ホクレア号その2---祝福の星と出会いと
その1の続きです。プラネタリウムイベントのあと、
ぷかり桟橋に停泊中のホクレアを見にいきました。
決して大きくない細身の船でした。
この船で大洋を渡ってハワイから日本まで航海されたということのすごさを感じました。
一般の人が乗船体験できる日もあったようですが、昨日は関係者以外立ち入り禁止。
柵の外から眺めました。
日の丸とハワイ州の旗の隣にはこいのぼりがはためいています。
あとで知ったのですが、ハワイの沖、えひめ丸の事故で亡くなった方達の魂を載せるという追悼の想いがこめられていたようです。
(正確な詳細はホクレア号プロジェクトのHP他をご覧ください)。
ホクレア---うしかい座の一等星、オレンジ色のアルクトゥールスは今の時期、日本でもよく見えます。
明るい街の中だから20個ぐらいしか星が見えないなっていう時でもその一つにランクインしているくらい。
どうぞ北斗七星をたよりに探してみてください。
ホクレア。
タヒチから海を北上し、
4500キロ離れたハワイを目指す時、
ホクレアが天頂近くに来たら、
その下にハワイがあることを
古代の船乗りたちは知っていました。
だからこそ、ホクレア---よろこび(lea)の星(hoku)と名前がつけられたのでしょう。
船を漕ぎながら、この星を眺めていた船乗りたち。
少しずつ頭の上にホクレアが見えるようになってきて
よろこびに満ちた顔で天を仰いでる。
そんな彼等の笑顔が浮かんできませんか。
ぷかり桟橋でホクレアを眺めたあと、遅めのランチをして帰るつもりでした。
ところが、クイーンズイーストのパン屋さんのイートインコーナーで食べていた時
思いがけない出会いがありました。
隣の席の外国人の方から道を尋ねられ、
目的の場所を記した紙を見せていただくと、それはホクレア号のプロジェクトのパーティーの案内。
ホクレア号のナビゲーターを勤めているというハワイ人の女性のおばあさまと叔母様でした。
私が、知人が携わっているプラネタリウムイベントに行ってきたこと。
私自身もハワイをテーマにしたプラネタリウム番組を制作し、
ホクレアについてご紹介したことがあるということなどを話したり、
ホクレア号について盛り上がり。
このパーティーはプロジェクトに携わった方に限らず応援しているいろんな方が集まるからきっと大丈夫ということで、
私も急きょうかがわせていただくことになりました。
Elaineさん(左)とFaelynさん。
今回のホクレア号のナビゲーターという重要なミッションを勤めたハワイ人女性Kaiulaniさんのおばあさまとおばさま。
「ホクレア号クルーの彼女はハワイから5ケ月かかったけれど、私たちは飛行機であっという間に日本に着いたわ」と。
その3に続きます。
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