鷹見泉石日記(その2)当時『雪華図説』を贈答された人達リスト
鷹見泉石日記(その1)の中から『雪華図説』『続雪華図説』贈答がらみで名前が挙がった人物をまとめてみました。
↑鷹見泉石像(国宝) 渡辺崋山筆
(ただし書き)
◆【】は私によるおおまかな分け方です。厳密ではないことをご了承ください。
◆A-Bは主従関係です。家臣Bが、Aのために『雪華図説』を受け取るなどで
名前を挙げている場合もあります。
◆青文字が鷹見泉石日記での記述です。
◆鷹見泉石日記に出てくる人物の特定は難しいです。
たとえば、土井利祐が土井山城守や土井淡路守などの
官位だけで登場したりするので同一人物を見逃したりしてしまいます。
黒文字は私の調べによる補足ですが、もし違っているところがあったら随時加筆修正します。
◆ 表記に関するただし書きは(その1)をご覧ください)
--------------------------------------------------------------
【天皇家、公家、将軍、大名、旗本、家臣など】
光格上皇(仙洞)
鷹司政通(公家。鷹司様)―高橋俊璹(としひさ)(鷹司家の諸大夫。高橋兵部権大輔)
徳川家斉(江戸幕府第11代将軍。大御所)
広大院茂姫(家斉の正室。大御台様)
お美代の方(家斉の側室。お美代様)
徳川家慶(江戸幕府第12代将軍。公方様)
徳川家定(江戸幕府第13代将軍。右大将)
島津斉彬(薩摩藩第11代藩主。松平修理大夫)-近藤隆左衛門(薩摩藩士)
徳川慶頼(田安徳川家第5代、第8代当主。田安様)
中野石翁(せきおう)(中野清茂。播磨守。お美代の方の養父。石翁様)
多米新左衛門(刈谷藩第7代藩主土井利祐の家臣。多米)
馬場嵒(刈谷藩第7代藩主土井利祐の家臣。馬場)
鷹見弥一郎(田原藩側用人)
戸村惣右衛門(美作勝山藩家老。戸村)
神谷源内弘孝(中津藩士。藩主は奥平昌高。蘭学に造詣が深い。神谷源内)
久須美六郎左衛門(別名 久須美祐明。旗本。佐渡守。久須美佐渡守)
本郷泰固(ほんごうやすたか。旗本。本郷丹波守)―土屋左右輔(本郷丹波守の家臣)
星野一郎兵衛(金奉行)
渡辺覚蔵(松平縫殿頭の家臣。松平縫殿頭が具体的にどなたのことなのかよくわからず)
小田切庄三郎(寺社奉行吟味)
足立左内(天文方)
山路弥左衛門(別名 山路諧孝(ゆきたか)。天文方。蘭学に造詣が深い)
【通詞(通訳)】
荒木熊八。岩瀬弥十郎。穎川(えがわ)藤三郎。品川梅次郎。西記志十(にし きしじゅう)。森山栄之助
【商人】
大津屋政吉
【美術、書関係】
谷文二(画家。画家谷文晃の長男。文二)
伊黒甚右衛門(京都の豪商の家系で陶器に造詣が深い角倉玄寧の家臣)
大和屋喜久松(所在は京都。書関係の商いか) 和泉屋虎吉(書画商)
【医師】
桂川甫賢(国寧)(ほけん(くにやす))(『雪華図説』のあとがきを書く。蘭学に造詣が深い。桂川様)
杉田立卿(杉田玄白の次男)
鈴木春山(田原藩医。春山)
高野敬仲(千葉県野田市の眼科医)
坪井信道(つぼいしんどう。桂川甫賢の師)
【砲術関係 】
下曾根金三郎(別名下曾根信敦。旗本。下曾根)
高島四郎大夫(別名高島秋帆。長崎町年寄で砲術家。高島)
渡辺庄右衛門(与力。推測だがここにおきます。渡辺庄)
【寺社仏閣】
誓願寺(東京都台東区浅草)
誕生寺(岡山県久米郡久米南町)
妻沼歓喜院聖天堂(埼玉県熊谷市)
【名主】
八木原三郎(埼玉県熊谷市)
【古河藩の領地の人々】
石田源十郎(兵庫県三木市)
内藤源次郎(兵庫県加東市東古瀬)
大宮司小松蔵人(兵庫県高砂市)
神坂繁蔵(岡山県久米郡中央町)
