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2014年6月15日 (日)

雪の結晶番外編/滝沢路の日記シリーズ(その7)飼い猫の仁助について

路の日記シリーズその7は猫の仁助に関してです。

馬琴の息子の嫁、路(みち)は、
馬琴(晩年、目が不自由)や息子太郎の闘病の様子を克明に日記に書きました。
それは、今日は下痢が何回など自分や家族の健康状態を逐一、
日記に記載していた馬琴のスタイルにならったのだと思います。

日記=滝沢家の記録という使命感を帯びて、馬琴没後、日記を毎日書きつづけた路ですが、
飼い猫の仁助の具合が悪くなった時にはその詳細を記しています。

それを読んで2つのことを感じました。

・文章で表現する面白さに目覚めてしまっている。
最初は馬琴の代筆や口述筆記をおこなっていた路ですが、
自分で日記を書き、どんどん筆運びが達者になっています。
日記は滝沢家を守る者の勤めという義務感もあったでしょうが、
見たこと、感じたことを表現する面白さに夢中になったり、
つらい出来事を日記に書くことで気持ちを整理したり、
救われたりということがあったのだろうと感じます。

・「医」になじみのある家庭環境の影響。
舅の滝沢馬琴は医術を学んだことがあり、夫の宗伯も医者でした。
また、滝沢家は副業として「神女湯」「奇応丸」 らの薬を作っていました。
路の父、土岐村元立も医者でした。
病状を克明に観察する姿勢は馬琴にならっただけではなく、
路自身が習性として持っていたのかもしれません。

前置きが長くなりましたが、では、飼い猫の仁助が出てくるところをご紹介しましょう。

※ただし書きはその2をご覧ください。
※(略)はすべて私による略です。

※仁助が登場するすべての箇所を挙げてみました。
※引用部分は青文字。スミレ色文字は私がざっくり訳したもの。
  日付の脇の<>は私が勝手につけた見出しです。

まず、猫、仁助のプロフィールを


仁助(読み方はおそらく、ニスケ)
オス。嘉永元年6月12日生まれ。模様はあかぶち。

同年5月に馬琴家にやってきたノラのお母さんから生まれました。
お母さんもあかぶち。兄弟は4匹(オス2匹、メス2匹)。

その後、お母さん、兄弟とは離れ離れになり、
仁助だけが馬琴家に残りました。
 お母さんとメス1匹→嘉永元年7月21日、
           定吉にもらわれました。
 オス1匹→同年8月1日、清右衛門にもらわれました。
 メス1匹→同年8月1日、松村儀助にもられました。



ニッポンの猫 (新潮文庫)

↑仁助は赤いぶち。こんな柄かな~と推測。

最初に仁助について書いているのは馬琴です。
出生から書いています。出典は『曲亭馬琴日記』第四巻/柴田光彦新訂増補(中央公論新社 2010) です。


【嘉永元年】
6月12日<仁助生まれる>
今晩五時過、猫、子を産、四つの内、ヲス二疋、めす二疋、何れもあかぶちにて、母に似たり。
5匹全員、上のような模様の猫ちゃんなんですね。

7月21日<おかあさんと姉妹1匹がもらわれる>
先日、定吉に約束致候猫の事、申聞候処、貰受度由申に付、
先源右衛門に昼飯給させ、親猫赤ぶち一疋・赤とら小猫壱疋、
みかん籠に入、母子とも、緋ちりめんくびたまをかけさせ、
かつをぶし一本添、渡し遣す。
源右衛門、則、荷籠に入持、帰去。右親猫はふうらいねこ也。
当五月上旬、林に居候へども、章大勢にていぶせく存候や、
五月八日より、此方より来居候処、懐妊ゆへに、
おみち・おさちら憐み、留置候へば、
六月十二日夜、小猫四疋出産いたし、追々肥立ち候間、定吉所望に任、今日遣之。

