私流『戦争と平和』(トルストイ著)の読み方(その4)響く箇所を
その3の続きです。印象に残った言葉をいくつかご紹介します。
↑こちらは映画『戦争と平和』ではおすすめのセルゲイ・ボンダルチュク監督作品版。
ナターシャ役の女優も可憐。ロシアのオードリー・ヘプバーンといって過言なし。
さて、『戦争と平和』から印象的な箇所を少しご紹介します。
いずれも米川正夫訳 岩波文庫 1984版から。引用部分は青文字。私が略したところは(◇)印。
【第一巻】
≪第1部 第3篇 16≫
アンドレイ公爵が戦地で負傷し、地面に倒れながら敵の様子をみようとした時に目に飛び込んだのは高い青空の場面で。
『なんという静かな、穏やかな、崇厳なことだろう。俺が走っていたのとはまるっきりべつだ。』とアンドレイ公爵は考えた。『われわれが走ったり、わめいたり、争ったりしていたのとはまるっきりべつだ。(◇)この高い無限の空をはっている雲のたたずまいは、ぜんぜんべつのものだ。どうして俺は今までこの高い空を見なかったんだろう? 今やっとこれに気がついたのは、じつになんという幸福だろう。そうだ! この無限の空以外のものは、みんな空(くう)だ、みんな偽りだ。この空以外にはなんにもない、なんにもない。』 (p538~539)
【第二巻】
≪第1部 第3篇 16≫
ロストフ家のナターシャの描写。
ナターシャはなかば令嬢なかば子供で、どうかすると無邪気に滑稽だが、またどうかすると娘らしい魅力をおびてくるのであった。
この頃、ロストフ家には、非常に美しく非常に若い娘たちをもった家によくあるような、一種特別ななまめいた空気が醸されていた。これらの若々しい、感受性に富んだ、なにかに(おそらく自分自身の幸福にであろう)ほほえみかけているような少女の顔やいきいきした騒ぎを見、とりとめはないけれど誰にたいしても愛嬌のある、どんなことでもしでかしそうな、希望にあふれた若い女の囀(さえず)りや、歌や音楽などの脈絡もない音を聞いていると、ロストフ家に出入りする若い人は誰でも一様に、恋を待ちかまえるような心持ちになり、幸福の期待を覚えるのであった。 (p75~76)
この文章だけでナターシャのピュア、可憐さが伝わってきませんか。
≪第2部 第2篇 1≫
一つの考えが頭の中をぐるぐる回っているピエールの描写。
大切な頭のねじ釘がゆるんだようなぐあいであった。奥へ入りもしなければ飛び出しもせず、少しも縁へ食いこもうとしないで、ただおなじ穴の中をくるくるから回りしている。そのくせ、それを回さずにいられないのである。
(p113)
よくあるある、この感じ、たとえ方がGJと思います。
≪第2部 第3篇 22≫
ナターシャに恋をしたアンドレイ公爵の言葉。
全世界は僕にとって、ただ二つに大別されるばかりだ。一つはあの女(ひと)で、そこにはあらゆる幸福と、希望と、光が住んでいる。いま一つはあの女のいないところだ、そこには憂愁と、暗黒と……」 (p357)
≪第2部 第3篇 22≫
電撃的な恋。アンドレイ公爵の求愛にナターシャが応え、天にも昇る気持ちのはずだけれどアンドレイ公爵はこんな気持ちになります。男性心理がよく描かれています。
アンドレイ公爵は彼女の両手をとって、じっとその眼を見つめていた。もはや以前のような愛は、彼の心中に発見することができなかった。彼の心中で急になにかひっくり返ったようなぐあいであった。以前のような詩的で神秘的な希望の美感はなくなって、彼女の女らしくまた子供らしい弱弱しさを憐れむ心と、身も心もなげ出したような彼女の信頼にたいする恐怖と、永久に彼女を自分に結びつける苦しい、と同時に悦ばしい義務の自覚とがそれに代わった。 (p366)
【第四巻】
≪第4部 第1篇 14≫
容貌には恵まれないが宗教心が篤く謙抑な女性という設定のマリヤの恋の場面。
ロストフに対する恋は、もはや彼女を苦しめもしなければ、動揺もさせなかった。この恋は彼女の魂全体をみたして、もはや引き離すことのできない彼女の一部分をなしていたので、彼女はもう自分の恋と戦わなかったのである。最近彼女は、はっきりと言葉にこそ表わさなかったけれど、ある信念をいだくようになった。ほかでもない、自分は愛し愛されている体だという信念であった。 (p83)
≪第4部 第1篇 16≫
アンドレイ公爵の言葉。
すべてはただこの愛で結ばれているのだ。神は愛だ。したがって死は、自分という愛の一微分子が普遍にして永久な源へ帰ることだ。 (p101)
≪第4部 第4篇 17≫
ピエールが自分の冒険談をナターシャに語る場面。
彼は今これらすべてのことをナターシャに物語っているうちに、女性を聞き手にしている時にのみ感じうる、きわめて稀な幸福感を味わったのである。
ここでトルストイは「ただし」として、「女性」といっても智慧を豊富にしたいがためにとか、第三者に受け売りで話したいと思って女性が話を聞く場合や、その会話にうまく入り込んで自分が語る番にまわろうとするような怜悧な婦人はあてはまらないことを書いています。
男の言葉からすべて善きものを選り出して、自分の内部へと吸収する能力を賦与された、女らしい女が与える幸福であった。ナターシャは自分でそれと気がつかなかったが、全身ことごとく注意に化していた。 (p346~347)
戦争と平和というタイトルですが、聖と俗、嵐と平穏、神と人間、いろんな二元論を感じさせる作品。
幾人もの人間のドラマを内包してたゆとう<大いなる時の流れ>。
それが『戦争と平和』。
私流『戦争と平和』の読み方はこの(その4)で終わります。
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