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冥王星、格下げなっちゃいましたね。
遠くの小さな惑星(もとい元惑星)だったけど、アストロロジーでは結構大きな存在感を示していたんですよね。
一人一人のホロスコープには12の室があるのですが、
冥王星が何室にあるかはその人の気質を読み解く鍵でもあったのです。
個人的には国際天文学連合の記者会見の机の上にディズニーのキャラクターの黄色いわんちゃんプルートが居たのが気になりました。
もちろん、プルートは冥王星の英語読みから名付けられているからでしょうけれど、
あのアカデミックな席にプルートくんが同席していたの面白かったです。
さて今日は大宮にある「さいたま市宇宙劇場」に行ってきました。
(この一週間はもう何館かプラネタリウムを訪ねるのでプラネタリウムの話は後日まとめて)。
さいたま市宇宙劇場のロビーに、太陽系の惑星の模型が飾られていたのですが、
すでに冥王星のところにその姿はなく、
かわりに今回の惑星の定義の検討で惑星ではなくなった旨が書かれた立て札が。
プラネタリウムの方々は迅速な対応をされたのですね。
きっと、全国、全世界のプラネタリムや科学施設から、
いっせいに冥王星の模型が惜しまれつつ撤去され、かわりに張り紙になってしまっているのでしょう。
それを考えると冥王星くんがちょっと可愛そうになってきました。
(実は、さいたま市宇宙劇場さんでは少し前にこの展示物の冥王星をもぎとられてしまったそうです。
そこで、今回の格下げ報道を受け、あらためて張り紙を付けてご紹介されたのだとか。
冥王星をもぎとってしまった方は惑星ではなくなることを予見していたのでしょうか。
それとも冥王星マニア?)
ところで冥王星に関するしびれる小ネタが2chで披露されていたようです。
水金地火木土天海冥が会話をするというものですが、
その口調がまるで高校男子みたいで可笑しいんです。
「冥王星 グランドクロス 参加 木星 うぃ」で検索すると、
このネタを紹介しているブログがいくつも出てきます。
ニヤリ系がお好きな方はぜひ検索してみてください。
写真はさいたま市宇宙劇場のロビーの模型。
左から、土星、天王星、海王星ときて・・・
冥王星のところには早速、今回のことを丁寧に書かれた張り紙が。
星やプラネタリウムINDEXはこちら
ガガーリンの言葉とされている「地球は青かった」の原文探しの旅。
ダイジェストその2です。(その1はこちら)。
今日は品川の高輪プリンスホテルでのスペシャルイベントに行ってきました。
それは大平貴之氏のメガスターによる星の投影&大平さんからラブコールを受けたお二人の解説員よる星の生解説です。
ホテルの大きな広間にある白いエアドーム。まるで着陸したUFOのよう。
↑この美しいサファイアブルーの球体の中から宇宙が
昨日の続きでタトゥーについてもう少し。
t.A.T.uの何に惹かれるかというと、
1に楽曲。2に二人の声。
t.A.T.uの音楽を一言で表すなら「せつない疾走感」でしょうか。
「思い焦がれる」「闇を切り裂こうともがく」「はりさける」。
そんな世界がたまりません。
黒髪の尖った顔立ちのユーリャはパンチの効いた少しハスキーな声。
アグレッシブで怒りやひりひり感さえ感じさせます。
一方、金髪のレーナは、甘さの残るしっとりした声。のびやかな高音がはかなく消え入るニュアンスがいいです。
二人とも声質は基本的に近いと思うのですが、
アグレッシブ系とせつない系を帯びた絶妙な二つの声で歌うことが、
楽曲を奥深いものにしている気がします。
今日はt.A.T.u.のライブに行ってきました。
この土日、のべ10時間ぐらい電車に揺られたり、
炎天下で肉体労働をしたりとハードな生活だったので、その自分へのごほうびもかねて。
行ってよかったー(>_<)です。
場所は横浜関内のBAYSIS。小さなライブハウスです。
けれどコアなファン・タトゥーシカばかりのスタンディングライブ。熱気に包まれました。
マイクをもって歌うt.A.T.u.の二人とフロア最前列の人との距離は70cmほど。
時々、ユーリャとレーナは自分のマイクを最前列の方々の口元へ当てます。
そのくらいの近さ。
私とユーリャ、レーナとの距離は3メートルぐらいでしょうか。
ステージ後方のライトによって、レーナの腕の産毛が光ってみえました。
そのくらいの至近距離だったんです。
t.A.T.u.の二人とフロアーのすべての人がアイコンタクトできたと思います。
ファンにはたまりませんね!
