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2014年7月21日 (月)

雪の結晶番外編/滝沢路の日記シリーズ(その8)食べ物、黒船などの時事ほか

滝沢路の日記シリーズその8です。

路の日記は嘉永~安政の江戸の暮らしのさまざまなことがわかってとても興味深いです。
その8では食べ物、黒船などの時事ほか 私がおもしろいと思ったものを羅列でご紹介します。
青字は引用部分。ただし書きに関してはその2を。


【食べ物】  

回向院前あわ雪茶漬けや(嘉永5年6月1日) 
あわ雪茶漬けが名物の料理屋でしょうか。
あわ雪茶漬け、おいしそう。
泡立てた卵白を泡蕎麦の上にかけた「淡雪蕎麦」の茶漬けバージョンでしょうか。
それともトロロを雪に見立てたとか?

マルメロ(嘉永5年9月5日)
樹木のまるめろと申実持参、被贈之。右まるめろは花梨の類にて、長命の薬也と云う。
マルメロって今でもおしゃれな果実というイメージなのに江戸時代にすでに渡来していたんですね。

窓の月
菓子類でよく登場するのは窓の月。窓の月とは四角い最中(もなか)のようです。
鷹見泉石の日記、馬琴の日記にも頻繁に登場していました。

佐柄木町窓の月(嘉永2年6月12日)
佐柄木町は現在の神田須田町あたりのようです。

梅林亭窓の月(嘉永6年2月27日) 

雪月花窓の月(嘉永5年7月24日、嘉永7年6月28日)
この書き方だと雪月花が店舗名でしょうか。

むつの花一折(安政3年1月7日、1月18日、1月27日、2月15日、6月30日、7月5日) 
むつの花とは雪の結晶のこと。すでに天保時代に土井利位の雪花図説ブームが起きているので、
雪の結晶の形をした菓子だと思うのですがどんなものだったのでしょう。

船橋屋煉ようかん(嘉永2年8月24日)

越後名産ささあめ(嘉永7年3月1日)

 

【木村黙老(もくろう/木村亘わたる)との交流】

木村黙老は高松藩の家老を勤めた人物で、好事家。
滝沢馬琴が土井利位の『雪華図説』を知るきっかけになった人物です。
その流れは。
黙老が『雪華図説』を自著『聞きままの記』に転載→馬琴が黙老から『聞きままの記』を借りる
→雪花図を見て、馬琴が息子宗伯と一緒に模写する。 です。

馬琴が亡くなったあとも路も黙老と交流があったことがうかがえます。

ex. 高松木村亘より書状到来。(嘉永2年7月27日)

【馬琴のスタイルを踏襲】

馬琴は日記に毎年杜鵑(ほととぎす)の初鳴きの日を記しています。
ex. 昼時、杜鵑の初音をきく。小満前四日也。(天保3年4月19日)

それにならって路も杜鵑の初音を記しています。
今朝、ほととぎす初音を、両三声を聞く。立夏後十二日目也。(嘉永4年4月18日) 

そっくりの書き方ですよね。
きっと天国で馬琴は、路が日記を書き続け、初鳴きをチェックして、
馬琴の文体のように書くことをうれしがっていたのではと思います。

【地震】

安政の地震の生々しい記録は滝沢路の日記シリーズ(その3)をご覧ください。

【彗星】
嘉永6年7月21日(路の日記は旧暦。西暦で換算すると1853年6月16日)の日記に彗星がでてきます。

当月十日頃より西之方に箒星見え候由、人々風聞有之候に付、有夜見候所、
西永井様の方へあたり、右様之星あらはれ、忽に下り候事。但明方には東之方へ横に出候由。

この彗星はクリンカーヒューズ彗星のことですね。

長野市立博物館の「博物館だより2013.7.5 第86号」では
嘉永6年旧暦7月のクリンカーヒューズ彗星に関して
葦沢家日記、高野日記、岩崎家日記にも記録があることが紹介されています。
ttp://www.city.nagano.nagano.jp/museum/pdf/dayori86.pdf


【台風】

安政3年8月25日に江戸を襲った台風のすさまじさを路は記述しています。抜粋で。


安政3年8月25日。
終日霧雨。北風。夕七時過より折々大雨。或は止忽雨。

吉之助帰宅後、一同枕に就き候得ども、風烈しく、睡り候事不叶。
然る所四時過より大暴風雨戸障子を外し、住居舟の如く、且雷鳴も致。其ありさま凄じく候間、
両人の孫抱起し、幸次郎は自抱き、力三郎はおさち抱き、両人とも目をさまし、
一同金毘羅大権(現が脱字)の御神号をとなへ、実に恐しく、
昨年十月二日大地震
(私メモ/安政の大地震のこと)より一入恐れ居候事、生たる心地なく、
吉之助あちこちを防ぎ候内、玄関壁落、此方門・板塀庭通り仆(たお)れ、往来をふさげ、物置は潰れ候也。