玉野瀬四郎(岡山県久米郡久米南町)
【何者か不明】
中川蔵主
竹尾但馬様
津田
畑数馬
神谷鳴右衛門(中津藩士神谷源内の血筋のものか)
前野玄意(中津藩のものか。杉田玄白とともに『解体新書』を著した前野良沢の血筋のものか)
前野東庵(前野良沢の血筋のものか)
*********************************************************************
まとめ。
◆『雪華図説』『続雪華図説』はいわゆる出版物ではなく、私家版。いわば自費出版のようなものでした。
贈答として何年もかけて、一人一人に手渡しでわたっていた様子がわかります。
◆贈答を受けた人たちの身分は幅広いです。
◆コピー機という文明の利器がない江戸時代は、本を「写す」というのは当たり前の行為でした。
Aさんに贈答で渡った『雪華図説』をAの知人のBやCが写し、そのBの写し『雪華図説』をBの知人の
Dが写し、というように広がっていったのです。その伝播の核となったのが上記の人達なのですね。
こうやって名前を見てみると、渡辺崋山とか堀田正敦とか、
『雪華図説』をもらってもいいはずの人で上記に名前が挙がっていない人がいます。
その理由は
1)鷹見泉石日記自体に欠落の時期がある。
たとえば、最初の『雪華図説』が出されたのは天保3年なのですが
『鷹見泉石日記』(全8巻)では天保2年の日記と思われるものの次が天保5年になっています。
この欠落の間に『雪華図説』の贈答を受けた方たちは何人かいらっしゃるはずです。
2)私の見落とし。
『鷹見泉石日記』で『雪花図』『雪花図説』の記述は漏れなく書き上げたつもりですが、
鷹見泉石が「雪花」という言葉を使わず、図説の贈答を記述していたらそれはピックアップ漏れとなります。
3)鷹見泉石が日記に、『雪華図説』贈答者すべてを書いているわけではない。
いずれにしまして、どんな方が『雪華図説』を受け取ったのかわかってとても興味深いです。
現在、いくつかの博物館、図書館に『雪華図説』は所蔵されています。
その『雪華図説』が誰がもらったものがまわりまわって所蔵されることになったのか、
辿ることができたら面白いな~と思います。
*********************************************************************
【主な参考文献】
『オランダ名ヤン・ヘンドリック・ダップルを名のった武士、鷹見泉石』
鷹見本雄編著/岩波書店 2011
『旗本家百科事典』東洋書林1997
『江戸幕府大名武鑑編年集成』東洋書林
『江戸幕臣人名事典』新人物往来社
『文政武鑑』『天保武鑑』
【鷹見泉石日記シリーズ】INDEXはこちら
雪の結晶全般はこちら
« 石岡信之さんの器、美しい淡青にうっとり | トップページ | 鷹見泉石日記シリーズ(その3)細川家に贈答された雪華文蒔絵印籠に関して »
「 雪の結晶」カテゴリの記事
- 雪の次の日。生まれて初めて見た光景。降り注ぐ雪しぶき。(2022.01.15)
- こたべのパッケージに雪の結晶発見!(2020.01.26)
- 2020年1月18日の雪で結晶は撮れるか(2020.01.23)
- 榛原(はいばら)の御朱印帳を手に入れました。土井利位侯の雪華がいっぱい(2020.01.12)
- 雪輪はもっとも好きな雪の文様の図案のひとつ(2019.12.29)
« 石岡信之さんの器、美しい淡青にうっとり | トップページ | 鷹見泉石日記シリーズ(その3)細川家に贈答された雪華文蒔絵印籠に関して »
コメント