://vystavki.rgantd.ru/gag70_cd/data/foto/1-2118.jpg は
娘のガーリャとレーナと(1963)

ttp://vystavki.rgantd.ru/gag70_cd/data/foto/1-5681.jpg は
娘のガーリャと自転車で遊ぶ(1963)
個人的にこの写真大好きです。
ガガーリンのコートの色が綺麗。ガーリャちゃんの帽子もタータンチェックのスカートも膝がしわしわしているタイツ姿もかわいい。写っている人がガガーリンだからということではなくて、ノスタルジックなソ連映画の1シーンみたいに魅力的な写真です。

まめにチェックしようと思いますが、上記の写真のアドレスがもしリンク切れになってしまうことがあったらご了承ください。
(2015.1.24リンク切れを加筆修正しました)

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2006年4月20日 (木)

宇宙空間のイメージ

果てしない宇宙のなかで思う未来のこと
果てしない宇宙のなかで思う未来のこと

町田の市立中央図書館に行ってきました。
探しているガガーリンに関する本で館外貸出しをしている近所の図書館がここだったからです。

感動しました。今まで都内近郊の館外貸出しをする規模の図書館の中で、航空宇宙工学と天文に関する資料が一番充実していました。
なぜなんでしょう。近くに東急まちだスターホールというプラネタリウムがあるからでしょうか。それとも天文関係の研究所でもあるのでしょうか。

残念ながら、私は町田市の住民でも在勤でもなく、近隣の市民の条件にも満たないので、目当ての書籍の館外貸出しをさせてもらうことはできませんでした。

けれど、せっかく来たのだからと開架の棚を一通りチェックしていて、目に留まったのが毛利衛著の『果てしない宇宙のなかで思う未来のこと』(数研出版)。

この本のこと全く知りませんでした。それで手にとると、毛利さんが坂本龍一と対談をしているページがありました。

毛利さんが2度目の宇宙飛行をする前に、坂本龍一(毛利さんをサン付けで坂本龍一をサン無しなのは変ですが、なんか音楽家にサン付けするとかえって馴れ馴れしい感じがして、サン無し続行)が自ら自分の曲を12曲ピックアップし、『MISSION』というCDにまとめて、毛利さんに渡されたことが語られていました。

その曲の一覧がこの本の中にありました。
アルバム『BEAUTY』からは「ちんさぐの花」他がチョイスされていたり、お馴染みの曲が並んでいるのですが、そこに、3月18日のブログで紹介した「
ア・カーヴド・ストーン」もあったのです。

以前、毛利さんや他の宇宙飛行士の方が撮影された宇宙からの映像をJAXAからお借りしてプラネタリウムの番組で上映したことがあります。その時に私が宇宙からの映像に合わせたいと思ったのが、「ア・カーヴド・ストーン」でした。
地球やいろんな天体が浮かぶ漆黒の宇宙空間を飛行する時の感覚そのものだと思ったので(全体の構成の関係でこの曲は結局使用しませんでした)。

坂本龍一がこの曲をチョイスして毛利さんに渡されたということは、坂本龍一もこの曲はスペイシーな世界をイメージして創られたのかな、とその感覚を共有できたような気がしてうれしくなりました。

そして、毛利さんが、宇宙で特に印象に残った曲の一つにこの曲を挙げていらっしゃいました。

なんだか、私がイメージしている〔宇宙空間〕という世界は、本当の宇宙空間に近いのかもしれない! なんて思えてさらにうれしくなりました。

私たちの体はもとを辿れば宇宙の一部。
きっと、心と体のどこかに宇宙空間の記憶が残っていて、
私たちが音楽を聴いて「スペイシーだなあ」って思う時、
その感覚はあながち間違っていないのかも。

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2006年4月19日 (水)

ガガーリン32 飛行野郎

〔宇宙飛行士〕という言葉にどんなイメージをお持ちでいらっしゃいますか。

私の場合、宇宙飛行士といえば、アポロのころはリアルタイムの記憶はうっすらしかありませんし(うっすらでも記憶があるの? と年齢を推測されてしまいそうですが)、テレビを通じ〔宇宙飛行士の姿〕として一番強い印象を持ったのは毛利衛さん。

そのため、宇宙飛行士といえば、科学者。研究者。アカデミック。理知的だけど、宇宙の過酷で特異な環境にも適応できる精神的肉体的タフさを持ち合わせた人。
そんなイメージがありました。
最初の宇宙飛行士ガガーリンに対しても漠然とそんなイメージを持っていました。

ところがガガーリンのことを調べていくと、どんどん今まで描いていた宇宙飛行士像と違ってくるのです。まず、最初に写真を見て、あれっと思いました。
なんといいますか、科学者の真面目で固いイメージというよりは、丸くほっこりじゃがいも系。人なつっこい笑顔でハハハと笑う明るい青年タイプ。

宇宙飛行士訓練中のランニング1枚の姿の写真からはマッチョなこともわかります。
宇宙飛行士というよりもスポーツマン(事実、スポーツ万能でした)。
ロシアの体操選手アレクセイ・ネモフを思いっきり陽気にしたらガガーリンになるのかな、という印象です。

写真から受ける印象だけではなく、ガガーリンについて知れば知るほど描いていた宇宙飛行士像からずれてゆく。だけど、それがなんだか魅力的なのです。


31で、ガガーリンは天文少年ではなかったようだ、と書きました。
そうなんです。
ずばり、ガガーリンは〔飛行野郎〕だったのです。
菅原文太がトラック野郎のように。

ガガーリンの経歴は戦闘機のパイロット上がりです(
を参照ください)。
鋳造技師になるための技術を学んでいた10代半ばに、航空クラブで飛行機操縦の楽しさに目覚めます。そして、鋳造技師になるよりもパイロットになることを選び、航空学校、空軍という道を進みます。

10代の頃から物理や数学が好きだったり、ロシアのロケットの父である科学者ツィオルコフスキーの本を読破したようですが、科学を専門に学んできたという経歴ではないのです。決して科学者、天文学者などではないのです。

ガガーリンが飛行機が大好きだったことは
16で紹介した、飛ぶことを好き。飛ぶことは人生のすべて。という言葉や、大好きな物語の登場人物に飛行士を挙げているところからもわかります。

なぜ、科学者、研究者ではないガガーリンが宇宙飛行士となり、宇宙へ行ったか。
それは、ソ連の当時の宇宙船の構造などから宇宙飛行士にとって、パイロットの経験と資質がとても重要だったからです。
「ボストーク1号でガガーリンは操縦したわけじゃないんでしょ。だったらパイロットとしての操縦経験なんていらないじゃない」と思われるかもしれません。
確かにガガーリンがボストークを操縦する場面はなかったようですが、パイロットの〔いろんな危機的状況に遭遇しながらパニックにならずに乗り切る経験〕も宇宙飛行士に不可欠と思われ、体にかかる荷重、無重力などに一番適応できるのがパイロットだと思われていたのです。


11の『ソ連人間宇宙船の成功』(24)に面白い原稿があります。
ソ連邦医学アカデミー正会員パーリン教授のものです。流れからみると
21で取り上げた学者会館での記者会見で発表されたものかと思うのですが、イズベスチヤ、プラウダいずれにもこの原稿をみつけられていません。(学士会館でパーリン教授が語った別の演説は両紙とも16日に掲載しています)。

このパーリン教授「最初の航宙家はこうして養成された」から興味深いところを抜粋します。読みやすくするため一部ひらがな表記を私が漢字にしました。
まず冒頭、粋な言葉から始まっています。


