10代は勉強に部活にゾッコンでいいのです、「ひたむき」 それがまわりをも照らすエネルギー
東北関東大震災から2週間たちました。
でももう1ケ月半ぐらい経った気がします。
それだけ、いろんな出来事が起きてしまったからなんでしょう。
大学を目指す受験生は、ちょうど後期の試験直前。後期試験中止、延期の措置。
どのくらいの方達が影響を受けてしまったのでしょうか。
センバツ高校野球が始まりました。私は開催されてよかったと思います。
直接被災したわけではなくて、「支援する側」にいる高校生の方達へ。
「僕は今までのように受験勉強をしていていいのだろうか」
「のんきに部活をやってていいのだろうか」
「ボランティア活動とか他の人の役に立つ何かをしなきゃいけないのだろうか」
「自分のためだけにエネルギーを注ぐ私はエゴイストだ」。
と自分を責めたり、立ち止まってしまっている方はいらっしゃいませんか。
私は「決して自分を責めないで」と言いたいです。
子供たち(赤ちゃん~高校生)は自分のやりたいことを
(他人に迷惑をかけないで)思う存分に取り組んで楽しむ、それが一番の仕事
だと思うのです。
避難場所でも年配の方々が、子供たちの笑顔をみて元気が出たと語っていらっしゃるのをテレビで何度も拝見しました。
花は咲いているだけで私たちをよろこばせてくれます。
心をポォッと華やかにしてくれます。
同じように、子供たちは「生き生きしている」。それだけでいいのです。
「子供たちが生き生きとしている」。
このエネルギーこそ、原子力もかなわない世界最強のエネルギーだと思うのです。
具体的に「生き生き」って何かというと、
笑顔。
赤ちゃんの邪気のない笑顔も。
小さな子供のいたずらしたあとのちょっと照れくさい笑顔も、
何がおかしいのか大人にはわからないけれど、くだらないことでげらげら笑う笑顔もみんなエネルギー。
ひたむき。
一つのボールを追いかける。
大舞台の試合の一番大事な局面で一つのプレーができるようにするために、
何度も何度も、ひたむきに1つのボールを追いかける。
何度も何度も同じフレーズを弾けるようになるまで指を動かず。
そのひたむきさもエネルギー。
私はこの冬、図書館である受験生をみました。
勉強できる席の常連となった受験生。
特に顔立ちが「イケメン」というわけでもなく、大柄なわけでもないのに、ひときわ目立っています。
姿勢がいいから?と最初は思ったのですが、
ある時、彼の集中力オーラのせいだと、思いました。
真剣な顔つき。体育会系がボールが来るのを構える時の真剣な眼つきにまさるともおとらない顔つきで、
赤本やノートに視線を落としている、シャープペンを走らせている。
時には難問につまづいたのか眉間にしわを寄せている。
勉強しているだけなのに「輝いている」と感じました。
人は笑顔の時や今自分がどんな顔をしているのか想像するのも忘れるくらい何かに没頭している時、発光するのだと思います。
宮崎駿監督の映画『天空の城ラピュタ』で飛行石が輝くように。
そして、その輝きがおのずとまわりを照らすのだと思います。
照らされたまわりの人が、自分自身も光れることを思い出すかもしれないし、
ラピュタの飛行石から伸びた光のように、自分の行く道が差し示されたと感じるかもしれません。
でもそこまで意識はしなくてOK。
まわりの人を明るくしなくちゃ、とか励まさなきゃと思わず、
まず「自分の本分と思うことに全身全霊で打ち込むこと」
それでいいのです。
◆お小遣いを自分のことに使わず、半分、募金をした。
とてもいいことです。
◆電車に乗って、お年寄りや妊婦さん(最近はおなかに赤ちゃんがいることを示すキーホルダーのようなものをバッグにつけていることがあるので気づいてくださいね)に席を譲った。
とてもいいことです。これからも続けてほしいことです。
でも、「友達はバイトしてそのお金で募金したのに、僕は自分自身のための受験勉強に時間を割いてばかり」そんな風に思わないでください。
「親が有力なコネがあるからどんなところにいったって将来は約束されている」
と親に甘え頼るわけではなく、自分の道は自分で切り開く。
そのためにこの大学に行きたい、と思って勉強するのは立派なことです。
いずれ、新しいエネルギーの発明。新しい農業、世の中の新しいシステムetc.
若い頭脳たちにぜひ取り組んでほしいと思ったりもします。でも今は、
何もできない、役に立てない無力感や罪の意識は決して持たないでください。
おいしいものを作って食べさせてくれる親や食堂のおばちゃんやラーメン屋の店主に感謝して
、バカ言い合える友たちに感謝して、兄弟喧嘩できる兄弟にも感謝して、
できる限り知恵を使って、今自分ができる範囲の節電他にとりくんで、
時々はまわりの人に寛容になれないわが身に自己嫌悪したり、
恋愛にやきもきしたり、一人、無駄なエネルギーを放出したなって溜息ついたり、また何かに萌えたり。
これから日本がどんな風になっていくのかもわかりません。
でも、だからこそ、みんなのお父さんお母さんたちが過ごしたような、
20代30代の先輩たちが過ごしたような、「あたりまえ時々劇的」なスクールライフを謳歌してほしいのです。
子供たちにはやく「あたりまえの日常」を取り戻させてあげようと知恵を絞る、それが私たち大人の仕事なのです。
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