親猫赤ぶち1匹、赤とらの小猫1匹をみかん籠に入れてさしあげた。
母子とも、赤いちりめんの首輪をつけ、かつおぶしを1本添えた。
源右衛門はすぐに荷籠に入れて持ち帰った。
この親猫はノラ猫で、5月8日にやってきていついてしまった。
おなかが大きいのでおみち、おさちらがかわいそうに思い、家に置いていたところ、
6月12日夜、小猫4匹を出産した。
産後の回復もよくなり、定吉からの望みがあったので今日、猫をあげたのだ。


今でしたらキャリーケースかみかん箱に猫を入れて渡すことも多いと思うのです。
「みかん籠」を使ったところに現代の私たちと感覚が近いものを感じますね。
そしてかつおぶしをお土産につけたところにも。江戸時代も今も猫の好物はかつおぶし。
その普遍性が興味深いです。
赤いちりめんの首輪をつけてさしあげるところにも、
わずか1ケ月ちょっとのつきあいだった猫たちに愛情を感じていたことがわかります。
20131107kuniyoshi_nezumiyokenoneko2
↑赤いちりめんの首玉というのはこんな感じ
当時の浮世絵の猫といえばほとんどみんなこれを付けています。
(国芳の「鼠よけの猫」)

8月1日<姉妹、兄弟もらわれる>
赤白男猫壱疋、追々成長に付、先方へ遣し度由、清右衛門申に任、
右男猫、めざるに入、かつをぶし差添、清右衛門に渡し遣す。
貰受候当人は、清右衛門店かるこ金蔵と云者也といふ。
昼後、太郎、赤雑毛女猫を松村儀助方へ持参。
同人貰受度由、約束有之故なり。鰡開壱尾、為持遣す。

すくすく育った赤白のオス猫1匹を、めざるに入れ、かつおぶしを添えて清右衛門に渡す。
昼後、太郎がメス1匹を松村儀助宅へ持参。
ぼらの開きを一尾添える。

小猫たちがすくすく育っている様子が目に浮かびます。
また、かつおぶしを添えてさしあげています。
ぼらの開きも添えたというのは猫ちゃんがぼらのひらきを食べていたということなんですね。

10月11日<仁助、ねずみを捕る&食べる>
今晩八時頃、台所にて、小猫、中鼠をとる。
一夜明後迄に食尽しぬ。是迄ねずみをとること三度也。
当六月出生の小猫にしては逸物なるべし。

ちょうど生後4ケ月頃です。
すでにねずみを3度つかまえていて、馬琴に「大物だ」と言われているなんてすごいですね。
ねずみをおもちゃにしていたぶるだけではなく、食べていたというのは驚きです。

※馬琴は嘉永元年11月6日に亡くなっているので以下は路による記述です。

【嘉永2年】
3月22日<仁助、行方不明になる>
去申夏六月十二日夜出生の赤雑毛の男猫、行方不知、処々尋るといへども、死骸だに見えず。
多分、狐・犬の衝去られしなるべし。誠にふびん限りなし。

昨年6月12日夜に生まれたあかぶちのオス猫の行方がわからなくなった。
あちこち尋ねてみるが、死骸もない。
おそらく、狐か犬にやられたのだろう。大変ふびんである。


3月23日<仁助、無事帰還!>
今朝四時頃、昨朝行方不知相成候猫、永井藪之内に居、なき候を、
伏見季女おまき、おさちへ告来。
早速罷出、永井竹垣をおしひろげ、取出しつれ来る。
何れの者にかほかされし歟。狐にばかされしか。
何れにしても帰り候へば、悦しき事也。

昨日の朝から行方がわからなかった仁助が、永井の藪の中で鳴いていると、
今朝四時頃、伏見家の末娘おまきがおさちに報告してくれた。
早速出かけて竹垣を押し広げて救いだし、仁助を連れて帰った。
誰かに捨てられたのだろうか。狐にばかされたのであろうか。
いずれにしても家に戻ってきたので、うれしいことである。