衛星船『ウォストーク』の発射にあたって、外傷を受けた人間が一人いた。それはこの私だ。別れの接吻を交わす時、私は航宙家の固いヘルメットでほおにかすり傷を負ってしまった。幸いなことにこれはこの壮大な事件でのったったひとつの失敗だった。(中略)

航宙家養成のプログラムには、理論、技術、スポーツの総合訓練と、将来の飛行のための特殊訓練がふくまれなければならなかった。衛星船の飛行条件は、高速ジェット飛行機で高等操縦技術のさまざまな型をみせるときに生ずる条件と多くの点で似ている。いずれの場合にも重力の加速度の何倍もの加速度が作用する。ジェット機で放物線を飛ぶさいには、短時間の無重量状態さえ生ずる。だから、パイロットとしての経歴はそれほど長くないにしても、とにかくすくなからぬ成層圏飛行の経験を持ち、高速飛行でのもっとも複雑な操縦技術を身につけた人間が、最初の航宙家になったのは当然のことだ。


それから1961年4月25日のプラウダにもこんなことが書かれています。
でボストークの構造についてこの25日のプラウダから紹介しましたが、この紙面3面にわたって書かれている記事が宇宙飛行に関する最初の公式報告のようです。
この訳は『宇宙船ボストーク』バーチェット&パーディ著、岸田純之助訳/岩波新書 原題 Cosmonaut YURI GAGARIN  First Man in Space)から引用します。


宇宙飛行の途中、人間はあらゆる複雑な外界の要因の影響(加速、無重量など)、また彼の道徳的あるいは肉体的な能力のすべてをあげて対しなければならないほどの大きい神経や感情の圧迫をうける。
宇宙飛行士は複雑な諸条件のもとでも、高度の活動能力を維持し、自分自身を自由に動かさねばならず、必要な場合には宇宙船の操縦も行なわなければならない。
以上のことから宇宙飛行士の健康状態や心理的素質、一般的な教育水準や技術的な優秀性に対しても高度の要求が課せられた。

これらの素質をいちばんよくそなえているのは飛行士である。飛行士としての活動でもすでに人間の神経や感情の分野での安定性、強い意志が決定的であり、とくにこれらは最初の宇宙飛行に必要であった


また、『宇宙船ボストーク』は宇宙飛行士の訓練に携わった宇宙船生物学研究所の生物学者グロフスキーの言葉をこう伝えています。いつ語られたものかわからず原文は不明です。

宇宙飛行をするのに飛行士だけを求めているという意味ではない。
技術者、天文学者、ジャーナリストが宇宙飛行をする時もやってこよう。
しかし、最初の飛行に対する候補者について議論されたとき、科学者は一致して、それは飛行士であるべきだときめた。というのは、飛行士は職業がら、宇宙旅行者が遭遇する多くの条件---出発時と帰着時の大きい荷重、速度の急速な変化、非常に早い方向づけの必要性、誰の助言もなしで迅速な決定をする能力といった要求にこたえうるからだ。


ボストークに搭乗した宇宙飛行士はテレシコワをのぞき、みんなジェット戦闘機その他の飛行経験があったそうですが、生物学者シサキャンは15日の学者会館でこう発言しています。

「宇宙飛行士はロケット飛行の力学や宇宙物理学や、飛行の諸要因の人間身体に対する影響に関係のある多くの専門的問題について、深い知識を身につけました」

科学者、研究者に宇宙飛行士としての心身の能力を身につけさせるたというのではなくて、パイロットに必要な科学的専門知識を授け、宇宙飛行士を誕生させたのです。こうして、多くの飛行野郎、その中でもさまざまな能力に卓越したガガーリンが最初の宇宙飛行士となったのですね。

科学者ではなく飛行野郎が最初に宇宙に行くように定められていた!
成層圏飛行をこなし、空を愛し、地上から一番宇宙に近いところで命を賭けていた男たちに、大気圏外という領域に最初に到達する名誉が与えられた。
なんだかそこにロマンを感じます。

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2006年4月16日 (日)

沖縄/西武門節

アイランド・イリュージョン
西武門節

↑(2012.3.10追記)CDの取扱いは現在usedのみのようですが、mp3で購入できるようです。(2番目のジャケットをクリックいただくとリンクします)


やわらかな南風や沖縄からの海開きの便りに触れて、南国の海や島へ心がそぞろゆく季節。
そんな時は新良幸人・上地正昭のアルバム『アイランド・イリュージョン』の中の「西武門節(にしんじょうぶし)」をぜひ。

三線とシンセと波の音が南の島の時間のようにゆったりと流れます。
この曲は、たとえるなら、笠置衆さんのようなおじいちゃんやNHKの『ちゅらさん』の
おばあのような曲です。哀しいことがあった時に、縁側でそっと隣に居てくれる。
何かを語るわけではなく、慈しみあふれるようなまなざしで包んでくれる存在。
そんな感じです。

心があらわれる音楽はいろいろあるけれど、「アヴェマリア」のように母性で包まれるような曲を『マリア系』とするなら、この曲は、年月を重ね、酸いも甘いも噛み分けた人がすべてを受け入れ、許してくれるような『おばあ系』。

この曲を聴いていると、海の彼方にある理想郷『ニライカナイ』ってこういうところなのかなあと思います。ひたすら穏やかで、あたたかくて。

人は亡くなった後、こんな安らいだ気持ちになって、
彼岸を渡っていくのかもしれません。
悔しかったこと忘れきれなかったことを解き放って、楽しかったことだけを魂のまわりにまとい、光の玉となって、ゆらゆらとニライカナイへ渡ってゆくのかもしれません。

楽器もテイストも違うけれどマーラーの交響曲第五番のアダージョにつながるものを感じませんか。

「西武門節」をCDプレイヤーに入れて1曲リピートでセット。もう1つ音を出せる機械には波の音だけのCDをセット。波の上で漂うような心地よさに包まれて眠りにつくのもこれからの季節にいいですね。

そして、胸につかえるものがあって苦しいときにもこの曲を・・・。
私は、浜辺の砂の城が波に洗われてとけてゆくように、寄せては返す一波一波で自分自身がとけてゆくイメージでを浮かべながらこの曲を聴くこともあります。
もし、つかえているものがあったら、いろんなものが水に流れてゆくことを思い浮かべながら聴いてみてください。

ちなみに、「西武門節」は男女のせつない恋を歌った沖縄民謡。わりと明るい恋歌です。テンション高めです。たとえば、饒辺愛子の「西武門節」の試聴は
こちら『沖縄名曲バラードコレクション』で。
こういう曲がアレンジであんなに穏やかな曲に変わるのが不思議です。

それと、沖縄ゆらキラ(ゆらゆらしていてキラキラしている)音楽といえば、
忘れてならないのがTINGARA(てぃんがーら)。

さきよだ

TINGARAのアルバムにも「西武門節」があります。こちらもすごくいいです~。
音が蝶のように舞ったり、螺旋の光になって流れていくようなイメージ。です。

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2006年4月13日 (木)

ガガーリン31 星の種その2

2001年3月、惜しまれつつ閉館した東京渋谷の五島プラネタリウム。

このプラネタリウムで活躍されていたお一人が村松修氏。
そのプラネタリウムと星を愛する想いが溢れた洒脱な語り口は今なお、多くのファンによって伝説となっています。
村松さんは現在は「
しぶてん」で、天文の魅力をいろんな方々に伝え分かち合う活動をされています。
(※追記 2010年に渋谷にコスモプラネタリウムができ、村松氏も解説員として復帰されました!)
その「しぶてん」に私もたびたび足を運び、星の勉強をさせていただいています。