今回のライブでは、ステージの後ろに映像などの演出一切ありません。
1時間弱をひたすら歌い突きぬけました。濃かったです。
大掛かりな演出や大きなコンサートホールより、
「素」でコアに勝負できる場所の方がだんぜん合ってます。
時折、楽器の音がハウったり、本人たちが音のバランスを気にしたところがありました。
2度ぐらい、歌の合間にステージから見て真正面(つまりフロアーの後方)にいる音響スタッフ?
にレーナとユーリャが手と目配せで合図を送る場面がありました。
その後、小さく親指を立てる(OKとの合図でしょう)ので音の何かを指示して調整してもらったかなとわかりました。
そういう時の二人の毅然としたまなざし、
OKの時の「よし!」というような口元を見ていると、
ちゃらちゃらしている、ドタキャンしてファンを大事にしないというイメージとはズレがあります。
20歳そこそこで若いけれど、アーティストとしての姿がありました。
歌を聴けたこと、二人の生の輝きをこの目で確かめられたことetc.うれしかったです。
残念なことが一つあるとしたら、ロシア語と英語バージョンがある歌はみんな英語バージョンだったことでしょうか。
だんぜんロシア語バージョンの方が響きが私は好きです!
さて、タトゥーというと、一枚のアルバムのメガヒットで日本を席巻しながら、
その言動でヒンシュクを買ったお騒がせユニット、一発屋って思われているのでしょう。
事実、東京ドームライブに一緒に行った友人もすっかり熱がさめてしまっています。
あの頃二人を仕切っていたプロデューサーの売り方、t.A.T.u.本人の言動や姿勢で引いてしまった方達に、
本当は違うなんて、さらさら言うつもりはありません。
まわりが仕掛ける仕掛けないに関わらず、すべて20歳ぐらいで判断力のある二人自身の言動。
ですが、もし、
「タトゥー聴かなくなったのは音楽性の問題なんだよね。
2枚目のアルバム『デンジャラス・アンド・ムーヴィング』はパッとしなかったじゃない」
と言う方がいらしたら、いつか他の曲を聴かれる機会がありますようにと思います。
日本のユニバーサル・ミュージックで発売されているアルバムに未収録のいい曲があるんです
睡魔に襲われ、つづきは明日。
12日(土)は2尺玉あり、1万5000発の花火を見に行く予定でしたが、
2億尺玉を5000発ぐらいの大雷雨のおかげで雨天順延。涙を飲みました。
そこで16日、気をとりなおして神宮外苑の花火大会へ。
秩父宮ラグビー場。夕暮れ時の入道雲の陰影、薄いブルーからグレーにかわってゆく空、
アニメの背景画のように美しかったです。
タトゥーのミニライブでは二人は浴衣で登場。
やっぱりt.A.T.u.の歌って好き。
どこかひりひりして胸が疼くような感じがいいんです。
↑浴衣で登場
花火は都心の球場であげることもあって大玉はありませんが、
小技の効いた連発で会場を湧かせてくれました。
ゴールド系の花火が多かった気がします。
金色の折り紙が詰まったくす玉が空中ではじけるような。
松平健が別会場に登場していたからではないと思うのですが、
マツケンサンバを踊る時の金色浴衣のようにゴージャスにきらめく花火たち。
マツケンゴールドにメロングリーン、プラチナホワイト、メタリックブルーという絢爛な配色が夜空を飾りました。
ところで、意外だったのが、星がたくさんみえたこと(^o^)。
東京のど真ん中なのに。
花火の明るさに奪われた目でも打ち上げの合間、天を仰ぐと、夏の大三角etc.が見えました。
ところで花火と星ってすっごく縁があるってご存知でしたか?
