日本三代実録をみてみました(その4)貞観12年~鳥海山噴火、開聞岳噴火、天文・気象現象他
日本には思った以上に過去の災害の克明な記録が残されています。
地震、噴火、津波…災害は怖いけれど、過去の文献をみたら前兆、活動のリズム、なにかつかめることがあるかもしれません。
4月16日の続きです。
『日本三代実録』から、気になる記述を挙げています。
記載のただし書きは4月12日のブログをご覧ください。
貞観12年(870年)
6月10日 夜、白虹東北にあらわれ、首と尾を地につきき。 p504
7月29日【山城国、山地の陥没を報ず】山城国言しけらく、『綴喜郡山本郷の山くづれて裂け陥(お)ちき。長さ二十丈、広さ五丈一尺、深さ八尺、底の広さ四丈八尺なり。相ひ去ること七丈にして小山堆起(たいき)し、草木はうごくことなし。時の人、陥地地中に入りて、また堆起して山を成すかと疑ふ』と。 p507
(私メモ/山城というと貞観10年7月8日に播磨・山城地震が起きたところですね)
11月25日 地震。
貞観13年(871年)
1月14日 去る10日より太白(たいはく)天(そら)をわたり、今日に至りて見えざりき。 p522
(私メモ/太白=金星)
4月15日 月、心(しん)の前星に行きとどまり、その中の大星を吞蝕(をか)しき。 p527
(5)出羽国、鳥海山噴火に関して
5月16日【出羽国骲海郡火山活動、土地の神を鎮謝す】抜粋で。
出羽国司言しけらく、『從三位勲五等大物忌神社、飽海郡の山上に在り。巌石壁立し、人跡到ること稀に、夏冬雪を戴き、禿げて草木無し。去る4月8日、山上に火有りて土石を焼き、また声有りて雷の如く、山より出づる河は、泥水泛溢(はんいつ)してその色青黒く、臭気充満して人かぐに堪えず。死魚多く浮き、擁塞(ようさい)して流れず。ふたつの大蛇(おろち)有り、長さ十丈ばかり、相流れ出でて海の口に入り、小蛇の随(したが)ふもの、その数を知らず。河に縁(そ)える苗の、流れそこなふもの多く、或は濁水の臭気に染み、朽ちてそだたず。古老に聞くに、いまだかつてかくの如き異(しるまし)有らず。ただし弘仁年中、山中に火あらはれ、その後いくばくならずして、兵仗の事ありきといふ。これを奢龜(しき)に決するに、並びに、彼の国の名神いのりしところにいまだ、かへりまなしをせず。また塚墓の骸骨、その山水を汚ししにより、これによりて怒を発(な)して山を焼き、この災異をいたす。もし鎮謝せずば、兵役あるべしと云ふ。』 p530
(私メモ/4月8日の山形県の鳥海山の噴火の報告が述べられていますが、その凄まじさが克明に記されていますね。大蛇とでてくるのは本当の蛇ではなくて溶岩流のことでしょう。
山形県のHPの鳥海山噴火のページ(ttp://www.pref.yamagata.jp/ou/kendoseibi/180010/sabo/tyoukaihazard/funka_his.htm)には、山頂部から発する千蛇谷には2つの長く伸びた溶岩流地形とその他小さな流れがあり、この「日本三代実録」の記述と対応すると書かれています)
7月10日 地震。
7月25日 地震。
8月7日 地震。
8月17日 地震。
8月23日 この夜、大流星あり、東方より出でて天市の中に入る。その色赤白(せきはく)、入りてのちその尾白くしてまがりき。 p535
閏8月29日 夜、流星あり、東南より出でて女林に入りき。星の大きさ柚子の如く、青くして光ありき。 p538
9月1日 地震。
9月14日 夜、星あり、文昌の第二第三星と、太陽守星との中より出で、紫微宮(しびきゅう)をへて西南を指して行きき。長さ三丈ばかり、その色赤黄、光有りて地を照らしき。 p540
9月28日 地震。太皇太后崩り給ひき。 p541
9月29日 この月、桜、梨、桃、すもも、みな花咲きき。
(私メモ/換歴サイトでみると貞観3年のこの日は西暦11月9日になります。狂い咲きといえるでしょう)
11月22日 地震。大鳥一つ神泉苑の乾臨殿の東の鵄尾(くつがた)の上に集りき。 p554
11月29日 地震。
