助け合い、譲り合いと、ハシタナイ
昨日は私の住んでいるところでは大幅に交通機関がのきなみ運休や、一定区間が一時的に運休などで大変でした。
今日は、私が利用する交通機関は運休ではないものの半分ぐらいの本数の間引き運転となりました。
なにより、計画節電を一番痛感したのはスーパー。昨日は閉店のところが多かったです。今日はというと、午前11:30まで開店して、計画節電のためいったん閉店。再オープンは16時ごろとか。そのため、11:30までに買い物をしたい人が入口に長蛇の列。入店制限が行われていたのでした。
私はこのところ買い物ができるのは夜だけ。なので、すべてにわたって出遅れています。お店が閉店しているか、開店していても、トイレットペーパー、カップラーメン、米、水、電池、携帯ラジオはまったく売っていません。お店に入る前に、でかでかと「当店○○○売れ切れです」と張り紙がでています。
この中で、私はほしいのはトイレットペーパー。買占めるつもりではなくて、ふつうにほしいのだけど、どっこにもありません。
それでも日本人ってすごいなと思うことが。どの店にいって、トイレットペーパーの棚が空っぽなのに、駅やデパートなど公共施設のトイレのトイレットペーパーが持っていかれている形跡がないのです。ホルダーに1個、隣のホルダーにストックが1個ときちんとついているのです。
昨日、「がんがれ日本」というサイトを教えていただきました。覗いてみて、涙。
今回の地震の時に、いかに日本人が取り乱さず、耐えて、礼儀正しいか、助け合っているかなどの事例が書かれているサイトです。
その中で3月11日の地震当日に大渋滞になっていたりしてもクラクションを鳴らす車がなかった、停電で信号が消えたところでも、互いに車が譲り合っていたという書き込みがありましたが、そういえばと私も思いました。
当日、帰宅難民となって6時間以上歩きました。そのうち4時間ぐらいは幹線道路沿いに歩いたのですが、クラクションをきいていないことを思い出しました。
だから、ものものしい、殺伐とした気持ちにならず歩いていられたのかなと思いました。
今日、混んだホームでもみんなきれいに並んで電車に入りました。
日曜日、近所のコンビニに出かけた時、カップラーメンの棚が空っぽで、3つだけ残っていました。私の目の前の男性ががばっとつかんだにもかかわらず、私に気づいてか、2つだけとって1つ残してくれました。
今日、みんなへとへとになっての帰宅なのに、駅の改札を通ろうとしてかちあった時、互いに譲り合いました。
いつも以上に、助け合い、譲り合いを感じました。
なぜか。
1)はしたない。
日本人は取り乱すことを「はしたない」って思う気持ちが子供の頃から骨の髄までしみわたっているのかなと思いました。
2)わかちあい。
もっと大変な思いをしている人たちがいるのだから、少し大変さを分かち合おうという気持ち。
3)少しでもいやな気持は味わいたくないから。
大変な状況だから、これ以上些細なところでいやな思いを自分がうみだしたくない、さわやかな気持ちを味わいたいし、つくりだしたいという気持ち
があるのかと思います。
日本人の底力、そして日本に今縁があっていらっしゃる各国の方達の底力でいろんな局面を乗り切れたらと思います。
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