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2011年4月28日 (木)

日本三代実録をみてみました(その4)貞観12年~鳥海山噴火、開聞岳噴火、天文・気象現象他

日本には思った以上に過去の災害の克明な記録が残されています。
地震、噴火、津波…災害は怖いけれど、過去の文献をみたら前兆、活動のリズム、なにかつかめることがあるかもしれません。

4月16日の続きです。

『日本三代実録』から、気になる記述を挙げています。
記載のただし書きは4月12日のブログをご覧ください。

貞観12年(870年)
6月10日 
夜、白虹東北にあらわれ、首と尾を地につきき。 p504
7月29日
【山城国、山地の陥没を報ず】山城国言しけらく、『綴喜郡山本郷の山くづれて裂け陥(お)ちき。長さ二十丈、広さ五丈一尺、深さ八尺、底の広さ四丈八尺なり。相ひ去ること七丈にして小山堆起(たいき)し、草木はうごくことなし。時の人、陥地地中に入りて、また堆起して山を成すかと疑ふ』と。 p507

(私メモ/山城というと貞観10年7月8日に播磨・山城地震が起きたところですね)

11月25日 
地震。

貞観13年(871年
1月14日 
去る10日より太白(たいはく)天(そら)をわたり、今日に至りて見えざりき。 p522

(私メモ/太白=金星)

4月15日 
月、心(しん)の前星に行きとどまり、その中の大星を吞蝕(をか)しき。 p527

(5)出羽国、鳥海山噴火に関して
5月16日
【出羽国骲海郡火山活動、土地の神を鎮謝す】抜粋で。
出羽国司言しけらく、『從三位勲五等大物忌神社、飽海郡の山上に在り。巌石壁立し、人跡到ること稀に、夏冬雪を戴き、禿げて草木無し。去る4月8日、山上に火有りて土石を焼き、また声有りて雷の如く、山より出づる河は、泥水泛溢(はんいつ)してその色青黒く、臭気充満して人かぐに堪えず。死魚多く浮き、擁塞(ようさい)して流れず。ふたつの大蛇(おろち)有り、長さ十丈ばかり、相流れ出でて海の口に入り、小蛇の随(したが)ふもの、その数を知らず。河に縁(そ)える苗の、流れそこなふもの多く、或は濁水の臭気に染み、朽ちてそだたず。古老に聞くに、いまだかつてかくの如き異(しるまし)有らず。ただし弘仁年中、山中に火あらはれ、その後いくばくならずして、兵仗の事ありきといふ。これを奢龜(しき)に決するに、並びに、彼の国の名神いのりしところにいまだ、かへりまなしをせず。また塚墓の骸骨、その山水を汚ししにより、これによりて怒を発(な)して山を焼き、この災異をいたす。もし鎮謝せずば、兵役あるべしと云ふ。』  p530

(私メモ/4月8日の山形県の鳥海山の噴火の報告が述べられていますが、その凄まじさが克明に記されていますね。大蛇とでてくるのは本当の蛇ではなくて溶岩流のことでしょう。
山形県のHPの鳥海山噴火のページ(ttp://www.pref.yamagata.jp/ou/kendoseibi/180010/sabo/tyoukaihazard/funka_his.htm)には、山頂部から発する千蛇谷には2つの長く伸びた溶岩流地形とその他小さな流れがあり、この「日本三代実録」の記述と対応すると書かれています)

7月10日 
地震。
7月25日 
地震。
8月7日 
地震。
8月17日 
地震。
8月23日 
この夜、大流星あり、東方より出でて天市の中に入る。その色赤白(せきはく)、入りてのちその尾白くしてまがりき。 p535
閏8月29日 
夜、流星あり、東南より出でて女林に入りき。星の大きさ柚子の如く、青くして光ありき。 p538
9月1日
 地震。
9月14日 
夜、星あり、文昌の第二第三星と、太陽守星との中より出で、紫微宮(しびきゅう)をへて西南を指して行きき。長さ三丈ばかり、その色赤黄、光有りて地を照らしき。 p540
9月28日 
地震。太皇太后崩り給ひき。 p541
9月29日 
この月、桜、梨、桃、すもも、みな花咲きき。
(私メモ/換歴サイトでみると貞観3年のこの日は西暦11月9日になります。狂い咲きといえるでしょう)
 
11月22日 
地震。大鳥一つ神泉苑の乾臨殿の東の鵄尾(くつがた)の上に集りき。  p554
11月29日 
地震。
12月3日 
日(ひ)蝕(か)くること有りき。太白、西より東に貫き、ともに危宿(きしゅく)に在りき。 p554
12月14日 
陰陽寮言しけらく、『明年まさに天のなすわざはいあるべし』と。また古老言はく、『今年衆木冬花咲きき。昔この異有りて、天下に大疫ありき』と。みことのりとして五畿七道の諸国をして幣(みてくら)を境内の神々にわかち、国分の二寺に経を転じて、冥助を仏神に祈り、凶札を未萠にけさしめ給ひき。 p554

(私メモ/春咲く花が冬に咲くのは地震の前触れという説もありますが、このころからすでに冬に花が咲くのは、凶を示す異変と考えらえていたことがわかります)

貞観14年(872年)
1月20日【京邑に咳逆病おこる】この月、みやこ(京邑)にしはぶき(咳逆)の病おこり、し(死亡)ぬる者多かりき。 p558
(私メモ/前年の12月14日、陰陽寮が言ったとおり、と当時の人は思ったことでしょう)

2月21日
 佐渡国、『紫雲見ゆ』を言しき。 p559
3月23日 
【内外に怪異多し、諸社に奉幣し、かつ読経す】抜粋で。
今春以後、内外にしきりに怪異あらはれき。これによりて使者を諸神社に分かち遣りて奉幣。  p562
3月27日 
地震。
5月30日
【大蛇経を吞む】駿河国国分寺の別堂に大蛇(おろち)あり、般若心経三十一巻、あわせて一軸と為ししを吞む。観る者縄を蛇の尾に結び、さかしまに樹上に懸く。しばらくして経を吐き、蛇地に落ちてなかば死にしばらくしてまた生きき。 p569
(私メモ/ 7月29日↓に神祇官が凶のしるしであることを語っています。ちょっと不気味です)

6月16日 
地震。
6月24日 
地震。
6月29日 
地震。
7月9日 
昼、大流星ありき。 p571
7月10日 
申(さる)の時、白き雲気東北に起こりて西南にわたり、形、布の如くなりき。 
7月15日 
酉(とりの時の初め、 月蝕くること有り、戌(いぬ)のときに至りてもとにかへりき。輪の下片黒きこと聚墨の如くなりき。 
7月27日 
地震。
7月29日 
駿河国の蛇仏経を飲みし異(しるまし)、神祇官ト(うら)へて、『当年の冬と明年の春と、当国に失火疫癘(えきれい)の災あらむ』と申しき。 p573
(私メモ/5月30日の記録で書かれた出来事ですね)

9月1日 
地震。
9月16日 
日赤くして光無く、日宿りて氐(てい)に在りき 。p578
9月30日 
地震。
10月2日 
地震。
11月17日 
地震。
11月23日 
地震。
11月28日 
地震。
11月 29日 
天の南の声あり、雷の如くなりき。 p587
12月1日 
地震。

貞観15年(873年)
1月20日 
地震。
2月1日 
地震。
2月11日 
流星出で、七星のあたりより弧に入り、その色白かりき。 p593
2月18日 
地震。
2月23日 
陰陽寮言しけらく、『ことし天のわざわひを慎むべし(私による中略)仏神の冥助を祈り、災疫を未然に消さしめ給ひき』 p593
2月28日 
飛騨国司言しけらく、『大野郡愛実山に、貞観13年11月18日と、14年11月12日と今月15日と、三度紫雲見えき』と。 p593
(私メモ/「日本三代実録」にはたびたび「紫雲」の記述がでてきます。紫雲というのは吉兆のしるしなのですね。念仏行者が臨終のとき、仏が紫色の雲に乗って迎えにくると言われているのだとか)

