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2011年5月30日 (月)

どらえもんとミッフィーが手をつないだ「てをつなごうだいさくせん」

ご存じの方も多いと思うのですが
「てをつなごうだいさくせん(http://www.teotsunago.com/)」をご紹介します。

私は姉からの情報で知ったのですが、
今回の大震災で被災した子供たちを励ますためにうまれたプロジェクト。

ぼくたちをみて子供たちが笑顔になってくれたらうれしいですという思いをこめて、
人気キャラクターがせいぞろい、手をつないでいる画像が公開されています。

ほーんとに豪華メンバー。
ドラえもんとミッフィーが手をつないでいます。
スヌーピーとピカチュウも。
リサとガスパール、チェブラーシカ、リラックマ、機関車トーマス、ピングーも参加。
そしてまーなんて懐かしい。
ブースカまでいるではありませんか!

商用以外の利用はOKとのこと。
Tewotsunago
↑マイオリジナルクリアフォルダーです。

エーワンのA4サイズの透明フィルムシートにプリントアウトして、
それをクリアフォルダーの表に張り付けてみました。
シートに貼る時に少し空気が入って、完全には密着できませんでしたが、
中に白い紙を入れれば目立たないです。

仕事場で使うと、楽しくてテンションあがります

作り方詳細。

エーワンの29293。水に強いフィルムシート、A4サイズノーカットを使用します。

 

 

①上記の「てをつなごうだいさくせん」のHP→縦バージョンの「A3サイズはこちらから」をクリック。
(A4サイズ縦というものがみつからないので)

②開いたpdfファイルの表示が「64.2%」となっているのを確認して、
左上のプリンターアイコンをクリック。

③プロパティから自分向けに設定します。
 ②で64.2%となっていれば、A4原稿のA4印刷
 ということで「等倍」の設定で大丈夫です。
 A3からA4に縮小という設定は不要です。
 用紙設定は私は「マットフォトペーパー」にしました。

④プリントしたものをクリアホルダーの表面にはります。
 裏面のシールをはがして貼るのですが、
 結構むずかしいです。
 ところどころ空気が入ってぼこっとしてしまいます。
 でも中に白い紙をいれると目立ちません。
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私はキャノンのプリンターをつかっていますが、顔料、染料インクともにOKです。
このフィルムは値段が高いのですが、水に強いことがいいです。
また厚手ですのではがして貼る時にしわくちゃになりにくいです。

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最初は薄手のフィルムシートを使ってみました。

 

 

↑こちらの商品です。
(私はテプラを持っていないので、
 手持ちのファイルやバインダーの背表紙は、
 このフィルムにタイトルをプリントして使っています。重宝しています)。

この薄手のフィルムに「転写」つまり左右逆にプリントして、
クリアフォルダーの内側に貼ろうと思いついたのです(
外側から貼ると、水などに触れた時が気になるため)。
私のプリンターですと用紙設定で「Tシャツ転写紙」を選択すると鏡面印刷(左右逆)ができます。
裏からこれを貼ると、表から正しい位置で絵が見えるというわけです。
早速試したのですが挫折。
このシートは薄手なこともあり、
クリアフォルダーの内側の面にA4サイズのものをしわくちゃにならずにきれいに貼るというのはとても難しかったでした。

ただ、全面印刷にしないで、好きなキャラクターだけをピックアップして小さく印刷すれば、
<鏡面印刷して裏からファイルに貼る>という手は使えそうです。

2011年5月29日 (日)

与野(さいたま市)のケヤキの木、受け継がれる300年のいのち

京浜東北線与野駅(埼玉県さいたま市浦和区)近くに大きなけやきの木がありました。
旧中山道と西高通りが交差するところに存在感をしめしてきたこの木は樹齢が推定300年を超える巨木。
「木がありました」と書いたのは去年2010年の5月に伐採されてしまい、今はあとかたもないからです。
幹が腐り、倒壊の恐れがあるということでやむおえない決断だったそうです。

この木の眺めが生活の一部となっていた私にとってとてもかなしい出来事でした。
今も、駅前から西高通りに向かう時は「けやきの木」がない風景をみたくなくて、眼をそらして歩いています。

高校生の時、地元の地主のおばあちゃまに「与野(よの)」の由来を教えてもらったことがあります。
中山道は参勤交代で大名行列が通った道。
ある殿様が参勤交代のたびに、このけやきの木のところを通ると、
「これは、よの木じゃ(私の木じゃ)、よの木じゃ」とこの木の木陰で休むことを好んだため、
そこから「与野」になったと。

郷土史には上の説は出ていないようですが、
このおばあちゃまの語る地名の由来は興味深いです

さて、多くの方に惜しまれながら伐採されたけやきの木ですが、
このケヤキからの苗木(2世)が配布されました。

こちらが我が家のけやき2世。
昨年はこんなかんじ。
Keyaki1

冬に葉を全部落とし、枯れたか!
に見えたのですが
春になって、新たに葉をつけました。 
Keyaki4_2010_2

わずか5ミリぐらいの若葉ですら、
いっちょまえにけやきの葉の形をしているのがかわいいです!
(写真の葉は長さ1センチぐらい)
Keyaki6up

この2世が初代ぐらいに大きくなる頃(300年先、私はもちろん居ない。生まれ変わったらいるかも)を想像して、
木の寿命の長さに頭がくらっとなりました。

そして私たちが親しんできた与野駅前のケヤキも
江戸時代、スタートはこんな若木だったかと思うと
300年よくぞ無事に成長して天寿を全うしてくれてとしみじみとした気持ちになります。

こちらは私が中学時代の美術の時間につくった、けやきの木のレリーフ。
このアングルが好きでした。
Keyaki3

こちらは先着50名だったと思うのですが
母がゲットした時計。
去年伐採されたけやきの木の一部を
つかった時計です。
「大原の大ケヤキ」と書かれています。
Keyaki5

伐採前の大きなけやきの木の画像をご紹介したかったのですが、
操作を間違え消去してしまいました。

2011年5月28日 (土)

心に留めたい素敵なメッセージ


Roseaobanoen201105
先日、誕生日のお祝いメールを
いろんな方がくださいました。
とてもうれしいです。ありがとうございます。

あたたかいメッセージの数々の中で、
高校時代から一緒にオフコースの音楽に燃えた
友達からの言葉にもじ~ん。
彼女のこの言葉のように私もなりたいと思い、
了承を経てご紹介します。

長く生きるとほんとにいろいろあるけれど、
どんな経験も出会いも無駄は無し。
「宝物がまたひとつ増えたね!」と微笑みながら人生の引き出しに大切にしまえる、
そんなたおやかさと穏やかさを持って歩んでいきたい。

ほんと、こうありたいです。生きているといろんなことありますよね。谷あり山あり。花あり、棘あり。
甘いも苦いもすっぱいも辛いもいっぱいいっぱい。

それはきっとこれからも。

つらいことが起きても「どんな経験も無駄はなし」と、
落ち着いて、荒れることなく引き出しにそっとつらいことをおさめることができる。
そんなたおやかさ、私も身に着けたいです。

女性として目指す姿は皇后美智子さま、そして一緒に並べるにはおそれおおいけれど、母です。

2011年5月27日 (金)

2011秋~の浅田真央に期待すること

浅田真央、もう2011年秋からのシーズンの曲はもうきまっているのでしょうけれど、一ファンの勝手なリクエストを。

続きを読む "2011秋~の浅田真央に期待すること" »

2011年5月26日 (木)

古事記の面白さに目覚めました!

