鷹見泉石日記シリーズ(その7)渡辺崋山(かざん)が描いた「鷹見泉石像」
「鷹見泉石(たかみせんせき)」と聞いてピンとこなくても、
この絵をご覧になったら、
「ああ、美術の教科書に出ていた肖像画の人」と
思う方も多いかもしれません。
私も鷹見泉石との最初の出会いは
学生時代の美術の教科書に掲載されていた
この「鷹見泉石像」です。
↑「鷹見泉石像」 渡辺崋山 筆 国宝 東京国立博物館蔵
彫りが深く聡明な顔立ち。
まっすぐ射抜くような視線が印象的。
たたずまいに風格を感じます。
絵の右下に書かれている言葉は
天保鷄年槐夏望日
写 崋山渡邉登
※私が旧字を直しています
天保鶏年=天保8年
槐夏=4月の異名
望日=15日
ですので、この絵は天保8年(1837年)4月15日に描かれたことがわかります。
「e国宝 - 国立博物館所蔵 国宝・重要文化財」(ttp://www.emuseum.jp/)→「鷹見泉石像」で検索すると
この絵の細部や詳しい解説を見ることができます。
その解説がこちら。
渡辺崋山(1793-1841)の肖像画中、第一の傑作である。
崋山は、三河(愛知県)田原藩の江戸詰家老で、藩政の改革に尽くしたが、
「蛮社の獄」で田原に蟄居中、49歳で自刃した。
画業は金子金陵やその師谷文晁に教えを受けたが、西洋画の遠近法や陰影法を採り入れた
独自の画風を立てた。
鷹見泉石(1785-1858)は古河(こが)藩士で蘭学者。
大塩平八郎の乱(1837)鎮圧に功のあった藩主の名代として浅草誓願寺に参拝したとき、
素襖(すおう)を着て折烏帽子をかぶる正装の泉石を、蘭学の弟子である崋山が描いたものといわれ、
崋山45歳の作である。
精緻な筆づかいと微妙な陰影法による顔の描写は写実的で、着衣の表現はおおらかである。
蘭学において鷹見泉石は渡辺崋山(渡辺登)の兄弟子と言われています。
鷹見泉石は天明5年(1785年)生まれ。渡辺崋山は寛政5年(1793年)生まれ。
泉石の方が8歳年上なんですね。
ちなみに、この絵は古河藩家老となった泉石52歳頃の作品です。
グローバルな視野を持ち、西洋の知識を貪欲に吸収した鷹見泉石という人物を描く時に、
崋山が西洋の絵の技法を取り入れた。
新しい時代を感じさせます。人物と作風の相乗効果を感じます。
さて、鷹見泉石日記で泉石が渡辺崋山に絵を描いてもらったことは
どう記されているのでしょうか。
調べてみると。
天保8年4月15日の前後、渡辺崋山のことも、モデルになったことも書かれていません。
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e国宝での解説で「大塩平八郎の乱鎮圧に功のあった」と出てきますが、
土井利位侯はどんなことがしたのでしょうか。
一人の奉公娘が生み出した手柄なんです。詳細は2013年10月14日を。
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