3月16日 
地震。紫宸殿の東南の隅に虹あらはれき。 p594
4月9日 
夜、流星ありて、女林に入り、また天市に入りき。その色皆赤かりき。 p595
4月14日 
地大いに震動りき。
4月18日 
地震。
4月24日 
地震。
4月26日 
流星翼に入り、その色赤かりき。 p598
5月1日 
地震。
5月3日  
雷電、雹をふらし、その大きさ鶏のたまごの如く、あるいは梅の実のごとくなりき。 p598
(私メモ/鶏のたまごぐらいの大きさの雹ってすごいですよね)

5月5日 
神祇官、陰陽寮、言しけらく、『雹の怪は、賀茂松尾等の神の祟りを成すなり』と。
5月11日 
地震。
6月1日 
地震。
7月1日 
日(ひ)蝕(か)けて光なかりき。かくること月の初めて生ずるが如く、午より未に至りてすなはち復しき。 p604
9月13日 
地震。
10月6日 
このごろのあいだ、物怪(もののけ)しきりにあらはることあり。よりて占へ求めしめしに、御病のことあるべしと占へ申せり。 p608
10月20日 
時辰をすぎて、日暈を重ね、左右に珥(じ)あり、その下の雲気龍の如くなりき。 p609
(私メモ/この描写はあきらかに地震雲ですよね)

10月29日 
地震。
11月27日 
酉の時、流星、參の南の辺に入りき。その色青白、かたち大にして尾短 入らむとする時、分かれ散り、連なりて入りき。 p614
12月2日 
この夜、流星あり、婁と天倉との間より出でて、奎の南の辺に入り、入らむとする時、三連となりて没(かく)れき。 p614
(私メモ/分かれ散る流星が2度も)

12月14日 
陰陽寮言しけらく、『明年まさに天のなす災ひあるべし』と、また古老言はく、『今年衆木冬花咲きき。昔この異有りて、天下に大疫ありき』と。

貞観16年(874年)
2月14日 
地震。
3月1日 
夜流星あり、入りて大微の左執法の第二星を犯しき。大さ李(すもも)の実の如く、色赤くして尾短かりき。 p624
3月14日
 地震。
3月21日 
地震。
3月25日 
地震。
4月1日
 地震。
4月7日 
日に五のかさ(重暈)有り、白虹日を貫きき。すなわち日は胃宿に在りき。天文の書に曰はく、『日月の暈気(うんき)は、三日以内に陰雨あればすなわちその災い消えて成らず』と。しかるに8日に暴雨ふりき。しかればその災い消ゆといふべし。 p629
4月8日 暴雨。
4月18日 
申の時、日赤くして光無かりき。この夜、月(つき)蝕(か)くること有りき。 p629
4月24日 
日、畢宿(ひつしゅく)に在り、薄蝕復せざるが如くにして隠れ没(い)りき。この日、片雲有り、黒染の紗の如くにして日をおおい、また雲に非ず霞に非ず、黄赤色の気、延蔓して天をおほひき。 p630
閏4月4日
【日の変により伊勢大神宮に奉幣す】告文『四月の中ごろに、日のかたち常に変われり。これによりてうらへしに、申して云へらく、御體の為に驚くこと有るべしと申せり、云々』と。 p631
閏4月18日 
地震。
閏4月23日 
地震。
5月4日 
地震。
6月15日 
酉の時、日いまだ入らざるに、流星織女の西のほとりより出でて、大陵と巻舌(けんぜつ)との間に入りき。色赤くして光有りき。 p634
6月21日 
地震。
6月29日 
酉の時、流星室より出でて、登の地に入りき、長さ一丈余ばかりにして、その色黄白なりき。 p634
7月2日 
地震。

(6)薩摩国、開聞岳噴火に関して
7月2日 
【火山噴火】大宰府言しけらく、『薩摩国從四位上開聞神の山頂に火有りて自ら焼け、煙薫りて天に満ち、灰沙雨の如く、震動の声百余里に聞え、社に近き百姓震恐して精を失ふ。』 p637
7月29日
【大宰府噴火を報ず】大宰府言しけらく、『去る3月4日夜、雷霆(らいてい)響きを発して通宵震動し、遅明に天気陰蒙にして、昼暗きこと夜の如く、時に沙を雨ふらし、色聚墨の如くにして終日止まず、地に積りし厚さ、あるところは五寸、あるところは一寸あまりばかり、昏暮におよぶころ、沙変じて雨となり禾稼のこれを得し者皆枯損をいたし、河水沙に和してさらに蘆濁となり、魚鼈の死ぬるもの数無く、人民の得て死魚を食する者あれば、或は死に、あるいは病みき』と。 p639
(私メモ/いずれも3月4日に噴火した開聞岳の報告ですね。大災害であったことがうかがえます)

8月1日 
【伊勢国に蟲害あり】伊勢国上言しけらく、『蝗蟲ありて稼を食ふ。その頭赤きこと丹の如く、背は青黒、腹は斑駮、大なるは一寸五分、小なるは一寸なり。種類繁聚して、一日に食ふところ四五町ばかり、その一過するところ、遺穂有ることなし』と。 p639
(私メモ/なんという虫なのでしょうか。蝗蟲とあるので、イナゴかバッタの類だと思うのですが。江戸時代の享保の大飢饉も蝗虫による被害によるもの。その時はイナゴやウンカの類が襲撃したそうです。私が調べた範囲では頭が赤いイナゴ、ウンカはみつからないので、伊勢を襲った蝗蟲の正体はわかりません)
8月13日
 【伊勢大神宮に奉幣し蟲害を除く】幣(みてくら)奉(たてまつ)り、災蝗を去らむことを祈りき。これより後、蝗蟲或は蝶と化して飛び去り、或は小蜂のために刺し殺されて、一時に消え尽きき。 p640
9月17日
地震。
11月13日 
地震。
12月5日 
この夜流星有り。七星より出でて張に入り、長さ一丈余、その色赤かりき。 p656
12月11日 
この夜、月、昴星を犯しき。
12月16日 
夜、月、輿鬼(よき)を犯しき。
12月29日 
酉の時、地大いに震動りき。 p658

(私メモ/貞観16年9月8日島根県江津市に隕石が落ちたという記録が冷昌寺に残っている、隕石落下から島高山(星高山)と名付けられた山があるときいていますが、この「日本三代実録」では9月8日の隕石飛来についての記述はみつけられませんでした)

貞観17年~18年、地震も干ばつも起きていますが天文現象を中心にざっくりと挙げます。

貞観17年(875年)
4月28日 
卯の時、白彗東北にあらはれ、その色赤くして芒角を成しき。5月2日に至りて、その体長丈余ばかり、はじめ五車に出でて稍八穀星を掃い、その気耗減(こうげん)すといえども、いまだ消えざりき。 p668
5月14日 
太白昼あらはれて天をわたり、すなわち軒轅(けんえん)を経て、少微にとどまりき。 p669
5月16日 
夜雲気ありて、天にきはまり、形幡(はた)の如く、頭は西山をつきて、尾は東山にかかりき。
5月18日 
夜星有り、東北をおほひき。 
5月30日 
辰の時、流星有りて東南に落ちき。大きさ一尺ばかり、長さ六尺ばかり、その色純白なりき。 p670
(私メモ/表現からは隕石かなと思うのですが、この日に隕石が落ちたという記録を他の文献で確かめられていません。色が純白というのも気になります)

