やはり古天文で「実隆公記(さねたかこうき)はポイントでした
室町時代後期に三条西実隆によって書かれた日記『実隆公記(さねたかこうき)』。私は雪の結晶について実隆が書いている箇所を調べるために手にとって、その面白さ(気象や天文の記述の豊富さ)にはまってしまったわけですが、日本の昔の天文現象を追っている方達にとって『実隆公記』はやはりポイントの本だったようですね。
「渋谷星の会」の他、オーロラの美しい写真撮影家(ttp://www.geocities.jp/shibuya_star/)、アマチュア天文家として幅広い活動をされていらっしゃる小川誠治さんが、『日本天文史料』について教えてくださりました。
神田茂著のこの本は、日本の飛鳥時代から戦国時代までの天文現象をさまざまな文献からまとめたもの。
私は未見だったのですが、日蝕、月蝕他の項目に『実隆公記』の名がいくつもみられることがわかりました。
たとえば、このブログの2月27日の記事で文亀元年9月15日(西暦1501年11月5日)に実隆が
晴、今夜月蝕也、皆既正現出(『実隆公記』続群書類従完成会 巻三之下 p739)
と書いていることをご紹介しましたが、『日本天文史料』でも、文亀元年9月15日のこの月蝕を記している文献として、『実隆公記』を挙げています。この他『後法興院政家記』に書かれていたことも紹介しています。
『日本天文史料』では、古天文の記録が書かれた文献として『続史愚抄』『御湯殿上日記』『管見記』も頻繁に登場しますが、『実隆公記』が一番といっていいくらい多いかも。
もともと天文畑ではない私。古天文も足を踏み入れていない世界で『実隆公記』も意識しないままでしたが、実隆という貴族で、趣味人にして元祖ブロガー!の人物の存在を知ることができたこと。この冬一番の収穫の一つです。
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