江戸時代の人々は雪華にどう萌えたのか(その1)ブームを示す2つの文献
<江戸時代の人々は土井利位の雪華にどんなに風に萌えたのか >
土井利位は1832年(天保3年)に『雪華図説』、1840年(天保11年)に『続雪華図説』を著します。
といっても、現代のように本屋さんに新刊本として並ぶ、ということはなく、
いわゆる私家版(プライベート出版)。
将軍家、大名、通詞、医者ほか縁のある方々への贈答本でした。
普通の町民の手に渡ることはありません。
ですが、当時、土井利位の描いた雪華はブームとなりました。
ごく一部のいわゆる「セレブ」な人たちが目にしていた「雪華」が町民にどんな風に広まっていったのか。
それはあらためてご紹介することにして
今日のブログでは、当時の雪華ブームを示す文献を2つをご紹介します。
1)『続雪華図説』に国学者、本間遊清(ほんまゆうせい) が寄稿したあとがき。
【原文を読んでいただく前に私が解説しますと】
雪華図説が天保3年に発表された後、雪華ブームが起きて
雪華を色紙、短冊、消息紙にすったり、雪華文様を染めた普段着の着物や手ぬぐいが作られたり、
雪華をあしらった菓子が生まれたことが記されています。
また、身分の差もなく老若男女、雪花をもてはやしているということが書かれています。
【原文】くずし字で書かれているので解読できず(注1)の資料4点を参照して書き起こしました。 雪の異名をもろこしにて六出といひ、和歌にむつの花とよみ、 画にも雪輪などいへるたぐい、はやくよりいひつぎ来つれども、 その形の百にかはり千々に分るてふ事をばふつにしる人なく、 さることかける書もたえて世になかりしを、 先つ年、下総の古河をしらしたまへる君の、其の形をいと多く写さしめたまひ 御みづから考へ定めたまへる御説をさへ添へて、雪花図説と名づけ、桜木に匂 はしたまひしより、 その匂ひ天の下に満ちとほりければ、そのかたを色紙短冊消息紙にすれるはいふもさら也、 朝夕着ならす衣にも手ぬぐひにも染出し、はてには菓子てふ物にさへ作りなして、 めでたくつかへることになんなり来にける。 昔は知らず今の世にして此六の花さかりに匂ひて 高きもみじかきも老たる若き、をとこをみなのけぢめなくもてはやしとり伝ふるは、 此御ふみ世にあらはれてより後の事なればいともめづらしきおほん書とこそ申すべけれ。 さるを今年またその続編をしるして前の書にもれたる形いと多く補ひそえさせたまへる 御心もちひのいたり深きをたたへ奉るらざらめや、めでたてまつらざらめや。 天保庚子二月 本間遊清 【拙訳で】(古文の専門家ではないのでほんと拙訳で) 雪の異名を中国では「六出」といい、和歌に「むつの花」と詠み、 画にも「雪輪」などというたぐいのものが昔から言い伝えられてきた。 けれども、その形が百に変わり千にも分かれることを知る人はいない。 また、そうようなことを書いた本もまったく世になかった。 だが、先年、下総の古河を統治している君主(私メモ/土井利位侯のこと)がその形を大変多く写し、 自ら考え定めた説をさえ添えて「雪華図説」と名付けて著された。 桜木の版木を香らせて出版された「雪華図説」の香りは天下に満ちとおり、 雪華の形を色紙や短冊や消息紙(私メモ/手紙、私信のこと)に摺るのは言うまでもなく、 朝夕に着る普段着の衣にも手ぬぐいにも染め出したり、菓子というものにさえ雪華を用いる者も出て、 何にでも雪華が使われるようになった。 昔は誰も雪華を知らなかったが、今の世ではこの「六つの花」はさかんに香って 身分の高い人もそうでない人も、老いも若きも、また男女の区別なく、もてはやしていると伝わっている。 それはこの雪華図説が世に現れた後のことであり、 今までに例のない、大変素晴らしいご本と申し上げられよう。 そして今年、土井利位侯はその続編を著し、前書に取り上げるのにもれた雪華を 非常に多く補われて記された。 その深いお心持ちに敬意を払わずにいられようか。賞賛せずにいられようか。 天保11年(1840年)2月 本間遊清 |
2)天保10年1月3日に曲亭馬琴が小津桂窓に宛てた手紙。
『馬琴書翰集成 第五巻』滝沢馬琴著 柴田光彦、神田正行編(八木書店 2003)に収録。
【原文を読んでいただく前に私が解説しますと】
『南総里見八犬伝』などの著者で知られる曲亭馬琴(滝沢馬琴)は
鈴木牧之の『北越雪譜』の出版にも絡んでいた時期がありました。
この本の出版は実現するまで紆余曲折があり、40年ほどの月日がかかったのですが、
鈴木牧之が山東京伝(さんとう・きょうでん)に協力を求めてうまくいかず、
馬琴が約束するもなかなか動いてくれず・・・(他にもいろんな人が関わっています)・・・
最終的には山東京伝の弟の山東京山(さんとう・きょうざん)とのコラボで上梓にいたったのです。
馬琴は山東京伝のことを好ましく思っていなかったので、
その弟が関わって『北越雪譜』が出版されたことも、ベストセラーになったことも面白くなかったのでしょう。
さて、この『北越雪譜』には土井利位の描いた雪華35種が転載されていました。
下記にご紹介する手紙は、馬琴が友人の小津桂窓(おづ・けいそう)に宛てたもの。
巷での雪華ブームは『北越雪譜』が火付け役なのではない、
この本が出版される以前からが土井利位侯が描いた雪華はいろんな人が写して拡がっていたし、
浴衣の柄になったこともある
と綴ったものです。
雪華ブームが山東京山の手柄みたいになってしまうのが悔しいんだな、
馬琴は超人気作家なのに大人げないと思ってしまうのですが、
江戸で雪華が町民に広がっていること。天保5~6年に浴衣の柄になったこと。
天保9年にも上方(大阪や京都)でも雪華柄の浴衣があったことをこの手紙で知ることができます。
当時の雪華ブームを具体的に知る貴重な情報!!