6月3日 
日に光少なく、星と月とならびに昼あらはれき。
6月4日 
星と月と並びに昼あらはれき。太政官曹司廰の南門に雪花散り落ちき。
6月5日 
星と月とならびに昼あらはれき。
6月23日~26日 (私メモ/ひでりが続いて雨乞いしても雨が降らない日が続いています。古老の神泉苑の池の中の神龍に祈ると雨が降るという言葉で鼓他を演奏して祈ったことが書かれています)

貞観18年(876年)
7月7日
 興福寺の塔、寅の時より震動し、9日に至りても止まざりき。 p702
7月18日 
大安寺の塔震動しき。 p703
7月26日 
大宰府言しけらく、『肥後国白龜一つを獲き。長さ五寸、ひろさ四寸五分なりき』と。 p705
7月27日 抜粋で。
申の一剋、東山の下に五色の雲を見る。山の根にそひて南北にわたり、形虹の如くにして虹にあらず。ひろさ一丈五尺ばかり、長さ四五丈ばかり、二剋におよぶころ、横にしてややのぼり、嶺に至りて消えうせき。天文要録の祥瑞図に曰はく、『気にあらず煙にあらず、五色の粉縕たるこれを雲(うん)といひ、また景雲(けいうん)といふ』と。この夜、戌の時、黒雲同じ山嶺よりおこり西南にわたりて形四幅の幔の如く、長さ十丈ばかりなりき。時に四方晴明にして雲気有ることなかりき。 
8月6日 
日入る時、赤雲八條東方よりおこりてただちに西方を指し、ひろさほとんど竟天(きょうてん)に及びき。 p706
9月23日 
寅の時、大流星、大微の東の番星のあたりより出でて、大陵星にふれ、閣道の典附路星の間に入りき。 p710

日本三代実録 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

2011年4月23日 (土)

コアラの指人形ゲット!

Yubiningyofutari 昨日、横浜・あざみ野の駅の週替わりぐらいの出店で、指人形コーナーをみつけました。
たいていはふつうの動物なのですが、よく探すと、ゆるキャラの決定版といえるべきお宝を発掘できたりするので、町を歩いていて「指人形」をみつけるとチェックをしているのです。

昨日みた指人形の中では、コアラがヒット!むっくりした鼻も眠そうな目もかわいいです~。少し青みがかったグレーの毛糸の色も美しい!

買って、早速、ペン立ての中で、トナカイと並べました。

「アンデスといえば?」「指人形」。
テストには出ないでしょうけれど、アンデス⇒指人形⇒ゆるキャラ発掘
覚えておいて損はないかもしれません。
スパイダーマントナカイはこちら。

2011年4月21日 (木)

会津若松の「起上り小法師」と友達の傑作写真

「おきあがりこぼし」というと、だるまのようなずんぐりした形をしていて傾けても手を放すと元に戻る民芸品ですが、会津若松には400年の歴史がある「起上り小法師」があることを、友達に教えてもらいました。

ロシアにはマトリョーシカ、天童にはこけし、アンデスには指人形(スパイダーマントナカイコアラ)と覚えている私ですが、おきあがりこぼしは会津若松ということを今回自分の知識に加えました。
そして、「こぼし」が「小法師」の意味だったことも。

さて、彼女がよく足を運ぶ素敵な雑貨屋さんでこの起上がり小法師が販売されているそうです。

お店の名はKÖK(ショーク)http://www.kok-design.jp/

会津若松の起上がり小法師のページはこちらです(2011.4.21現在)
http://kok-design.jp/SHOP/AIZU-OKI.html

ショークさんのHPから引用させていただきます。

この起き上がり小法師(こぼうし)は、福島県会津若松市最古の民芸品で、400年以上の歴史があり 小さい身体ですが、転んでも転んでも起き上がることから、「七転八起」の精神を持つ、会津気質の象徴でもあります。
毎年正月の1月10日に、「十日市」という初市が立ち、無病息災・家内安全の縁起物として、 「家族や身上が増えますように。」という願いを込め、家族の人数より1個多く購入する風習があります。
唯一現存している「山田民芸工房」様により、一つ一つ伝統的な製法で手作りされています。 顔の表情も筆による手描きで、一つ一つが特徴のある顔をしています。

当店では、この「起き上がり小法師」を通して、皆様の安全を祈念するとともに 被災地で生活する「山田民芸工房」様に、直接的な応援になるものとしてご紹介させていただきます。 微力な活動ではございますが、趣旨にご賛同いただけましたら幸いでございます。

笑った顔が可愛いです。何度も起き上がる姿。たくましい福島の方たちの気質を連想させます。福島は今大変な思いをされている方達が多いと思うのですが、手元にある起上がり小法師に、くじけても起き上る力をもらっている方達もきっと多いことと思います。

さて、素敵な起上がり小法師を教えてくれた友達、実は一緒に「000-」を応援している仲間でもあります。彼女は7体購入したのですが、ピン!と閃いて、起上がり小法師くんたちをつかって写真を撮ってくれました。

それがとても傑作で~。5枚のカットですが、まずはノーヒントでご覧ください。
Koboshi1 Koboshi2


Koboshi3 Koboshi4
Koboshi5




















おきあがりこぼしくんたち、
さて何をしているところでしょう?

ヒントはスポーツ。人数は関係ありません。








では答えを。



それはラグビー。もう一度画像をご覧いただきましょう。

Koboshi1_2 Koboshi2_4








1)試合前の整列               2)スクラム

Koboshi3_2 Koboshi4_2








3)ハーフタイムのミーティング       4)ラインアウト

Koboshi5_2








5)ノーサイド(ラグビーの試合終了の場面)

どうでしょう。しびれませんか。
小道具を一切使わず、小法師くんたちだけで再現できていて。
スクラムは、小法師たちがおきあがっちゃうので、伏せたまま撮影するのは大変だったそうです。

私はラインアウトにも感動。
そしてノーサイド、赤と青が互い違いに仲良く並んでいる姿にも。

彼女がブログを持たず、皆様にお披露目する機会がないので、私が「ぜひ紹介させて」とこのページでお披露目させていただくことになりました。

小法師くんたち、縦に行列させてエグザイルごっこもできそう。
皆様もお持ちでしたらいろいろ遊んでみてはいかがでしょうか。

さて、山田民芸工房の起上り小法師のことを調べていたら、小法師にちなんだ和菓子があることがわかりました。それだけ、会津では小法師が息づいているということなんですね。

和菓子屋さんは「会津葵」。
http://aizuaoi.com/

縁起菓子のページの「小法師」をご覧ください。シンプルなずんぐりした形がかわいいです。パッケージの中に山田民芸工房さんの本物の小法師も1個入っているようです。

オンラインショップでも申し込めるので早速取り寄せお願いしました。
あらためて、お菓子も紹介しますね。
(2011.4.23追記。会津葵の「小法師」21日に注文して22日には届きました。おいしいです~。
詳しくは食べ物ブログのこちらに。

(2011.11.17追記。友達が「ラグビーこぼし」の新作を撮りました。こちら

2011年4月17日 (日)

「名前のない鳥」いいですね

明るい歌ではなくて、無性にせつない歌が聴きたくなる時ってありませんか。
胸の奥がしめつけられるような、遠い星のかなたをみつめたくなるような。
太陽のまぶしい昼間や、煌々と明るい電気の室内ではなくて、暗闇で炎をみつめながら聴きたい曲。
奥から溢れてくる郷愁。

こんな名曲を今まで知らずにいたなんて。と思う曲は山崎まさよしの「名前のない鳥」。


♪山崎まさよしのライブバージョンはこちら。ギターとハーモニカというシンプルな編成がいいです。
ttp://www.youtube.com/watch?v=VHrvuISKF8s

