雪の結晶番外編/滝沢路の日記シリーズ(その13)お墓を訪ねてみました
今日8月17日は、滝沢馬琴(曲亭馬琴)の息子の嫁であるお路さん(おみちさん)の命日。
深光寺(じんこうじ)(文京区小日向4-9-5)に行ってきました。
茗荷谷(みょうがだに)駅から歩いて3~4分。
茗荷坂沿いにあります。
住宅街の一角ですが緑が鬱蒼としています。
滝沢馬琴(曲亭馬琴)のお墓があることを示す碑がありました。
目立つところ、AKBのセンターのような位置に、馬琴の墓があります。
(写真を撮り忘れてしまいました)。
馬琴の墓碑には法名「著作堂隠誉蓑笠居士」。
馬琴の墓に向かって立つと、路の墓は左手奥にあります。
路の墓を示す看板もありました。
馬琴に貢献していた路の墓を訪ねてくる方も少なくないという証でしょう。
こちらが路の眠る墓。
一番上に
「墓氏澤瀧」
と記されていますね。
路は一番左。
路の法名である
「操誉順節路霜大姉
(そうよじゅんせつろそうだいし)」
が刻まれています。
右隣は路の夫で馬琴の息子である
宗伯の法名「~琴嶺居士」の文字が見えます。
路と宗伯の長男である
太郎(法名、~琴靍居士)の名は
右隣のお墓にありました。
路が亡くなったのが安政5年8月17日なので、
安政五 午年 八月十七日と記されています。
深光寺は路も馬琴や夫宗伯他の墓参りなどで何度も訪ねているので、日記も何度も登場するお寺です。
路もここに何度もお参りにきたんだ~と思うと、故人に少し触れたような気持ちになりました。
お墓の周りは住宅が取り囲んでいるのに、緑が豊かで蚊がいっぱい。
蚊に襲われながら、路の孫である「橘(きつ)」の子孫である滝沢氏のお墓もみつけましたが、
早々に引き揚げたので、路の娘婿である吉之助(さちと離婚後も滝沢姓を名乗った)と、
路の孫の倉太郎(手を焼いた孫。10歳で早逝)の名前はみつけられませんでした。
路の墓には榊でしょうか、が供えられていました。
東京ですとお盆は7月かと思うのです。
路の日記を読んでも7月に迎え火など盆行事をおこなっています。
ご子孫の方々が8月のこのお盆の時期にお墓参りをされたのでしょうか。
それともどなたかが命日の今日にお供えされたのでしょうか。
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