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2014年8月 2日 (土)

雪の結晶番外編/滝沢路の日記シリーズ(その10)路の家族のその後

『曲亭馬琴日記』別巻 柴田光彦編(中央公論新社/2010)

には馬琴の日記の総索引のほかに 馬琴の日記の中から火事の記録だけをピックアップしたもの、滝沢家訪問往来人名簿など様々な資料満載です。
滝沢家関係の系譜も記載されています。
これは、関連人物の生年月日、簡単な略歴、享年などが箇条書きで記されている、非常~に事務的なもので、決して感情を湧き起こすような書き方ではないのですが、路(みち)の日記を追ってきた後にこの系譜を見ると、あら不思議!箇条書きを読むだけでじ~~~んconfidentと来るのです。
とりわけ馬琴のひ孫にあたる 倉太郎(そうたろう/改名後は幸次郎)の項には。

倉太郎が手を焼かせた子供であったことは(その6)でご紹介した通りです。
路は安政2年12月29日の日記で、成年した倉太郎にこの日記を見せ、親がどれだけ倉太郎に尽したかを知って親孝行しなさいと書いています。

成年した倉太郎はこの日記を見てどう思ったかが気になっていました。
「わしは、小さい頃こんなに手を焼かせる子供だったんだ。申し訳ない」と気恥ずかしくなったでしょうか。
また、倉太郎の孫やひ孫たちが、「あの分別たっぷりで僕たちを厳しく叱る倉太郎おじいさまもこんな駄々っ子なクソガキ時代があったんだ~」と驚いたでしょうか。
子孫たちは出版物として世間に公表されたこの日記をどんな気持ちで読んだのだろう。

そんなことを思いながら、この別巻の系譜を辿ると・・・。

倉太郎の記述は以下の通りです。(p445)
倉太郎 嘉永6年(1853年)2月6日生れる。安政3年、
幸次郎と改名。文久2年(1862年)4月14日没。
享年10。法名、了幻童子。墓地、深光寺。


わずか3行箇条書きで記されるのみ。
10歳で亡くなっていたのです。成年になって路の日記を読み返すことはなかったのです。
おじいさんになって、孫たちが「倉太郎じいさんにもこんなクソガキ時代があった」って驚かれることはなかったのです。
(下記にご紹介する『思ひ出の記』滝沢橘著によると死因は疱瘡)

しんみりしましたdespair
そして、こんな箇条書きの三行に哀しくなる自分にびっくりすると同時に、路の日記を読むことで、会ったこともない倉太郎の存在を私が大きく感じていたことがわかりました。
(小説を読んで思い入れ持っていた登場人物が亡くなってしまって喪失感を感じるのに似ています)。
これは、路が滝沢家にまつわる人々を存在感を感じさせる筆力で書きあげていたことの証でしょう。

さて、路の他の家族のその後はどうでしょう。

『曲亭馬琴日記』別巻の系譜と、倉太郎の妹、橘(きつ)執筆の『思ひ出の記』(『滝沢馬琴-人と書翰- 木村三四吾著作集Ⅱ』(八木書店 1998)から抜粋してまとめてみます。直接の引用は青文字。私によるまとめは緑。

【路(みち)】(馬琴の長男の嫁)
→私メモ/路の没後生まれた橘は路の顔を知りません。「おみちさん」と呼び、まわりから聞いたことを『思ひ出の記』に綴っています。

色白。小柄。きれいな人。踊りも三味線も達者。
夫(宗伯)が若死にで27才で未亡人となるも、

「夫の死にぎはの言葉を守って、老いた舅(私メモ/馬琴のこと)と子供に仕へてくれた事は、此の家のあらん限りは、代々忘れてはならない大切な事だ」と子孫に思われている。
長女つぎを養女に出したので、次女さちを溺愛した。
つぎは養女になっても生涯、路を慕っていた。
53歳で亡くなる。


【さち】(路の娘。馬琴の孫)
色が黒かったが、目鼻、口元の美しい女性。
父親琴嶺にとても愛されていた。
馬琴は「さちは嫁にやるな。婿をむかえよ」と言っていた。
派手でにぎやかな人。茶目っ気がある。
わがままに育ち、何ごとも雑。路が亡くなるぐらいまで反物を着物にしたことがなかった。
吉之助と離婚後、大友氏と再々婚。59才で亡くなる。


【吉之助】 (路の娘、さちの2番目の夫)
美男子。小心もの。妻のさちの些細なことに嫉妬。
吉之助が、さちとさちの姉の藁人形を用意し、釘を打って呪っていたことがあった。
さちがそれに激怒し、離婚することになった。
維新後、横浜の税関に勤務。離婚後も滝沢姓を名乗ったまま、てると再婚。


【幸次郎(倉太郎)】(さちの長男。橘の長兄。馬琴のひ孫)
→私メモ/橘が2歳の時に亡くなっているので橘は倉太郎の記憶がありません。
倉太郎については重い疱瘡でなくなったことが記されているのみです。

【力次郎(力三郎)】(さちの次男。倉太郎の弟。馬琴のひ孫)
やんちゃ。妹の橘をよくいじめた。
寝相が悪く、母のさちが木の枕を頭に結び付けてねかしたところ、夜中に枕が頭の上にのっていたことがあった。
吉之助・さちの離婚後、8歳の時に父吉之助に連れ出され、その後村田姓に。
蕎麦屋の商売につく。長女はるが生まれるとまもなく肺病になり、村田力三郎として亡くなる。


【橘(きつ)】(さちの長女。倉太郎の妹。さちの姉のつぎの養女となる。馬琴のひ孫)
27歳の時に結婚。3男をもうけるも離婚。71才で亡くなる。  
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信心深くて、ご先祖さまを敬いさまざまなお供え行事をしてきた路一家。
かなり波乱万丈だったんだなと思います。
それでも「滝沢家」は橘の血筋によって受け継がれているのです。

2014052takizawake_kakeizu家系図を見ていただくと。

赤で囲ったのが馬琴の血をひいている人物です。

馬琴の血筋のものに子供がいない時は、同じく血筋のものを養女に迎え、そして橘が3人の男子を産み、滝沢家が続いていったのです。

馬琴→長女さき→養女つぎ(孫)→養女橘(ひ孫)
           ↑姪を養女に   ↑姪を養女に

家系図は私が起こしたものです。
クリックしていただくと拡大します。
充分検証して作成した家系図ですが
不具合があれば修正します。
転載はご遠慮ください。

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emi (秋田恵美)

  • プラネタリウムでのヒーリング番組制作に携わった後、現在は 土井利位侯の「雪華図説」をライフワークとして調べ中の図書館LOVER。              興味対象:江戸時代の雪月花、ガガーリン他。最近は、鳥にも興味を持ち始め、「花鳥風月」もテリトリーとなっています。
    コンタクト: メールアドレスはhoshibiyorihappy*yahoo.co.jp このyahooの前の*を@に変えてご連絡下さいませ
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