♪元ちとせが歌っているのもすごくいいです。
ttp://www.youtube.com/watch?v=hsCtcTSOcKY

♪二人のライブバージョン、山崎まさよしのギター&元ちとせのボーカル
ttp://www.youtube.com/watch?v=6d6QAH1oyZg

「名前のない鳥」というタイトルを聞くと私から上の世代はアメリカの「名前のない馬(A horse with no name)を思い出すかもしれません。「名前のない馬」も名曲ですよね。

2011年4月16日 (土)

日本三代実録をみてみました(その3)貞観9年の阿蘇山噴火、10年の播磨・山城地震他、天文・気象現象

4月12日の続きです。

『日本三代実録』から、気になる記述を挙げています。

記載のただし書きは4月12日のブログをご覧ください。

貞観7年(865年)
6月21日 
【月色変ず】夜明けに、月の色正黄なり。赤き雲有りてこれを覆ひき。 p287
9月9日
 【流星】この夜、星有り、卷舌(けんぜつ)を出でて畢(びつ)の首に入り、長さ三尺ばかりなりき。 p293
9月10日 
【流星】 夜、星有り、墳墓(ふんぼ)の下を出でて須女(すじょ)に入り貫(つらぬ)きき。
12月24日 
【流星】夜、星有り、奎婁(けいる)の北に出でて土司空(どしくう)に入りふれき。 p306

貞観8年(866年)
1月27日 
【流星】星有り、織女を出でて女林に入りき。 p316
6月28日 
【流星】夜、星有り、奎を出でて、大陵に入りき。 p340
11月5日 
【流星】夜、星有り、大畢(たいひつ)を出でて、大角(たいかく)にふれ貫(あた)り、攝提(せつてい)に入りき。 p367

貞観9年(867年)
1月27日 
地震。
2月1日 
地震。

3)豊後、鶴見岳噴火に関して
2月26日 【豐後の火山爆発】大宰府言しけらく、『從五位上火男神、從五位下火神の二社、豊後国速見郡鶴見山の嶺に在り。山の頂に三つの池有り。一つの池は泥(にご)りて水の色青く、一つの池は黒く、一つの池は赤し。去る正月廿日(はつか)に池震動し、その声雷の如く、しばらくして臰(におい)流黄の如くにして国内にあまねく満ち、磐石の飛び乱るること上下数なく、石の大なるものは方丈、小なるものも甕(かめ)の如く、昼は黒雲蒸し、夜は炎火熾(も)え、沙泥雪のごとく散りて数里に積りき。池中に元温泉出づ。泉の水沸き騰(あが)りて自ら河流を成し、山脚の道路、往還通はず、温泉ほ水衆流に入りて、魚の酔ひ死ぬるもの千万数、その震動の声三日にわたりき』と。 p386

(私メモ/豊後の鶴見山というのは大分県別府市の鶴見岳のことですね)

5月13日
 地震。
6月30日 地震。
7月24日 星、昼あらわれき。 p402
7月25日
 地震。

3)阿蘇山噴火に関して
8月6日 【阿蘇山噴火】大宰府言しけらく、『肥後国阿蘇郡正二位勲五等建磐龍命神、正四位下姫神の居せる山嶺、去る5月11日の夜、あやしき光照り輝き、12日の朝、振動して崩るること広さ五丈ばかり、長さ二百五十丈ばかりなりき』と。 p402

8月8日 
大宰府に下知して、豊後国をして神の山の崩れし怪(かい)を鎮謝せしめき。

10月17日
昼、流星有りて東南に行き、光地を照らしき。 p410
11月23日
彗星、紫微宮の西にあらはれて内階を貫き、長さ五尺ばかりなりき。 p412
11月
29日 【災難消去のために諸国をして読経せしむ】詔の文言が記されています。抜粋で
『さきに天文変を告げ、地理妖をしめす。龜に謀り筮に謀るに、誠に国の慶びにあらず。しかのみならず陰陽の書の説に、来年戌子、まさに水旱疾疫の災あるべしとなり。』 p412
こういう詔が出るほど、災い続きであることが感じられます。
11月30日 
日の上に冠有り、左右に珥(じ)をなし、色黄白なりき。 p413

貞観10年(868年)
4月13日 
地震。
4月15日
【出羽国神異を報ず】出羽国言しけらく、飽海郡の月山、大物忌両神社の前に石の鏃(やじり)6枚降りき』と。 p426
4月28日 
地震。
5月10日 
歳星房(ぼう)を犯し、右服(うふく)に経歴すること七日なりき。 p427
5月19日 
地震。

4)播磨・山城地震に関して
(「理科年表」では⇒No.19。西暦868年8月3日。貞観10年7月8日。M≧7.0。播磨・山城:播磨諸郡の官舎・諸定額寺の堂塔ことごとく頽れ倒れた。京都では垣屋に崩れたものがあった。山崎断層の活動によるものか?)

7月8日 地震動り内外(ないげ)の垣屋ところどこ頽破(たいは)しき。 
p429

(私メモ/この日本三大実録は京の都で書かれているはずなので、京都で大地震だったことがわかります。この地震の記述に「山城」という地名はでてこないのですが、山城=現在の京都府南部なので、この7月8日の地震が後世でいう「播磨・山城地震」のことだとわかります)

7月9日 
地震。
7月12日 
地震。
7月13日 
地震。

(私メモ/余震が続いているということですね)

4)播磨・山城地震に関して
7月15日 【播磨国大震を報ず】播磨国言しけらく、『今月八日、地大いに震動りて、諸郡の官舎、諸定額寺の堂塔、皆ことごとくくづれ倒れき』と。 p429


(私メモ/播磨国は現在の兵庫県南西部。8日の地震が京都~兵庫で大地震であったことがわかります。
古今書院から出版された『古地震を探る』p140 によると震央は姫路、Mは7.0以上とされています)


7月16日 地震。
7月20日 
地震。
7月21日 
地震。
8月10日 
地震。
8月12日 
地震。
8月14日 
地震。
8月16日 
地震。
8月29日 
地震。
9月7日 
地震。
9月11日 
この夜、星有り、軒轅(けんえん)より出でて紫宮(しきゅう)に入りき。 p431
11月27日 
地震。
12月1日 
地震。
12月10日
 地震。
12月16日 
地震。

(私メモ/余震がずいぶん続いていますね)

閏12月10日 
【広田、生田両神に奉幣す】
摂津国の広田神社、生田神社に奉幣した時の告文が記されています。この告文の中に、
「摂津国解しけらく、地震の後に小震止まずと申す。 p436
と、ずっと余震が続いていることが記述されています。

ちなみに摂津国の広田、生田両社は兵庫県西宮市の広田神社、神戸市の生田神社のことでしょう。

日本三代実録 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

2011年4月14日 (木)

フランネルフラワー6代目ぐらい襲名式

Flannnelflawer2011_2 フランネルフラワーシリーズ(12)

我が家では昨夏の猛暑でフランネルフラワーが息絶えてしまいました。
昨日13日、横浜藤が丘の昭和大学藤が丘病院前のお花屋さんに寄ったところ、フランネルフラワーをみつけたのでさっそく一鉢購入しました。

お店の軒先で購入した鉢をパチリ。⇒

白いウブウブした花びら。何度見ても触れても癒されます。たくさんつぼみがついて、価格は700円しなかったのはお買い得です。

13日13時現在の情報ですがあと4鉢はありました。ご近所でフランネルフラワーに惹かれている方は早めに行かれてみてはいかがでしょうか。

「花の店アリス」というお花屋さん(ttp://www.hanaya.gr.jp/alice/)です。

けっして大きくない花屋さんですが、センスあります。今回、フランネルフラワーだけではなく、アロマティカス、グリーンネックレスと私にとって思い出深い植物もいたことにびっくりしました!!