今年の2月「しぶてん」にうかがい、ガガーリンを中心に始めるブログのことで助言をいただいた時のこと。

ガガーリン28のガガーリンが星を種にみたてた表現のくだりをお話した時、村松さんは、いつもの洒脱な軽やかな口調でこうおっしゃいました。
天文に携わる立場からすると、ガガーリンは星にあまり詳しくなかったのかも。
天文好きだったら、地上で見ているあの星が宇宙でどう見えるかを一番確かめたくてそれを書くだろうから、と。

そのお言葉は、目からうろこでした。
今まで気がつきませんでしたが、確かにそうです。
ガガーリンが星座や星の名前を語った記事に出会っていません(今まで私が目にした資料の範囲では)。

ガガーリンは帰還後、モスクワに向かう飛行機の中で馴染みの記者に、自分は他の飛行士同様、星座に詳しいけれどボストークの中から見分けることができなかった。それは星が素早く窓の左右に動いたり、夜の時間が短かったりしたからと語っています(
ガガーリン20参照)。

他の宇宙飛行士はどうだったのでしょう。
1963年にボストーク6号で女性初の宇宙飛行をおこなったテレシコワは自伝の中で、地球の周回軌道に乗った後の様子をこんな風に書いています。


一時間以内に、昼や夜にかわりました。
この変化は一瞬のうちにおこなわれるのです。
光がみちあふれていたのに、一秒後には闇になるのです。
のぞき窓からは、私が子供の時から知っていた大熊座、それにオリオン座、ふた子座を見ました」
『テレシコワ自伝 宇宙は拓かれた大洋』宮崎一夫訳/合同出版株式会社より


テレシコワは宇宙船の窓から星座を見ることができたんですね。
ただ、ボストーク6号はガガーリンのボストーク1号とは仕様も改善されているところがあるかもしれませんし、飛行時間も違うので、テレシコワが星座を見分けることができたのに、ガガーリンが見分けることができなかっただけで、彼が星座を知らなかったからと断言することはできません。それに、ガガーリンを含め宇宙飛行士に選ばれた者は肉体面、精神面を鍛えるハードな訓練をこなし、ロケット工学、天文学、地球物理学、宇宙医学などの理論面も学んでいます。星座の知識も持っていたのは間違いないと思います。

ただ、天体望遠鏡で小さい頃から星を眺めていて、星がきっかけで宇宙に憧れ続けた天文少年ではなかったんだろうなと推測できそうです。

夜空が畑に星が種に見えたという言葉は〔あの星は何座の何等星で・・・〕という知識と離れたところで、子供のような自由な発想で生まれたものではないでしょうか。

知識を持ちながら知識に縛られず、自由な発想で星空やいろんな自然現象を眺められるようになりたい。
そんなことを気づかされました。

村松さんをはじめ、私がプラネタリウムのカリスマ解説員と思う方々は、みんな、
〔知識〕と〔心で感動したこと〕の両面から星を語っていらっしゃるなあとあらためて感じました。

そして、<ガガーリンが天文に詳しくないかもしれない>。
そのことが、私がガガーリンに興味を持った根源につながっていることに気づきました。

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2006年4月12日 (水)

ガガーリン30 宇宙はどこ?

Iolite_2 今日2006年4月12日はガガーリンが人類初の有人宇宙飛行をしてから45年目にあたります。

ところで宇宙の定義ってなんでしょう。
もし、地球の中の日本の中の東京都の中の世田谷区に住んでいるとすると、自分の部屋の中は世田谷区であり東京都でもあり、日本でもあると言えます。

そう考えると、宇宙の中の銀河系の中の太陽系の中の地球にある私の部屋は、宇宙の中にあるって言えます。
部屋は宇宙の中。
隣の家のわんちゃんの犬小屋だって、みんなみーんな、宇宙の一部。

でも、私たちは、部屋の中を歩くことを宇宙遊泳とは言わないし、近所のコンビニに行くことも、宇宙に行くとは言いません。

では、宇宙の定義ってなんでしょう?
国際航空連盟(FAI)では宇宙を、〔地球の高度100km以上の空間〕と定めています。
ということは、私たちの部屋は宇宙空間の中にある〔宇宙空間の外〕となるのですね。特別な空間に思えてきました。
ガガーリンが地球を一周した時の軌道は、もっとも地球から離れた地点で上空327km。もっとも近い地点で181km。
なので、ガガーリンは宇宙を飛行したと認定されているのですね。

ところで、多くの天文ファンは、人間が宇宙へ行ったというニュースが飛びかった当時、その高さが地球の高度300kmぐらいだったということを聞いて、ご自身の持つ〔宇宙〕のイメージとのギャップを感じたそうです。

天体望遠鏡で星を眺めている方々はそれこそ、何万光年も彼方の星の輝きをみつめています。膨大な距離の彼方にある宇宙をファインダーの中に夜毎感じて過ごしています。
そのため、高度300km(天文の方々が扱う宇宙から比べたらきっと地球の皮みたいなもの?)という距離も宇宙であることに、いろんな〔宇宙〕があるなあと感じられたそうです。

同じ〔ジャンプ〕でも、フィギュアスケーターが飛ぶジャンプと、原田選手たちが急斜面を滑走して飛ぶノルディックスキージャンプのジャンプが違うように、それぞれの〔宇宙〕があるっていうことですね。

遠くの星々の存在を〔目〕で感じる宇宙に関わっている人たちと、〔生身〕の人が到達できる空間としての宇宙に関わっている人たちがいる。その他にも、〔哲学的〕に宇宙を感じている人たちもいる。

あなたが感じているのはどんな宇宙ですか?

(写真の石はアイオライト。光に透かすとサファイアブルーになる半透明の藍色の石です。銀河のように輝くのはインクルージョン。星座早見盤のよう!)

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2006年4月11日 (火)

ガガーリン29 水曜日4月12日

明日は4月12日水曜日。

ガガーリンが1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行を成功させてから45年目になります。
実は61年の4月12日も水曜日だったんです。
わざわざ調べたわけではありません。

ガガーリンは『ダローガ・フ・コスモス/宇宙への道』の中で
Среда, 12 апреля (水曜日、4月12日)】という章を設けていたので記憶していました。

明日、ロシアでは記念式典など行なわれるのでしょうね。新聞やネットで見られるロシアのテレビの記事などを見てみようと思います。興味深い記事をみつけることができたら、追ってこのブログでも紹介していきます。
ロシアの(といいますか当時のソ連時代の)本を見ていたら、ガガーリンの偉業にあやかり、1961年4月12日頃に生まれたたくさんの赤ちゃんがユーリィという名前をつけられたそうです。

日本ではどうでしょうか。
4月12日生まれだからガガーリンにちなんで、由利、なんて名前を持つ方もきっとどこかにはいらっしゃるのかも。お会いしてみたいです。

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2006年4月10日 (月)

ガガーリン28 星の種

時として、人が現実に体験したことを綴った文章に、詩人が頭の中で創りだした美しい表現よりも文学を感じることがあります。
時として、この世に実際に繰り広げられている現象の方が、画家がキャンバスに描いたアートよりも、この世のものとは思えないほど美しかったりします。

ガガーリンの『ダローガ・フ・コスモス(宇宙への道)』を読んでいくとそれを感じます。
詩情ある表現を狙ったわけではないと思うのですが、あちらこちらに、小説家や詩人が産み出すことはできないだろうと、しびれてしまうような(ちょっと大げさ?)文章があります。

いくつかご紹介しましょう。
(引用部分は青文字)

ガガーリンが1961年4月12日、乗り込む前にボストークを目にしての言葉。


宇宙船は実に美しく見えた。機関車よりも、汽船よりも、飛行機よりも、宮殿よりも、橋よりも、それら全部をあわせたよりも美しかった。
この美しさは永遠のものだろう、すべての国の人にとって未来永劫に記憶さるべき美しさだ、私はそう思った。
たんなる工学技術の精華ではなく、一個の感動的な芸術作品を、私はまのあたりにしていた。


ボストークに乗り込んだ時の記述では

キャビンに入ると、そこには野の風のかおりがこめていた。
Я  вошел в кабину,  пахнушую  полевым ветром.

