「満天の星凍りても生きており」圧倒的な美しさは死の恐怖を凌駕する
2011年3月11日の東日本大震災。
私事ですが、私の住むところは震度5強で家屋の倒壊はほとんどありませんでした。
ですが、電車はストップ。6時間以上歩いて帰宅しました。
その帰宅途中、大停電エリアがありました。
信号機もつかず、住宅街の明かりも一切なく。通りすぎる車のライトだけが光源。
街中でそんな光景に出会ったことはありません。
巨大なマンション群も真っ暗。あそこにマンションがあるというのはおぼろげにシルエットでわかります。
まるで真っ暗な山の中で、うっすらと浮かび上がる稜線を見ている感覚になりました。
真っ暗な大通りを黙々と歩きます。一人ではありません。
私は同じ方面に帰宅する同僚と。
そして、まるでウォーキングイベントのように、多くの人が列となって黙々と歩いているのです。
この日に限ってヒールで出かけてしまった私。
幸いにも、途中で店を開けていた個人商店をみつけ、地下足袋のような作業靴を買って履き替えました。
荷物も重くへとへとだったのですが、大停電エリアで、ふと見上げるとオリオン座のおなじみの形が見えました。
そして冬のダイヤモンドもくっきり煌々と。
思わず足をとめて見とれました。
真っ暗な中での冬のダイヤモンドは美しかったです。
メールもつながらず(一緒に歩いていた同僚は八戸出身で、歩いている最中ずっと身内と連絡が
取れないまま。私も関東に住む身内と連絡がとれないまま)、
東北で大地震ということ以外、具体的な状況はこの時把握できていなかったのですが、
とんでもないことが起きたということは勿論わかります。
その中でも「地上で起きているすべては一切私たちには関係ありませんから」と語るかのように
「天」で輝く星たちは非情なほど神々しかったです。
その後、東日本大震災の報道で、倒壊した自宅に祖母と一緒に閉じ込められた少年ががれきの隙間から
屋根に這い出て、救出を求め、9日ぶりに二人とも無事救出されたことを知りました。
16歳の少年、気丈でしたが、夜空の星がきれいだったことを語ったのも印象的でした。
死の極限まで追い詰められた彼でさえ、夜の星の美しさを感じていたのかと。
2011年4月19日の読売新聞。
作家の森村誠一が、震災から9日ぶりに救出され「夜空の星がきれいでした」と語った
宮城県の芸術家志望の少年に、
「満天の星凍りても生きており」
という句をささげた。
ということが書かれていました。
また、2011年5月2日の読売新聞の「読売花壇」に国分寺市の男性の投稿がありました。
九日ぶり救出されし少年は夜空の星の美しさ言う
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救出された16歳の少年。自らも低体温症で命の危険がある中でやっと外に出て、空を見上げたわけです。
どんなに極限に精神肉体が追い詰められても、
それを一瞬でも忘れさせる、圧倒的な美しさに触れてしまったのだろうと思いました。
神々しいものは死の恐怖を凌駕するのだと思いました。
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