5月22日の続きです。
『五月女ケイ子のレッツ!!古事記』があまりに面白くて、原文を読んでみたくなりました。

本を手に取ると。よくわかるのです。難しい小説が映画版を見たあとは読みやすい、あの感覚に似ています。

五月女さんのピックアップの仕方がうまい!とあらためて感じました。

原文を読んで面白かったところをご紹介します。

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3通りの文章があります。漢字だけの原文。古文体で書かれたもの。現代語訳。

『古事記 全訳注』上巻 次田真幸(講談社学術文庫)からの引用はパープル(資料名A)。
『古事記注釈』西郷信綱(ちくま学芸文庫)からの引用は緑(資料名B)。
『五月女ケイ子のレッツ!!古事記』からの引用は青文字。

1)おのごろじま

伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が天の沼矛をぐるぐるさせてつくった島、
淤能碁呂島(おのごろしま)は
おのずから凝って生じた島の意味とのこと(資料B 第一巻 p139 )

2)22日のブログで取り上げた「私の体はだいたい良くできていますがなんだか足りない穴があるようです」
「なんと私の体にはちょうど余って飛び出してる部分があるんだけど」のくだり。

「吾身者、成成不成合處一處在」「我身者、成成而成餘處一處在」 (資料B 第一巻 p141)

資料Bでは解説で、肉体的なものいいは神話世界の特徴と書かれています。
また柱をめぐってイザナキとイザナミが声をかけあって婚姻するくだりに関して、この御柱は陽物の象徴であることが語られています。(P147)

3)ゲロ、小便、大便から生まれた神様。

22日のブログで、イザナミの
ゲロ、小便、大便から神様が生まれるくだりをご紹介しましたが、資料Aからそのくだりを。

たぐりに成りし神の名は、金山毘古(かねやまびこの)神、次に金山毘売(かねやまびめ)の神。次に屎(くそ)に成りし神の名は、波邇夜須毘古(はにやすびこの)神、次に波邇夜須毘売(はやすびめの)神、次に尿(ゆまり)に成りし神の名は、弥都波能売(みつはのめの)神、次に和久産巣日(わくむすひの)神。


現代語訳/その時の嘔吐から成った神の名は、カナヤマビコノ神とカナヤマビメノ神。次にから成った神の名は、ハニヤスビコノ神とハニヤスビメノ神である。次に尿から成った神の名は、ミツハノメノ神とワクムスヒノ神である。 (資料A p51~)
※たぐり=嘔吐。

4)イザナミの愛憎。

22日のブログでも紹介したイザナミイザナキの
「こんなことをなさるならあなたの国の人々を一日に1000人ずつ殺してやりますわ」「それなら私は一日に1500人の子供を生ませることにしよう」やりとりの原文を。

「愛我那勢命、爲此者、汝国之人草、一日絞殺千頭。」「愛我那邇妹命、汝爲然者、吾一日立千五百産屋 (資料B 第一巻 p258)


「愛(うつく)しき我(あ)がなせの命(みこと)かくせば、汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(くび)り殺さむ」「愛しき我が汝妹(なにも)の命、汝然せば、吾(あれ)一日に千五百(ちいほ)の産屋(うぶや)立てむ」

現代語訳/「いとしいわが夫の君がこんなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を、一日に千人絞め殺しましょう」「いとしいわが妻の命(みこと)よ、あなたがそうするなら、私は一日の千五百の産屋を建てるだろう」
(資料A p61)

5)天照大神に勝ったスサノオが暴れる場面。

22日のブログでも紹介したこの場面の原文を。


天照大御神之営田之阿、埋其溝、亦其於看大嘗之殿、屎麻里散。 (資料B 第二巻 p 106)

勝(かち)さびに天照大御神の営田(つくだ)の畔を離ち、その溝を埋め、またその大嘗(おほにへ)聞こしめす殿に屎(くそ)まり散らしき。

現代語訳/勝ちに乗じて天照大御神の耕作する田の畔を壊し、田に水を引く溝を埋め、また大御神が新嘗祭の新穀を召し上がる神殿に、屎をひり散らして穢(けが)した。
 (資料A p87)

天照大御神がスサノオのご乱行をかばう言い訳、可笑しいです。


「屎如(な)すは、酔ひて吐き散らすとこと、我がなせの命(みこと)かくしつらめ。また田の畔を離ち溝埋むるは、地をあたらしとこそ、我がなせの命かくしつらめ」

現代語訳/「あの屎のように見えるのは、酒に酔ってへどを吐き散らそうとして、わが弟君はあのようなことをしたのであろう。 また田の畔を壊したり、溝を埋めたりするのは、土地をもったいないと思って、我が弟君はあのようなことをしたのであろう」
 (資料A p87~89)

6)おまるは由緒正しい言葉。

トイレにいけない小さな子が用を足す「おまる」。「おまる」という言葉は古事記の時代からある由緒ある言葉が元だったのですね! 上記の5)の文章に「屎まり」ってありますよね。資料B 第二巻 p116に
「まる」は大小便をすることと注釈があります。「まる」から古事記の「屎まり」の表現がうまれ、また現代の「おまる」につながっているのです。

7)若手女優武井咲の名の読み方が「えみ」なのも由緒正しかった!

なぜ「咲」と書いて「えみ」と読ませるのかと疑問だったのですが。古事記のアマノウズメがストリップをして他の神様が盛り上がるという有名な場面を読んでびっくりしました。


神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於蕃登也。爾高天原動而、八万神共咲。 (資料B 第二巻 p127)

神懸りして、胸乳をかき出て、裳緒(もひも)をほとにおし垂れき。ここに高天原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。

現代語訳/神がかりして、胸乳をかき出し裳の紐を陰部までおし下げた。すると、高天原が鳴りとどろくばかりに、八百万の神々がどっといっせいに笑った。
 (資料A p88~91)

このくだりで「咲」と書いて笑(わら)うと読ませています。
資料B 第二巻 p161の注釈で、
咲は笑の異体字、と書かれています。
笑うといえば微笑み(ほほえみ)の「えみ」。なので咲=笑=えみと読ませられるのですね。

8)いなばの白兎がワニに言ったおっちょこちょいの一言。

数を数えるからとだまして、ワニの背をぴょんぴょん渡った白うさぎ。せめて、陸に渡ってから、「おまえをだました」と言えばいいものを陸に渡りきる前に言ったものだから、手酷い怪我を負ってしまいます。
その原文を。


今将地時、吾云、汝者我見欺言竟、卽伏最端和邇、捕我悉剥我衣服 (資料B 第三巻 p14)

今地に下りむとする時に、吾云はく『汝は我に欺かえつ』と言ひ竟(をは)る即(すなは)ち、再橋に伏せる和邇(わに)、我を捕へてことごとに我が衣服を剥ぎき。

現代語訳/今や地上に下りようとするとき、私が『お前は私にだまされたのだよ』と言い終わるやいなや、一番端に伏していたワニが私を捕えて、私の着物をすっかり剥ぎ取りました。
 (資料A p109~111)

