与野(さいたま市)のケヤキの木、受け継がれる300年のいのち
京浜東北線与野駅(埼玉県さいたま市浦和区)近くに大きなけやきの木がありました。
旧中山道と西高通りが交差するところに存在感をしめしてきたこの木は樹齢が推定300年を超える巨木。
「木がありました」と書いたのは去年2010年の5月に伐採されてしまい、今はあとかたもないからです。
幹が腐り、倒壊の恐れがあるということでやむおえない決断だったそうです。
この木の眺めが生活の一部となっていた私にとってとてもかなしい出来事でした。
今も、駅前から西高通りに向かう時は「けやきの木」がない風景をみたくなくて、眼をそらして歩いています。
高校生の時、地元の地主のおばあちゃまに「与野(よの)」の由来を教えてもらったことがあります。
中山道は参勤交代で大名行列が通った道。
ある殿様が参勤交代のたびに、このけやきの木のところを通ると、
「これは、よの木じゃ(私の木じゃ)、よの木じゃ」とこの木の木陰で休むことを好んだため、
そこから「与野」になったと。
郷土史には上の説は出ていないようですが、
このおばあちゃまの語る地名の由来は興味深いです
さて、多くの方に惜しまれながら伐採されたけやきの木ですが、
このケヤキからの苗木(2世)が配布されました。
こちらが我が家のけやき2世。
昨年はこんなかんじ。
冬に葉を全部落とし、枯れたか!
に見えたのですが
春になって、新たに葉をつけました。
わずか5ミリぐらいの若葉ですら、
いっちょまえにけやきの葉の形をしているのがかわいいです!
(写真の葉は長さ1センチぐらい)
この2世が初代ぐらいに大きくなる頃(300年先、私はもちろん居ない。生まれ変わったらいるかも)を想像して、
木の寿命の長さに頭がくらっとなりました。
そして私たちが親しんできた与野駅前のケヤキも
江戸時代、スタートはこんな若木だったかと思うと
300年よくぞ無事に成長して天寿を全うしてくれてとしみじみとした気持ちになります。
こちらは私が中学時代の美術の時間につくった、けやきの木のレリーフ。
このアングルが好きでした。
こちらは先着50名だったと思うのですが
母がゲットした時計。
去年伐採されたけやきの木の一部を
つかった時計です。
「大原の大ケヤキ」と書かれています。
伐採前の大きなけやきの木の画像をご紹介したかったのですが、
操作を間違え消去してしまいました。
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