Anemonesilvestris 私が花の店アリスで3月2日に買ったのはアネモネ・シルベストリス”マドンナ”

こちらも購入した鉢をお店の軒先でパチリ⇒

こんなポップがついていました。

学名 Anemone sylvestris "Madonna"
和名 バイカイチゲ
原生地 ヨーロッパ~シベリア
ユーラシア大陸の森林地帯の下草として自生しており、寒さには強いですが、高温多湿には若干弱いので排水のよい用土に植え、夏季は風通しのよい木陰などで管理してください。花径4~7cmの白い花をつけ、ホワイトガーデンやシェードガーデンに利用できます。


白いポピーみたいな可憐な花と、シベリアの森林地帯にはえている様子を思い浮かべてぽ~(*^。^*)とした気分になったことからすぐゲット。

たくさんの花を楽しませてくれました。

さて、昨日持って帰ったフランネルフラワーは、通算6代目(もっとかも)を襲名。
できる限り、一冬でも二冬でも越させてあげたいところです。
いつものように、ブルーベリー用の土で育ててみます。

フランネルフラワーシリーズは右側のカテゴリー「フランネルフラワー」からご覧ください。

ガガーリン86 月の裏側でガガーリンとコロリョフとツィオルコフスキーが

4月12日はガガーリンが1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行を成し遂げてからちょうど50年目でした。
世界各地に1961年4月12日に生まれたことから、ガガーリンの名前ユーリにちなみ、ユーリ、由利と名付けれた方がいらっしゃるはず。 その方達も50歳のおじさま、おばさまとなり、きっとまわりの方から誕生日のお祝いをしていただいたことでしょう。

さて、ボストークで108分の宇宙飛行をしたガガーリンは、帰還後、一躍時の人となり、盛大なパレードや祝典を体験。世界中の新聞やテレビで紹介され、日本(1962年来日)他さまざまな国を歴訪となりました。

一方、このプロジェクトの重要な位置を占めるセルゲイ・パヴロヴィッチ・コロリョフ(Сергей Павлович Королёв)はまったく表舞台に姿を現しません。
ガガーリンと書記長フルシチョフが並ぶ写真があってもそこにコロリョフの姿をみつけられません。 ソビエトの当時の新聞、イズベスチヤ、プラウダにもガガーリンの脇に科学者etc.がいる写真はあってもコロリョフの姿はみつけられません。

ソビエトの新聞『プラウダ』でガガーリンの連載「Дорога в космос/ダローガ・フ・コスモス。宇宙への道の意味)が掲載されます。その中でコロリョフはглавный конструктор (グラーヴヌイ・コンストラクトル)と肩書きで登場しますが、名前は明かされていません。

コロリョフの存在が国家機密のためで、公に発表されたのはコロリョフの死後(1966年)以降と言われています。

手元にある「ダローガ・フ・コスモス」で確かめてみます。

【ソビエトでの原著】
◆1961年初版→главный конструкторの肩書きのみ。コロリョフの名前、写真なし。
◆1962年版→   〃
Gagarinkolorev ◆1969年版→本文ではглавный конструкторの肩書きのみ。コロリョフの名前なし。ただし、ガガーリンとコロリョフの2ショット写真が掲載。その下にコロリョフの名前も記されていました。


1969年版で紹介された2ショット写真です⇒

【日本での翻訳本】
◆「宇宙への道」江川卓訳(新潮社 1961)→главный конструкторを日本語訳した設計技「師長の肩書きのみ。コロリョフの名前、写真なし。
◆「地球の色は青かった」朝日新聞社訳(朝日新聞社 1961)→建造主任の肩書きのみ。コロリョフの名前、写真なし。
◆ 宇宙への道」日本共産党中央委員会宣伝教育文化部訳(日本共産党中央委員会出版部 1962)→設計主任の肩書きのみ。コロリョフの名前、写真なし。
となっています。

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1969年にソビエトで出版された「ダローガ・フ・コスモス」にコロリョフの顔と名前が記載されているのは死後となったからなんでしょうね。

というように、黒子の存在であったコロリョフですが、今では何枚もガガーリンと親しそうに肩を並べた写真をみることができます。ずんぐりむっくりした体型で、フィギュアスケートのエフゲニー・プルシェンコ他の名選手を育てたミーシン監督に似ているなあと思います。

そんなガガーリンとコロリョフ、二人とも月の裏側のクレーターにその名前をつけられているのです。

JAXAのサイトの「かぐや画像ギャラリー」で月の裏側の地図を見ることができます。
リンク先の月の地図を開き、地図をクリックすると拡大図が表示されます。100%ぐらいにすると地名がわかりやすくなります。下の図を参考に場所をみつけてみてください。

Moonfarsidegagarintrio
私がペイントでおおまかな位置を描いてみました⇒


中央やや右よりにクレーター・コロリョフが、左少し下にクレーター・ガガーリンが、そしてその左には宇宙飛行の父と呼ばれるツィオルコフスキーのクレーターも。ツィオルコフスキーはガガーリンが子供の頃に著作を読んで宇宙にあこがれたきっかけとなった人物です。

生前、ガガーリンとコロリョフが公の場で並ぶ姿を晒すことはなかったわけですが、月の上ではかなり近いところに並んでいます。
とはいえ、二人がいるのは月の裏側。地球からは見えない位置。人目には見えない位置。空の上でもひっそりと目立たない関係なのですねえ(^_^.)。

2011年4月12日 (火)

日本三代実録をみてみました(その2)貞観の越中越後地震、富士山噴火、阿蘇山噴火、天文・気象現象

平安時代の貞観の頃は火山の噴火、地震が多発していたのですね。
この頃起きた天変地異を挙げてみます。
(通し番号は便宜上つけました。貞観地震を軸に前後何年かも記してみます)

1)貞観5年(863年)越中・越後地震(富山・新潟)(-6年) →詳細はこの記事の下を
2)貞観6年(864年)駿河国、富士山大噴火(静岡・山梨)、阿蘇山噴火(熊本)(-5年)  →〃
3)貞観9年(867年)豊後、鶴見岳噴火(大分)、阿蘇山噴火(熊本)(-2年)
                            →詳細は4月16日のこちらを
4)貞観10年(868年)播磨・山城地震(兵庫・京都)(-1年)→      〃

貞観11年(869年)三陸大地震(貞観大地震)(東北) →詳細は4月9日のこちらを
4)’貞観11年(869年)肥後国(熊本)で地震? →           〃
5)貞観13年(871年)出羽国、鳥海山噴火(秋田・山形)(+2年)  →詳細は4月28日のこちらを
6)貞観16年(874年)薩摩国、開聞岳噴火(鹿児島)(+5年) →  〃
7)元慶二年(878年)相模・武蔵地震(関東)(+9年)  →詳細は5月1日のこちらを
8)仁和元年(885年)薩摩国、開聞岳大噴火(鹿児島)(+16年) →詳細は5月2日のこちらを
9)仁和二年(886年)安房国(千葉)で地震←新島噴火か(+17年) →  〃
10)仁和三年(887年)南海地震、東南海地震、東海地震(+18年)→ 〃

主に貞観時代の3年~16年を中心に『訓読日本三代実録』訓読者武田祐吉、佐藤謙三(臨川書店 1986) 』の中から、大地震関係、気になった天文、気象、不思議現象を挙げてみました。

---------------------注意-----------------------------

※すべての現象を網羅しているわけではありません。地震、日蝕月蝕この他にも記載ありますが一部だけピックアップしています。

※引用部分は色字。青=地震、噴火関係。紫=天文、気象現象。緑=不思議現象、その他。黒地は直接の引用ではなく私が要約したもの。

※【】はページの上につけられている見出し(後世につけられた)を私がピックアップ。

※漢字につけられたルビを参考に一部、私が現在わかりやすい漢字やひらがなに直しています。送り仮名他、わかりやすくするため原文と違っているところもあります。
ex辨ちがたく→わかちがたく

