『実隆公記(さねたかこうき)』の明応の大地震に関してです
2011年2月8日の続きです。
室町時代の貴族、三条西実隆は明応の大地震(明応7年8月25日/西暦1498年9月20日)を経験したことを日記『実隆公記(さねたかこうき)』に記していました。
さて、この地震の前兆現象はなかったのでしょうか。ざっとさかのぼってみると。
明応6年10月17日(西暦1497年11月20日)
暁天地震其動甚、驚聴了
<明け方に大きく揺れる地震があって驚いた>と書かれています。(『実隆公記』巻三下 p454)
翌日18日の日記には
地震占文借請傳奏見之、甚可愼事也と書かれています。(〃)
明応7年6月11日(西暦1498年7月9日)の日記には
今日地震以外也、水神動云々、占文之旨其愼不軽也、行二、宗高、宗祇等來、
自黄門母堂鯰魚一被恵之、其長三尺余、頗驚目者也(同 p534)という記述が。
意味はよくわからないのですが、地震は水神が動くと言い伝えられていたのでしょうか。鯰魚はなまずのこと。地震となまずの関係は室町時代にはもう語られていたということでしょうか。
大地震の直前、明応7年8月15日(西暦1498年9月10日)の十五夜の月に異常があったかチェックしてみましょう。
今夜月色誠得名者也(『実隆公記』巻三下 p551)
とくに異常はみられなかったのかなと思います。
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余震といえないかもしれませんが、
明応7年10月27日、28日に地震があったことが書かれています(同 p575)
明応7年閏10月28日(西暦1498年12月20日)では、侍從大納言殿と実隆が追言を書いています。
天変地動及度々、殊可抽精誠之由、同可令下知給候也、重誠恐謹言、
近日天変地動及度々、其愼不軽、自來月四日一七ケ日別而抽精誠、可奉祈天下安全、朝儀再興之由、可被下知神宮之旨被仰下候也、謹言 実隆
(同 p576)
古文漢文の心得がない私にはちんぷんかんぷんですが、抽精誠は<精誠をぬきんで>。
明応7年11月7日(明応7年11月7日)にも地震が起きています(同 p588)
※西暦は(ttp://maechan.net/kanreki/)のサイトで和暦から変換しました。
※『実隆公記』からの引用は青文字。
※一部、旧漢字ではなく入力しやすい現代の漢字に私が直しています。
上記のなまずと地震の関係の文章の正しい解釈を知りたいです。どなたかご教示いただければ幸いです。
(2011.3.20追記)下のコメントにあるように、高村さまが、上記の文章の現代語訳をしてくださいました。
大変ありがたいことです。意味がやっとわかりました(日本人なのに古典が読めずかなし~)
とても興味深い内容です。特に閏10月28日の書状は、日本の天下安全を祈るための働きかけの手紙だったのですね。
先日大震災が起こっただけに、実隆、当時の人のことも他人事と思えません。
高村さま、本当にありがとうございました。
2月27日に続きます。
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初めまして。興味深いお話ですね。素人なのですが、以下解釈してみました。実隆が鯰をもらったのは「鯰は地震を予知する」という俗信によると思います。ということは、その前提「鯰が地震に関係している・地震を起こしている」はもっと時代を遡れるかも知れません。
■明応7年6月11日
今日の地震はもってのほかだ。水神が動くとか。占いによれば慎みは軽いものではない。連歌興行に宗高・宗祇などが来た。中納言のお母さんからナマズが1匹贈られた。その長さは3尺余り(1メートル近く)、驚くことばかりだ。
※宗高と宗祇は連歌師ということで「行ニ」は推測です。
■明応7年閏10月28日
天変地動が度々あり、特に真心を尽くすようにとのこと、同じく指示が下されました。重ねて謹み申し上げます。
最近は天変地動が度々あり、その慎みは軽くない。来月4日より17日間特別に真心を尽くし、天下安全の祈りを奉げる朝廷儀式を復活させるよう、伊勢神宮に指示するようにとの仰せが下されました。
※前段は追記で、後段が本文だと思われます。
投稿: 高村 | 2011年3月20日 (日) 13:52
高村さま。はじめまして。
ありがとうございます。
訳していただいた言葉と原文を照らし合わせて、そういうことだったのかと目の前の雲が晴れた想いです。
地震があって、ナマズをくれた人がいるというのはやはり、ナマズが地震を教えてくれるという考えがすでにあったことがわかって大変興味深いです。
そして閏10月28日の文章は祈りをささげる儀式を復活させようということだったのですね。何か、政治家同士の文書をを盗み見したようなリアリティを感じました。貴族たちが、日本を守ろうと考えていたのですね。
大震災があったあとだけに、実隆や当時の人に共通するものを感じてしまいます
投稿: emi | 2011年3月20日 (日) 14:26