猫を飼っていれば一度や二度経験する<行方不明>。
無事戻ってきてよかったですね。
この文章からも、仁助がみんなに愛されているのが伝わってきます。

4月25日<仁助、ねずみをもらう>
山本半右衛門、大鼠生捕候由にて、持参。
則。赤雑毛のねこに遣す。

山本半右衛門が生け捕った大きな鼠を持ってきた。
すぐに仁助にやった。

このあと、遊んで、食べた・・・のでしょうか。

4月28日<仁助、ねずみをもらう>
岩井政之助、鼠生けどり候由にて持参。則、小猫に遣す。
岩井政之助が鼠を生け捕りしたからと持参。すぐに仁助にやる。
知人が鼠を捕ったからと持ってくるというところに、
家族だけではない、周りの人にも仁助の存在がよく知られていたことがわかりますね。

※以下は『路女日記』滝沢路著、木村三四吾編校(八木書店 1994)から。路の記述になります。

7月22日 <仁助、医者の家へ>
去年五月迷猫の産候同六月十二日出生の男猫、仁助と名づけ候猫、
太郎不快に付、無拠外に遣し度の所、幸宇京町にのろと申御番医者方にて望候由に付、遣す。
夕方、右之御医師の塾、清助娘同道にて迎に来る。
則、是迄秘蔵致ゆへ、誠にふびんに存、いくゑにもおしまれ候へども、
右猫有之故に太郎大長病可成候に付、遣し候物也。

太郎が重い病にかかっているため、
生後1年ちょっとになる仁助を医者の野呂氏にあげることにします。
かわいがっていただけに、誠にふびんで、重ね重ねおしまれる
秘蔵致ゆへ、誠にふびんに存、いくゑにもおしまれ
と書いているところに、路がいかに仁助を可愛がっていたかが察せられますね。
仁助の名前が登場するのはこの記載がはじめてです。
『曲亭馬琴日記』では名前は書かれていませんでした。

7月23日<仁助、逃亡>
昨日遣し候猫、おさちを以やう子為聞候所、よくしばり置候得ども、五時頃何方へか参り候由。
おさちうちおどろき、帰来て告之候間、うちおどろき、
なげくことやや久敷、ふびんやるかたもなく、さぞかし食物にこまり、
なん義可成存、是亦秘蔵致養猫、俄に迷猫に成、
難義かぎりなかるべしと存候得ば、ふびん一入(ひとしお)にて、愁傷の事也。

(略)

与力板倉の下女、猫を貰に来る。
右使に昨今猫の物語致、昨夜何れへか行候て行衛知ざるよし咄し、使も本意なく帰去。
此使今一日早く、昨日ならば行衛知れざる様な事あるまじくと悔思へども、せん方なし。

昨日、さしあげた仁助は、おさちが様子を聞いたところによると、
きっちりつないで置いていたが、五時ごろどこかに行ってしまったとのことである。
帰ってきたおさちにその話を伝えられ、驚き、しばらく嘆いていた。
ふびんでしかたがない。さぞかし食べ物に困って辛い思いをしていることだろう。
これまで大切にかわいがっていた猫が急に迷い猫になったことを思うと、本当に気の毒でならない。 
(略)
与力板倉の下女が猫をもらいにきた。
昨日仁助を人にやったがどこかへ逃げてしまった話をした。
下女はしかたなく帰っていった。
この使いが一日早く、昨日であれば仁助を行方不明にすることもなかったと後悔するが、しかたがない。

仁助がもらわれた先から逃げ出してしまったことを知った路の後悔や仁助への想いが伝わってきます。

※このあと猫が登場するのは嘉永3年7月4日の日記です。
山本氏内儀、昨夜鼠を取おさへられ候由にて持参、此方猫に披贈、雑談して帰去。
この猫がなんらかの理由で再び家で飼い始めた仁助なのか、あらたに飼い始めた猫なのかはわかりません。
「仁助」の名前が再び登場するのは、下記の嘉永4年の2月29日の日記です。

【嘉永4年】
2月29日<めざしをもらう>
五時頃、長次郎来る。猫仁助へめざしいわし二把持参、披恵。

5月22日<仁助、戻らず>
赤猫仁助昨夕方より罷出、今日も不帰。
所々尋候ども行方一向知れず。如何致候や。
自昨夜の夢に、仁助何方にて欤頭へ二寸ほどの疵をうけて帰宅致候所、
おさち疵口へ薬つけ遣し候と見て覚たり。
右にて格別心に掛り候也。
赤猫の仁助が昨日の夕方から出ていって戻らない。
あちこち探しても行方は一向にわからない。
私は昨日の夜、仁助が頭に6センチほどの傷をうけて帰り、
おさちが傷口に薬をつけてあげるという夢を見て目が覚めた。
だからこそ、大変気がかりだ。