この表現が不思議なんですよね。ボストークの中に野原の香りのアロマを流したというわけではないと思うのですが、なぜ野の風の香りがしたんでしょう。〔宇宙船〕と〔野の風〕っていうありえない組み合わせが面白いです。

実際に宇宙へ飛び出すことを体験した者にしか表現できないものとしてはこんな言葉もあります。


やがて、巨大な宇宙船が、全船体をふるわせながら、ゆっくりと、実にゆっくりと、発射設備をはなれたのが感ぜられた。
轟音の強さは、ジェット機の機内の騒音以上ではなかった。
ただその音には、いくつもの耳新しい音楽的ニュアンスが、音色がこめられていた。
こんな音楽は、まだ一人の作曲家も楽譜に記したことはあるまい。
おそらく現在のところ、この音は、どんな楽器にも、人間の声にも再現できないだろう。
ロケットの強力なエンジンは未来の音楽を奏でていた。
おそらくは過去のどんなに偉大な作品も精彩を失うほどに感動的で美しい音楽を。

(以上は江川卓訳「宇宙への道」より引用)

ガガーリンはどんな音を耳にしたのでしょうか。
今、当たり前に私たちはロケットの発射の様子をテレビで見ることができますが、それでも実際にその中で感じる音は私たちの想像とは違うものなのでしょう。

地球の周回軌道に乗って、無重力を体験したガガーリンは、固定されていないものは、地図も鉛筆も手帳も宙に舞いあがったと語り、こんな風に説明しています。


ホースからしたたる液体のしずくは、小さな玉になって空中を自由自在に動きまわり、キャビンの壁にあたると花の露のように壁にくっついた。
(朝日新聞社「地球の色は青かった」より)

それからこんな言葉も。人間は宇宙で退屈と孤独感を感ずることだろうということである。
とんでもない。私は退屈も感じなかったし、孤独でもなかった。(中略)
無線は、ちょうど臍の緒のように私と地球を結んでくれていた。

(江川卓訳「宇宙への道」より)

そして何よりも印象的だったのが以下の言葉です。


На какое-то мгновение во мне  пробудился сын колхозника.
Совершенно  черное небо выглядело вспаханным полем, засеваемым зерном звезд.


私の訳で。

ある瞬間、私の中でコルホーズ員(集団農場で働く者)の息子であるという本能が呼び起こされた。
真っ暗な空は、耕されて、星の種がまかれた畑に見えた。


ガガーリンは、真っ暗な空を、大地の栄養分がみなぎる春の黒々した肥沃な畑に、
そして満天の星々をその畑にまかれた種に感じたんですね。

大地に根ざした生活をしている者が、自らの実体験から湧いてきた思いを綴っているからこその文章だと思います。満天の星は畑にまかれた種。そんな風に夜空を見上げると、今までと空が違うようにみえてきました。
生活が豊かになるって、こんな風に当たり前に感じていたものを、違う風に見る楽しみ方を一つ増やすことかもしれません。

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2006年4月 9日 (日)

ガガーリン27 ニコライ・レーリヒ

(ガガーリン23の続きです)
ガガーリンはプラウダに連載した『ダローガ・フ・コスモス(宇宙への道)』の中で、地球の夜の面から昼の面へ飛行する時に地平線上に現われる色彩の美しさに感嘆し、ニコライ・レーリヒの絵のようだと語りました。

画家ニコライ・レーリヒ、どんな人なのでしょう。
ニコライ・レーリヒ(Николай Рерих/Nicholas Roerich  1874-1947)はロシアの画家ですが、その活動は多岐に渡り、ヒマラヤ探検家、思想家、戦時下の文化財保護提唱者などとしてその生涯を語られています。

10代の頃から、考古学、土地に残る古い風習や伝説などの民俗学に興味があったようです。
20世紀前半バレエ界のみならず芸術の分野で新たな潮流を起こしたディアギレフのパレエ・リュス(ロシアバレエ団)にも関わっています。ストラヴィンスキーの音楽、ニジンスキーの振付で知られる『春の祭典』(1913)では、レーリヒは衣装と美術を担当。ストラヴィンスキーとともに台本も手がけました。

レーリヒは画家としての活動を続けながら、しだいにインドに惹かれていきます。
1923年家族とともに念願のインド旅行を実現。カルカッタ、ヒマラヤ山麓のシッキム他に滞在。そびゆる山々を目にしながら、さらにヒマラヤに魅せられていきます。
1925年には中央アジア探検隊の団長となって妻エレーナや長男ユーリとともに、モンゴル、チベットなどを3年かけて調査。サンスクリット語、インド哲学などに精通し、東洋文化の研究者であるユーリは、『アジアの奥地へ』という本にこの時の探検記をまとめています。

ニコライ・レーリヒは後にインドのクルー渓谷にウルスヴァティ研究所を設立。晩年もヒマラヤを描き続け、このクルー渓谷が終の住み処となりました。

レーリヒの作品をみると、ロシアの宗教絵画イコンを思わせる神秘的な空気を感じます。
様々な色彩の天空をバックにした雄大なヒマラヤの山々が印象的です。『ヒマラヤに見せられた人』(加藤九祚著/人文書院)によるとレーリヒは日本に来日した際、富士山の絵を2枚描いているそうです。

レーリヒは『シャンバラへの道』という本も執筆。シャンバラというとヒマラヤの雪山の奥にあるといわれる理想郷というイメージでしたが、この本を読むと、そんな理想郷が実際にあるかというよりももっと精神的に理想の境地や、チベットの叡智をレーリヒは追究しているのかなという気がしました。

ガガーリンがレーリヒを知っていたことは意外でした。『ダローガ・フ・コスモス』の中で、鋳物の技術研修で派遣されたレニングラードで、エルミタージュ美術館やロシア美術館を頻繁に通ったことを語っています。美術にはもともと興味があったのかもしれません。

レーリヒに関しては、1970年にソユーズ9号で、1975年にはソユーズ18号で宇宙飛行をしたソ連のヴィタリー・セバスチャノフ(Виталий Севастьянов)も本の中で語っています。
Vitali_1

ロシアのサイト『宇宙百科アストロノート』の本のコーナーで、セバスチャノフの本『дневник над облаками(雲の上での日誌)』が閲覧できます。ttp://www.astronaut.ru/bookcase/books/sevastian/sevastian.htm

この本の中で

Я вспомнили свою запись в дневнике, который вел  на 《Союзе-9》:《Очень нравятся восход  и заход Солнца.
Утренние и вечерние зори  описать  невозможно! Рерих в  натуре!》
Да, действительно я видел  эти зори раньше----на полотнах  Н.К.Рериха.