テレ朝をつけて、「オーラの泉」が50分遅れでやっと始まると楽しみにしていた頃
友達から連絡がありました。
「NHKで今、ガガーリンのことをやってるけどみてる?」と。
私の頭の中には消しゴムと削除キーとBack SpaceキーとDelキーがあるようです。
宇宙飛行士ガガーリンの資料を追っていたのですが、
ちょっと間をあけるうちにいろんな記憶が薄れてしまいました。
そこで、私自身の復習と最近この「今日も星日和」へ訪ねてきてくださった方へのあらすじをかね、
カテゴリー「ガガーリン」で展開しているガガーリンの言葉「地球は青かった」原文探しの旅を簡単にまとめてみます。
「ゲド戦記」を今日見ました。
天下のジブリ作品という期待値からすると欲求不満なところは多々ありました。
ですが、この映画最大の功績は手嶌葵という存在を世に放ち、
その19歳の今の輝きをフィルムに永遠に焼き付けたことでしょう。
CMでおなじみの「いのちを大切にしない奴なんか大嫌いだ!」。
この高潔でそれゆえ傲慢になりやすいセリフを、
観客の心にすとんと共感持って届けることがでるのは彼女の声だからこそ。
もはや純粋無垢のエンジェルではいられず、
清濁あわせて包み込む母性のマリアにもまだなれず、
高潔なゆえ許せないものもあるという、大人の女性になりきる前の
19歳の輝き。天と生身の人間の間のような輝き・・・。
手嶌葵の硬質な、水晶のような光が、ヒロイン<テルー>を通して矢のように放たれていました。
CMで聴いていた「テルーの唄」も、この場面も観るためにもう一度映画館に行こうかしらと思う素晴らしさ。
まっすぐだけどどこか無防備な声が美しい草原に響きわたりました。
ただ、ストーリーなどには不満があります。
あまりにもストレートすぎました。
同時多発的にいろんなことが起こり、それが一つに絡み合ってクライマックスへと向かう、ということはなく、
ただひたすら直線的に話は展開します。
「前のあのシーンやエピソードにもう戻らないのですかー」と時折り言いたくなるくらい、一本線だったような。
そして、「命」「光と闇」などのメッセージも素晴らしいのですが、
観念的で、伝え方が直接的でした。
命について、登場人物が誰かにとうとうと語るのではなくて、もっと映画全体から香るものになっていたら、と。
たとえば、宮崎駿監督の『となりのトトロ』。
「自然を大切に」と登場人物が語るシーンはなかったと思うのですが、
それでも映画全体から<森っていいな><命は尊いな>という思いが伝わってきました。
『もののけ姫』のこだまとか、『千と千尋の神隠し』の坊のように
本筋とは違うけどキャラクターグッズとして一人歩きするような「遊びキャラ」が不在だったのも残念。
ジブリ名物の<空を飛ぶ快感>もあまり感じられませんでした。
一方、前出の手嶌葵さん以外でよかったところは、
まず風景。特に、葡萄色(マントとか風景)、茜色(マントや空、風景)、建物のくすんだレンガ色などの暖色が印象的でした。
この暖色系と空の淡い水色、草原の緑色のコントラストはこの絵の中に身を投じたくなる美しさでした。
そして、声のキャスト。
誰がやっていてるのか知っていてもその役者の顔が前面に浮かんでしまうような「我」は感じられませんでした。
実は一番ぐっときたセリフは、ハイタカのセリフです。
(ネタバレにはならないと思うのですが、気になる方は読み飛ばしてください。)
「わしらが持っているものは、いずれ失わなければならないものばかりだ」と語ります。
このあと続くセリフも難しいものでしたが、私自身は、「苦しいこと」も天からの贈り物であり、
一方、大切なものを失った苦しさを忘れてゆくことも天の慈悲であるという意味だと受け取りました。
このセリフの時だけ、私は菅原文太の顔を浮かべました。
どんな思いで口にしたのだろうと。たしか菅原文太は息子さんを、
どうしてそんな形で命を落とさなければいけないのかという状況で失っているですよね。
菅原文太さんはどんな思いだったのだろう。
このセリフが自分自身へのメッセージともなって、少しは苦しみを減らすことができたら、なんて僭越ながら思いました。
『ゲド戦記』の特集番組を見ていなかったので、パンフレットを見て知ったことが2つ。
一つは宮崎吾朗さんが初監督をされたいきさつ。
吾郎さんの立場だからこそ、アレンにだぶらせて語れる叫びがあったわけですから、
そこに切り込んだエネルギーで、これからもがんばってほしいです。
もう一つ知ったのは、手島葵起用の発端が鈴木敏夫プロデューサーが、
彼女が歌う「ローズ(The Rose)」のデモテープを聴いたということ。
「ローズ」といえば多くのアーティストがカバーしていて、ベット・ミドラーでもおなじみのあの「ローズ」です!
