2並び、それが合図
父が上の世界に行って、もう2年半以上になります。
私の年齢になると、両親が健在の人は少なくなってきていて、お父様を亡くされている方の方が多いです。
きっと、育ち盛りが戦争中だったこと、そのあと高度成長期に一番無理して働いた世代だったこともあるのでしょう。
同じような立場の女性と話をすると、決まって話題になるのが
「一人暮らしで父と離れて暮らしていた時よりも、今の方が身近に感じるよね」
「肉体がなくなっちゃうとどこでも出入り自由っていうか、いつ部屋覗かれるかわからないから、ちょっと恥ずかしいよね」
「いつ、部屋を見にきてもがっかりしないように綺麗に暮らさなきゃって思うようになった」
などなど。
私は特定の宗教を信じているわけではないのですが、
亡くなるというのは見えなくなっただけで存在する、と実感しています。
電磁波のように見えないだけなのだ、と。
父は生前、シンクロニシティとゾロ目がすごく好きな人でした。
時間表示が出るテレビ番組を私がみているところへ父がやってきて、
その時の時間が「5:55」だったりすると、ほら僕が来るといつもぞろ目だと歓んでいました。
飛行機のジャンボがなぜかものすごく好きで、
やはり朝テレビをつけて「7:47」だったりすると
必ず「セブン・フォー・セブン」と毎回条件反射のように口にしていました。
茶の間で何かを話題にしている時、たとえば「ちくわが~」なんて話題にしている時に、
テレビで「次の話題です。ちくわが~」なんて流れると、
「ほら、またシンクロだ」ってちょっと得意そうな顔をしたものです。
音楽が大好きで、病気になる前から、自分のお葬式には音楽を流してほしい。
まずマーラーの5番のアダージョと私たちに語っていました。
病気になってから、同じくクラシック音楽仲間(とくにマーラー好き)の無二の親友が遠方からお見舞いにきたりいろいろ尽くしてくださったのに、
その親友の方が先に逝きました。
父の親友も自分の死期を知って、奥様に事前にお葬式にはこれをかけてほしいと頼んであったそうです。
その告別式から戻った父の一言が
「マーラーのアダージョを彼は使わなかった。ブルックナーだった(もっときちんと作曲家と曲名を私はきいたのに今ど忘れ)。
亡くなる時はアダージョを聴きたいという気持ちにはならないのかもしれないな」。
父のぼそっとかみしめるような、
「亡くなる時はアダージョを聴きたいという気持ちにはならないのかもしれない」の一言は、
<自分はその時がきたらどういう心境になるんだろう>と近いうちに起こることと考えている様子がうかがえました。
私自身はあのアダージョはすべてが浄化されて心やすらかに、
おごそかなレクイエムの雰囲気がして音楽で追悼するのにふさわしい気がしましたが、
やすらかにというのは送る側の願望であって、
きっと当事者はそう簡単には自分の死を受け入れられるものでもないんだな、
という気持ちにもなりました。
私も別れを覚悟をしなきゃいけない日が近いんだわと思うと同時に、
父も自分の時に流してほしい曲が変わるのかもしれない、なんて漠然と思ったのでした。
そして、覚悟の日がきてしまったわけです。
ものすごく哀しいのと同時に、私は自分の役目を果たさなきゃ、ときりっとした気持ちでもいました。
母と親戚がいろんなことをやっているなかで、私は音楽班。
告別式で流す音楽編集係が任務。
父はなんの曲をかけてほしいと残したのだろう、と遺品を捜してみると。
どこにもメモがないのです。
生前、「告別式でかける音楽のリストあるよね?」なんてまさか訊けませんでした。
暗黙の了解ですぐわかるところに残してくれていると思ったのに、ナイ。どこにもナイ。
急きょ、私は自分自身で、父が好きだった曲を編集することにしました。
父のぼそっとした一言が気になっていたけれどマーラーのアダージョは入れて。
あと欠かせないのは、グノーのアヴェマリア。
この曲のピアノは結構簡単なので、よく私が弾いて、父が歌った、という思い出の曲です。
(ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番も共通の思い出の曲なのですが、これはドラマティックすぎるので却下。)
グノーのアヴェマリアをインストルメンタルで仕上げたアルバムを持っていなかったので、
急きょツタヤから借りました。
2枚。