12月3日 日(ひ)蝕(か)くること有りき。太白、西より東に貫き、ともに危宿(きしゅく)に在りき。 p554
12月14日 陰陽寮言しけらく、『明年まさに天のなすわざはいあるべし』と。また古老言はく、『今年衆木冬花咲きき。昔この異有りて、天下に大疫ありき』と。みことのりとして五畿七道の諸国をして幣(みてくら)を境内の神々にわかち、国分の二寺に経を転じて、冥助を仏神に祈り、凶札を未萠にけさしめ給ひき。 p554
(私メモ/春咲く花が冬に咲くのは地震の前触れという説もありますが、このころからすでに冬に花が咲くのは、凶を示す異変と考えらえていたことがわかります)
貞観14年(872年)
1月20日【京邑に咳逆病おこる】この月、みやこ(京邑)にしはぶき(咳逆)の病おこり、し(死亡)ぬる者多かりき。 p558
(私メモ/前年の12月14日、陰陽寮が言ったとおり、と当時の人は思ったことでしょう)
2月21日 佐渡国、『紫雲見ゆ』を言しき。 p559
3月23日 【内外に怪異多し、諸社に奉幣し、かつ読経す】抜粋で。
今春以後、内外にしきりに怪異あらはれき。これによりて使者を諸神社に分かち遣りて奉幣。 p562
3月27日 地震。
5月30日【大蛇経を吞む】駿河国国分寺の別堂に大蛇(おろち)あり、般若心経三十一巻、あわせて一軸と為ししを吞む。観る者縄を蛇の尾に結び、さかしまに樹上に懸く。しばらくして経を吐き、蛇地に落ちてなかば死にしばらくしてまた生きき。 p569
(私メモ/ 7月29日↓に神祇官が凶のしるしであることを語っています。ちょっと不気味です)
6月16日 地震。
6月24日 地震。
6月29日 地震。
7月9日 昼、大流星ありき。 p571
7月10日 申(さる)の時、白き雲気東北に起こりて西南にわたり、形、布の如くなりき。
7月15日 酉(とりの時の初め、 月蝕くること有り、戌(いぬ)のときに至りてもとにかへりき。輪の下片黒きこと聚墨の如くなりき。
7月27日 地震。
7月29日 駿河国の蛇仏経を飲みし異(しるまし)、神祇官ト(うら)へて、『当年の冬と明年の春と、当国に失火疫癘(えきれい)の災あらむ』と申しき。 p573
(私メモ/5月30日の記録で書かれた出来事ですね)
9月1日 地震。
9月16日 日赤くして光無く、日宿りて氐(てい)に在りき 。p578
9月30日 地震。
10月2日 地震。
11月17日 地震。
11月23日 地震。
11月28日 地震。
11月 29日 天の南の声あり、雷の如くなりき。 p587
12月1日 地震。
貞観15年(873年)
1月20日 地震。
2月1日 地震。
2月11日 流星出で、七星のあたりより弧に入り、その色白かりき。 p593
2月18日 地震。
2月23日 陰陽寮言しけらく、『ことし天のわざわひを慎むべし(私による中略)仏神の冥助を祈り、災疫を未然に消さしめ給ひき』 p593
2月28日 飛騨国司言しけらく、『大野郡愛実山に、貞観13年11月18日と、14年11月12日と今月15日と、三度紫雲見えき』と。 p593
(私メモ/「日本三代実録」にはたびたび「紫雲」の記述がでてきます。紫雲というのは吉兆のしるしなのですね。念仏行者が臨終のとき、仏が紫色の雲に乗って迎えにくると言われているのだとか)
3月16日 地震。紫宸殿の東南の隅に虹あらはれき。 p594
4月9日 夜、流星ありて、女林に入り、また天市に入りき。その色皆赤かりき。 p595
4月14日 地大いに震動りき。
4月18日 地震。
4月24日 地震。
4月26日 流星翼に入り、その色赤かりき。 p598
5月1日 地震。
5月3日 雷電、雹をふらし、その大きさ鶏のたまごの如く、あるいは梅の実のごとくなりき。 p598
(私メモ/鶏のたまごぐらいの大きさの雹ってすごいですよね)
5月5日 神祇官、陰陽寮、言しけらく、『雹の怪は、賀茂松尾等の神の祟りを成すなり』と。
5月11日 地震。
6月1日 地震。
7月1日 日(ひ)蝕(か)けて光なかりき。かくること月の初めて生ずるが如く、午より未に至りてすなはち復しき。 p604