頭の中で瞬時に、「ローズ」のドラマティックなメロディーと、
それを手嶌葵が透明感ある歌声で歌い上げずに抑えてトツトツと歌う様子が浮かびました。
そして、鳥肌がたちまくりました~。
人間の想像力ってほんとーにすごいし、便利!
まるで、梅干を想像するだけでごはんが食べられる、というように
頭の中で即座に手嶌葵版「ローズ」を実現させ、感動できるんですもの。
実は、彼女はテレビで2度ぐらいローズを歌ったそうですね。
しかもアカペラで。見逃しました。
やっぱり想像だけじゃなくてリアルに聴いてみたいものです。
追記/パンフレットを読み返したせいか、日が経つにつれ、この映画に対するふつふつとした思いが強まっています。
パンフには映画で使われたと思われるセリフがいくつも掲載されていますが、
ほとんどが活字で読んでも一度じゃ頭に入らないものばかり。
これらを映画館で、活字のない耳だけの情報で観客が受け止めなきゃいけないなんてムリ!
また、テルーの「自分はテナーに生かされた」のセリフ。
映画の中でエピソードとしてきめこまかく[テルーがテナーに生かされた]ことを示さなければ、
この言葉も絵空事でしかありません。
難解で分からないセリフ、きちんと描写できずに言葉だけで済ませているから実感できないセリフetc.
もったいないとしか言いようがありません。
ちょっと偉そうですが、誰かが産みの苦しみの末、創った[作品」、
試行錯誤、挫折の繰り返してつかんだ「オリジナリティ」「スタイル」「実績」を
安易に「借りて」形にしてはいけない、と痛感しました。
でも、パンフであらためてホートタウンの建造物の薔薇色の美しさにみとれました。
最近、電車の中や街角で、ちっちゃなお子さん&60代以上の二人組という風景をみかけます。
きっと夏休みで帰省したお孫さんとおじいちゃん、おばあちゃん。なんだかみんなうれしそうです。
私は子供がおらず、小さな存在というと甥3人(今は大きく成長)だったのですが、
祖父祖母、叔父叔母から見ると、たまにしか会えない子供達って
いとおしくて、エネルギーのかたまりで、
再会するたびにその成長に驚かされる存在なんですよね。
小さい身体だけど、まわりにたくさんのしあわせをふりまく子供たちを主役にした素敵な本があります。
『小さなキミ』(小学館)。グリコ幼児のみものの広告が反響を呼び、出版となったもの。
全国のお父さんお母さんによるわが子フォト&石田文子さんの詩による写真絵本です。
本は「誰かの親だったり、子供だったりする人へ」という言葉からはじまります。
子育て経験者はどの場面も「うちもそう」「あるある」と頭をぶんぶん縦に振りたくなるでしょう。
特に気に入っている一つは、子供が芝生をタッタッタと駆けてゆく写真と添えられた
「駆けてく距離がひろがっていく。ちょっと、さびしい。でもうれしい」という詩。
足の拙さがなくなり速く走れるようになってゆく子供の成長。
親のそばにいないと不安がっていたのに、
何かに興味を奪われてどんどん先にいってしまう子供がたのもしくもあり、
さみしくもありという想いがわずかな言葉で表現されています。
写真家がこの世界を四角く切り取り、印画紙に浮かび上がらせるみたいに、
文章家が言葉で世界を切り取り、形にするというのはこういうことなのか、
と教わった気がしました。
現在子育て中の方はこの写真を撮った親の目でご覧になることでしょう。
けれど、子供に縁のない人にも手をとってほしい本です。
私の場合、子供(飼い猫)---親(私)に立場を重ね、激しく共感しました。
猫ちゃんたちも面倒をかけられて時には疲れさせられるけどたまらなくいとしい存在なんですよね。