ううーん。おっちょこちょいというか自業自得ですね

9)古事記の言葉のひびきはエキゾチック。

現代の日本語とは少し違う語感が気持ちいいです。ハワイの言葉といわれても納得してしまうようなエキゾチックさもあります。いくつかピックアップ。
黄泉比良坂(よもつひらさか)。
奴那登母母由良爾(ぬなとももゆらに/ヌナトは玉の音。モユラは玉がふれあって鳴るさま/資料B 第二巻 p53、58)。
天之真名井(あまのまない/高天原にあるとされた神聖な泉/資料A p84)。
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)。
櫛名田比売(くしなだひめ)。
須世理毘売(すせりひめ)。
内者富良富良、外者須夫須夫(内はほらほら外はすぶすぶ)。
天知迦流美豆比売(
あめちかるみづひめ)。
天之御舎(あまのみあらか/神聖な宮殿/資料A p169)。
番能邇邇芸命(ほのににぎのみこと/「ほのににぎ」は稲穂の豊かに実る意/資料A p172)。
木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)。
火遠理命(ほをりのみこと)。
日子穂穂手見命(ひこほほでのみこと)。
塩盈珠・塩乾珠(しおみつたま・しおふるたま)。
鵜葺草葺不合命(うかやふきあへずのみこと)。
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ところで、古事記にはいくつも地名がでてきますよね。
淡海の多賀、気多、出雲、伊予…。自分の住んでいるところが出てくる方々、ウラヤマシイ!
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2011年5月22日 (日)

『五月女ケイ子の レッツ!! 古事記』最高です


五月女ケイ子のレッツ!!古事記

 

とってもしびれる本に出会いました。
それは『五月女ケイ子のレッツ!!古事記』。

しりあがり寿さんの絵が好きな人は好きであろう五月女ケイ子さんの少しレトロな絵による古事記の漫画です。

この本を読むと
1)古事記の世界がよくわかります
2)古事記の原文を読みたくなります
3)少なくとも5人の人にこの本を見せたくなります。
4)こんなぶっとんだ神話のある日本に生まれたことがうれしくなります。

でも、けっして大人は電車の中で読まない方が。
漫画を電車の中で読んで時々にやにやしてる変な人と思われちゃうでしょう。(実体験より)。
高尚な?古事記を読んでいるなんて思ってもらえないですからね~。

古事記についてどのくらいご存知ですか。
私の場合、子供の頃、ダイジェスト版を読みました。
高校時代の古文の授業でスサノオとヤマタノオロチの対決のくだりを勉強しました。
その他、天の岩戸に隠れた天照大御神 、イザナキイザナナミ、
いなばの白兎他、要所要所をなんとなく知っていたわけで、
きちんと「作品」として読破したことはありませんでした。

この『レッツ古事記』を読んで、
えー、こんなにぶっとんでえぐくってシュールで奇想天外な話だったっけ!!」と驚いてしまいました。
現代のどんなストーリーテーラーもかなわないはず。

この本、5時間ぐらいあれば読み終えるでしょう。
それで古事記の要所要所がわかってしまうのですから漫画の力って偉大ですね。
すべてのページが面白いのですが、とくに私が気に入ったところ、衝撃を感じたところをご紹介。
青字は『五月女ケイ子のレッツ!!古事記』からの引用部分です。

1)イザナキとイザナミが国を造る場面。

天の沼矛をぐるぐるしてオノコロ島を造った後に二人はこんな話をします。
イザナミ(女性)
「私の体はだいたい良くできていますがなんだか足りない穴があるようです」
イザナキ
「なんと私の体にはちょうど余って飛び出してる部分があるんだけど」
そこで二人はHをして国を造ったのです。
びっくりしました。こんな展開だったとは。

子供のころ読んだ古事記は露骨には書かれていなくてオブラートにつつまれていたのでしょう。
ちなみにこのくだりは『古事記 全訳注』上 次田真幸(講談社文庫)p40では
「吾が身は成り成りて成り合わざる処一処(ひとところ)あり」
「我が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。
かれ、この吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞ぎて、
国土を生み成さむとおもふ」
とあります。

男女の営みは豊穣の象徴で神聖でありおめでたいものと古代はおおらかに考えられていたといわれますよね。
今でも男根や女陰を表す形のご神体がまつられている神社があったり、
交わりを表す動作を行うことで豊穣祈願をする予祝行事があったり。
日本は(日本だけではないかもしれませんが)おおらかに受け止められてきたんだなというのをこのくだりを読んで感じました。

2)イザナミの執念。

イザナミは、
ゲロ、小便、大便からも神様を産んだんですよ。この発想すごいですね。

3)愛憎劇。

たくさんの子供を産んだあと亡くなったイザナミは黄泉の国にいきます。
妻のことを忘れられないイザナキは黄泉の国を訪ね、イザナミと再会します。
イザナミは地上に戻れることになるのですが
「待っている間、けっして姿をみないでください」とイザナキに約束させます。
けれど待ちきれずにイザナキがイザナミの姿を覗くと・・・。
イザナミは自分の醜い姿を見られ、怒ってイザナキを攻撃します。
逃げて黄泉の国の入り口まで戻ってきたイザナキは地上に出たあと入り口を岩で塞ぎ、イザナミを地上に出れないようにします。

そこで有名な会話が繰り広げられます。
イザナミが
「こんなことをなさるならあなたの国の人々を一日に1000人ずつ殺してやりますわ」といい、
イザナキが
「それなら私は一日に1500人の子供を生ませることにしよう」と答える場面です。

今までも知っていたセリフです。
<人類の繁栄は、イザナミの呪いのように人はたくさん死ぬけれど、
イザナキがそれ以上に人が生まれることを約束したから>
それを象徴するための記述だと思って読んでいました。

ですが今回、『レッツ古事記』を読んで、
イザナミはイザナキのことが本当に好きだったんだと、せつなくなりました。
イザナミが愛するイザナキを攻撃したのは愛憎のせいなんですよね。
好きでもない人に自分の醜い姿をみられてもなんともおもわない。
だけど愛するイザナキだからこそ、醜い姿をみられたことも、それで驚かれたことも、
待っていてという約束を破られたことも怒りとなる。
そして何より、もう一度一緒に暮らせると思った幸せをイザナキ自身が台無しにしたことが許せなかったのでしょうね。

この二人の会話は、『レッツ古事記』でとくにページを割いて描いているわけではないし、
『古事記』の原文だってさらっと描かれている場面です。
でもイザナミの気持ちを思って、ドラマを感じてしまいました。

ところで、このくだりはギリシャ神話のオルフェウスと似ていますね。
愛する妻エウリュディケを失ったオルフェウスは冥界に行き、エウリュディケを連れて帰ろうとします。
冥界の王ハーデスに、地上に出るまで振り返ってエウリュディケを見てはいけないといわれたのに掟を破って振り返ってしまい。
愛する妻は吸い込まれるように黄泉の国に引き戻されて消えたという話でしたよね。

4)勝ったスサノオが暴れる。

この本は五月女ケイ子さんの絵のタッチ、古事記のとりあげ方が素晴らしいのですが、欄外にあるコメントも最高なんです。
P38には天照大御神との勝負に勝ったスサノオが暴れる場面がありますが。
そのご乱行ぶりは結構お下劣。

