ホクレア号その4---星に導かれて
その3の続きです
Elaineさんから電話がありました。
今晩のパーティーにいらっしゃいませんかと。
孫娘のKaiulaniさんと私が日曜日のパーティーで会うことができなかったので引き合わせたいと。
私があまり英語が話せないので、
ホクレア号のプロジェクトの日本の関係者の方がElaineさんのそばで電話を代わってくださいました。
プロジェクトに関係ない私が参加していいのかしらと思ったのですが、
快くいいですよと言ってくださったこと、
私自身、カイウラニさんにお会いしたかったこと、
ホクレア号のクルーのみなさんやプロジェクトに携われた方々の交流の様子を拝見したかったので、
お言葉に甘えうかがせていただくことにしました。
横浜スタジアムに程近いミリオンズカフェでパーティーはおこなわれました。
ホクレア号のクルーとそのご家族とプロジェクトを支えたコアな方が中心。
とてもアットホームな雰囲気です。
日曜日には美しいブルーの花模様のドレスを着ていらしたElaineさんはこの日は緑色の地に花が描かれたドレス。
アロハシャツは日本の着物の柄がもと、と言われていますが、
どことなく日本的な雰囲気も感じさせる素敵な柄でした。
Faelynさん、Elaineさんの横浜での滞在のお話、
鎌倉を訪ねた話をきかせていただいているとカイウラニさんがやってきました。
素敵な女性でした。
カイウラニさんがホクレア号のクルーになろうと思ったきっかけは
学生時代にナイノア・トンプソンさんの講演を聴いて、インスパイアされたこと。
それからホクレア号のクルーになりたいとさまざまなトレーニングを積んで、そして10年がかりで夢が実現できたのだとか。
髪をきゅっと束ね、カジュアルなパーカー姿でホクレア号の魅力について語るカイウラニさん。
スポーティーで美しい女性でした。
↑左からFaelynさん、Kaiulaniさん、私。
一番右がElaineさん。
パーティーはホクレア号を応援してきた日本人ミュージシャンやクルーのみなさんの歌あり演奏あり。
そのあとは、ホクレア号のクルーから、
今回様々なサポートをしてくれた方々への感謝の挨拶と素敵なギフトがありました。
ホクレア号の額。
実際にホクレア号で使われた本物のロープが額一つ一つに納められています。
このロープには、絆を結ぶという思いがこめられているようです。
クルーの方々が一つ一つに
サインを記しています。
右下には、ホクレア号プロジェクトのテーマである
「One Ocean, One people」の言葉も。
↑カイウラニさんのお母様デニスさんがプレゼントされたものを
デジカメで撮らせていただきました。
日本人クルーの一人である内野加奈子さんが一人一人に感謝のメッセージを述べて、この額を渡されます。
面白かったのはかなさんが英語でみなさんに語り、それを外国人であるサムさんが流暢な日本語でみなさんに訳されることです。
「なんで日本人のかなさんが英語で語り、僕が日本語」と。
そのミックスぶりが面白かったです。
額をいただいた方々も、そのありがとうの思いを、
アロハ、マハロと語り、会を通じて日本語、英語、ハワイの言葉が飛び交う雰囲気でした。
心地いい歌声と演奏を披露してくださった日本人ミュージシャンはこのギフトをいただいて、
感激に目をうるませてこんなことを語られました。
ホクレア号がくるぞくるぞと、サイトを見てずっとチェックしていた。
そしていよいよ沖縄にホクレア号が来た時(夜中の1時か2時ぐらいだったとか)
みんなに電話連絡をまわしてよろこびを分かち合ったと。
日に灼けたまさに海の男という西村さんは、
「日本の海を守る男達がひとつになってホクレア号を応援してくれた」ってことを感激と誇りあふれる面持ちで語られました。
ホクレア号が沖縄、宇和島などを経て、横浜に辿りつくまで、横浜での歓迎セレモニーなどの写真もみさせていただきました。
横浜到着直前の七里ケ浜の海の中にホクレア号がいる写真も印象的でした。
たくさんのサーファーや海の男たちが、海の中から身体をだす形で、ホクレア号を囲み、歓待していました。