そして本をめくっていくうちに、いつしか登場する子供たちに自分を重ねていました。
4歳ぐらいまでは日常のディテールの記憶はないけれど、
私も親にこんな風にあたたかいまなざしで見守られていたんだと、
ふんわりとあたたかいタオルケットでくるまれたような気持になりました。
そしてこの本を読んだあと、街を歩き、行列に横はいりのおっさんに出会ったのですが、
こんなおっさんでも昔はちっちゃな子供で、
『小さなキミ』の中の子供達のように誰かの大切な存在だったんだなあ、
と思うといらつかず、ちょっぴり許せる気持になりました。
『小さなキミ』が粋だなと思うのは巻末に「あなたの大切な写真を貼って下さい」と写真を貼り、
文章を書くスペースがあることです。
私が子育てにてんてこまいしている娘を持つおばあちゃんだったら、
エールを送るつもりでこの本をプレゼントすることでしょう。
ここに娘撮影による孫の写真を貼って、一世一代の詩を脇に添えて。
子育てって、目の前の現実から3秒も目を離せない、
常に5秒先に起きることを予測していなければならない、毎日が勝負ときいています。
「大変って言ってもすぐ親離れするから今のうちが花よ」なんて慰められても、
育児に疲れてしまっている方も少なくないでしょう。
もし疲れきってしまっている方がこの本を読んだら「そうだよね。
ま、がんばってみるか」なんてエネルギーが湧くかもしれません。
一人で背負ってしまって「親」の立場になりつくしている方は、
ご自身をこの本に出てくる「子供達」側に投影してみてほしいものです。
「子」に戻って、どうか自分を甘えさせてあげてください。
親のあたたかい愛にくるまれていたあののひとときに、しばし浸ってみてはいかがしょう、なんて思います。
t.A.T.uタトゥーの二人が、8月16日の神宮外苑の花火大会でライブをおこなうそうですね。
お騒がせデュオでひんしゅくをかった過去の人、
アルバムもヒットしたのは1枚だけの一発屋と思われがちですが、
日本で発売されていないアルバムに名曲があります。
それは「Белочка /ビェーラチカ(リスさんというような意味)」という作品。
テンポはスロー。二人の持ち味ともいえるアグレッシブさがかけらもありません。
歌詞は<女の子が男の子になるのは難しい。男の子が女の子になるのは難しい。
でも私はリスにならなれる?あなたはうさぎにはなれるかも>みたいな内容。
言葉が象徴的に使われているような、単語一つ一つの意味はわかるけど繋がるとわかりづらい「詩」のような歌詞です。
この曲の魅力は声と楽器(ヴィブラフォンっぽい音色)。
少し少女の甘さが残る声と、フォロンフォロンと響く澄んだ音色がすーと空に昇ってゆくようです。
秋の夜、空に昇ってゆく金木星の香りのように。
もしくはたくさんの白い羽が音もなく空から降ってきて積もってゆく、ような雰囲気。
実はこの曲、ロシアのサイトなどでフルで聴けたのですが、きちんとした音源がほしくてアルバムをゲットしました。
私が購入したのは『ユーゴスラビア』というアルバムです。
2曲目の「Защищаться очками/ザシシャッツァ・アチカミ(眼鏡で防御)」も、リピートして聴いています。
なぜかロシアの電車の「ドアが開きます、お気をつけください」みたいな電車のアナウンスが織り交ぜられている曲です。
ヴェーラチカは『Podnebesnaya No.1』にも2曲目に収録されています。
Podnebesnayaはロシア語でПОДНЕБЕСНАЯ(パドニビェースナヤ)天空のこと。
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台風7号8号9号がトリプルで日本列島に接近中です。