田の畔を壊し、溝を埋め、食堂でウンコをまき散らし。

この場面の欄外に、五月女さんはスサノオが勝ったのに暴れる理由はわからなかった。
けれどもある時、「阪神ファン」を見てその心理と同じと気づいたことが書かれています。

阪神タイガースが優勝すると勝ち誇って道頓堀川に飛び込む熱烈ファンの姿をみて、スサノオの気持ちがわかった、と。

このあと、天照大御神が弟スサノオのご乱行をかばう言葉もめちゃくちゃで傑作です。
「あれは一見ウンコに見えるけれど酒に酔ってへどを吐き散らしただけなのですよ」

5)オオクニヌシと因幡の白ウサギ。

オオナムジ他いろんな呼び方を持つオオクニヌシノミコトは、
略してオオちゃんとして登場します。
文系男子のイメージでと眼鏡をかけて登場するオオちゃんの可愛いこと。
ぜひ、お確かめください。

白うさぎ。わにをだましたために怪我をし、
オオちゃんのお兄さんたちにだまされて傷だらけの体で塩水を浴び、
さらに傷が悪化したおまぬけぶりも笑えます。
なさけなくてかわいいです。

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紹介したい場面はまだまだあります。
面白そう!と思われた方はぜひ現物でお楽しみください。
私は『レッツ古事記』を読んで、原文にチャレンジしたくなり、『古事記』の原文を読み始めました。
続きはこちらに。

2011年5月19日 (木)

「満天の星凍りても生きており」圧倒的な美しさは死の恐怖を凌駕する

2011年3月11日の東日本大震災。

私事ですが、私の住むところは震度5強で家屋の倒壊はほとんどありませんでした。
ですが、電車はストップ。6時間以上歩いて帰宅しました。

その帰宅途中、大停電エリアがありました。
信号機もつかず、住宅街の明かりも一切なく。通りすぎる車のライトだけが光源。

街中でそんな光景に出会ったことはありません。
巨大なマンション群も真っ暗。あそこにマンションがあるというのはおぼろげにシルエットでわかります。
まるで真っ暗な山の中で、うっすらと浮かび上がる稜線を見ている感覚になりました。

真っ暗な大通りを黙々と歩きます。一人ではありません。
私は同じ方面に帰宅する同僚と。
そして、まるでウォーキングイベントのように、多くの人が列となって黙々と歩いているのです。
この日に限ってヒールで出かけてしまった私。
幸いにも、途中で店を開けていた個人商店をみつけ、地下足袋のような作業靴を買って履き替えました。
荷物も重くへとへとだったのですが、大停電エリアで、ふと見上げるとオリオン座のおなじみの形が見えました。
そして冬のダイヤモンドもくっきり煌々と。

思わず足をとめて見とれました。
真っ暗な中での冬のダイヤモンドは美しかったです。

メールもつながらず(一緒に歩いていた同僚は八戸出身で、歩いている最中ずっと身内と連絡が
取れないまま。私も関東に住む身内と連絡がとれないまま)、
東北で大地震ということ以外、具体的な状況はこの時把握できていなかったのですが、
とんでもないことが起きたということは勿論わかります。
その中でも「地上で起きているすべては一切私たちには関係ありませんから」と語るかのように
「天」で輝く星たちは非情なほど神々しかったです。

その後、東日本大震災の報道で、倒壊した自宅に祖母と一緒に閉じ込められた少年ががれきの隙間から
屋根に這い出て、救出を求め、9日ぶりに二人とも無事救出されたことを知りました。
16歳の少年、気丈でしたが、夜空の星がきれいだったことを語ったのも印象的でした。

死の極限まで追い詰められた彼でさえ、夜の星の美しさを感じていたのかと。

2011年4月19日の読売新聞。
作家の森村誠一が、震災から9日ぶりに救出され「夜空の星がきれいでした」と語った
宮城県の芸術家志望の少年に、
「満天の星凍りても生きており」
という句をささげた。

ということが書かれていました。

また、2011年5月2日の読売新聞の「読売花壇」に国分寺市の男性の投稿がありました。

九日ぶり救出されし少年は夜空の星の美しさ言う

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救出された16歳の少年。自らも低体温症で命の危険がある中でやっと外に出て、空を見上げたわけです。
どんなに極限に精神肉体が追い詰められても、
それを一瞬でも忘れさせる、圧倒的な美しさに触れてしまったのだろうと思いました。
神々しいものは死の恐怖を凌駕するのだと思いました。

2011年5月15日 (日)

青葉農園に行ってきました。満開&散りかけの中でもロンサールは元気。

何度もご紹介している青葉農園ですが、今年も行ってきました。昨日。

ピエール・ド・ロンサールを自宅で育てている友人から、
ロンサールが見ごろになっていると聞いて、早く青葉農園に行かなきゃと思っていたのです。

というのはロンサールってバラの中で開花時期の遅番ですよね。
青葉農園でも各地のバラ園でも、ほかのバラが8分から満開の時にロンサールはつぼみ。
他のバラが満開から散り始めの、バラ園など公開最後の時期にロンサールが見ごろとなる。
という印象があります。

もしかしたら、他のバラが散りかけでがっかりする来場者を受け止めるために
ロンサールくんは開花時期をずらして来場者を癒しているのかなと思うほど。

青葉農園もやはり他のバラは満開~散りかけでした。
ロンサールが見ごろでした。
今年は寒い日が多かったからもう少し開花時期がずれるかな~と思っていたのですが誤算。

私が好きなバラは、なんといってもピエール・ド・ロンサール、
そしてイングリッシュローズや少しくすんだ色のバラ。
香りのいいバラも。

今回気に入ったバラを紹介します。
過去の青葉農園の記事で取り上げたバラは少し省きました。

やわらかなシフォンのようなピンク色が可憐な
ジェントル・ハーマイオニー(gentle hermione)。
Rosegentlehermione
タグによると強いオールドローズ香に
ミルラ香が混ざっているそうです。

今回、女王の風格があったのが
プリンセス・ドゥ・モナコ(princess de Monaco)。
Roseprincessdemonaco2
大輪の花。気品のあるすっごくいい香り。
ゴージャスそのもの。
何度も嗅いでしまいました。

シャルロット・オースチン(charlotte aeustin)。
Rosecharlotteaustin
黄色いバラの美しさにはまだあまり目覚めていないのですが、
このバラは素敵でした。
デコレーションケーキのバタークリームのような黄色。
開きかけた花の形もとても美しかったです。

私の好きな褐色系。
チョコレートサンデー(chocolate sundae)。
Rosechocolatesundae

今回出会って感激したのがこのピンクサクリーナ。
Rosepinksakurina
開いた様子がまるで桜みたい!!!
かなり大きな花です。
サクリーナという名前も素敵。
響きが日本の神話にでてくる
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)みたい。

サイレンス・イズ・ゴールデン。
Rosesilenceisgolden
訳すと沈黙は金、ですね。
肉厚に見える花びら。
タイのカービング細工のような雰囲気。
花びらの丸みとオレンジの濃淡のグラデーションがとてもチャーミング。