路の家にいた仁助がまたぷらりと出ていってしまったことがわかります。

5月23日<仁助、戻ってくる>
猫仁助、明方に相成、帰来る。其悦限りなし。
猫の仁助が明け方に戻ってきた。大変うれしいことである。
猫を外に出している人は何度も経験するハラハラです。
戻ってきてよかったですね。

【嘉永5年】
閏2月13日<仁助、食べず>
猫仁助十日より不快にて、終日不食の所、夜中何れへか罷出、今日迄不帰。
右に付、死したる事と存、死骸を所々尋候所、何れにても見え
(私メモ/路は見えずと書くつもりだったか)
打捨置候所、昼後門口へヒヨロヒヨロと出、たらいに有之候水をのまんと致候所、
吉之助見出し、早速抱入、あかがねの粉と硫黄のませ、
むき身食物あたへ候へども、一向食無之。
只々水を好み、おさち水をあたへ、ふとんの上へふさしめ置。
然ども只息の通ふのみ。十日より今日迄四日絶食也。
猫の仁助が10日より具合が良くない。
一日中、何も食べない。
夜中どこかへ出かけてしまって今日まで戻ってこない。
死んでしまったんだろうと、死骸をあちこち探してみてもみつからなかったが、
今日のお昼過ぎ、門口にヒョロヒョロと現れ、
たらいの水を飲もうとしていたのを吉之助(私メモ/吉之助は路の娘さちの夫)がみつけた。
すぐに抱いて、銅の粉と硫黄をのませ、むき身を与えたけれど、一向に食べない。
ただ水をほしがるので、おさちが水をあげて、ふとんの上にねかせた。
ただ、息をしているのみで、10日より今日まで四日間絶食状態である。

仁助のひん死の様子が伝わってきます。


閏2月14日<仁助、水すら飲まず>
猫仁助、今日も昨日同様折々苦痛。
右に付、尾張様御長家下ねこ薬買取参り候所、売切候由に付、いたづらに帰宅。
(略)
暮時大内氏、猫仁助見舞に被参。
(略)
猫仁助、同編不食。暮時、水天宮御守札一字切取、戴かせ、
今晩は水も不飲、只息の通ふのみ、不便限りなし。
猫の仁助、今日も昨日同様時々苦しがっている。
猫の薬を買いに行ったが、売れ切れで無駄足だった。 
(略)
暮れ時に、大内氏が仁助の見舞いにやってきた。
(略)
仁助はあいかわらず食べない。暮れ時、水天宮のお守り札の一字を切り取って戴かせた。
今晩は水も飲まない。ただ息をしているだけである。ふびんでしかたがない。

昔、治癒のために経典の一字を切り取って病人が呑むというおまじないもあったようです。
お守りの一字を戴かせたというのはそういうものでしょうか。

閏2月15日<伏見氏、仁助の薬を手に入れる>
今朝伏見氏被参、猫仁助不快、何ぞ宜敷薬有之候はば買取可被参由被申。
夕七時又被参、下町辺所々猫薬尋求候得ども、兎角に良薬を不得、
通新石町なる薬種店の主に承り候一品、猫毒にあたり候はば、
烏犀角可然候と申候に付、右さいかく買取被呉。
雨中かくまでに心を被用候事、有難心術也。
直に猫仁助に半分程用之。
今日も同様にて不食也。但、水を少々吞。
(略)
大内氏、仁助見舞として被参。暫して被帰去。
今朝、伏見氏が来訪。
仁助の具合がよくないので、
もしいい薬があれば買い取っていただくよう申し上げたところ、
夕7時に再び来てくださった。
下町あたりで猫の薬を探し求めたがとにかく良薬を手に入れることができなかったが、
薬種店の主が猫が毒にあたった場合は、
烏犀角がいいとすすめられたので犀角を買ってきたとのこと。
雨の中をこのように心づかいいただき、本当にありがたいことだ。
すぐに仁助に半分、服用させた。
今日も相変わらず食べないが、水を少し飲んだ。
(略)
大内氏が仁助見舞いにやってきて、しばらくして帰った

