目がスター と はまぐりの潮汁
プラネタリウムにあるもの。といったらまず主役は星。
星の数といえば、プラネタリウム業界のカリスマとして活躍されている大平貴之氏のメガスターですね。
星々が頭上に広がる途端、「わー」っと、息を呑んで圧倒され、その輝きに感動する。
というのはメガスターが絶品。
私のパソコンで「メガスター」ってキーを打つと「目がスター」って出ます。
でも、本当にメガスターの星空を見上げている時、
私達の瞳には何万個もの星粒が映っていて少女漫画の目のように「目がスター」になっているんじゃないかなって思えます。
「ブライト」という言葉が似合う星空です。
特に好きなのは牡牛座のVの部分の輝き。
私自身が今まで一番クリアな満天の星空(晩秋の夜更け、栃木の山の中でした)でVの字を見た時の感動を鮮やかに思い出させてくれるんです。
そして、星の数や明るさだけではなくて、大平さんの活動そのものがいろんな人に光を放っています。
「どうせ、自分ひとりがこんなことに夢中になって取り組んで何になるんだろう」とか、
「自分がもがいて作り出そうとする絵を一体誰が見てくれるんだろうか」とか、
一人で何かを生み出す孤独の中にいて、
希望の道筋が見えなくて暗中模索っていう人は世の中にいっぱいいると思うのです。
そんな人たちに、
「たった一人が何かに突き動かされて熱中して取り組んでしまうことが、
いかにいろんなことを実現可能にするか」
を自らが示し希望の星となっているのが太平さん。
〔一人の心の中に生まれた何かに惹かれてやまない思いや、それを形にしたいという情熱こそが世の中の原動力〕。
そんな風に私も励まされている一人です。
ところで。
メガスターはもちろん素敵。
でも、近所にあるプラネタリウムは小さいし、星の数なんてぜんぜんたいしたこない、なんて思わないでくださいね。
星って「見る」ことと同じくらい「観る」ことも大切だと思うのです。
「観る」は「感じる」に置き換えてもいいかも。
それにメガスターの星の数に及ばなくても、小さいプラネタリウムであったとしても「満天の星々」という実感は間違いなく体感できるはずです。
それに、よほど恵まれた条件のところに住んでいる人でない限り、
庭やベランダにでたら満天の星、なんてシチュエーションは少ないはず。
たいていは、ぽつんぽつんと明るい星がいくつか見えて、
すこし目を凝らすと、あそこにもあるのかなというくらいかすかに見える星があって。
暗闇に目を慣らしていくと、さっきよりももう少し星が見えてきて。
「なんだ、気づいていないだけであの星と星の間にも星があったんだ」
なんてもっともっと星をあちこちに探して。という感じではないですか。
星の数がたとえ及ばないプラネタリウムであったとしても魅力はいっぱい。
それは、さやかな星々の「瞬き」を感じる楽しさ。
ドームに浮かぶ小さな光の瞬きに気持を向ける時、
どんどん感覚が研ぎ澄まされていくのを感じます。
心が澄んでいくのを感じます。
たとえていうと、「はまぐりの潮汁」の感覚。
潮汁って薄味だから、舌がだらけているとその味を感じ取ることはできないですよね。
積極的に味覚神経を集中しないと繊細な旨みを感じ取れない。
だからこそ、気持ちを研ぎ澄まして、一杯のお椀に向かう〔潮汁〕。
星の光が繊細なプラネタリウムはほんの小さな光でも感じ取ろうとする私達の力を引き出してくれます。
だから私は、自分自身が至福体験した凛とした満天の星空を瞬時に思い出させてくれるメガスターも好きですし、
星の光を愛おしいと思わせてくれるいろんなプラネタリウムも好きです。
(上の画像は刺繍でつくった牡牛座のVです)
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