※記録の日付も漢数字をアラビア数字に直しました。

※日付の後の「甲子」などの表記は省きました。 注意して書き起こしていますが、間違いもあるかもしれません。ご了承ください。

------------------------------------------------------
貞観3年(861年)

4月7日 
地震。
(私メモ/4月7日に福岡県直方市の須賀神社に隕石が落下したという直方隕石。直方隕石の報告が記されていたらと思ったのですがありませんでした)

4月14日
空中に声ありて雷の如かりき。 p130
(私メモ、頻繁にこの現象がでてきます。雷とは違うのであれば、爆発音?隕石落下?と思ったりもしますが謎です)
8月16日
 月蝕 p140
8月27日
 空中に声有り、雷の如かりき。 p142
8月29日
 この月、京邑のところどころに梨すもも花咲き、或は実なりき。 p142

ブログに挙げませんでしたが、貞観3年も4年も頻繁に地震が起きています。

貞観4年(862年)
3月16日
 天の東に声有り、雷の如かりき。 p156
8月1日 
 日蝕
8月9日 但馬国言へらく、『慶雲見えき』と。 p168

11月3日 地大いに震ひ動きき。 p173

貞観5年(863年)
2月19日
【日月の光に異変有り】 16日より18日に至るまで、日初めて昇るに白くして光無く、月初めて出づるに、赤きこと丹の如し。 p192
3月2日 空中に声有りて、雷の如かりき。 p193

1)越中・越後地震に関して
(「理科年表」では⇒No.18。西暦863年7月10日。貞観5年6月17日。越中・越後:山崩れ、谷埋まり、水湧き、民家破壊し、圧死多数。直江津付近にあった数個の小島が潰滅したという)

6月17日【越中越後等に大震あり】
越中越後等の国、地大いに震ひき。陵谷ところをかへ、水泉湧き出で、民の蘆舎をこば(壊)ち、圧死する者おおかりき。これより後、毎日常に震ひき。
p202
-------------------------------------------


閏6月2日 大和国言へらく『石上神社の南に、五色の雲を見き』と。
閏6月9日 地震。
閏6月19日 暁に流星有りて、西に行きき。 p203
7月1日
 日蝕。
7月2日【流星の兆により伊勢大神に祷る】
     勅(みことのり)として伊勢大神に使いを送り、祈ったことが書かれています。
     去月流星有り、神官卜へて云はく、『天照大神祟りを成さん』と。故にいのりて以て不祥を防ぎしなり。p204

貞観6年(864年)
3月14日
彗星東にあらわれ、營室(えいしつ)の宿に在り、長さ四許尺なりき。 p241 

2)富士山大噴火に関して------------------
5月25日【駿河国、富士山の噴火を報ず】駿河国言へらく、『富士郡の正三位浅間大神の大山に火あり。その勢いはなはだ盛んにして、山を焼くこと方一二許里、ほのお(光炎)の高さ二十許丈、雷有り、地震ること三度、十日あまりをふ(歴)れども火なほ消えず、いわ(巌)を焦がし嶺を崩し、沙石雨ふるが如く、煙雲欝蒸して人近づくを得ず。大山の西北に本栖水海あり。焼けし巌石、流れて海の中に埋れ、遠さ三十許里、広さ三四許里、高さ二三許丈いして、ほのお(火焔)ついに甲斐国の境につく』と。 p243 


7月17日【甲斐国、富士山の噴火を報ず】甲斐国言ひけらく、『駿河国富士大山にたちまち暴火あり。崗巒(かんらん)を焼碎(しょうさい)し、草木を焦殺し、土を鑠(とか)し石を流し、八代郡の本栖、ならびに剗(せ)のふたつの水海を埋む。水熱くして湯の如く、魚龞(ぎょべつ)皆死に、百姓の居宅(いえ)、海と共に埋れ、或は家有りて人無きもの、その数記し難し。ふたつの海より東にもまた水海有り。名づけて河口海(かわぐちのうみ)と言ふ。ほのお(火焔)赴きて河口海に向ひき。本栖、剗(せ)等の海のいまだ焼け埋れざる前、地大いに震動して雷電暴雨あり、雲霧晦冥(うんむかいめい)して山野わかちがたく、しかる後にこの災異有りき』と。 p246
-------------------------------------------


9月9日【流星】この夜、星有り。紫微宮(しびきゅう)より出でて、昴に入り、長さ三丈余ばかりなりき。 p254
10月7日
【怪光見ゆ】夜、北山に光有り、雷の如かりき。また朱雀門前に赤き光を見る。長さ五尺ばかりなりき。
10月9日 地震。p254
10月12日
 地大いに震ひ動きき。 p256
11月13日
 夜、熒(けい)惑弖(てい)に入り守りき。 p256

2)阿蘇山噴火に関して--------------------
12月26日
【大宰府、阿蘇山の神霊池の異変を報ず】大宰府言へらく、『肥後国阿蘇郡の正二位勲五等健磐龍命神霊池、去る十月三日の夜、声有りて震ひ動き、池の水空中に沸き騰(あが)りて東南にそそぎ落つ。その東の方に落ちしは、布の如くにして延びひろがり、広さ十許町(じゅうちょうばかり)、水の色漿(しろみづ)の如くにして草木に粘着し、旬月を経といえども消え解けず』 p258

(私メモ、気象庁の阿蘇山 火山活動の記録(ttp://www.seisvol.kishou.go.jp/fukuoka/503_Asosan/503_rireki.html)をみると貞観6年の阿蘇山の噴火は11月9日となっています。ですので上記の10月3日の夜の異変というのは噴火前の現象のことになるのでしょうか。噴火そのものの記載はみつけられていません
追記20114.15 阿蘇山の「神霊池」=「噴火口」だったのですね。ですので日本三代実録の上の12月26日の記述も下の貞観7年2月10日の記述も阿蘇山噴火のことにまちがいありません。ただ、気象庁の記録と日付が違っているのが少し謎です)


貞観7年(865年)
2月1日
【流星】この日、夜、星有り。東井を出でて軫に入り、色白くして、長さ二丈余なりき。p267
2月10日
【阿蘇山神霊池の変により寺社に祈り、孤独者を恵み、未納税を免除す】
天皇からの詔(みことのり)の文言が記されています。抜粋で
「去冬、大宰府言上す、「肥後国阿蘇郡に在る神霊池は、淫雨を経れども増すこと無く、亢陽に在りても減らず。しかるに今故なくして沸騰し、他の県に衍溢す」「鰥寡孤独(かんかこどく)の自ら存ふること能はざる者には、量りて優賑を加へて支濟するを得しめよ。また天安二年以追往の租税の未納は、皆詭責することなく一(もは)ら蠲除(けんじょ)に従へ。」この詔書を太政官が五畿七道に頒下しました。その中でも詔を受けて、「鰥寡孤独の自ら存ふこと能はざる者には、救急の義倉の内をもちい、国司(こくし)相量(あいはか)りて給すべし。また天安二年以往の租税の未納の、所司の文簿に載れるは、ことごとく原免に従へ」 p268
と記しています。阿蘇山の噴火で被災された方達を手厚く助け、税の負担を考慮することなどの指示がされていますね。

日本三代実録 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

2011年4月 9日 (土)

『日本三代実録』に貞観地震の記述を探してみました

平安初期に、2011年東日本大震災と重なる地域で、甚大な被害をもたらした地震、貞観地震、貞観の大津波があったことを新聞で知りました。
『日本三代実録』に貞観地震について記述があると聞き、図書館で『訓読日本三代実録』訓読者武田祐吉、佐藤謙三(臨川書店 1986) 』を借りてきました。

『日本三代実録』は歴史書。国の役人の人事、行事、地震、疫病などについて記されているのですが、その一方、雷、流星、日蝕などの気象・天文現象も頻繁に書かれています。
昔は、まつりごとに天文現象の吉凶が大きく影響したのでしょうね。だからこそ陰陽師も活躍したんだろうなとあらためて感じました。