四時過に成、伏見母屋仆れ潰れ、此方柘榴ならびに、柿・桜・梅、都て伏見後に有之候木は
是が為に仆
され、家の下に成る。
(略)幸と此方座敷は戸障子外れず、
諸神諸菩薩且先祖の御蔭にて仆れ潰るることなく、有がたきこと限なし。

ざっと訳しますと。
吉之助の帰宅後、一同床に就いたけれども、風が激しく寝付けなかった。
四時すぎから暴風雨が障子をはずし、住居は舟の如く揺れた。また雷もなった。
その様子はすさまじく
孫の幸次郎を私が、力次郎をさちが抱き起こした。
二人とも目をさました。
みんなで金毘羅大権現の名をとなえた。
安政2年10月2日の大地震より恐ろしく、生きた心地がしなかった。
吉之助はあちこちを防いでいたが、玄関の壁が落ちた。
門と板塀が倒れ、往来をふさいだ。物置がつぶれた。
伏見家の母屋が倒れてつぶれ、ざくろ、柿、桜、梅…
伏見家にあった樹木はすべて倒れ、家の下敷きになった。
幸い、我が家の座敷は戸庄司ははずれず、諸神菩薩やご先祖さまのおかげで
倒壊しなかった。
ありがたいことである。


安政の大地震を経験した翌年に関東地方を襲ったこの台風は被害も甚大。
いろんな記録が残されていますが、
路の日記の「住居が舟の如く」「生きたる心地なく」他
緊迫感の伝わる描写から台風の凄まじさが伝わってきます。

この台風は作物にも大きな被害を与え、野菜が高騰したことが以下の記述からわかります。

安政3年9月2日 大風烈後諸色高直に成、公儀より厳重の御触出、昨今職人ども多く召捕に成候由也。(略)
野菜物・塩肴等甚しく高直に成、是迄五、六文に売候もみ大こん、壱把壱十二文此方にて今日買取。

◇同年にこの台風被害の記録集『安政風聞集』金屯道人 編が出版されています。
ネットで閲覧/
早稲田大学古典籍データベースで3巻とも閲覧可能。「安政風聞集」はttp://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ni08/ni08_00996/index.html
国立公文書館の今月のアーカイブ『安政風聞集』ttp://www.archives.go.jp/owning/monthly/1008/archives5.html
ではこの本の概要をハイライト的な絵とともに紹介していてわかりやすいです。

【路の哀と怒】
路の日記には時々辛辣な表現があります。

まわりの人間とのトラブルで、00がこんな風に激怒したと書いているくだり、
また自分が立腹したことを書いているくだり。
かなり、ぴっしゃりと書き放っています。
馬琴も時々辛辣な表現を書いていましたが、路はまさるとも劣らない一面があります。


●哀
(太郎の喪失)

息子太郎が壮絶な闘病で嘉永2年10月に亡くなり、娘のさちと二人だけの暮らしになった
同年の12月最後の日記です。

今日、昼節一汁二菜・膾(なます)、母女二人祝食し、
夕方福茶、都て(すべて)先例之如く祝納む。
祝いながらも、母女二人外敢外に人なし。心苦しき事限なし。

夫宗伯も早くに亡くし、息子太郎にも先立たれ、娘のさち(太郎の妹)と二人だけというさみしさが伝わってきます。


●哀(おさととの別れ)
嘉永7年4月5日から村田氏の長女おさとが路の家で暮らします。
倉太郎のお守をお願いする意味もあったのだと思います。
そのおさとが一年後の安政二年4月本多家に行くことになります。
ゆかた、けしょう道具、下駄、帯などをもたせて遣るわけですが、
おさとがいなくなるさみしさをこうつづっています。

去寅の夏4月5日より此方へ参り、壱ケ年を馴染候ゆへ、遣し候事よろこばしからず、
且当人も名残をしく存候ゆへ、数行の涙。
一入一入ふびん弥増す。
さりとていむべきにあらず候間、涙ながらに出し遣し候也。
此故に今晩とかくに心に掛、不睡也。

「数行の涙」や「一入一入ふびん」におさとに対する愛情と別れのさみしさが感じられますが、
文章は短く簡潔で、路の筆の達者ぶりを感じます。

●怒(娘さちの最初の夫小太郎の暴言に対して)

言語道断、失敬無礼いわん方なし。(略)
くれぐれも憎むべき奴也。(嘉永3年9月13日)


●怒(小太郎に対して)

其心術の賤き事、言語道断、沙汰の限り也。笑ふべし。(嘉永3年12月18日)


●怒(さちに対して)

我まま多く、親を侮り、強情ばり、親の意に背候事かくの如し。憎むべき奴也。(嘉永4年6月22日)


●怒(路の悪口を言いつづけてきた隣人H氏の妻が贈物を持ってきたことに関して。

戌年以来絶交の所、今日の贈物いかなる心ぞや不分、ふしん也。(嘉永6年6月3日)


●怒(妻が亡くなり翌日に葬祭をすることを真夜中に門をたたいて知らせにきた知人とその使いに対して)