ナイノア・トンプソン氏。講演も大人気だったそうですが、私はうかがっていなかったので、姿を知りません。
これだけのプロジェクトとクルーを率いるリーダー。どんな方かしらと思っていました。
ものすごーく日焼けしていらっしゃいましたが、ガタイがいいごっつい屈強な男。
という雰囲気でなかったことが意外でした。
お話を直接うかがってはいないのですが、宇宙飛行士の毛利衛さんにどこか通じる静けささえ感じました。
並大抵ではない肉体的、精神的なタフさやサバイバル能力を持ち、
情熱を持ち、その熱さで多くの人をプロジェクトに惹き込むカリスマ性を持ちながら、
漂わせている静けさにとても惹かれました。
私自身は2002年ぐらいにホクレア号のことを知りました。
けれど、今回のプロジェクトをホクレア号がハワイを出航してからずっとサイトで追っていたというわけではありません。
プロジェクトにかかわっていたわけでもありません。
その私がこの場に居合わせている不思議さと有難さを日本人としてホクレア号に途中から乗船された池田恭子さんにお話すると、
恭子さんは、私がホクレア号に乗れるようになったのもひょんなことなのとおっしゃいました。
翻訳や通訳などがお仕事の恭子さん。
ホクレア号を以前から知っていたけれど、まさか乗れることになるなんて、と。
ひょんなことで、というのは謙遜でしょう。
乗ることに値する様々な能力や資質を身につけ、情熱や努力や彼女自身のビジョンなどがマッチして、
貴重な体験を自らつかみとることができたのでしょう。
それでもいろんな巡りあわせで、引き寄せられたその縁をありがたく思っていらっしゃるのが伝わってきました。
クルーとの再会を楽しまれ、感謝の言葉を述べ、
そしてクルーの方々からも感謝のメッセージで迎えられている恭子さんをみて、ホクレア号の魅力を一層感じました。
ホクレア号のクルーのみなさん、その家族、プロジェクトに携わった方々が、
まるで大きな一つの家族のようにしてわきあいあい。
そんな中にまじえていただきながら、
私も、次回のホクレア号の時は、なにかお手伝いをしたい!と小さな野望をいだきました。
もちろんクルーになるなんて、20年トレーニングしても無理だと思うのでその夢は来世に持ち越して、応援側スタッフとして。
そのために、今の自分とはかけ離れたことを始めるのではなくて、
今まで私が培ってきたもの、今伸ばしていきたい能力などを高めていく中で、
それがプロジェクトの小さな一つに役立てれば、それにまさるよろこびはないですよね。
私を誘ってくれたのはクルーのご家族。彼女たちもホクレア号に乗っていたわけではありません。
けれど、ひょんなことで出逢った私を誘ってくれた。
まさに彼女たちは私をホクレア号という素敵なプロジェクトに導いてくれれたナビゲーター。
One ocean, One people.
クルーだけではなく、ホクレア号を愛するまわりのすべての方が、
その魅力をみんなに伝え、一緒に分かち合おうとしているのを感じます。
きっとこれからもホクレア号は多くの人の夢を乗せ、
多くの人を繋いでみんなの心を中を渡ってゆくのでしょう。
そうそう。ホクレア号のクルーからこの日の会場、
ミリオンズカフェさんにも額がプレゼントされました。
お店にいけば、拝見できるかもしれません。
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Emiさん、
池田です。とても素敵なブログですね!先日はお会いできることができてとても嬉しかったです。
天空と海はつながっている。星を見上げることで、海と自分とみんなと深いところでつながっていく。そんなふうに思います。これからも宜しくお願いしま~す!
投稿: 池田恭子 | 2007年6月26日 (火) 00:45
池田さん。ブログもご覧いただきありがとうございます。先日はお会いできてとてもうれしかったでした。
<星を見上げることで海とみんなと深いところでつながっていく>
素敵ですね。きっと、クルーのみなさんと同じ波にゆられて星を見上げながら恭子さんが心の奥から感じ取られたのでしょう。
ぜひこれからも貴重な体験きかせてくださいね!
投稿: emi | 2007年6月26日 (火) 21:15