ダブル・デライト。
香り高いです。
洋ナシを思わせる香り。気品系。
Rosedoubledelight

遅咲きなので他のバラが散りかけでも元気だった
ピエール・ド・ロンサール。
この愛らしさはたとえようもありません。
Rosepierrederonsard

ラブ&ハート 。
Roseloveandheart
キュートです。
ウエッジウッドのワイルドストロベリーの食器を思い出します。

青葉農園のすぐそばにレンゲとシロツメクサが咲いていました。

Rengeshirotsume
子供の頃、春といえば、近くのたんぼ一面に広がる
レンゲとシロツメクサ。
その風景を思い出してなつかしくなりました。

青葉農園シリーズINDEXはこちら

2011年5月12日 (木)

青こぼし赤こぼし揃いました

4月21日のブログで会津若松の起上り小法師をご紹介しましたが、
この小法師ラグビーを撮影した友達が
私の分のこぼしを雑貨屋さんのショークで買ってきてくれました。
Aokoboshiakakoboshi1

会津葵のおいしい和菓子「小法師」(4月23日にご紹介)で
すでに赤こぼしをゲットしていたので、青こぼし、赤こぼし揃いました~。

かわいいです。ゆるきゃらの大王道をいっています。
身長は二人とも3.5㎝ぐらいですが幅が違いますね。
青小法師はラグビーの重量フォワードのような体型。

私の家では二人はPCの上が定位置。

青こぼしは友達と私が一緒に応援しているチームのチームカラー「紺」をまとっているので、
観戦に連れていったりもしています。
Aokoboshiouen


後ろ姿はこちら。 
Aokoboshiakakobhoshi2
「ちまちま」塗りました。
ではなくこのペロッと筆を走らせただけにみえる髪型とかすべてがいい味だしています。

2011年5月 8日 (日)

2011年世界フィギュア(モスクワ)をみました

先日モスクワでおこなわれた世界フィギュア。
選手たちは大変だったことと思います。
1か月遅れの開催ということで、満身創痍の体をさらに1か月酷使することによる
体の調整、モチベーション。それでも開催できてよかったですね。

きちんとすべての演技を見てはいないのですが、
一番素晴らしかったと思うのは小塚崇彦とロシア女子のシングルスケーター、レオノワ。

続きを読む "2011年世界フィギュア(モスクワ)をみました" »

2011年5月 3日 (火)

日本三代実録(その7)番外編、連理の木に感じる千年の流れ

5月2日の続きです。といっても今回は天変地異などの現象ではありません。

記載のただし書きは4月12日のブログをご覧ください。

「日本三代実録」は地震や気象現象がこまかに書かれています。その中でたびたび出てきて気になる言葉がありました。

それは「連理(れんり)の木」。

連理の木は、2つの木がくっついて1本の木になってしまったものや、1本の木の幹が枝が2つに分かれたあとまた一つにくっついてしまうものを指すようです。

連理木が吉兆、良いしるしと考えられていたようです。「日本三代実録」の元慶元年7月19日に、備後国の白い鹿、丹波国の白い雉、尾張国の連理木を挙げて「かくの如きよきしるし」と語っています。p763

連理の木がおめでたいから、日本各地から、連理の木をみつけたと中央に報告があり、それが史書といえる「日本三代実録」に記載されていることがおもしろいなと思います。

みつけた箇所を挙げてみます(漏れはあるかもしれません)。 連理の木がみつかった場所のみ記載。青字は引用した文章。

貞観元年(859年)
8月3日  
「木理を連ねき」下野国 p61

貞観5年
12月13日
 「樹の連理せる一あり」飛騨国 p216

貞観13年
12月5日 肥前国  p554

貞観14年
5月30日 備後国 p570

貞観18年
2月5日  下総国 p685

元慶元年(877年)
2月10日 尾張国 p729
7月19日 天皇の詔の中の言葉を抜粋で
     
 「備後国白き鹿をたてまつり、但馬国白き雉をたてまつり、尾張国木連理せりと言せり。
      かくのごとき嘉(よ)き瑞(しるし)は、この薄徳のうごかしいたらしむべきものにもあらず」
 p763
9月2日  佐渡国 p765

元慶2年
1月29日 伊賀国 p783
5月4日  陸奥国 p797

元慶3年
3月2日  
近江国言しけらく、『木の連理せる、筑夫嶋神社の前に生えき』と。 p837
10月2日 
三河国言しけらく、『管八名郡連理の木三つを獲き』と。 p854
閏10月23日
伊勢国言しけらく、『木の連理せる、鈴鹿郡の山中に生ぜり』と。 p860
11月27日  
石見国言しけらく、『白猿1つと木の連理せる六つとを獲き』と。 p865
12月5日   美濃国  p867

元慶6年
12月13日  下野国  p978

元慶7年
4月23日   尾張国  p989
4月25日   美濃国  p989

元慶8年
3月5日    山城国 p1022
5月11日   山城国  p1032
6月4日    遠江国  p1044
7月3日    上総国 p1048
9月2日    信濃国 p1054
9月25日   
伊勢国司言しけらく、『朝明郡に連理の樹一つ生ぜり』と。 p1058
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この中で場所が特定されているのは元慶3年3月2日の、筑夫島嶋神社。琵琶湖に浮かぶ竹生島にある都久布須麻神社のことのようですが、残念ながら今はこの連理の木はないようです。

考えたら貞観~元慶は1100年以上前。
樹齢千年以上でなければ、連理の木があったとしても現代の私たちが目にすることはできないわけですね。
と思うと、千年前ってすごい昔なんだなと実感。当時の人がみつけて「めでたい」と珍重し、もしかしたら鎌倉時代の人も目にしていたかもしれないけれど、その後枯れてなくなり、現代にはもう残っていない木がいっぱいあるということですよね。同じ土地に過ごしていても過去の人たちが見ていて、現代の私たちが見ることができない「景色」がいっぱいあるのですね。

でも、山はすごいですね。「富士山」などの山は千年以上当たり前に存在しているわけで。千年以上、同じ風景が存在する。噴火などで少し様子が変わっていたとしても。
昔の人が和歌に詠んだ、親しんだ山や地形。時を超えて、同じ風景を見て、美しさを共有できるというのも感慨深いし、不思議な気持ちがします。

うまく表現できないですが、今は現存しない「連理の木」に諸行無常を感じました。

もし「日本三代実録」にでてくる伊賀の国の連理の木ってあの山のあれかしら!なんて心あたりがある方はぜひぜひご一報いただけたらと思います。

「日本三代実録」番外編はあともう1回、近日に。

日本三代実録 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

2011年5月 2日 (月)

日本三代実録を見てみました(その6)仁和元年~。開聞岳噴火、安房地震、南海・東南海・東海地震、怪物騒ぎ、天文現象他

5月1日の続きです。
『日本代実録』から、気になる記述を挙げています。
記載のただし書きは4月12日のブログをご覧ください。

天文現象は流星中心に挙げています。地震は大きな地震を中心に余震や前震と思えるものを揚げ、割愛しているものもあります。

仁和元年 (885年)
1月12日 
寅の時、塡星(てんせい)月を貫きき。 p1068
(私メモ/塡星=土星。貫ききという意味がよくわかりません。月が土星の前を横切ったというのならわかるのですが、土星が月を貫くというのはどういう状態なのでしょか)