私としてはとてもありがたい資料の発見となりました。
【ではその原文を】 『雪譜』にのせ候雪花を、上方にて浴衣地の小紋に染出し候よし、 彼書の流行故と思召候よし、さもあるべく候。 但し、右の雪花ハ、『雪譜』開板已前、黙老人の『聞まゝの記』にものせられ、 此外好事家、写しとり候て、もてはやし候故に、 江戸にてハ四五年巳前、浴衣地に染出し候へども、さばかり流行不致候キ。 去夏、上方二ており出し候ハ弐の町ニて、全く『雪譜』より思ひ起し候事ニ可有之候。 【拙訳で】 『北越雪譜』に掲載された雪華を上方にて浴衣地の小紋の文様として染め出している。 それを『北越雪譜』が流行によるものと思う人もいるだろうし、それもあるだろう。 ただし、この『北越雪譜』に掲載された雪華は、この本が出版される前から 木村黙老の『聞まゝの記』にも掲載されていた。 それ以外にも好事家たちは写し取ってもてはやしていたのだ。 それゆえ、江戸では4~5年前(天保5~6年)、すでに浴衣地に染め出していたのだ。 それほど流行はしなかったが。 去年(天保9年)の夏、上方で雪華を織り出したのは、 全く『北越雪譜』に着想したことにちがいないが。 ((>_<)後半きちんと訳せません) |
【ここにも注目】
この手紙で3つのことが確認できます。
①雪華ブームは『北越雪譜』出版前から起こっていた。
②木村黙老以外にも土井利位侯の雪華図説を写し取っていた趣味人がいた。
③鈴木牧之に雪華図説を教えてあげたのは馬琴ではないのかも。
①について
『北越雪譜』が出版されたのは1837年(天保8年)。
ですので、それ以前の天保5~6年に雪華ブームがすでにあったとすると、
確かに馬琴がいう通り雪華ブームは『北越雪譜』の功績ではないですね。
②について
木村黙老(もくろう)とは高松藩の家老。趣味人で様々なことを綴ったり、書物を写したものを収めて
『聞まゝの記』として綴っていました。
黙老は土井利位侯の雪華図説もそのまま『聞まゝの記 九』に転載しています。
そして馬琴は天保4年にその『聞まゝの記 九』を借りて、自ら雪花図を写しています。
つまり、馬琴自身も土井利位侯の雪華を写し取った「好事家」の一人なんです(詳細はこちらを)
③について
馬琴が雪華を知って写した天保4年頃は、鈴木牧之と『北越雪譜』出版に向けて
やりとりを重ねていた時期でした。
それゆえ、牧之に馬琴が土井利位の雪華を教えてあげたのかなと思っていたのです。
ですが、小津桂窓宛てのこの手紙を読むと違うかなと推測できます。
もし馬琴が牧之に雪華を教えたのであれば、馬琴の性格上
「雪華ブームは『北越雪譜』に雪華が紹介されたことも原因の一つたが、
そもそも牧之にこの雪華を教えてあげたのは私だ!!!」と主張するのではと思うからです。
牧之がどういうルートで土井利位の雪華図に出会ったのか知りたいです。
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注1)
①『雪華図説考』小林禎作著(築地書館 1968)のp155~156の開米幽香子氏による書直し。
②『江戸時代の蘭画と蘭書 下巻』磯崎康彦(ゆまに書房 2005)p333~334
③『「雪華図説」再考』鈴木道男(東北大学大学院 国際文化研究科論集 第五号 1997.12.20)
④『諸科学篇 日本科学古典全書 第六巻』 三枝博音編集(朝日新聞社 1942)
【雪の結晶の文化】INDEXはこちら
雪の結晶全般はこちら
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