カロリーナ・コストナー/美の神にみそめられた天使
ブログをはじめた時、テーマをある程度絞らなきゃと、
星やプラネタリウムやロシアのことを中心にしてフィギュアスケートについてははずすつもりでいました。
書きはじめたらきりがない気がして。
ですが、世界フィギュアも終わり、
年間で一番フィギュア熱がおさまる時期に太田由希奈の生演技をみてしまったこともあり、
今日もフィギュアの話題を。
カロリーナ・コストナーといえば、イタリアの女子シングルスケーター。
トリノ五輪での活躍を期待されながら結果が出せなかった一人。
けれど、フィギュアファンの誰もが、彼女こそ「長い手足」という表現にふさわしい、
そしてジャンプなど以外の滑るエレメントで魅せる選手であることを感じていることと思います。
トリノのエキシビジョンでもアヴェマリアで滑るプログラムが素敵でした。
両腕の下にフリンジがついている白いコスチューム。
それが羽に見えて、まさに氷上に舞い降りた天使。
手を挙げて滑るたびにこの羽が静かになびいていて、うっとりでした。
イタリアの選手なのにジュニアの頃から、どこか憂いを帯びた表情でしたね。
ほっそり&はかなげだけどしっかり鍛えられたアスリートの身体をしています。
アヴェマリア以外にもう一つ彼女のプログラムで印象的なものをあげると、
2004-2005シーズンのショートプログラム。
曲がはじまって最初のジャンプを飛ぶまでの25秒ぐらいは、いわゆる技というものはなくて踊るプログラムなのですが
その一つ一つのしぐさに、ほお!っと思えるセンスのいいものがあって、ひきつけられます。
踊る(滑る)ところで魅せてしまうところが太田由希奈に通じます。
この二人、なんとなく巫女っぽいなあと思うのです。
フィギュアスケート。なんのために滑るのでしょう。
もちろん観客を意識しないわけはないのでしょうけれど、
この二人は「お客さんに楽しんでもらう」ということや「自分が楽しく滑る」とかはいい意味で二の次かなって思えるのです。
楽しく滑るよりも、自分が描いている美の次元に自分が達し、それを表現できているかが大事。
そんな求道者みたいな一筋の想いが感じられるのです。
芸術の神にみそめられてしまい、踊りで美を表現して神に応えるため、一心に舞う。そんな風にみえます。
山岸涼子のバレエ漫画の名作『アラベスク』のクライマックスに主人公のノンナがピアノの伴奏なしで踊るシーンがあり、
その様子はバレエの先生の言葉を通じてこんな風に描写されています。
「この目ではじめて見る。霊感というものを・・・。
彼女はいま躍るということに自分のすべてを捧げているのだ。
音楽も観客も舞台もそして自分さえ これらすべてを滅却してはじめて到達しうる踊り。
私がどうしても教えることのできなかったもの。
いや教えることがどだい不可能なこの芸術の世界を彼女はいまつかんだのだ」。
神聖な美の源泉に触れたという至福体験をコストナーと太田由希奈はしてしまったんだろうなって思います。
(もちろん、太田やコストナーだけではなく、他のスケーターだれもが経験しているのかもしれませんがファンのひいき目?)。
二人は、楽しくなくていい。苦しくていいからこの領域に再び触れたいと思っているような気がしてなりません。
大勢の観客が囲む空気に緊張したり呑まれたりすることがあっても、
観客の目や反応が第一の目的ではなく、
リンクの上の方にある美のエーテルのようなおごそかな世界をいかに自分が氷上に降ろすことができるかに心が注がれている気がします。
だから、巫女っぽいと感じるのかもしれません。
ジュニア時代は太田由希奈が優勝で表彰台のまんなか、両隣りをコストナーと安藤美姫という場面が何度かありましたね。
それぞれが挫折や壁を感じた五輪シーズンを経て、
2006-2007シーズンにどんなスケートを見せてくれるのか楽しみです。
カロリーナ・コストナー Carolina Kostnerのオフィシャルサイトは こちら
(イタリア語だけでなく英語もあり)
2004-2005シーズンのショートプログラム曲は映画『country』のサウンドトラックから。
詳細は 「星と楽しむ音楽」のカテゴリーの12月7日のブログで。
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