私はソユーズ9号の中で付けた日誌に「日の出と日没がとても好きだ。朝焼けと夕焼けは筆舌しがたい。レーリヒそのものだ」と書いたことを覚えている。そうなのだ。本当に私はこの朝焼けや夕焼けをすでに見ていたのだ。レーリヒの絵の中で

と書いています。

レーリヒに関する資料
【書籍では】
『ヒマラヤに魅せられたひと ニコライ・レーリヒの生涯』加藤九祚著/人文書院
『シャンバラの道』ニコライ・レーリヒ著・澤西康史訳/中央アート出版社
【サイトでは】

Nicholas Roerich virtual museum レーリヒの絵の数々が見られます。
Nicholas Roerich Museum ニューヨークのレーリヒ美術館のサイト。ここでも絵の数々が見られます。

引用の提示がないものは私による拙訳です。

(追記/「地球は青かった」の名言のあとに「レイリッヒのブルーのようだった」という言葉が続くそうですね。というメールをいただくことがありますが、私自身が目にしている文献では、そうなってはいません。イズベスチヤとプラウダの記者に「空はとても暗かった。一方地球は青みがかっていた」と語った際、レーリッヒうんぬんとは語っていないようです。また、この27でご紹介したとおり、レーリッヒの絵のようだったというのは、地球が青かったということではなくて、地平線(&水平線)上にみられる大気の色の移り変わりのことだと現段階では思います 2007.1.21)

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2006年4月 8日 (土)

ガガーリン26 地球は青かった

(25の続きです)
ガガーリン10原文に辿りつくで、「Земля  голубаватая」が「地球は青かった」の原文ではないか、と書きました。確かに文字面で言えば、「ゼムリャー(地球)は」「ガルバヴァータヤ(青みがかっている」という構文になるこの言葉が原文と言えます。ですが、ガガーリンが何度も折りに触れ語ってきたのは、地平線上の青い光の層の美しさ。「地球はオーラのようなアクアブルーの光に包まれていた」ということ。

ところで、ロシアの検索エンジンでは「地球は青かった」にどんぴしゃの言葉はなかなかみつかりませんでした(
1)。
実際、ロシアでは「地球は青かった」という言葉はさほど広まっていないように私は感じます。ガガーリンの有名な言葉といえば発射直前に語った「パイエーハリ!(出発)」のようです。

ガガーリンの帰還直後の当時の日本の新聞でも「地球は青かった」という言葉は出てきませんでした(


1962年の3月に『地球は青かった』という映画(1961年ソ連制作)の日本語版が公開されています。
映画を見ておらずこの原題がわからないのですが、当時のパンフレットを見ると、副題のように英語で「WAY TO THE SPACE」と書かれています。ソ連でこのドキュメンタリー映画が公開された時、『地球は青かった』というタイトルでなかった可能性が高いです。

ガガーリン著『地球の色は青かった』が朝日新聞社から出版されています。あかね書房からも『地球は青かった』が出版されています。けれどこの2冊とも
23で触れてきた『ダローガ・フ・コスモス』の翻訳本。なので、原題は『ダローガ・フ・コスモス』。
『宇宙への道』という意味のタイトルが日本で『地球の色は青かった』『地球は青かった』に変化。
『地球は青かった』という本がソ連で出版されていたわけではないのです。

ロシアのサイトを調べてきた範囲では『地球は青かった』というような言葉がタイトルになっているガガーリンの本も映画もありません。

以下、あくまでも今の段階での私の推測です。

名言「地球は青かった」は、ガガーリンが語ったいろんなことの中で

地球は青みがかっていた。地球をアクアブルーの光がつつんでいた。地平線に膜のように青い光があった。。。
という言葉に一番感動し、それが大切と思った誰かが表現したフレーズなのではないでしょうか。
地球が単に青みがかっていたというだけではなく、ガガーリンが繰り返し何度も触れてきた地平線に見える青い光の層の美しさ、その光に地球が包まれているということもひっくるめてて「地球は青かった」を打ち出したのではないでしょうか。

朝日新聞社の本『地球の色は青かった』の出版が1961年8月。
映画『地球は青かった』の公開は1962年の3月頃。
遅くてもこの頃からガガーリンといえば『地球は青かった』が定着していたのでしょう。

立花隆は『宇宙からの帰還』で、アメリカではガガーリンの言葉は「地球は青かった」よりも「神はどこにもいなかった」の方が知られていると書いています(
19)。
「The earth is blue」という表現。英語のサイトでも見られますが、この言葉が本のタイトルや映画のタイトルになっていなければ、キャッチーな見出しに使われていなければポピュラーになりにくいのかもしれません。

ガガーリンは地球が丸いことを自分の目で見たとも語っていますが、もし、『ダローガ・フ・コスモス』の日本語訳のタイトルが『地球は青かった』ではなくてて『地球は丸かった』だったら。ちょっとロマンが半減していたかも。

ガガーリンの様々な言葉の中から、地球と、地平線と、ガルボイアリオールのくだりに注目して、「地球は青かった」という言葉にまとめてくれた人がいたからこそ、日本では津々浦々誰もが「地球は青い」ことをこの45年間感じてこられたのかなあ。ラッキーだなあと思いました。

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ガガーリン25 アクアブルー

24の続きです)
その矢先、7日の夜、
花実さん のライブに行ってきました。
とてもチャーミングな女性で、サンシャインスターライトドーム“満天”で2005年春に上映させていただいた『プラネタリウムでみつけた12の素敵なこと』のナビゲーターを務めてくださった方です。

「空色」「水色」という言葉、夕焼けのオレンジ色から紫色のグラデーションが浮かんでくる詩、透明な世界・・・その美しい色や心象風景が浮かんでくるような歌の世界に浸っていたら、ふと、〔アクアブルー〕という言葉が浮かんできました。
ガガーリンの〔ガルボイと〕いう言葉に、私がいつも感じていた色はアクアブルーだったと気づきました。

そこで、もう一度大好きな言葉を訳してみます。

ガガーリンが伝えたかったことは。


「地球はオーラのようなアクアブルーの光に包まれていた」

ゼムリャー・アクルジナー・ガルヴィーム・アリオーラム。

Земля окружена голубым ореолом. (word by emi)

カチツ。心にぴったりはまるものがありました。

(原文はというと、ガガーリン
15記者インタビュー21演説23『ダローガ・フ・コスモス』の中のほぼ同じ言い回しを私がひとまとめしました)

26へ続く

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ガガーリン24 翻訳ということ

前から気になっていたのです。
このブログの中で〔голубой/ガルボイ〕を〔青〕や〔薄青〕と訳してきたこと。
ориол/アリオール〕を〔光の輪〕と訳してきたこと。

感覚的にぴったりきていなかったのですが、辞書で、ガルボイの他の訳の空色、スカイブルーは当たり前すぎて使いたくなかったし。アリオールは、露英ではオーラ、ハレーションと出てくるけれど、露和だと円光、後光、光の輪。円光は響きが気に入らないし、と。

そんな時、江川卓氏が夜明けの空のグラデーションを、〔かぎろい〕という言葉を添えて訳していることを知ったのです(
ガガーリン23)。
小さなことだけど感銘を受けました。翻訳ってこういうものなのかと。
映画や小説では意訳は当たり前。名訳が原作の世界を広げます。
ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画『カサブランカ』の名台詞「君の瞳に乾杯」も原文は「Here's looking at you, kid」。

けれど、科学的な文章などは原文に忠実じゃなければ、と思っていました。
でも、文字面をそのまま訳すだけが翻訳ではない、露和辞典に載っている単語に訳すことが翻訳じゃないんですね。

『ダローガ・フ・コスモス』は日本で何社からも出版されていますが、


「やがて地球の大気をとおして太陽の光線がもれてきた。地平線上が明るいオレンジ色に輝きはじめた。空色、青色、すみれ色、黒と移りかわる七色の虹のかぎろい。とても言葉にはつくせない色の諧調!まるでニコライ・レーリヒの絵を見るようだ」(江川卓訳『宇宙への道』/新潮社)