この日の天気は小雨。
肌寒かっただろうに、家族ではない伏見氏までが仁助のために動き、大内氏も見舞いにやってくるなんて!
またこの日の朝には路が豊川稲荷へ参詣に行っています。
たぶん快癒祈願ではないかと推測します。
死にそうな辛い思いをしている仁助はかわいそうですが、
みんなに心配してもらえて幸せ者ですね。

閏2月16日<順庵も仁助に薬を持ってくる>
昼後、順庵殿被参。先刻途中にて猫仁助不快を告、
薬乞候に依て、仁助薬持参被致、直に用させ候也。
(略)
猫仁助今日も同様不食。水少々を吞む。今朝、烏犀角を用ゆ。
昼すぎに、坂本順庵が来訪。
仁助の具合が悪く、薬を求めていることを伝えていたので、
その薬を持ってきてくれたのだ。ただちに服用させた。
(略)
仁助は今日も相変わらず食べない。水は少し飲む。今朝、烏犀角を用いた。

みんなで仁助を助けようとしているのですね。

閏2月17日<仁助、うんちが少し出る>

猫仁助、種々薬用候験にや、昼後大便少々通じ、然ども食気なし。
仁助、 いろんな薬を用いてる効用か、昼過ぎにうんちが少し出る。けれども食欲はない。
回復の兆しはうれしいですね。
それにしても路、今まで馬琴や息子太郎の病状を日記に記したのと同じような目で
仁助の様子を記しているのが興味深いです。

閏2月18日<仁助、食欲出てくる>
猫仁助、昼時頃又大便通ず。
此故に少々食気出、むき身を少々食す。
夜に入、飯も少々食。先順快成べし。

仁助、お昼時にまた、うんちが出た。
それゆえ、少し食欲も出て、むき身を少し食べた。
夜に入り、ごはんも少し食べた。少しよくなっている。

むき身というのはあさりのむき身でしょうか。
路家族はむき身をたびたび食べています。
猫にもあさりを食べさせたのでしょうか・・・。

閏2月19日<仁助、快方に>
猫仁助順快、今日迄十日絶食の所、今朝飯をくろふ。
仁助が順調に回復。今日まで10日間絶食していたが、今朝、ごはんを食べた。
おそるべし生命力。路家族やまわりの人も安堵したことでしょう。
このあとは順調だったのか、仁助の闘病日記は19日で終わっています。

9月24日<仁助の食べ物>
昼前、およし殿来る。(略)仁助食物を買取呉候様頼置、夕七過、右買取、被届之、早々帰去。
どんな食べ物の差し入れだったのでしょうか。

9月26日<仁助、ねすみをもらう>
今朝大次郎殿鼠持参。仁助へ被贈之、ほどなく被帰去。
今朝、大二郎がねすみを持参。仁助へのおみやげだ。ほどなく帰られた。
以前、生きたねずみを仁助はもらっていたので、これも生き捕りのものなのでしょうね・・・。

※以下は『瀧澤路女日記 下巻』柴田光彦・大久保恵子編(2013 中央公論新社)からの引用です。

【嘉永6年】
2月19日<仁助、災難>
今夜九時過猫仁助、首より両手へかけ巌敷くくられ、暫止め披置候様。
右をかみ切、迯(にげ)て帰り参り候と見え、
もめんさなだ或は二枚糸ちりめんぼろ紐にて大くくくられ候に付、
吉之助起出、右いましめ鋏にて切捨遣す。
何者のわざなるや。大方は魚類或は鳥抔(など)衡去りし咎なるべし。


12月14日<仁助の最期か>
猫仁介昨夜より出、今晩不帰。
(私メモ/仁介は仁助の書き間違いでしょう)
------------------------------------------------------
私が路の日記でみつけた仁助の記述は以上です。