夜をこめ門をたたき人を驚し候事、甚しき愚也と思ふ也。 (嘉永7年5月22日)


●怒(植木の伐採のトラブル。O氏に対して)


誠に烏滸(おこ)のしれもの也。(略)非礼成申分也。笑ふべし。憎むべし。此のものの志習ふべからず。
(安政2年3月4日)

私メモ/「おこ」とはばかげていること。ふとどきなこと。「おこがましい」の「おこ」にあたります。


●怒(さちと二番目の夫、吉之助の夫婦喧嘩に関して)

*吉之助と云、おさちと云、おろかにも尚おろかなるべし。 (安政2年7月28日)

*吉之助近頃は癇症募り、我儘も同様。(略)
己怒りにまかすれば、未物さへいへぬ小児或は家内当り候事如何成心得に候や。(安政3年5月19日)


*安政5年6月22日の日記では吉之助関係の記述が1頁半にわたって続きます。

25才で妻も二人の子供もいる吉之助の経済感覚、怒りっぽい気性などを批判しています。

※吉之助を少し弁護すると、路の晩年は不仲が目立った吉之助とさちですが、うまく行っていた時ももちろんありました。
おさちがトイレ(現代とは違い汲み取り式のトイレです)に落としたかんざしを吉之助が救い出すということもありました。

一昨日おさち雪隠へ髪ざし落し候所、下へ落入候に付、すくひかね候所、
今夕吉之助糞を汲出し、髪ざしをすくひ出し候也。
(嘉永7年11月20日)


●怒(Y氏に対して)
実に実に呆れ候ほど愚人也。 (嘉永3年9月16日)

【咒(まじない)と薬】

医者が治せる病気が限られていたからこそ、救いをもとめてさまざまなおまじないが生まれたのでしょう。

●疱瘡のまじない→鶏卵を雨だれ落へ埋む。(嘉永7年12月17日)
●傷薬→
シャム油薬。(嘉永6年7月24日)
    吉之助がビワの木を割っている時にその枝で怪我をしてしまいます。

    その時にシャム油薬を塗ったことが記されています。
    シャム油薬ってどんなものでしょうか。


蜂刺され→三七草の汁を塗る。
     吉之助が蜂に刺された時、
         三七の葉やに、其外赤からの汁をもみ出し、是をつけ(嘉永7年閏7月12日)
         と書かれています。

         三七草(さんしちそう)の葉は毒虫に刺された傷に効くとされてきました。

【青山百人町の星灯籠】

歌川広重(2代目)が浮世絵『諸国名所百景』シリーズで描いた「東都青山百人町星燈篭 」。
路たちも見物を愉しんだことが記されています。

夜になって、榎本御母義(私メモ/さちの姑)・おさち同道、倉太郎携、百人町星灯籠見物に行。


星灯籠に関しては「青山外苑前ナビ」(ttp://www.aoyama-gaienmae.or.jp/)
→青山外苑前今むかし→郷土史資料で見る青山外苑前今むかしで紹介されています。

直接のURLはttp://www.aoyama-gaienmae.or.jp/history/h_04.html

 

【新宿の滝】

新宿駅近くに昔あったという十二社大滝(じゅうにそう おおたき)について路が書いていました。

今日より十二社滝へうたせ候由にて(嘉永6年7月2日)


十二社大滝に関しては新宿十二社熊野神社のHP(ttp://12so-kumanojinja.jp/)に詳しく書かれています。


【黒船来航】

嘉永6年6月3日、ペリーが黒船で浦賀沖に現れたことを路は7日の日記で書いています。

 

此節アメリカより船廿艘余浦賀迄参り候に付、魚船一向出不申候に付、肴一向無之、騒動也。 
(嘉永6年6月7日)

此度唐船浦賀へ参着凡二艘、乗喜船三艘参着、小舟内海へ見候に付(以下私による略)(同年6月9日) 

異国船当上旬より浦賀表へ着舟に付、大名衆夫々御固め被仰付候所、昨十三日帰国に付
(以下、私による略)(同年6月14日)

 

嘉永7年1月のペリー再来航のついても路は記しています。

 

唐船、浦賀表へ四、五艘渡来之由也。 (嘉永7年1月17日)

江戸時代の江戸の町での生活ぶりが細部にわたって知ることができる、路の日記は濃すぎて飽きることがありません。

滝沢路の日記シリーズINDEXはこちら

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  • プラネタリウムでのヒーリング番組制作に携わった後、現在は 土井利位侯の「雪華図説」をライフワークとして調べ中の図書館LOVER。月に魅せられ、毎日、月撮り。月の満ち欠けカレンダー(グリーティングライフ社)のコラムも担当。              興味対象:江戸時代の雪月花、ガガーリン他。最近は、鳥にも興味を持ち始め、「花鳥風月」もテリトリーとなっています。   コンタクト:各記事のコメント欄をご利用くださいませ。コメントは私の承認後、ブログ内に反映される仕様にしています。公表を希望されない方はその旨をコメント内に明記くださいますようお願いいたします。
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