このくだりは江川卓氏の文章が一番感動しました。〔かぎろい〕という言葉のおかげで。

素晴らしいのは、江川氏が原文を無視して、意訳してこの言葉を使ったというわけではなくて、原文の意味を突き詰め、忠実を目指したからこそ〔かぎろい〕という言葉を持ってきたこと。
ガガーリンが言葉を尽くして語ろうとしたことを一番表現できる言葉はこの「かぎろい」以外にありえないのです。

露和辞典に出ている出ていない関わらず、原文が表現していると思うことを自分が一番適切と思う日本語で表現していいんだ。そんな風に感じました。
25へ続く。

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2006年4月 6日 (木)

ガガーリン23 いよいよ宇宙への道

4月15日(ガガーリン2122)の記者会見が終わると、ロシアのイズベスチヤ、プラウダでも、日本の新聞でもガガーリンの記事は一段落つきます。

次に大きく取り上げているのは、4月25日のプラウダの紙面1ページを使った宇宙船ボストークの構造についての記事でしょうか。

ガガーリン5 ボストークの窓で、光学式イリュミナートルの写真が出ていると書きましたが、それがこの25日の記事になります。この記事の中で着陸方法についても書かれていますが、まだきちんと読んでいません。今日のブログではバッサリ飛ばして次にいきます。

ガガーリンが一番いろんなことを綴っている資料にやっと辿りつきました。
それは、プラウダの4月30日からの連載『дорога в космос/ダローガ・フ・コスモス(宇宙への道)』。

これはガガーリンが書いたというよりも、ガガーリンが語ったものをプラウダのデニソフ記者(着陸地点でのルポなどをおこなってきた記者)とボルゼンコ記者がまとめたもののようです。4月30日から6月18日まで3~4日おきぐらいに連載されています。そのボリュームは半端ではありません。プラウダの当時の紙面はA2の大きさで、通常一日分が6ページなのですが、連載がある日は、2分の1ページか3分の1ページがガガーリンのこの連載に割かれているのです。
いかにガガーリンの宇宙飛行が当時の関心事だったかがわかります。

この『ダローガ・フ・コスモス』はその後、ソ連で単行本となって出版されています。日本でも出版されています。
ただ、それがすっごくややっこしいんです。ソ連でも日本でも、いろんなバージョンが存在します。加筆したもの、ダイジェスト版エトセトラ。

まるでタトゥーのアルバムのようです。『ヤー・サシュラー・スマー』の英語版やリミックス版がいろいろあって、どのアルバムとどのアルバムが曲がかぶっているのか、どれが自分の聴いていない曲集なのかがわからなくなってしまうあの感覚。
『ダローガ・フ・コスモス/宇宙への道』も、どの本が完全版なのか、どの本がどの記述が抜けているのか、どの本とどの本を抑えれば、制覇できるのかわからなくなって混乱します(^_^;)。

ともあれ、『ダローガ・フ・コスモス』は、ガガーリンが生い立ちから宇宙飛行士になるまでの時期や、ボストークでの有人宇宙飛行の体験、帰還後のことを語ってる集大成。

この中から、例によって宇宙からの眺めについて語っているところを、まず、ご紹介します。

【星や太陽の明るさ】
星や太陽が地上で見るよりも明るい、という説明は今までのインタビューや会見で語ってきたものとそんなには変わりはありません。ですが、面白かったのがその表現です。
地上で見るより何十倍、何百倍も明るかったという太陽の明るさを、〔鋳物工場にいた時に扱っていた熔けた金属とは比べ物にならない明るさだった〕とたとえているのです。

Ярче,  чем  расплавленный металл, с  которым  мне  приходилось  иметь  дело  во  время  работы  в  литейном  цехе.

ガガーリンは将来鋳物工場で働くために、故郷を離れ、サラトフの技術学校に行きます。ところが、そのサラトフで航空クラブに出会い、空を飛ぶ魅力に目覚めてしまったわけです。
ちょっと人生のレールが違っていれば、ガガーリンは鋳物工場の技術者となり、宇宙飛行士や宇宙船の記念碑や彫像を造る(鋳物工が造るものかはわかりませんが)側になっていたかもしれないんですね。不思議。

熱く熔けた金属に携わってきた人間ならではの太陽のたとえが面白いと思いました。

【海洋面について】

ガガーリン15の合同インタビューで答えたものと同じ言葉がありました。
「黒っぽく見えました。時折、ところどころかすかにきらめきがみえました」と訳したものです。
ガガーリン15では、〔海洋面ではなく、地球の夜の面の見え方かも〕と書きましたが、海洋面で間違いないことがわかりました。
ちなみに江川卓氏は『宇宙への道』(新潮社)の中で「わずかに光沢をおびた黒ずんだ斑点のようだ」と訳しています。

【地球をとりまく色】
地平線の上に現れる青から黒への色の移り変わりについて、もちろん、ガガーリンはこの『ダローガ・フ・コスモス』でも語っています。インタビューや会見の時の演説とは、また、多少言葉遣いが違っています。(七つの間違い探しができるくらい、ほんの少し)
早速、訳してみましょう。

「私たちの惑星が丸いことを実感できたかどうか。もちろんできた。
地平線に目を向けた時、明るい地球の表面からまっ黒な空への鋭く、コントラストの効いた移り変わりが見られた。
地球は色鮮やかなパレットの絵の具のように私を喜ばせた。
地球はやわらかい薄青色の光の輪に包まれていた。
そしてこの帯はしだいに暗くなり、トルコ石のような空色から、濃い青色、すみれ色へとかわり、石炭のような漆黒へとなってゆくのだ」

Земля  радовала  сочной  паритрой  красок. 
Она  окружена  ореолом  нежно-голубоватого  цвета. 
Затем  эта  полоса  постепенно  темнеет,  становится  бирюзовой,  синей,  фиолетовой  и  переходит  в  угольно-черный  цвет.


【夜明けの虹色】
地球の夜から昼の部分へ飛行する時、地平線が虹色になるくだりもまた、『ダローガ・フ・コスモス』に書かれています。
江川卓氏は『宇宙への道』(新潮社)の中で、その色のうつりかわりの美しさを「かぎろい」という言葉を使って訳しています。名文です!

ですので、それを引用します。


「やがて地球の大気をとおして太陽の光線がもれてきた。地平線上が明るいオレンジ色に輝きはじめた。空色、青色、すみれ色、黒と移りかわる七色の虹のかぎろい。とても言葉にはつくせない色の諧調!まるでニコライ・レーリヒの絵を見るようだ」
Лучи его  просвечивали  через  земную  атмосферу,  горизонт  стал  ярко-оранжевым,  постепенно  переходящим  во  все  цвета  радуги  : к  голубому,  синему,  фиолетовому,  черному. 
Неописуемая  цветовая  гамма!!
Как  на  полотнах  художника  Николая  Рериха!