9月13日 地震。
10月6日 このごろのあいだ、物怪(もののけ)しきりにあらはることあり。よりて占へ求めしめしに、御病のことあるべしと占へ申せり。 p608
10月20日 時辰をすぎて、日暈を重ね、左右に珥(じ)あり、その下の雲気龍の如くなりき。 p609
(私メモ/この描写はあきらかに地震雲ですよね)
10月29日 地震。
11月27日 酉の時、流星、參の南の辺に入りき。その色青白、かたち大にして尾短 入らむとする時、分かれ散り、連なりて入りき。 p614
12月2日 この夜、流星あり、婁と天倉との間より出でて、奎の南の辺に入り、入らむとする時、三連となりて没(かく)れき。 p614
(私メモ/分かれ散る流星が2度も)
12月14日 陰陽寮言しけらく、『明年まさに天のなす災ひあるべし』と、また古老言はく、『今年衆木冬花咲きき。昔この異有りて、天下に大疫ありき』と。
貞観16年(874年)
2月14日 地震。
3月1日 夜流星あり、入りて大微の左執法の第二星を犯しき。大さ李(すもも)の実の如く、色赤くして尾短かりき。 p624
3月14日 地震。
3月21日 地震。
3月25日 地震。
4月1日 地震。
4月7日 日に五のかさ(重暈)有り、白虹日を貫きき。すなわち日は胃宿に在りき。天文の書に曰はく、『日月の暈気(うんき)は、三日以内に陰雨あればすなわちその災い消えて成らず』と。しかるに8日に暴雨ふりき。しかればその災い消ゆといふべし。 p629
4月8日 暴雨。
4月18日 申の時、日赤くして光無かりき。この夜、月(つき)蝕(か)くること有りき。 p629
4月24日 日、畢宿(ひつしゅく)に在り、薄蝕復せざるが如くにして隠れ没(い)りき。この日、片雲有り、黒染の紗の如くにして日をおおい、また雲に非ず霞に非ず、黄赤色の気、延蔓して天をおほひき。 p630
閏4月4日【日の変により伊勢大神宮に奉幣す】告文『四月の中ごろに、日のかたち常に変われり。これによりてうらへしに、申して云へらく、御體の為に驚くこと有るべしと申せり、云々』と。 p631
閏4月18日 地震。
閏4月23日 地震。
5月4日 地震。
6月15日 酉の時、日いまだ入らざるに、流星織女の西のほとりより出でて、大陵と巻舌(けんぜつ)との間に入りき。色赤くして光有りき。 p634
6月21日 地震。
6月29日 酉の時、流星室より出でて、登の地に入りき、長さ一丈余ばかりにして、その色黄白なりき。 p634
7月2日 地震。
(6)薩摩国、開聞岳噴火に関して
7月2日 【火山噴火】大宰府言しけらく、『薩摩国從四位上開聞神の山頂に火有りて自ら焼け、煙薫りて天に満ち、灰沙雨の如く、震動の声百余里に聞え、社に近き百姓震恐して精を失ふ。』 p637
7月29日【大宰府噴火を報ず】大宰府言しけらく、『去る3月4日夜、雷霆(らいてい)響きを発して通宵震動し、遅明に天気陰蒙にして、昼暗きこと夜の如く、時に沙を雨ふらし、色聚墨の如くにして終日止まず、地に積りし厚さ、あるところは五寸、あるところは一寸あまりばかり、昏暮におよぶころ、沙変じて雨となり禾稼のこれを得し者皆枯損をいたし、河水沙に和してさらに蘆濁となり、魚鼈の死ぬるもの数無く、人民の得て死魚を食する者あれば、或は死に、あるいは病みき』と。 p639
(私メモ/いずれも3月4日に噴火した開聞岳の報告ですね。大災害であったことがうかがえます)
8月1日 【伊勢国に蟲害あり】伊勢国上言しけらく、『蝗蟲ありて稼を食ふ。その頭赤きこと丹の如く、背は青黒、腹は斑駮、大なるは一寸五分、小なるは一寸なり。種類繁聚して、一日に食ふところ四五町ばかり、その一過するところ、遺穂有ることなし』と。 p639
(私メモ/なんという虫なのでしょうか。蝗蟲とあるので、イナゴかバッタの類だと思うのですが。江戸時代の享保の大飢饉も蝗虫による被害によるもの。その時はイナゴやウンカの類が襲撃したそうです。私が調べた範囲では頭が赤いイナゴ、ウンカはみつからないので、伊勢を襲った蝗蟲の正体はわかりません)
