父とアヴェマリア
身内の話になってしまいますが、10月15日につづき、父の話題を。
意識ってなんだろ?音楽の力ってすごいってあらためてみつめなおした時のことを。
昏睡状態の時、人は音楽を楽しめると思いますか?
昏睡状態とは、完全に意識が失われ、こんこんと眠っており、刺激に対して反応しない状態(by大辞林)だそうです。
つまりどんなに呼びかけても反応しない状態のこと。
病室に私が駆けつけた時は、父はほとんど意識がなく、
看護師さんが「聞こえたら右手を握ってください」といっても反応はありませんでした。
それでも「耳だけは最後まで知覚できるんですよ」と看護師さんからうかがい、私たちは何度も呼びかけました。
目ももう見えていないようなのですが、一瞬私の顔を捉えたような時もあり、
私が歌を歌うと片方の目から涙が流れたこともありました。
けれどこれらの反応がある間は、意識がなくなっている昏睡状態とは言いません。
すべて手を尽くし、やがて昏睡状態が訪れました。
それまでの苦しそうだった様子とはかわり、静かになりました。
呼吸確保のためにつないでいるチューブや点滴やらいろんな管と装置が、
シューパー、シューパーと静かに間断なく病室内に響く音が聞こえるのみ。
親の危篤となると、もっと切迫して
「あなたー」とか「おとーさーん」と泣きじゃくったりわめいたりするのかなと思っていたのですが違いました。
父の身体はどんどん末端から冷えていきます。
どんなにさすってもあたたかくなることはないのだけれど、
母と姉と一緒にその手や足をさすったり、
私が耳元で父の好きだったアヴェマリアや野ばらや早春賦を歌うというなんだかのどかなおだやかな時間を過ごしました。
時々みんなで呼びかける時も悲壮感持って「パパ!」というのではなく、
寝ている人に呼びかけるみたいに「パ・パ」と囁くかんじ。
私たちはごくあたりまえの日本の家族。
久しぶりにあった時に親子でハグ、なんてありません。
『父の身体にきちんと触れるなんて小さい頃の肩車や、ひざのうえの抱っこ以来だなあ』なんて思いながらさすりました。
父を中心に母と姉と4人で父の身体に触れてひとつにくっつくという尊さをかみしめながら。
やがて、薬がまったく効かず、あとは最期を迎えるのみとなり、
その<時>を知るために、心電図や呼吸を測る機械が病室に運びこまれました。
家族の心境は昏睡状態にある方の年齢、病状などによって違うでしょう。
回復の望みがある人、予期しない危篤の人の場合はもっと必死に回復してほしいと思うはず。
私たちの場合は、闘病生活の末ということもあり、
7時間ぐらいに及ぶ昏睡時間は、無念、ではなく静かに父の命が燃えつきるのをみんなで見届けるための時間となっていました。
どんどん末端から身体が冷たくなっていく様子は、
まるで真っ赤に燃えていた石炭が端から少しずつ黒くなって、命の炎が小さくなっていくというかんじ。
機械のモニター画面が父の心拍の様子の波形と呼吸数を表示しました。
乱れています。
ところが、私が耳元でグノーのアヴェマリアを歌ったら・・・びっくりなのです。
不安定だった波形が規則正しい波形に戻たのです。
まるで私の歌に拍子をとっているかのように、きれいな波形を心電図も呼吸数も描くのです。
父とは最期の会話もできませんでしたが、
その波形を見て、父が「アヴェマリアはやっぱりいいよなあ」と言ってくれているような気がしました。
私がピアノで弾くアヴェマリアで父が歌った時のように、
私の声(どちらかというと歌がへたっぴですし、声楽家のようにろうろうと歌うわけではなく、あくまでも耳元で口ずさむ)に合わせて、
モニターの心拍数の波で拍子をとってくれているという合奏をしている気持ちになりました。
一度、やむおえず、私が病室を出たことがありました。
すぐに姉が、「急変」と呼びにきました。
慌てて病室に戻るなり、また私がアヴェマリアを耳元で歌います。
すると奇跡のように心拍数も呼吸数も乱れがなくなり数値があがりました。
心拍数が50ぐらいからスタートして少しずつ減っていって、2
3になったり108になったりと激しく揺れ動いていたのですが、
53という通常の人のような数字に戻ったのです。呼吸数も。
昏睡状態って意識はないというけれど、
これは父の魂に音楽が届いているっていうことじゃないかと感じました。
完全な昏睡状態でもう意識がないといわれたあとも、
どこか父の意識みたいなものが部屋に充満している感じがしました。
外はいつしか季節はずれのぼたん雪。
窓の外を白いふわふわが音もなく舞い降りています。
病室内はアヴェマリアと「パパ」の呼びかけとシューパーシューパーの音。
こんなにおだやかでいいのかと思うほど、
静かでおごそかで満ち足りたひとときを過ごしました。
残念なことは、朝の9時過ぎに、近くで工事がはじまったこと。
病室にドリルの騒音が響いてきます。
父は工事の騒音が人一倍嫌いで、近所から工事の音と振動があると不機嫌になる人でした。
ドリルの音がするとモニターの波形が乱れます。
「がまんできないんだよね。最期にこんな大嫌いな音をきかせてごめんね」
と何度も耳元で言って、騒音に負けずとアベマリアを歌いました。
ドリルの騒音の中でも私が歌うと波形が少し戻るのですが、
どんどん、乱れるときのほうが多くなって、数値が下がって、最期を迎えました。
父に関しては、闘病中のことで悔むことが多いのですが、
最期に親娘4人で過ごせたあの時間は宝物だと思っています。
今思い出しても、しあわせなひとときでした。
すごく哀しいはずなのに。
そういうこともあって、アヴェマリアは父には絶対欠かせない曲。
告別式に流そうと思ったのです。
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先日は、とても丁寧で綺麗なコメント
有り難うございました。^^
お父様との素敵なお話も、
ぐっと胸を打ちます。
音楽の溢れ出るご家庭でお育ちに
なったのでしょうね。
グノーのアヴェマリア、
聴きたくなりました♪
投稿: おんぽたんぽ | 2006年10月24日 (火) 10:03
おんぽたんぽさん。こちらこそ温かいお言葉ありがとうございます。
音楽の溢れる家庭でしたが、アヴェマリアを家で楽しむ時も私(ジャージでピアノを弾く)、父(パンツとランニングと腹巻で歌う)みたいな姿が多く、ゴージャスなレースのカーテンとお紅茶、そしてクラシック音楽、っていう一家ではないんですよ(*^。^*)
グノーのアヴェマリアでとてもぐっとくるCDがありますので、近日ぜひご紹介させていただきます。
投稿: emi | 2006年10月24日 (火) 13:17