「かぎろい」とはなんでしょう。川崎市青少年科学館のプラネタリウムでは2005年12月、「かぎろい」の番組が上映されていました。かぎろいとは、厳寒の冬、太陽が昇る前に東の空に現われる鮮やかなスペクトルのことのようです。
江川卓氏はドストエフスキーの翻訳などで知られるロシア文学者。
それなのに「かぎろい」という言葉を知っていて、それを訳にあてはめたセンスと造詣の深さが素晴らしいです。

ガガーリンの口からニコライ・レーリヒの名が出たことにもびっくり。
レーリヒは、シャンバラに興味のある人には聞き覚えのある名前ですね。

レーリヒについては
ガガーリン27で。

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2006年4月 5日 (水)

ガガーリン22 15日の一問一答

4月15日の「学者会館」での記者会見では、ガガーリンは演説とは別に、記者との一問一答を受けています。その日本語訳は『ソ連人間宇宙船の成功』の(22)にあります。日本の新聞でも、朝日、毎日、読売とも抜粋で4/16に掲載しています。

ここでガガーリンが答えていることは、無線のこと、飛行中の食べ物、ツィオルコフスキーについて、お守りを持っていったかどうかetc.。
ガガーリン5 ボストークの窓でガガーリンが帰還後、記者会見で地球は窓から見たのか質問されたと書きましたが、それはこの一問一答の中でのことです。

この一問一答で注目するとしたら、着陸方法でしょうか。
今はガガーリンの着陸方法は高度7000メートルで宇宙船から脱出してパラシュートで着地と当たり前に様々な資料に書かれていますが、当時はこのパラシュートによる着地をあいまいにしていた(ボストークごと着陸したと思わせる?)らしいのです。

さて、この一問一答でガガーリンがどう答えたかを訳してみます。

「わが国の着陸の方法はパラシュートによるものを含め、いくつもの方法が完成しています。
そして今回の飛行では次のような方法が実行されました。パイロットはキャビンの中にいて、
降下は成功しました。これは着陸のためのすべてのシステム高性能で申し分なく働いたことによります」


確かにこの表現だと、核心部分をそらしているという印象を受けます。

この15日のガガーリンの演説や一問一答の様子について、日本の各誌ではこんな風に書かれています。

「多くの新しい質問に関してはなかなか老練な政治的回答をしてみんなを驚かせた」 (朝日4/16)

【ポイントはたくみにそらす】
「彼ははっきりした口調で、よどみなく随時ユーモアをまじえて満場を笑わせ拍手を受けたが、
重要なポイントはみごとにはずしていた」
(毎日4/16)

実は『ソ連人間宇宙船の成功』の(25)に
ノボポリャンスキーの演説〔着陸の模様について〕が掲載されています。
どんな肩書きの人かわからないのですが、興味深いことが語られています。
(この演説はイズベスチヤやプラウダの4/16には掲載されていません)

4月13日の夜、わたしは、ユーリー・ガガーリンの着陸を目撃したコルホーズ農民や機械収穫要員たちと
話しあった。
みんな興奮していて、とてもうれしそうだ。忘れようにも忘れられないあの瞬間の詳報が、
口から口へと伝えられている。
トラクター運転手のイワン・ルデンコはこうのべている。

 我々の作業班は朝から畑に出ていた。天気はあたたかく晴れわたっていた。
 我々は総勢六人で、野外宿泊所からあまり遠くないところで働いていた。
 みんな宇宙船の着陸をはっきり見た。宇宙飛行士はパラシュートで、我々の近くに着陸した。
 彼はベルトや網を引きよせながら、パラシュートをおさえた。
 彼の一番近くに居合わせたのは、女の子をつれた第一作業班の夫人コルホーズ員で計算係の
 アンナ・イワノーブナだった。
 我々は彼の方へ走った。
 我々の前には、とても平静で、まったく無傷な人が立っていた。
 赤いコンビネーションを着、白い飛行帽をかぶり、均整のとれた体格の人だった。
 一方の腕には時計をはめ、もう一方コンビネーションの袖口には小さな鏡をつけていた。
 彼は我々の方にすすんで来、そして、つぎのような言葉をのべたが、
 我々はそれをいつまでも忘れないであろう。

 「こんにちは。同志のみなさん!自己紹介をさせてください。わたしはソビエト市民で、
  最初のソビエト宇宙飛行士のユーリー・アレクセービッチ・ガガーリンです。お知り合いになりましょう」


歴史的快挙を目撃できた人の興奮が伝わってくるようです。
これを読むと、ガガーリンがパラシュートを使って着地していることは明らか。

この日本語記事がずいぶん後になって発表されたというわけではないんですよね。
ソ連邦大使館によるこの日本語の冊子は1961年5月に発行されています。
ということはパラシュートで着陸したことは当時から隠し事でもなんでもなかったのでしょうか。

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2006年4月 4日 (火)

花びら日和

強風で桜が散るのはちょっと哀しいけれど、
花散らしの風の日は
見方を変えれば『花びら日和』。

窓のむこうに ぼたん雪のように
花びらが舞っていました。

そのひとひらが、ベランダの手すりにも。
Sakurahitohira_2

デジカメでパシャッと撮ったら
また、風に乗って飛んでいってしまいました。

まるで、枝で一休みしていた鳥が飛び立つみたいに。

夜桜はまだまだ綺麗で楽しめるし、花吹雪も楽しめるし、東北地方、北海道の開花のニュースをテレビで楽しむこともできるし。

まだまだ桜日和です。

ガガーリン21 15日の演説

1961年4月15日、モスクワの「学者会館」でガガーリンは大々的な記者会見をおこないます。ソ連科学アカデミーとソ連邦外務省共催によるこの記者会見には、ソ連国内だけでなく海外の新聞社や科学者も集まったようです。

ここでのガガーリンの演説、記者との一問一答、同席した科学者の演説などはイズベスチヤ、プラウダ両紙とも4/16に掲載しています。まず、ガガーリンの演説から抜粋してご紹介します。

【公爵の家系に関して】
印象的なのが、ガガーリンが演説の開口一番自分の家系について語るところです。以下、『
ソ連人間宇宙船』(18)から引用。

「私の経歴に興味をよせている人がたくさんおります。新聞で読んだところでは、アメリカ合衆国には、ガガーリン公爵家の遠い親類だという、いいかげんな人たちがいて、私のことをかれらの子孫だと言っているそうです。私は、かれらをがっかりさせなければなりません。私は普通のソビエト人です。(中略)
私の家系には公爵などはいません。両親は、革命前には貧農でした。もう一代まえの先祖も---、おじいさんやおばあさんも、貧農でした。私の家系に公爵なんかいたことはありません。(拍手)
こういうわけで私はアメリカにいる自称の親戚たちをがっかりさせないわけにはいきません(笑声、拍手)」


ガガーリンに関する文献を読んでいくとその人柄について、率直で気さく、ユーモアでたくみに機転が利くというコメントをよく目にしますが、この演説の出だしからも、彼の気取りのなさを察することができます。

【無重力状態に関して】

4/13の合同インタビューでは無重力状態は適応できたと語っていたガガーリンですが、この演説の中では「やはりはじめはいくらかいやな気持ちでした。だが、じきにこの状態になれ、それに適応して、計画をひきつづき実施しました」と、最初から違和感なく適応したわけではないことを語っています。

【宇宙からの眺めに関して】
交信記録、合同インタビューで語ってきたことと内容に変わりはありませんが、一番正式な記者会見での言葉なので、抜粋&私の訳で紹介します。


175から300キロメートルの高さから、地球はとてもよく見えます。地球の表面は、高々度からジェット機で飛行した時とほぼ同じように見えます。大きな山々、大河、大森林、海岸線、島々をはっきりと識別できます。地表を覆っている雲や地表の上の雲の影が大変よく見えます。

空の色は完全なる黒でした。この色を背景に、宇宙では星はより明るくはっきりと見えます。
Цвет неба совершенно  черный. Звезды на этом фоне выглядят несколько ярче и четче.

地球は独特の青い光の輪につつまれています。
Земля  окружена  характерным  голубым  ореолом.
(プラウダではこのくだりは Земля имеет очень характерный очень красивый голубой ореол.)

