それをやることがよろこびであることが才能
書く才能があると思いますか、と尋ねられたら、私はハイとはこたえられません。
自分では客観的にわからないし、本を出版し、売上という目印があり、賞というレースもある、
というようなところには身をおいていないし。
でも、これだけは堂々と言えます。
書くことが好きで、毎日スクワットをしろと言われても続かないけれど、毎日書けと言われたらそれはできます。
書くことが日課になっても苦に思わない才能ならあります。
気分がすぐれない時でも書いていれば元気なる才能ならあります、と。
私は歌の才能があるのかしら、
踊りの才能があるのかしらって悩んでいる方もいらっしゃると思うのです。
歌の才能、踊りの才能っていうと、漠然としていて本人はなかなか自信が持てないもの。
そんな時は、
「落ち込んでいるときでも歌うと元気になる才能ならある」
「どんなに体調がすぐれなくても毎日躍りなら躍れる才能がある。
躍っていると調子よくなる才能がある」。
そんな風に少し置き換えてみてはいかがでしょうか。
以前、テレビでダンサーが体がなまるから毎日ストレッチを欠かさない、
キッチンに立っていてもつい体が動いてポーズをとっていると流しの前で足を上げているのをみました。
踊り神経というものがあまりない私にとっては、
身体がつい踊りを求めてしまうという人はそれだけでもう踊りの「性分」を与えられている、
それが才能ということなのではないかしら、と思いました。
それをやるのがよろこびである、ということは、
それでビジネスとして成功するというのは抜きにして、
ただそれだけで神様から与えられたギフト「天賦の才能」と言っていいのです、きっと。
そして自分に与えられた性分に感謝しながら、それを楽しんでいきたい、と思うのです。
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emiさん、ご無沙汰してます。紫乃です。
ブログ開設一周年おめでとうございます!
せっかくなので22時22分にコメントを送らせて頂こうと試みたのですが、送れたでしょうか。
今日は、初めてemiさんのブログを読んだ時から思っていましたが、あらためて言う機会がなかった感想など。
私はemiさんの文章のファンです。
すんなり読めて素直に頭に入ってくる、読む人に優しい文章。読みやすいということは客観性と、無意識にしても読み手に対する思いやりがあるということだと思います。
そして、話題も豊富で趣味の良さが自然に滲みでているので、「今日も星日和」から帰る時は、自分も少しだけ磨かれたような気持ちです。
「それをやることがよろこびである才能」。素敵な言葉ですね。
そういう意味での自分の才能を考えると、それは感動する才能、何かを感じる才能かと思います。
本でも舞台でも絵でも、日常の些細なことでも。
「今日も星日和」は自分のそんな部分をフル稼働させてくれる場所です。
これからも更新を楽しみにしています。
投稿: 紫乃 | 2007年2月22日 (木) 22:22
紫乃さん。コメントありがとうございます。そして見事に2が並んでいま~す。2が7個も。粋なはからいうれしいです!!
文をほめていただきありがとうございます。そして私自身、みなさんのブログを訪ねさせていただいて、素敵なことに触れさせていただいているので、同じことが私もできたらって思っていました。「ブログから帰る時に自分も少し磨かれたような」なんてお言葉をいただくと、ほ~んとにうれしいです。
「感動する才能」「感じる才能」があるって気づかれている紫乃さん、素敵なことだと思います。感動こそが美容と健康の最大の素と確信しています。
紫乃さんのブログ「小さな星」もいろんなジャンルに素直に心を動かされているご様子がわかります。「かさねのいろ」。紫乃さんが「小さな星」で紹介されているのを拝見して知った本です。以来、興味そそられているのですが、なかなか書店ではみつけられなくて。近々、図書館含めてもう一度探してみようと思っています。
投稿: emi | 2007年2月22日 (木) 23:30
emiさん、こんばんは。
emiさんの文章からは書くことの喜びが溢れていて、読む度に感動してしまいます。私の知らない星に纏わる世界に誘ってくれる魅力的な文章。常々エッセイ集を出されたらよいのではと思っているのですよ。emiさんの素敵な世界をPCを使わない人にも分けてあげたい気がします。才能という話をするならemiさんは確実に文才があります!
投稿: さる子 | 2007年2月22日 (木) 23:55
さる子さんからありがたいお言葉、うれしいです。
私こそ、「美しいこと」に溢れているさる子さんの『さる子のこんな毎日』が本になっていたらって思っています。
さる子さんのブログを楽しませていただく中で、着物、茶道、器など、「和の美」にむくむくと好奇心が湧いてきています。
生まれながらの日本人なのに、海外からの留学生のように「和のたしなみ」を知らない私です。「OH、粉引きッテナンデスカ~?」というくらい。これからもさる子さんのブログからいろいろなことを学ばせてくださいね。
投稿: emi | 2007年2月23日 (金) 00:18
ブログ開設1周年おめでとうございます。
それをやること自体がよろこびである…こういうものがあることは人生の中で大きな意味を持ちますね。
emiさんのように素敵な文章は書けないけれど、私も今の仕事を「やらなくていい」と言われたら腑抜けのようになってしまうかもしれません。
肩はこるし、目は痛くなるし、家事はたまるし、割がいいとはいえないし、才能があるとも思えない…でもこれがあることで幸せを感じられるのも事実かな…。
今日のエントリーを読んで、ちょっぴり元気をもらったような気がします。
投稿: シーカン | 2007年2月23日 (金) 23:39
シーカンさん。お祝いのメッセージありがとうございます。
シーカンさんの場合、「それ」は「中国語」でいらっしゃいますよね。家事はたまるし、割がいいとはいえないし、でもしあわせに感じる。それはもう「性分」であり「与えられたギフト」なのでしょう。
語学の場合は特に、世界何カ国もある中で、その言葉に惹かれた、そして挫折しないで資格を取り、仕事として続けてこられた、それだけでもう「才能」以外のなにものでもないでしょう。
ところでシーカンさん。ガガーリンって中国語でどう書くのでしょう。国立国会図書館には1961年当時の人民日報がなくて、中国でガガーリンのことがどう報道されているかまだ調べがまわっていません。
投稿: emi | 2007年2月24日 (土) 00:48
すごい! 中国語の文献もあたっているのですか?
ガガーリンは“加加林”Jiajialinだそうです。
今や中国も宇宙にロケットを飛ばす時代になりました。
ソ連のガガーリンは中国にとっても英雄だったでしょうね。
投稿: シーカン | 2007年2月24日 (土) 20:35
シーカンさん。ありがとうございます。加加林なのですね。
そうなんです。各国の文献もあたっている最中なんです。国会図書館ではルモンド(フランス)、ドイツの新聞、イギリス、アメリカ他をあたっています。中国では人民日報ではない新聞の1961年版はあったのですがまだ閲覧していません。
今のところ、ヒットはインドの新聞。意外にも詳しく写真入りで報道していました。
当時の中国ではガガーリンの扱いはどうだったのか。地球の青を中国語ではなんと表現しているのかなど、確認していきたいなあって思っているんです。
投稿: emi | 2007年2月24日 (土) 21:02