8月13日 【伊勢大神宮に奉幣し蟲害を除く】幣(みてくら)奉(たてまつ)り、災蝗を去らむことを祈りき。これより後、蝗蟲或は蝶と化して飛び去り、或は小蜂のために刺し殺されて、一時に消え尽きき。 p640
9月17日 地震。
11月13日 地震。
12月5日 この夜流星有り。七星より出でて張に入り、長さ一丈余、その色赤かりき。 p656
12月11日 この夜、月、昴星を犯しき。
12月16日 夜、月、輿鬼(よき)を犯しき。
12月29日 酉の時、地大いに震動りき。 p658
(私メモ/貞観16年9月8日島根県江津市に隕石が落ちたという記録が冷昌寺に残っている、隕石落下から島高山(星高山)と名付けられた山があるときいていますが、この「日本三代実録」では9月8日の隕石飛来についての記述はみつけられませんでした)
貞観17年~18年、地震も干ばつも起きていますが天文現象を中心にざっくりと挙げます。
貞観17年(875年)
4月28日 卯の時、白彗東北にあらはれ、その色赤くして芒角を成しき。5月2日に至りて、その体長丈余ばかり、はじめ五車に出でて稍八穀星を掃い、その気耗減(こうげん)すといえども、いまだ消えざりき。 p668
5月14日 太白昼あらはれて天をわたり、すなわち軒轅(けんえん)を経て、少微にとどまりき。 p669
5月16日 夜雲気ありて、天にきはまり、形幡(はた)の如く、頭は西山をつきて、尾は東山にかかりき。
5月18日 夜星有り、東北をおほひき。
5月30日 辰の時、流星有りて東南に落ちき。大きさ一尺ばかり、長さ六尺ばかり、その色純白なりき。 p670
(私メモ/表現からは隕石かなと思うのですが、この日に隕石が落ちたという記録を他の文献で確かめられていません。色が純白というのも気になります)
6月3日 日に光少なく、星と月とならびに昼あらはれき。
6月4日 星と月と並びに昼あらはれき。太政官曹司廰の南門に雪花散り落ちき。
6月5日 星と月とならびに昼あらはれき。
6月23日~26日 (私メモ/ひでりが続いて雨乞いしても雨が降らない日が続いています。古老の神泉苑の池の中の神龍に祈ると雨が降るという言葉で鼓他を演奏して祈ったことが書かれています)
貞観18年(876年)
7月7日 興福寺の塔、寅の時より震動し、9日に至りても止まざりき。 p702
7月18日 大安寺の塔震動しき。 p703
7月26日 大宰府言しけらく、『肥後国白龜一つを獲き。長さ五寸、ひろさ四寸五分なりき』と。 p705
7月27日 抜粋で。申の一剋、東山の下に五色の雲を見る。山の根にそひて南北にわたり、形虹の如くにして虹にあらず。ひろさ一丈五尺ばかり、長さ四五丈ばかり、二剋におよぶころ、横にしてややのぼり、嶺に至りて消えうせき。天文要録の祥瑞図に曰はく、『気にあらず煙にあらず、五色の粉縕たるこれを雲(うん)といひ、また景雲(けいうん)といふ』と。この夜、戌の時、黒雲同じ山嶺よりおこり西南にわたりて形四幅の幔の如く、長さ十丈ばかりなりき。時に四方晴明にして雲気有ることなかりき。
8月6日 日入る時、赤雲八條東方よりおこりてただちに西方を指し、ひろさほとんど竟天(きょうてん)に及びき。 p706
9月23日 寅の時、大流星、大微の東の番星のあたりより出でて、大陵星にふれ、閣道の典附路星の間に入りき。 p710
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コメント
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興味深く読ませていただいました。ありがとうございました。これからも愛読させていただきます。宜しくお願い致します。
投稿: awonidou | 2011年4月28日 (木) 13:13
awonidouさん。
目を留めてくださりありがとうございます。
「日本三大実録」に関してはあと3度ほど続けるつもりです。
十分注意しておりますが、引用する際に誤字脱字があるかもしれません。どうぞご了承くださいませ。
投稿: emi | 2011年4月28日 (木) 16:46