どっちのアレンジがいいかなあと、パソコンのトレイにセットしたCDを聴きくらべ。
上の方を見上げて、「どっちのアレンジが好みかなあ」なんて思っても答えは返ってくるはずがありません。
と思ったら、なんと。
Windowsメディアプレイヤーの表示をみてびっくり。
片方のアヴェマリアが22曲目だったのですね。
トラック22という表示。
そして、時間表示が、22日2時22分22秒だったのです。
(慌てて携帯で写真を撮ったら2時22分22秒だったというよりも
取り込んだ時間の表示がずっと出ていたんだと記憶しています)。
ここまで2尽くしになるとは。
私は父のことをずっとパパと呼んでいたのですが、
思わず上を見上げて「パパったら! こっちね。こっちがいいという意志表示ね」
って言ってしまいました。
茶目ッ気っぽく
「ほら、僕はいつでも合図を送れるんだよ。だからさみしがるな」と語ってくれたようにも思えました。
以来、ふと気づくと、ゾロ目、とくに2尽くしの時は父が何かしら送ってくれている合図、という気がしてなりません。
何かAかBで迷う時、そこにまつわる数字が2尽くしの時が結構あります。
これだけ意識していたら2時22分とか22時22分なんて毎日目にできるじゃない?
と思われるかもしれないのですが、不思議とそうではないのですね。
パソコン打ちながら、時間表示が22:21になってるからもうすぐ22:22だと思っても
意外にけろりとわすれてしまって22:22を見逃したりします。
きっとそれぞれのお家で、姿がない誰かの存在を感じる時のシグナルってあるんだと思います。
たとえばその人が食いしん坊の人だったら、
冷蔵庫がバタンと開いたような音が聞こえた、っていうのがシグナルだったり。
なぜ、今日はこんな話になったかというと、
今日いただいたメールの一つの受信時間が22:22だったので。
何か父がそばにきている気がしたからでした。
上の画像には曲名 トラック22 という文字が。
下の画像には2004/03/22 2:22:22の文字が。
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初めまして。 おんぽたんぽと申します。
ガガーリンの「地球は青かった レーリヒの
絵のように」で、検索をしていましたら、
こちらに辿り着きました。
私のブログ「笑店」でも、ご紹介させて頂きたい
お話が沢山あり、その内の一つ、星と楽しむ音楽を今日、日記に書かせて頂きました。 とても
素敵な曲を教えて下さって、どうも有り難うございますm(_ _)m
勝手にご紹介してしまって、済みませんでした。
また遊びに来ます。
投稿: おんぽたんぽ | 2006年10月17日 (火) 08:02
おんぽたんぽさん。はじめまして。宇宙飛行士野口さんが本の中で、ガガーリンが「レーリヒの絵のように」と書いていることに興味を持たれ、そしてそれを検索して「今日も星日和」に出会ってくださったこと、とてもうれしく思います。
おんぽたんぽさんのブログ「笑店」でご紹介いただけてうれしいです。
「笑店」早速訪ねさせていただきました。おんぽたんぽさんがいろんなことを抱えながらもアート、人、さまざまなことに心のアンテナを張っていらっしゃることが感じられました。とても興味深い、そして心がじーんとして、元気をいただくブログですね。
子供達がお座布団から舞い上がる埃がキラキラしているのをうれしがる、そのことにまなざしが届くおんぽたんぽさんの感性も素敵ですし、合唱曲大地讃章もすごく聴いてみたくなりました。
じっくり何度も訪ねさせていただきます。
投稿: emi | 2006年10月17日 (火) 12:54
時々、拝見していましたが、初めてコメント入れさせていただきます。emiさんのぞろ目がお好きな訳が初めて分かりました。お父様の残されたメッセージ、素敵ですね。
投稿: みお | 2006年10月19日 (木) 23:27
みおさん。初コメントありがとうございます。私がぞろ目に反応するところ、みおさん、気づいていらっしゃいましたか。そうなんです。2並びが特に父からのメッセージっぽく感じています。ちなみに祖母は「あんみつ」がキーワードかなと。みおさんも何かまわりの方で感じていらっしゃるものがあるかもしれませんね。
投稿: emi | 2006年10月19日 (木) 23:47