日本列島のどこかには必ず上陸してしまうのでしょうが、
進路にあたる地域に被害がでないことを願わずにいられません。
さて、ニュースなどでは7号・・・と通し番号で呼ばれる台風ですが、
きちんとした名前がついているのをご存知ですか。
ヤフーの天気コーナーなどでは名称も記載されているので
チェックされている方もいらっしゃることでしょう。
ちなみに7号はMARIA(マリア)。8号はSAOMAI(サオマイ)、9号はBOPHA(ボーファ)。
マリアなんて聖なる名前がついているのだから悪さはしないでほしいものですね。
ところでボーファの意味、わかりますか?
画像は今日の夕焼け。最初は黄色、その後「真オレンジ」。
私がオレンジ色のコンタクトレンズをはめちゃているの?というくらい、
ビルの壁も窓も、すれちがう人の顔や空気さえも視界のすべてが
オレンジ色に染まる夕焼けでしたね。
8月。郊外にいる人は、夜空で雄大な天の川や夏の大三角を楽しんでいらっしゃることでしょう。
残念ながら街の中にいると空が明るくてほどんと星が見えません。
でも、だからこそ楽しめる輝きがあります。明るいからこそ星日和。
それは「木星」。今の時期、他に星をみつけられないコンディションでも、
宵の南西の空にピカッと輝く木星をみつけられることでしょう。
みなさまは「木星」と聞いて何をイメージしますか?
ブログをはじめた時、テーマをある程度絞らなきゃと、
星やプラネタリウムやロシアのことを中心にしてフィギュアスケートについてははずすつもりでいました。
書きはじめたらきりがない気がして。
ですが、世界フィギュアも終わり、
年間で一番フィギュア熱がおさまる時期に太田由希奈の生演技をみてしまったこともあり、
今日もフィギュアの話題を。
稲の生育って速いものですね。
6月22日にご紹介した十日市場、恩田川のほとりのかも田んぼに行ってみると
すっかり、田んぼを埋めるように苗が育っていてました。
1ケ月前は鴨が泳げるくらい隙間があったのにもう、ぎっしりです。
暑い日差しの中ですくすく育って秋にはおいしいおコメとなるのですね。
22日のブログではあいがも農法の鴨かも、なんて書きましたが、
横浜あたりのたんぼではフリーの鴨が飛来するという話をうかがいました。
農法のために雇われている働きもののカモさんではなくて、
毎年ここをテリトリーに決めて訪ねてきたカモさんだったのかも(←ちょっとシャレです)。
今日、カモの姿は一羽もありませんでした。これだけぎっしり稲が育っていては水浴びもできませんものね。
会えるのはまた来年でしょうか。
カモ田んぼ その1 9月の田んぼ
昨夜は待ちに待ったドリームオンアイス2006の放映日。
7月17日に新横浜のスケートセンターに見に行ってからずっと心待ちにしていたのです。
しかし19時から放送がはじまっても20時すぎまで私は(`д´)や(´・ω・`)な気分でした。
それは太田由希奈が放送されないこと。
今回も浅田真央、安藤美姫中心の放送かと諦めきっていたころ、彼女の出番となりました(^o^)。
久しぶりに太田の演技をテレビ画面でみられてうれしかったです。
昨日8月1日は神奈川県新聞花火大会に行ってきました。
早くもこの夏2つめの花火です。
7月16日のブログでご紹介したポートサイド公園でみるつもりで
夕方、横浜駅に着いたのですが平日だからでしょうか。16日の花火の時よりも人が少ない感じがしました。
それで、もう少し会場に近いところもまだ埋まってないかも、と
とちのき通りを歩いてマリノスタウンを目指しました。
けれど、人の波はさらに先へと歩いていきます。