まず、貞観地震(貞観11年5月26日/西暦869年7月13日)についての記述を紹介します。


1)引用部分は青字。
2)【】はページの上につけられている見出しを私がピックアップ。
3)漢字につけられたルビを参考に一部、私が現在わかりやすい漢字に直しています。記録の日付も漢数字をアラビア数字に直しました。
4)日付の後の「甲子」などの表記は省きました。

また、例によって、古文や日本史に詳しくない私が書いています。解釈も少し自信ないです。
興味ある方はどうぞ、現物でお確かめください。


4)貞観の大地震に関して
(「理科年表」では⇒No.20。西暦869年7月13日。貞観11年5月26日。M8.3。三陸沿岸:城郭・倉庫・門櫓・垣壁など崩れ落ち倒潰するもの無数。津波が多賀城下を襲い、溺死約一千。流光昼のごとく隠映すという。三陸沖の巨大地震とみられる)



貞観11年5月26日【 陸奥国に大地震 津波あり

陸奥国、地大いに震動りて、流光昼の如く陰映す。しばらくのあいだに人民叫び、伏して起つ能はず、或は屋倒れておされ死に、或は地裂けて埋れ死にき。馬牛は驚き奔りて或は相昇り踏む。城郭倉庫、門櫓牆壁のくづれくつがえるものは其の数を知らず。海口(みなと)は哮吼えて、声いかづちに似、なみ(驚濤)湧き上がり、くるめ(泝洄)き、みなぎりて忽ちに城下に至り、海を去ること数十百里、浩々としてそのはてをわきまえず、原野も道路もすべてうみ(滄溟)となり、船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、たから(資産)も苗もほとほと残るもの無かりき。 p454

1100年ほど前に、同じように甚大な被害がおきていたのですね。記述に身がすくむ思いがします。

その後、この地震について記載されている場所をいくつか挙げますと。


貞観11年9月7日【検陸奥国地震使を任ず

検地震使というのは、平安時代、臨時に震災地に派遣して被害状況を検分させた官使のこと。紀朝臣春枝が陸奥国の地震を検する使い任命されたことが書かれています。



貞観11年10月13日【陸奥国の震災を慰問せしめ給ふ

詔して宣ひけらく、として書かれた言葉の中に陸奥国の地震がでてきます。清和天皇の勅命ということでしょうか。

地震の被害の大きさの報告を受けたことを述べたあとに

「百姓何の罪ありてか、この禍毒に罹ふ。憮然としてはぢ懼れ、責め深くわれ(予)に在り。 (私による中略)。
その害を被ることはなはだしき者は、租調をいた(輸)さしむるなかれ。鰥寡孤独(かんかこどく=身寄りもなく孤独な人)の、窮して自ら立つ能はざる者は、在所に斟量(しんりょう=事情心情をくみ取る)して厚く支えたすくべし。務めてきんじゅつ(衿恤)の旨を尽くし、朕みづから観るがごとくならしめよ」 p463

とあります。 租調は米と絹などの織物を納めていたと当時の税ですね。
租調をいた(輸)さしむるなかれ は 、納めることを免除させなさいという意味かしらと。
被災された人の事情や気持ちをおしはかって、手厚く支えてあげてほしいという強い思いを感じました。

このあと、みことのりは10月20日にも出ています。こちらは肥後国の水害に対してです。


貞観11年12月14日【災害異変により伊勢大神宮に奉幣す

いくつもの災害や海賊のよる被害などが続いているために、天皇が伊勢神宮に使者を派遣し、わざわいを鎮め平安をもたらす奉幣をしたことが記されています。
その告文の中に、肥後と陸奥国の地震のこともでてきます。そこを抜粋・


肥後国に地震風水(かぜあめ)の災いありて、家ことごとくに倒れ、くつがえり、人民多に流れ亡せたり。かくのごとき災い、いにしへよりいまだ聞かずと、おきなたちも申すと言上したり。しかる間に陸奥国また常に異なる地震の災い言上したり」。

この告文の最後は

「天の下、躁驚なく、国の内平安に鎮め護りたすけ賜ひ、皇御孫命の御體を、常磐堅磐に、天地月日と共に、夜の護り昼の護りに、護り幸へめぐみ奉り給へと、かしこみかしこみも申し賜はくと申す」

こういう過去の歴史書は記録をまとめた事務的なもの、「想い」が見えるとは考えていなかったのですが、被災者の方達の苦しみをなんとか減らしてあげたいとする詔(みことのり)の切なる思いが1000年余りの時を超えてドーンと伝わってきました。

平成の時代。大変な思いをされている被災者の方達に、みんなが何かをしたいと思い(私も微力ながらできることをして)、その一方で、テレビで映し出される被災者の方達のたくましさに逆に私たちがパワーをいただいている状況。
行政を担う方達は、この詔を読んでいただきたいと思います。

(2011.5.29追記)
貞観11年12月14日の記録の中「肥後国に地震風水の災いありて~」とありますよね。
いつこの地震があったのかしらと、『日本三代実録』を読みかえしてみました。
はっきりと該当するものが見当たりません。

11年の記録ですと、7月14日に暴風雨の災害はあったことがわかりますが、地震という言葉はありません。

7月14日
肥後国に大風雨あり。瓦を飛ばし樹を抜き、官舎民居の転倒する者多く、人畜の圧死するものもあげて計ふべからず、潮水潮溢して六郡を漂没しい。水引きし後、官物を捜摭せしに、十に五六を失ひき。海より山に至る、その間田園数百里、陥ちて海となりき。 p458

ただ、建物の倒壊や圧死があったり、浸水してその後も土地が陥没して数百里海になったという記述をみると、ただの暴風雨とは思えないところもあります。

10月23日の詔の中にも「肥後国」は出てきます。↓

10月23日
「如聞(きくならく)、肥後国迅雨暴を成し、坎徳災いをなして、田園ゆえに淹傷し、里落それによりて蕩盡しきと。 (私による略) 壊垣毀屋の下のあらゆる残屍乱骸ははやく收埋を加へて、曝露せしむべからず」 p464

坎は水を表すので、やはりここでも暴雨風による水害としか説明されていません。 が、やはり倒壊した家屋で多くの人が亡くなっていることを考えると暴風雨(超大型台風だとしても)だけが原因とは思えないような。
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貞観11年の記録で貞観の大地震以外にいくつか目に留まったものをピックアップ。

3月3日陰陽寮言しけらく、『今年夏季、まさに疾病有るべし』 p448
7月7日 
地震。
7月8日 大和国十市郡椋橋山の河岸崩れ裂けき。 p458) 
9月25日
 地震。
12月13日
 地震。
12月23日 
地震。

日本三代実録  その2 その3 その4 その5 その6 その7

2011.6.12 おわびと訂正。このシリーズ、ずっと『日本三大実録』と書いていました。正しくは『日本三代実録』です。不注意でした。申し訳ありません。

2011年4月 7日 (木)

ガガーリン85 もうすぐ人類初の有人宇宙飛行から50年

ガガーリンに関して、ひさしぶりの更新です。2011年4月12日はガガーリンが1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行を成し遂げてから50年目。

新聞によると、それにちなみ「ガガーリン」名付けられたソユーズ宇宙船が5日、カザフスタンのバイコヌール基地から打ち上げられたそうですね。50周年の12日には宇宙ステーションで記念行事が予定されているとか。

50周年にちなんだサイト「50 летие первого полета человека в Космос/50th anniversary of the first human's flight into space)があります。(ttp://www.gagarin-polet50.ru/)
Поехали! (パイエハリ、出発だの意味)」をクリックしてメニューページへ。
ロシア語のサイトですが、英語バージョンもあります。