1月16日
【天変】この日、未より申にいたり、日の上に背(はい)有りて外に向かひ、その体(てい)弓を張るが如くにして、長さ二丈ばかりなりき。 p1070
(私メモ/私は見たことがないのですが「幻日環」の現象のことでしょうか)
1月17日 
この日、はじめて貂(てん)のかわごろもを着用するを禁じき。 p1070
(私メモ/気象現象でもなんでもないのですが、平安時代に貂の毛皮を着ていたということにびっくりしました)

5月22日 
酉の時、日色、黒に変じ、光の散ること射るが如くなりき。 p1087
7月30日 
天に青雲有り、東北よりして西南に竟(をほ)りき。 p1092
8月4日 
夜、流星有り、南方より来りて、五車の中に入り、その色黄白なりき。

8)薩摩国、開聞岳噴火に関して 
10月9日 
【大宰府噴火を報ず】大宰府言上しけらく、『管肥前国、六月より澍雨(じゅう)降らず。7月11日国司諸神に奉幣し、僧をまねきて経を転ず。13日夜、陰雲晦合して雨声の如きを聞き、遅明に粉土屑砂ふりて、こもごも境内に下るを見る。水陸田の苗稼、草木の枝葉、みなことごどく焦枯す。(私による略)薩摩国言しけらく、「同月12日の夜、晦冥にして衆星見えず。砂石雨の如し。これを故実に検するに頴娃郡正四位下開聞明神怒りを発する時は、かくの如くこと有り。(私による略)
8月11日、震声雷の如く、焼炎はなはださかりに、雨砂、地に満ち、昼にしてなほ夜のごとし。12日は、辰より子にいたるまで雷電し、砂の降ること止まず、砂石地に積り、あるところは一尺以下、あるところは五六寸以上、田野埋瘞(まいえい)して人民騒動す」といへり』と。
 p1098
(私メモ/この大宰府の報告を見ますと、7月、8月に噴火が起きているように読み取れます)

11月20日 
この夜、流星、心の前星より出でて、心の大星を貫き、天江に入りき。 p1104
11月26日 
夜、大流星有り、天中申(ひがし)より出でて天中丙(みなみ)を指し、行くこと三丈にして没しき。
12月20日、
巳の時、天の東南に声有り、高楼の壊落するが如くなりき。夜更けて、地震り、声有りて雷の如くなりき。 p1106
(私メモ/日本三代実録ではたびたび地震の前後に、声有り、と出てきますが、多くは地鳴りなのでしょうね。現代と違って大きな音を出すものや生活音があまりない生活なので、相当地鳴りはきこえていたのでしょう)

仁和2年(886年)
2月5日 
この日、辰の時、日の上に冠有り、左右に珥をなしき。 p1116
2月14日 
辰の時、日に冠䋝有りて、その色黄白なりき。 
4月13日
 大いに地震ひき。 p1121
5月23日 
夜、流星有り、鈎陳より出でて内階をへ、文昌の第一二星の間に入り、色青くして光有りき。 p1125
5月26日 
天の東南に声有りて、雷の如くなりき。
(私メモ/これは不思議現象ではなくて、下の8月4日に記された安房国の記述と連動。噴火の音かと)
【石清水八幡に怪異あり】この日、山城国石清水八幡大菩薩の宮自ら鳴りて、鼓を撃つ声の如く、南楼鳴りて、風波の相激して声を為すが如く、数剋を経てやまざりき。神祇官うらなひて云ひけらく、『大菩薩心に願ふところあり』と、陰陽寮占ひて云ひけらく、『兵事をいましむべし』と。 p1125
6月15日 
地大に震ひき。
7月24日 
夜、流星有り、大陵より出でて傳舎にいたり、華蓋に入る。その色青かりき。 p1134

怪物騒ぎ
7月29日
【紫宸殿に近く怪物あり】夜、亥の時、紫宸殿の前に長人有りて、往還徘徊しき。内竪のときを伝える者これを見て、惶怖して失神す。右近衛の陳前に炬を燃やす者もまた見るを得き。その後、左近衛の陳辺に絞らるる者の如き声有り。世に鬼絞(きこう)といふ。 p1135

9)安房国で地震に関して←新島噴火
8月4日【安房国の地震により、同国及び上総下総国をして不虞をいましめむ】安房国言上しけらく、『去る5月24日の夕べ、黒雲有りて南海より群起し、その中に電光現れ、雷鳴地震して通夜止まず。26日の暁、雷電風雨あり、巳の時天色清朗にして砂石粉土地上に遍満し、山野田園降らざるところなし。或るところは厚さ二三寸、或るところはわづかに地をおほふ。稼苗草木、皆ことごとく凋枯し、馬牛の粉のつける草を食ひて死斃するもの甚だ多し』と。陰陽寮占ひて云ひけらく、『鬼気御霊、忿怒してたたりを成す。かの国疫癘の患をつつしむべし。また国の東南に兵賊の乱有らむとす』と。 p1135
(私メモ/地震という見出しがついていますが、これは間違いなく火山の噴火の記述ですよね。5月24日の南の海で黒い雲が湧きき起こり、26日に大地の上に砂石が降ってきたという現象ですから。
地学雑誌の「伊豆諸島、神津島天上山と新島向山の噴火活動」という報告書が閲覧できます。(ttp://www.geog.or.jp/journal/back/pdf110-1/094-105.pdf)
興味深い記述があります。p6によるとこの噴火は新島向山の噴火のようです。p9には上の「日本三大実録」の記述の現代語訳が記されています。

上に挙げましたが仁和2年5月26日に「天の東南に声有りて、雷の如くなりき。という記述がありますよね。書かれている場所は京都。新島の方角は東南といえるので、京都で雷のような音が聞こえたというのは噴火の爆発音と考えるとつじつまがぴったり合います。
※噴火に関しては、新島阿土山の噴火という説もあるようです↓(ttp://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Rfunka/niijima.html)を参照)

9月11日 
亥より子にいたりて、大なる鈴の声有り、左仗の上にあたりて、空中に鳴り、寅の時、また鳴りき。 p1140

仁和3年(887年)
3月14日 
この夜、戌の一剋より始めて月に冠纓有り、左右に珥を為し、亥の時に至りて白暈気と為り、消滅せむとするにおよびてなほ両珥有りき。 p1160
5月20日 (私メモ/嘉祥3年(850年)に起きた出羽地震の影響で国府を移すことが書かれています。抜粋で)
去る嘉祥3年、地大震動して形成変改し、すでに窪泥となる。しかのみならず、海水漲移して府六里のところに迫り、大川崩壊してほりを去る一町余、両端害を受けて隄塞するに力無く、堙没の期旦暮に在り。ねがはくば、最上郡大山郷保実士野に遷し建て、その険固によりてかの危殆を避けむ p1167
5月29日 
地震。
7月2日 
地震。
7月6日 
虹東宮に降り、その尾天をきはめて内蔵寮に入りき。この日、綾綺、仁壽両殿の間に白龜一つを得て、神泉苑に放ちき。この夜、地震りき。 p1174

10)南海・東南海・東海地震に関して
(「理科年表」では⇒No.24。西暦887年8月26日。仁和3年7月30日。M8.0~8.5。五畿・七道:京都で民家・官舎の倒潰多く、圧死多数。津波が沿岸を襲い溺死多数。特に摂津で津波の被害が大きかった。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる)

