猫の一分(いちぶん)---20年の天寿をまっとう
実家では私が4歳の時から猫が絶えたことがありませんでした。正式に飼ったのは初代の1匹だけ。あとは、【猫好きな家庭一覧。迷ったらここにいけ】と、『ニャーニャーミシュランガイド』にでも書かれているのかと思うくらい、次から次へと猫がやってきては居つきました。
複数の猫がいつのまにか我が家の猫となり、そして近所の猫ちゃんたちが通い猫として遊びにきていました。
その愛すべき通い猫の一人、いえ、一匹が「よねちゃん」。
小柄で丸々ころんとした近所の猫ちゃんです。横文字のスタイリッシュな名前のペットが多いこの時代に、「よね」と古典的な名前の持ち主。
あどけない可愛い子猫と「よね」というおばあさんみたいな名前のミスマッチが面白く、口にする度、おばあちゃんと一緒にいるみたいでほのぼのとした気分になりました。
Tさんの家で飼われていたので、フルネームは「T・よね」。
私の父がある時、近所の病院に受診に出かけたら、「Tよねさん」と受付で声がして、おばあちゃんが診察室に入っていったとか。同姓同名の人間のおばあちゃんがやっぱり実在していたかと可笑しくなりました。
よねちゃんは、我が家に縁側から訪ねてきては青いじゅうたんの上でごろん。当時飼っていたシャム猫とも仲良しでした。時々他の通い猫と鉢合わせになる時は、自分の方が先輩、と威厳を示していました。
仔猫だったよねちゃんも私たち人間の実年齢をぐんぐん超えて、おばあちゃん猫となり、ある時から我が家にぱったりと来なくなりました。
去年、20歳(人間でいうと100歳近い高齢)になっていました。遠征して遊びにくる体力がなくなっていたのと、我が家が工事中で、フェンスも張り巡らされ入りづらい環境になっていたこともあるのでしょう。
そんなよねちゃんが先月1月30日、1年ぶりにひょっこり母の元を訪ねてきたのです。以前の面影はなく、やせ細っていたとか。この日、よねちゃんは、往年のように青いじゅうたんの部屋にあがり、母の前でごろんをしていつものようにしばらくくつろいだあと南側の家の方に行ったのでした。
母がよねちゃんを見送ったあと、Tさんから、よねちゃんがいなくなってしまったと聞き、家にやってきたこと、その後南の方に行ったことを伝えたそうです。
よねちゃんは無事発見され、Tさんの家に連れて帰られたのですが、Tさんが<よねちゃん発見>のお礼の電話を母にくださった時、母は、よねちゃんが相当弱っているということ、成人の日から食べ物を受け付けず、病院でもらった特製ミルクだけで生きながらえていることを知ったのでした。
Tさんは母に、猫は亡くなる時は遠くに身を隠すというけれど、きっとお世話になった方にお礼とお別れを言いたくてお訪ねしたのでしょう。最期にご挨拶に行きたいとよねが思うくらい可愛がってくださって本当にありがとうございますとおっしゃいました。
母はそんなよねちゃんの心に涙。私もそれを聞いて、Tさんの家を訪ねました。
2月2日のことです。
久しぶりに姿を見るよねちゃん。トイレがもう上手くできないということでおむつをしていました。確かにやせて、以前のコロンとした面影はありません。でも目はきちんと見えているようです。もともとニャーニャー鳴かない猫ちゃんでした。縁側にやってきても、鳴いたり、サッシをがりがりしないため私たちがしばらくよねちゃんの来訪に気づかないこともしばしばでした。
やせ細ったよねちゃんは私をみてもやはり無言でしたが、ちゃんとわかってくれているようでした。
2キロぐらいという体重の身体を抱かせてもらいました。暖かくくるまっている毛布ごと抱っこしたのに、以前のよねちゃんに及ばない軽さ。それでも私を見上げるその表情。確かな命の重さと長年生きたおばあちゃん猫の貫禄がありました。
この翌日からよねちゃんは腰も立たなくなり、6日に天寿をまっとう。20年の猫生を終えました。
人間よりもはるかに小さな頭。それなのにきちんと母や私の家に来たことを覚えてくれていて、命ぎりぎりの体力をつかって、最期のご挨拶にきてくれた。
武士の一分(いちぶん)ではないけれど、猫の一分を感じました。
20年、長い月日。我が家の飼い猫、近所の通い猫。いろんな猫たちが先にみんな逝ってしまっています。猫仲間のすべてを知っていた最後の生き字引よねちゃんもいなくなって、今、少しぽっかりした気分です。
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よねちゃん、人間のおばあさんと同姓同名がいたことといい、最後のご挨拶にきたことといい、猫ならありえる!と思いました。野生の部分が強いだけに、人の計り知れない部分がありますよね。ニャーニャーミシュランガイドっていう発想も可愛くて。
投稿: ポポ手 | 2008年2月10日 (日) 13:47
ポポ手さん。ありがとうございます。私は猫としか暮らしたことがなくて犬を飼ったことがないのですが、犬と猫じゃやっぱり違いますか。猫の方が野生が強いですか?
私は「たま」という猫を見取ったのですが、その最期の時と比べて、よねちゃんはまだまだ余裕がある、と母と私も願ったのですが・・・。それでも20年の猫生は私が出会った猫の最長寿です。
ニャーニャーミシュランガイドは本当にある気がします。以前、ゴリという猫が亡くなって一週間後にチャコという猫がやってきてそのままいついてしまったので。「猫好きなのに最近飼い猫が亡くなった家情報」が出回っていると思いました。
投稿: emi | 2008年2月10日 (日) 17:09
猫のほうが野生の勘が強い感じがします。慎重だし。犬はそれこそ人間に飼い馴らされてしまうところがあって、そこがまた犬の可愛さでもあるんでしょうが。
猫は有名な「夜の集会」がありますよね。その時、情報交換しているのかもしれないですね。
投稿: ポポ手 | 2008年2月10日 (日) 17:57
ポポ手さん。なるほど、犬には飼いならされたかわいさ、猫には野生の魅力があるのですね。
確かに猫はよく集会してます。そっかー。あそこで情報交換してるんですね。
猫の言葉がわかるニャンリンガルになりたい~
投稿: emi | 2008年2月10日 (日) 18:23