路が滝沢家の記録である日記にこんな風に仁助のことを書いて、天国の馬琴はどう思っていたでしょうか。
人間でなく猫のことを書きすぎだと思ったでしょうか。
それとも、路の観察&表現に「文章力をつけたな」と合格点をあげたでしょうか。

見たこともない、江戸時代の猫なのに、私はすっかり仁助に愛着を感じてしまいました。

皆様は日ごろ、猫のことをなんと呼んでいらっしゃいますか。ニャンコ?にゃーちゃん?
私はニャー助と呼ぶことが多いです。
今回も「仁助ってどんなニャー助だったんだろう」とつぶやいて、あっと思いました。
ニスケ、ニャースケ。語感が似ています
もしかしたら路たちは、現代の私たちが猫のことをニャー助と呼ぶのと同じような感覚で
ニスケと名付けたのかも

私が猫をニャースケと呼ぶのは、ニャーニャーとかニャンニャンという鳴き声からですが、
江戸時代の人は猫の鳴き声を何と言っていたのでしょう。

興味深い作品が『朧月猫の草紙』山東京山作・歌川国芳画(河出書房新社 1985)。
朧月猫の草紙―初編・2編 (江戸戯作文庫)


この作品の中で出てくる猫の鳴き声はニャンニャンだらけ

20140615kuniyoshi_cat1
↑『朧月猫の草紙』(河出書房新社)より
江戸時代の猫も砂にトイレをしてたんですね。しぐさが今の猫と同じです。


「にゃんにゃん」「ごろにゃん」etc.
「にゃんまみだぶつ」という言葉は南無阿弥陀仏をもじったのでしょう。
江戸時代も猫の鳴き声がニャンニャンだったとすると、
さらに仁助はニャースケと同じ発想という思いが強まります。

20140615kuniyoshi_cat3
↑『朧月猫の草紙』(河出書房新社)より
蝶を狙う猫「こま」。猫が獲物を狙う時こんな風に身をかがめますよね。
猫の生態を的確に絵にする国芳。猫好きぶりがわかります。


現代の私たちと同じ発想で名前を付けたのかなあと推測すると、
縁もゆかりもない、顔立ちもわからない江戸時代の路やさち家族ですが、親近感が湧きます。
ペットとの団らん風景、現代の私たちと同じように猫を家族の一員として可愛がる様子が目に浮かんできます。。

さて、何度かいなくなっては路たちを心配させ、
ひょっこり戻ってきては路たちを安堵させた仁助ですが、
この嘉永6年12月14日の「ふらり」はその後戻ってきてはいないようです。
猫は死に目に姿を消すと言われていますが、この「ふらり」がそれだったのかもしれません。
----------------------------------
私メモ


『朧月猫の草紙』(河出書房新社)より
こま にゃんにゃんとなく」と書かれています。
20140615kuniyoshi_cat2
こま」の下、「」の文字がわかりづらいですね。
」の文字は「尓」が 元となっています。
大きな「」はひらがなの「く」ではなく、
繰り返しを表しているので「にゃんにゃん」となります。
2行めの「」は「奈」が元となっています。

上記の『朧月猫の草紙』の中のにゃん~の記述。
いくつかのパターンがあります。

にゃんまみだぶつ
→p31(初編下巻)

にゃんにゃん
→p41(初編下巻) 
 p60、p66(二編上巻) 
 p74、p76、p77、p79、p82、p89、p92(二編下巻)

にゃん
→p43、p44(初編下巻) 
 p56、p66(二編上巻) 
 p99(初版改版本下巻)

ごろにゃん
→p82(二編下巻)


『朧月猫の草紙』は2013年に
『おこまの大冒険』として全編現代語訳付きが出版されました。

   

おこまの大冒険〜朧月猫の草紙〜


出版社のパイインターナショナルさんでの紹介ページはこちら。(2014.6.15現在)
ttp://pie.co.jp/search/detail.php?ID=4429

滝沢路の日記シリーズINDEXはこちら
雪の結晶INDEX(全般)はこちら

 

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