7月30日 
申の時、地大震動し、数剋を経歴して震ることなほ止まず。天皇、仁壽殿を出でて紫宸殿の南庭におはし、大蔵省に命じて七丈の幄二つを立てて御在所と為し給ひき。諸司の倉屋及び東西京の蘆舎、ところどころ顛覆(てんぷく)し、圧殺せらるる者おほく、或は失神して頓死する者有りき。亥の時、また震ること三度。五畿内七道の諸国も同日に大震ありて官舎多く損じ、海潮陸に漲りて溺死者あげて計るべからず、そのうち摂津国もっとも甚(はなはだ)しかりき。夜中、東西に声有り、雷の如き者二(ふたたび)なりき。 p1176
(私メモ、京都でも被害が大きかったことがこの記述からわかります。 
「海潮陸に漲りて~」の記述から津波の被害も甚大なことがわかります。被害が大きかった摂津国というのは今の大阪府北中部~兵庫県南東部あたりですね)

8月1日 
昼夜に地震ること二度なりき。
8月2日 
昼地震ること三度なりき。
8月4日 
地震ること五度なりき。この日、達智門上に気有り、煙の如くにして煙に非ず、虹の如くにして虹に非ず、飛び上がりて天につきき。或は人見て、皆曰ひけらく、『これ羽蟻なり』と。時人云ひけらく、『古今未だかくの如き異有らず』と。陰陽寮占ひて曰ひけらく、『大風洪水失火等の災有るべし』と。
8月5日 
昼、地震ること五度、夜大いに震りき。京師の人民、家より出でてみちに居りき。
8月7日 
地震。
8月8日 
羽蟻あり。大蔵の正蔵院より出で、群れ飛びて天をきはめ、船岳につく。その気、虹の如くなりき。p1178
8月9日、13日、14日、16日、23日
地震。24日二度地震。

このあとも余震が続いたと推測されるのですが、残念ながら『日本三代実録』は仁和3年8月26日で記述が終わっています。

でも「日本三代実録」は近日もう少し書きます。

日本三代実録 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

2011年5月 1日 (日)

日本三代実録をみてみました(その5)元慶元年~。     摩訶不思議な海草、相模・武蔵地震、流星雨他

被災地のがれきの受け入れを全国でおこなうのは気になります。
自治体側は「持ってくるのは放射能に汚染されていないがれき」と言っているようですが、汚染されているかどうかの基準も・・・第一、首都圏ですら放射性物質が降り注いでいる中で、汚染されていないがれきが存在するのかと・・・。
ただ、一言言えるのは、私たちが簡単に「がれき」と言ってしまっているものは、そこに住んでいた方々の大切な家や仕事場の一部だったのですよね。
もし私の家が瓦礫と化してしまうことがあっても、それを他の人から「あの瓦礫邪魔だよね」と言われたら…と思うと、「がれき」と言ってしまう何気ない言葉にも、被災していない者の鈍感さがでてしまっている気がして、申し訳ないと思います。

ともあれ、4月28日の続きです。
『日本三代実録』から、気になる記述を挙げています。
記載のただし書きは4月12日のブログをご覧ください。

元慶元年(877年)
1月24日 
ひぐれに、大流星、天中の庚より出でて天中の艮を指して行き、三丈ばかりにして没しき。ひかげを以て押すに、天津のあたりに出でて紫微宮の中に入る。 p728
1月25日 
時、戌をすぎ、客星、辟に在りて西方にあらはれき。含譽の瑞星といふべし。
(私メモ/客星は彗星や新星など一時的に見える星のこと。この客星は池谷・張彗星のことかもという記事がアストロアーツ2002年3月に掲載されています)

3月11日 
地大いに震りき。 p738
4月19日 
紫宸殿(ししんでん)前の版木の上に犬屎(くそま)りき。 p752
(私メモ/天皇の住居の中だからこそですが、犬が糞をしたということが後世に残る歴史書の中に記されるのですから、このわんちゃんも凄いことをやりましたね)

(私メモ5月頃からひでりが続いて降雨の術を試みるものがでたことが書かれています)

7月13日 (私メモ/乗縁(じょうえん)という僧が降雨の術を試みて暴雨がおきたことが記されています) p762
9月27日
【出雲国の漁夫奇草を得】出雲国言しけらく、『楯縫郡の白水郎、海部金麻呂、同姓黒麻呂等、今月2日扁舟に乗りて海にうかび魚を釣る。二人あみを沈めしに、海底にかかりて引くに出でず、いと(絲緡)水にいること五十余丈なり。金麻呂等手を下して、緩々に引き釣りしに石一枚を獲たり。その上に木三株、草三茎を生ず。その気、一株は高さ二尺六寸、攢柯にして葉無く、初め出でし時その色赤黒にして、ねばきこと飴を塗るが如く、そのようやく乾くに及びてさらに浅黒に変ず。一株は高さ上に同じく、雙幹聳出して白色貝の如し。一株は高さ三寸、形鹿の津のの如くにして、上頭に檜の葉の如きもの有り。その草、二茎は青色、一茎は赤色、ならびに形きのこ(菌)の如し』と。 p766
どんなビジュアルか想像しきれないけれど、摩訶不思議さは伝わってきますよね)

10月17日 
地大に震りき。 p767

元慶2年(888年)
5月9日 
亥の時、大流星有り、氐の南より出でて軫翼の間に入りき。その尾、二丈ばかり、色赤くして光有り、衆星随い行き、すぎしところは木の葉声をなしき。 p798
6月21日 
夜、流星有りて、斗のあたりより出でて箕星の下に入りき。色白くして尾短かりき。 p804
6月28日 
夜、流星有り。騰蛇より出でて雷電星に入りき。色赤く、長さ二丈余なりき。 p805
8月2日 
夜、光有り、紫宸仁壽両殿の間にあらはれき。あかつきに流星有りて南行し、大きさ一丈ばかりなり。京城皆見き。 p812
9月7日 
大鳥有りて、肥後国八代郡の蔵の上に集りき。また、宇土郡正六位上蒲智比咩神社の前の河水、赤に変じて血の如く、縁辺の山野、草木凋枯してあたかも厳冬の如し。 p816
(私メモ/かまちひめ神社は熊本県の宇土にあった神社のようです)

7)相模・武蔵地震に関して
(「理科年表」では⇒No.21。西暦878年11月1日。元慶2年9月29日。M7.4。関東諸国:相模・武蔵が特にひどく、5~6日震動が止まらなかった。公私の屋舎一つも全きものなく、地陥り往還不通となる。圧死多数。京都で有感)

9月29日
【関東地方大震】夜地震りき。この日、関東の諸国地大震裂し、相模武蔵を特にもっとも甚(はなはだ)しと為す。その後五六日震動止まず、公私の屋舎一として全きもの無く、或は地窪陥して往還通ぜず、百姓の圧死はあげて記すべからず。 p818
(私メモ/この地震の被害の大きさは下の元慶5年10月3日の記述でも推測できます)

元慶3年(889年)
(私メモ/少し地震が続いたあと)
3月22日 
午の一剋、地大震動し、四剋にまた震ひき。 p838
(私メモ/このあとも地震は頻繁に起きています)

8月4日 
大和国言しけらく、『紫雲、城下郡にあらはれき。長さ十丈ばかり、広さ三丈ばかり、地上よりおこりて竟(つい)に天につき、しばらくして消え散りき』と。 p850
(私メモ/1丈=約3.3m。長さ約33m、幅約10mということがわかります。紫雲は吉兆のしるし。行者が亡くなる時に、仏様が紫色の雲に乗ってお迎えにくるそうです)