青い光の輪は地平線を眺めた時に、それがとてもよくわかります。やわらかな薄青色から、空はとてもなめらかに美しく、青(ガルボイ)色へ、濃い青(シーニー)へ、すみれ色にそして最後には完全なる黒へと移りかわってゆきます。

Он хорошо просматривается, когда наблюдаешь горизонт. 
От нежного светло- голубого цвета небо очень плавно и красиво переходит в голубой,  синий, фиолетовый, и наконец, в совершенно черный цвет.



地球の陰から出る時、太陽の光が地球の大気を通してさしこみます。

ここでは光の輪は別の色合いとなります。地表に接した地平線の間際は明るいオレンジ色に見えました。この色はしだいに虹の全色に移り変わっていきます。
青(ガルボイ)へ、濃い青(シーニー)へ、すみれ色へ、黒へと。

Здесь этот ореол принял немного  другой цвет.
У самого горизонта земной поверхности можно было наблюдать ярко-оранжевый цвет, который затем переходил всеми цветами радуги далее к голубому, синему, фиолетовому и черному.



地球の陰へ入ることはとても急速におこなわれました。一気に暗闇が襲い、何も見えなくなりました。宇宙船はこの時、大洋の上を通過していたようです。もし大都市の上を通過していたのなら、灯りが見えたことでしょう。星は大変よくみえました。地球の陰から出ることも大変急速に急激におこなわれました。

-------------
美しい光景を伝えるガガーリンの言葉。読むだけで頭の中にとても美しい色合いが広がって、しあわせな気持ちになれます。
こんなに多くのことをガガーリンが語って、しかも、それが新聞にも発表されていたのに、「地球は青かった」の一言でわかった気になっていたなんてつくづくもったいないことをしていたと思います。

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2006年4月 3日 (月)

UFOで宇宙旅行part3

リビングスペースからエントランスを見たところです。

扉の向こうは下界。
Futurofrominside_1

わかりづらいかもしれませんが、ドームの天辺中央にリビングの排気口が。
右手に見える煙突のようなものは、キッチン、トイレ、ベッドルームの排気口だとか。
Fururooutside_1

春景色の中のフトゥロ。
Futurowithtree_1

FUTURO。その姿はとびきりポップで、60年代の夢あふれる未来感がつまったフォルム。そしておしゃれでモダンなつくりでした。その中にいるだけで楽しくなるような空間でした。

映画『となりのトトロ』に出てくる猫バスに惹かれる方は、かなりの確率でのフトゥロファンになる気がします。
ただ、建物の中にいるというのではなく、何かあたたかいものの包まれている、という感覚が味わえる建物ってめったにあるものではありません。


UFOは地球に着陸していた!では、プラネタリウムの中にフトゥロがあったらいいなと書きましたが、フトゥロの丸いドームに星空が広がっていても素敵でしょうね!

フェリカではバッジを買いました。
先生と学生の皆さんがFUTUROをモチーフに作っているのだとか。

1個100円。どれもかわいいです。
Futurobadge_1

この秋の一般公開は、9月の学園祭の時期だそうです。
お近くの方はぜひぜひ乗船体験を!

UFOで宇宙旅行
 part1 part2 UFOは地球に着陸していた!

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UFOで宇宙旅行part2

エントランス正面のメインのスペースです。
Futuroliving1_3
まあるい空間にまあるい窓にまあるいテーブル。
プラネタリウムもそうですが、直線のない、角のない空間って安らぎを感じます。なんだか、心がほっこりします。

椅子が6人分あります。(写真はエントランスに続く入り口から向かって右側の3つを写しています)。たぶん、ファーストクラス以上の幅、ボンボンベッドぐらいのゆとりがあります。手前に引き出して、平らにしてベッドにもなります(一番右)。

中央の丸いテーブルは炉にもなるように設計されていたそうです。
窓は開閉しないので、テーブルの上の天井に排気口が設置されています。

一席一席の間は区切られていて肘かけもあります。くつろげそう。
Futuroliving2_2
見えづらいかもしれませんが、その仕切りにも二つのフトゥロエンが。
上は照明になっています。下は空洞。物を置くこともできそうです。

テーブルの上の小物、窓際のポスターなどはフトゥロのテイストに合わせたものをフェリカの先生方がチョイスして飾っていらっしゃるのだとか。

リビングの右手が一人分のベッドルーム。かなり広いです。

フトゥロには、壁面のカーブを活かしたベンチにも棚にもなりそうな段々が何箇所かにあります。
ベッドの隣にもその段々が。
Futurobedroom_1

キッチンはリビングスペースの左手にあります。
Futurokitchen_2

ここも曲線が美しいです。ごらんのようにたまねぎの串切りのようなカーブ状の仕切りです。仕切りに窓が映っていますが、これは仕切りが透明でキッチンの窓が透けているのではなくて、手前の窓が仕切りに反射したのものです。

キッチンの収納棚もおしゃれ。
これは、上部のシェルフ。鮮やかなブルーです。
Futurokitchenself_1

手をかけるところがくりぬかれていますが、ここにも縦型のフトゥロエンが。間取りをおおまかにご紹介します。

上からみたフトゥロを時計にたとえ、6時の針の位置が乗船口だとすると、
エントランス部分は5時から6時30分の円弧(丸いケーキをカットした時の1片の形)の外側半分、
トイレ・シャワールームが6時半から8時の外側半分。
キッチンが8時から9時の外側半分。
メインスペースは9時から3時30分まで。
3時30分から5時の外側半分がベッドルームといえるでしょうか。
(注:厳密の比率ではありません)

UFOで宇宙旅行
 part1 part3

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2006年4月 2日 (日)

UFOで宇宙旅行part1

UFOで宇宙旅行をしてきました。まさにそんな気分!

3月22日のブログでご紹介したフトゥロ。日本では前橋の
フェリカ建築&デザイン専門学校様(以下、略してフェリカと書かせていただきます)が所有し、年2回の一般公開されています。その春の公開が終わってしまっていたのですが、ご好意で今回見せていただくことができました。

憧れのフトゥロ。その乗船レポートをお送りします。
前橋駅から歩いて15分ぐらい。フェリカの敷地内にフトゥロはいました。
Futuro1

フェリカがお持ちなのは白いフトゥロ。直径は8m、高さは約4m。

青いタラップを5段昇るとそこには未知の世界が。(5段目の高さが私の身長とほぼ同じなので、地上1m55cmぐらいの高さになっています)

エントランス。

正面の楕円型のドアの奥がリビングルームです。
Futuroentrance_2

窓もフトゥロの外観と同じ形の楕円になっていますが、内装のあちこちにもこの楕円(シトロエンならぬフトゥロエンと勝手に命名!)が使われています。

右手にはコートかけが6つ。コートかけの左に縦に小さなボタンが3つあります。それぞれUP、DOWN、STOPと表示されています。
Futuroentranceright_1

UPの表示を見ている時、「そのボタンを押すと、フトゥロが浮いて飛ぶんです」と説明をうかがって、一瞬本当にそう思ってしまいました。
そのくらいUFOの中にいる気分になる建物なんです。

Futuroentranceup_1
実は、青いタラップを上下する時のボタンだそうです。(今、フェリカでは据付で固定)。

UPDOWNのボタン一つにも設計者マッティ・スーロネンの遊び心が感じられます。

エントランス左手には洋式トイレとシャワーと洗面台の空間。
Futuroentranceleft_1

UFOで宇宙旅行
part2 part3
UFOは地球に着陸していた!

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emi (秋田恵美)

  • プラネタリウムでのヒーリング番組制作に携わった後、現在は 土井利位侯の「雪華図説」をライフワークとして調べ中の図書館LOVER。              興味対象:江戸時代の雪月花、ガガーリン他。最近は、鳥にも興味を持ち始め、「花鳥風月」もテリトリーとなっています。
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