おすすめは、ボストークに乗船しているガガーリンと地上のコロリョフ他との交信記録のページ。
ロシア語バージョンは「Как прошел полет?」をクリックしてご覧ください。
英語訳バージョンは「abour fight」をクリックして「How was flight?」をご覧ください(ttp://www.gagarin-polet50.ru/en/about-flight.html)。

ガガーリンのコールサインはКедр(ケードル)。英語ではceder。杉のことです。
кедр(ケードルです。英語ではシダー。杉のことです。
地上のコロリョフ他のコールサインはЗаря(ザリャー)。夜明けのことです。ですので英語訳バージョンではdawnとなっていますね。

交信記録は宇宙へ出発する前からはじまっています。スタンバイしたガガーリンが出発するのが9時7分ごろ。
ロシア語版の9時7分のところで、Поехали!が赤字になています。英語バージョンではGo!が赤字になっています。この「出発だ!」がロシアでは一番有名なガガーリンの言葉の一つ(名言のように)となっています。

交信記録の何か所かを抜粋してみましょう。(青字は引用部分)

はじめて地球について語るのは9時10分。
вижу Землю(ビージューゼムリュー)。英語版ではI see the Earth となっています。

ガガーリンが宇宙に旅立った第一声が「地球は青かった」だと思ってこられた方もいらっしゃるかもしれませんが、違うことがおわかりになりますね。

ガガーリンが「地球&青」について語るのは9時27分です。
ロシア語では
Вижу горизонт Земли.Но звезд на небе не видно. Видна земная поверхность. Земная поверхность видна в иллюминаторе. Небо черное. И по краю Земли, по краю горизонта такой красивый голубой ореол, который темнеет по удалении от Земли.
英語では
I see the horizon of the Earth. The sky is black. But stars in the sky aren’t visible. The terrestrial surface is visible. The terrestrial surface is visible through the window. And on the edge of the earth and that of the horizon there’s such a beautiful blue aura which is darkening after the removal from the Earth.

訳してみますと(英語があるので私がつたない日本語訳を添えることもないのですが)
地球の地平線(水平線)が見えます。しかし、空に星は見えません。地表が見えます。地表がのぞき窓から見えます。空は黒いです。一方、地球のふち、つまり地平線の際は非常に美しい青い光の輪になっています。この光の輪は地球から離れるにつれ、暗くなっていきます。

10時6分も美しい地球の様子についての記述です。
ロシア語では
Вижу горизонт Земли. Очень такой красивый ореол. Сначала радуга от самой поверхности Земли и вниз. Очень красиво.

英語では
I see the horizon of the Earth. There’s such a beautiful aura. At first There’s a rainbow coming off the surface of the Earth and downwards.

うまく訳せないのですが
私は地球の地平線を眺めています。とても美しい光の環です。最初、地表の際から虹が現れ、下へと移動します。
ということでしょうか。

shine交信記録を見ると、ガガーリンがしゃべってばかりのことに驚かれるかもしれません。
宇宙の様子を映すカメラを持っていないため、ガガーリンが地上へと実況する必要があったわけですし、またガガーリンが語る言葉のトーン、脈拍他でガガーリンの体調を地上スタッフはモニタリングもおこなっていたのですね。

ボストーク乗船中に「地球は青かった」と語ったわけではないことに拍子抜けする方もいらっしゃるかもしれませんが、
9:27のようにもっとこまやかに、宇宙から眺める地球の美しさをガガーリンが言葉にしていることが、地球を包む大気が水色のオーラのようにみえる様子を語っていることが素晴らしいと思いませんか。

交信記録の前後を見ておわかりなるように、ガガーリンはよどみなく語りっぱなし。「いかに表現しよう」と躊躇している時間はありません。ガガーリンは卓越した実況能力も持っていたと感じます。

ガガーリンの交信記録については、右サイドの「ガガーリン記事一覧」からガガーリン4、6もご参照ください。

ベビーリーフ13日め、14日め、やっと4枚めの葉っぱが

ベビーリーフ、蒔いてから2週間となりますが、最近はあまり劇的な変化はありません。

Babyleaf13_110406 こちらは13日め(4月6日)の様子→
ハート型に近い葉の方は3枚め、4枚めの葉がでてきました。
丸っこい双葉とは違う、とがってギザギザした葉の形をしています。


Babyleaf14_110407

←こちらが14日め(4月7日)の様子
サザエさんリーフにも双葉の間から新しい葉が芽生えはじめています。

さて、蒔いた時、2つのペットボトルの鉢を用意しました。
片方は発芽するまで新聞紙で覆いました。
もう一方はそのまま陽のあたる出窓に置きました。
発芽するのは新聞紙で覆った方が早かったですがその後の成長具合はあまり変わりがないようにみえます。

2011年4月 3日 (日)

ベビーリーフ10日め。新しい葉が登場

Babyleaf10_0403 ベビーリーフ10日め(4月3日)の様子です。

まだまだほとんどが双葉のままですが、よくみると新しい葉が見えはじめているものもあります。
草木の「緑」というのはこんなに小さなものでも、パッとあたりを明るくする力がありますね。

Babyleaf09_110402 双葉が三つ葉になっているものがあってギョッとしたのですが、珍しいことではないようですね。

2011年4月 2日 (土)

この春2度目の桃源郷

3月27日にご紹介した桃源郷ですが、今日もう一度行ってきました。

110402togenkyomigi_2
110402togenkyocenter
110402togenkyohidari

あいかわらず携帯で撮ったので鮮明ではないですが。

27日と違ったところ。

*桃の枝の先に少し緑の葉っぱがみえはじめました。
*レモンイエローの花の色が黄色みが強くなりました。
*なだらかに丘が下っていくところ(2番目の写真でレモンイエローの花の左手に。3番目の写真では右手に)に淡いピンク色の花がたくさん咲いていました。花の色はソメイヨシノに似てますが、枝ぶりは違います。桜の一種だと思うのですが。
*背景の木々の芽吹きが進んでいました。とはいえ、この写真ですと、すべて深緑色のようにみえますが、まだ広葉樹は茶色い枝の先に芽が点描画のようにみえるだけです。

というわけで、一週間前より、桃以外で咲いている花が増えたり、レモンイエローの花の色が濃くなったりと、色の鮮やかさが増したように感じました。

少し葉が出始めた桃ですが、まだまだ楽しめそうです。

他の桃源郷の記事は右サイドバーの「花INDEX」を。

さて、27日は桃源郷のあと、おいしいパン屋のプロローグに寄りました。
今日は、おいしいパン屋、ベッカライ徳多朗に寄りました。

その様子はこちら

2011年4月 1日 (金)

ベビーリーフ8日め、新しい葉の予感

Babyleaf08_110401_1 3月31日の続きです。

ベビーリーフ8日め(4月1日)の様子です。
黄色い←は前回にも登場したランドマークの種2つです。

さて、まだ双葉のままですが、随分にょきにょきしてきました。
高身長グループのサザエさんリーフたちの他に、蝶々が羽をひろげたような形の双葉がいっぱいあります。
蝶々の羽のようにもみえますが、超多忙の官房長官、枝野さんの福耳のようにもみえます。

→まだすべて双葉ですが、
 Yの字に開いている様子がかわいいです。
 西城秀樹の歌の♪ワーイエムシーエーの
 「ワーイ」のポーズを総立ちでしているようにみえます。

Babyleaf08_110401_2


よくみると、
双葉の付け根に
次の葉が生まれてくる兆しがみえています。

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emi (秋田恵美)

  • プラネタリウムでのヒーリング番組制作に携わった後、現在は 土井利位侯の「雪華図説」をライフワークとして調べ中の図書館LOVER。              興味対象:江戸時代の雪月花、ガガーリン他。最近は、鳥にも興味を持ち始め、「花鳥風月」もテリトリーとなっています。
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