8月19日 
この月、京邑のときおろどころに梨、すもも、花咲き、あるいは実なりき。 p851
10月14日 
地大に震ひき。 p855

元慶4年(890年)
2月11日 
卯の時、天の東の空中に声有り、一声にして止みき。 p874
2月23日 
東方に声有り、雷の如くなりき。 p875
2月24日 
地震。
4月2日 
地大いに震ひき。 p878
(私メモ/このあとも地震が続きます)

7)出雲地震に関して
(「理科年表」では⇒No.22。西暦880年11月23日。元慶4年10月14日。M≒7。出雲:社寺・民家の破損が多く、余震は10月22日に至るも止まらなかった。この日京都でも強く感じたというがこの地震とは無関係で、規模ももっと小さかったとする説がある)


10月14日 
地大いに震ひき。 p893
10月27日 
【出雲国地震を報ず】出雲国言しけらく、『今月14日、地大震動し、境内の神社仏寺官舎、および百姓の居蘆、あるいは転倒し或は傾倚し、損傷せし者多し。その後22日まで、昼は一二度、夜は三四度、微々震動してなおいまだ休止せず』と。 p895
(私メモ/松江市のHPの地震災害履歴のページではこの地震の震央は島根県北部、M7と書かれています)

11月29日 
寅の時、大流星有り。角亢の間より出でて、梗河星に入りき。 p897
12月1日 
夜、流星有り、東方よりきたりて孤星に入り、その色赤かりき。  p898
12月4日 
地大震動。
12月6日 子の時地大震動し、夜より朝にいたるまで十六度震ひき。大極殿の西北隅
の竪壇長さおのおの八間破裂し、宮城の垣将墻、京師の蘆舎、頽損する者ところどころ甚だ多かりき。
 p902
(この6日の地震は「理科年表」では⇒No.23。西暦881年1月13日。元慶4年12月6日。M6.4。京都:宮城の垣墻・官庁・民家の頽損するものはなはだ多く、余震が翌年まで続いた)
12月7日 
この夜、戌より子にいたり、地ふたたび震動しき。 p903
12月8日 
辰より丑にいたり、その間地四たび震ひき。 
12月9日 
夜、地震ること二度なりき。
12月10日 
この日、地すべて五たび震ひき。 p904
12月11日 
この日、地数度震動しき。
12月12日 
子の一刻、地大いに震ひ、寅の四刻少しく震ひき。 p905
12月13日、14日、18日と
地震が続いて
12月19日 
戌の時、天に声あること二度、地また震動しき。 p906
12月21日 
戌の一刻、空中に声有り、丑の時、地震りき。
12月22日 
辰の時、地大に震ひ、ふたたび動きて止みき。
12月23日、24日、25日、29日と
地震あり。

元慶5年(891年)
(私メモ/地震は続いています。1月6日、11日、12日、14日、16日、2月3日と
地震の記載があります)

3月21日 
夜、星有り、房より出でて天市に入り、色青かりき。 p918
5月16日 
午の時、日に二重の暈有り、内黒くして外赤かりき。 p924
7月7日 
星有り、列肆星より出で、入りて心の中央の星を犯しき。色赤く、長さ一丈余なり。 p927
10月3日 
相模国、『国分寺の金色の薬師丈六の像1体、挟侍の菩薩像2体、元慶3年9月29日、地震に遇ひて皆ことごとく壊れ、その後失火して焼け損なふ。ねがわくは、改造して御願を修せむ』 p932
(私メモ/元慶2年、赤文字で上記の相模・武蔵地震の大きさがわかりますね)

元慶6年(892年)
5月2日 
大和国司言しけらく、『管高市郡從五位下天川俣神社の樹に、烏(からす)の巣ごもる有り、産みて四つの雛を得。その一つの雛の毛色純白なり』と。 p959
(私メモ/白い鹿、龜、つばめetc.吉兆のしるしなのか、日本三代実録にはたびたび記述がありますが、白いカラスは珍しいですね。白いカラスも吉兆のようです)

11月15日 
夜、流星有り、西北向ひて去りき。 p976
12月17日 
丑にいたりて、天の南にかみなり、地中に声有りき。 p978

元慶7年(893年)
3月10日 
昏(いぬ)の時、月に暈有り、大微の西蕃の上将星を行き犯し、亥の時、白き雲気北方より来りて暈の中に入り、その数五片、広さ一尺ばかりにして長さ一丈、四片はすなはち消え、一片は月を貫きてやや久しくして消えき。 p987
7月26日 
申の時、日の右に珥(じ)有り、上下に白雲有り。日はすなはち翼に宿りき。 p997
7月27日 
申の時、日の左右に珥有り。その下の雲気、形、龍馬の如くなりき。
(私メモ/何かの前兆かと思いきや、その後すぐに地震とかが起きた記述はありません)

元慶8年(894年)
1月23日 
日に冠有り。右に珥有りて色黄、左に白虹有りて色白く、すなはち日は危に宿りき。夜、天の東南に星の見ゆる有り、長さ一丈ばかりなりき。 p1012
4月10日 
夜、流星有り、北斗より出でて、紫微宮西蕃の第五星を犯しき。色青白く、大きさ柚子の如し。 p1029
4月14日 
亥の時、地震りて声有り。 p1030
5月29日 
夜、流星有り、北極の大星より出でて三公星に入り、大きさ、すももの実の如く、色白くして光有りき。 p1040
8月1日 
辰の時、天の西南に声有り、雷の如くにして一度なりき。 p1051
8月4日
 戌より子にいたり、小星四方に流れ散りておつること雨の如くなりき。 p1051
8月5日 
日没(酉の時)より人定(亥の時)にいたり、流星東西南北に分散し、おつること雨の如く、人定より夜分(子の時)にいたり、或は紫微宮に出入して衆星を犯し、或は北斗の貫索に出入して内外の宿をおかし、その数あげてかぞふべからざりき。 p1052
(私メモ/2日続けて流星雨。換歴サイトでみるとこの年の8月4日は西暦894年9月1日となります。この日の流星群情報はでてこないのですが、9月1日がピークとなるとぎょしゃ座の流星群があります)

9月3日 
寅の時、大流星有り、長さ一丈ばかり、東南より西北に行きてついに地に落ち、その響き雷の如くなりき。 p1054
(私メモ/京都から見て西北の方向に落ちたと書かれていますが該当する隕石情報はみつかりませんでした)

日本三代実録 その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7

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emi

  • プラネタリウムでのヒーリング番組制作に携わった後、現在は 土井利位侯の「雪華図説」をライフワークとして調べ中の図書館LOVER。月に魅せられ、毎日、月撮り。月の満ち欠けカレンダー(グリーティングライフ社)のコラムも担当。              興味対象:江戸時代の雪月花、ガガーリン他。最近は、鳥にも興味を持ち始め、「花鳥風月」もテリトリーとなっています。   コンタクト:各記事のコメント欄をご利用くださいませ。コメントは私の承認後、ブログ内に反映される仕様にしています。公表を希望されない方はその旨をコメント内に明記くださいますようお願いいたします。
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