ガガーリン35 北方任務
ガガーリンは1957年の夏、オレンブルグの航空士官学校を卒業後、戦闘機のパイロットになります。
卒業成績がよかったため、勤務地を自由に選べる立場だったのですが、
「行くのなら一番つらいところへいこう。
原文:Ехать туда, где всего труднее.」
と、設備も整わない環境、苛酷な自然の待つ北方(север)を志願します。
北方っていうと日本の中では、東北や北海道を思いうかべると思いますが、ソ連の中での北方です。その〔北方ぶり〕、は半端ではありません。
当時ガガーリンはヴァレンチナさんと既に結婚していたのですが、彼女がまだ医学校に通っていたので、彼女をオレンブルグに置いて、単身で赴きます。
(ヴァレンチナさんが来たのは1958年の8月)
『ダローガ・フ・コスモス/宇宙への道』に、その北方任務について詳しく書かれています。任務の過酷さがわかると同時に、自然描写の美しさもそこかしこから感じとることができます。
いくつかご紹介しましょう。
〔北方へ向かう〕
任務先がいかに辺境の地かがわかるのは、ガガーリンが北方を志願した仲間と勤務地に向かう道中の列車からの景色を語っているくだりです。
道中ずっと、私たちはチェスに興じ、窓際に立って、氷花をつけたカレリアの森の風景に眺め入った。やがて梢のとがった樅の木も姿を消し、北極圏に入った。自然は刻々、荒涼とした、異様なものになっていく。
車窓の外ははじけるような凍寒(私メモ:原文はмороз。氷点下の極寒のこと)で、霧が渦巻いていた。時計の針は正午を指しているのに、あたりは透きとおるような空色の夜に包まれている。
〔古参のパイロット〕
北方の自然の過酷さが並大抵ではないことは北方の勤続が長いベテランパイロットについて書いているくだりからもうかがえます。
ワシリエフ大尉は、自分を北部地方の古参だと自負しているだけあって、突然に吹雪をまき起こしたり、北氷洋から絶えず霧や風を吹き寄せる、きまぐれな変わりやすい北極の自然が絶えずたくらむワナから一度ならず脱出していた。
彼とはじめて話をしたあと、私たちは、ここ北極地方では単に飛行機を飛ばせることができるだけではだめで、悪天候の下でも、またさらには夜間でも操縦できなければならないのだということを知った。
(『宇宙への道』日本共産党中央委員会出版部)
〔春までお預け〕
冬の北極圏は、「白夜の夏」の反対で、昼間も夜のように薄暗い世界です。そのため、夜間飛行経験のないガガーリンは、冬の間操縦させてもらえません。冬が終わるまでの間、理論面の勉強に打ち込み、航空工学をもう一度復習し、北方の条件下での飛行機操縦の資格を得るための口頭試験を受けたといいます。
それだけ、特別な能力技術が北方飛行には必要だったのですね。
春になって、やっと操縦させてもらえた時のことを次のように語っています。自然描写が美しいです。
私たちは、すべてが春の息吹きを感じ、北極圏の長い夜が同じように長い北極圏の昼間に席をゆずりはじめた3月の末になって、飛行をはじめた。編隊の指揮官が私を乗せて飛行した。
飛行機に乗る時、私は飛行前に味わうあのなつかしい興奮を感じた。数ヶ月もの間、私は大空に舞い上がっていく機会がなかった。夜が終わり、夜明け前の薄明かりの青みがかった薄もやをついて飛行機は飛び立った。高度を上げながら、私はいつもの飛行の時のように機体と一心同体になっていた。
(『宇宙への道』日本共産党中央委員会出版部)
このあと、日の出の描写になります。私の訳で。
太陽が空と地上を朝やけの金色に染めて、地平線に現われたところだった。眼下には、バラ色の雪に覆われた丘や、水滴がはねたように点在する青みがかった(синеватый)湖、花崗岩の切り立った崖に波が打ち寄せるコバルトブルー(темно-синее)の冷たい海が通りすぎていった。
この眺めを見て、ガガーリンは「なんと美しいんだろう」と口にし、班長から計器から注意をそらすなと指摘されます。そして、ガガーリンは「飛行士はけっして飛行機の操縦から注意をそらしてはならない」ということを肝に銘じるのです。
ボストークでガガーリンが操縦することはありませんでした。けれど、計器の数字を読む、自分の心身の状態を報告する、日誌をつけるなど様々な任務が目白押し。ボストークからの眺めに感嘆の声をあげたあと、この班長にこの時に戒められた言葉を思い出すエピソードも『ダローガ・フ・コスモス』には書かれています。
〔危機一髪〕
ガガーリンはアクシデントも経験しています。晴天の日に飛行中、天候が悪化。吹雪による視界不良で引き返すことになりました。ところが、まさかの燃料不足。その中で着陸地点への最短飛行ルートを考え、着陸地点が上空から見えない中、計器を頼りに無事略陸をおこないました。
〔オーロラ〕
北極圏といえば、オーロラ。ガガーリンは飛行中にオーロラを見ていました。私の訳で。
短い秋がすぎ、夜の長い北極圏の冬がまたやってきた。私とヴァーリャ(私メモ:ヴァレンチナさんの愛称)は空の半分を覆ってゆらめくオーロラにたびたびみとれたものだ。それは壮大で、何にも比べようのない眺めであった。私は、空と大地をつなぐオーロラの青みがかった銀色(серебристо-голубоваты)のゆらめく光の中を飛行した。そして家に戻ると、私は、幾千メートルもの高度から眺めるオーロラが地上でも見るものよりさらに美しいことをヴァーリャに語るのである。
〔高度な飛行技術〕
飛行訓練の方もますます複雑なものになった。春の嵐に波立つ海上を飛んだり、空中戦のさいに重要な編隊飛行を練習したり、計器だけをたよりに『盲目』飛行をしたり、無線航法を研究したりした。海上で模擬空中戦も行なった。こうしてガガーリンは高度な飛行技術を身につけていくのです。
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この35で特に記載のない青字部分は『宇宙への道』江川卓訳/新潮社からの引用です。
読みやすくするため、何箇所かひらがなを私が漢字に変換しています。
〔〕はガガーリンが設けた見出しではなく、私が項目を立てたものです。
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お元気ですか。
あれからすぐに読んでいたのに忙しいのと、どこに書き込んでいいかわからず(情けないことに)今日になってしまいました。
とても素敵なページですね。うーんそこまで知りたいようなそっとしておきたいような気分もありますがemiさんの文章と興味をもたれた魂の素敵さでぐんぐんよまされてしまいました。まだ全部は読めていません。でも楽しみにしています。今日はとりあえず、通じてるよ、のお知らせまで。
投稿: kashii | 2006年5月 2日 (火) 15:20
kashiiさん。訪ねてきてくださってありがとうございます。そして興味を持ってくださってありがとうございます。
このブログに、メールアドレスをいれていないので、私へのご連絡がとりづらかったことと思います。
ガガーリンシリーズ、まだまだ続きますので見守っていってくださいませ。
投稿: emi | 2006年5月 2日 (火) 22:40