花火の打上げに一番近い臨港パークすらまだ行けるのかも。と、
国際大通りとすずかけ通りの交差点まで行きました。
一角がパシフィコ横浜になる交差点です(もう一角には縁日の屋台が並んでいました)。
多くの人はさらに臨港パークへと進んでいましたが、友人と私は帰り道の混雑と、
もし途中でトイレに行きたくなった場合、すぐ脇のMMタワーズ1Fのローソンのトイレが
便利なことを考えて、この付近でみることにしました。
18時から車両通行止め。道路に敷物を敷いて花火を眺めることができます。
けれどこのエリアに腰を落ち着ける人はまだわずか。
それだけ臨港パークのキャパが広いのか、
平日で人出の立ち上がりが遅いのか。
臨港パークをめざしてあきらめた人が交差点付近に腰を下ろしたのは
18時45分ぐらいになってから。19時ぐらいになるとさすがに
交差点の付近の道路や歩道も随分埋まってきました。それでも、
体育座りではなく、足を前に投げ出せるゆったりさ。
ぐんぐん昇って
パッとひらいて
ふりそそぐ~
花火の見え方もすっごくよかったです。
遮るものがなにもなく真正面に見えるんです!
真上に上がって火の粉が落ちる、というほどではありませんが、
普通に、花火大会の会場で見ていると言っていい臨場感と近さ。
斜め右前方にパシフィコ。右横に観覧車というロケーションなので、
横浜の夜景と花火をセットで見たい人向きではないけれど、
夜景よりも闇をバックにきちんと花火をみたい、
臨港パークの混雑はいやだけどできる限り近くで見たいという方には
最高のポジション。
金赤色の花火をがんがん重ねるのは王道ですが
やはりいいですね。闇に映えていました。
猫やめがねや星にハート。渦巻き。
にこちゃんマーク・・・いろんなバリエーションも。
面白かったのは空中に火の粉がとどまっている花火があったこと。
空にシュルシュルが昇っていって開いたかと思うと、
火の粉がスパークして消えるでも下に降り注ぐでもなく貼りついたようにぺったりとずーっと空中にとどまっているのです。
まるで夜空にカラフルなスプレーで落書きしたみたいでした。
これは蝶ちょ。
大きな球が開き、その中に
小さないろんな色の花火がいっぱいっていうのも見事。
花火って、上がっていく様子も楽しいですよね。
小さな火種みたいなのがぐんぐん空を昇る様子って、
水泳で飛びこんだ選手が
ずっと水中をもぐって泳いで(バサロ泳法)、
やっと水面に顔を出す時の感覚のよう。
「もっと上がれ。もっと先までいけ」って
上昇する火種を見て思ってしまうのですが、
「まだ空を昇るの。まだ行くの」って
びっくりするほど高いところまで上がった花火もありました。
ぐんぐん昇る。パッと開く。きれいーとみとれていると散ってゆくー。この3つが楽しいですね。
これはコスモクロック21にちなんだ観覧車?
放射状の線が描く円形のまわりに
まるでワゴンのように小さな花火の輪が12個ぐらい並びました。
帰りも人並みで身動きとれないこともなく、
普通に歩いて横浜駅まで戻れました。
花火が終わって20時15分過ぎにおもむろに歩きだして、20時40分にはJR横浜駅の改札口に到着。
初めて体験した花火大会なので、例年の様子がわかりませんが、
19時ぐらいでもあんな打上げエリアの近くで余裕でみられる花火大会なんてめったにありません。
平日の威力でしょうか。8000発なので隅田川などに比べたら打上げ本数は少ないですが、
尺玉もあがりますし、リキを入れずに近場まで行って楽しめる花火としては最高峰かも。
毎年必ず行こう!と決意しました!
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