今日は「後の月」アゲイン
今日は旧暦の閏9月13日。
つまり旧暦9月13日の「後の月」の後にもう一度「後の月」が楽しめるのです。
ですが、私のところは今のところどん曇り。月が空にある気配すら見えません。
もう少ししたらまた空を見て月を探してみようと思います。
二度目の「後の月」はなかなかないこと。
1843年(天保14年)以来という珍しさ!
古河藩の土井利位侯が雪の結晶を顕微鏡で観察して「雪華図説」「続雪華図説」を著し、
江戸人に雪華ブームが起きたころ、以来のことです。
ぜひ、晴天に恵まれた地域の方は月を愛でてみてくださいね。
(2014.11.6追記)
私のところでは天候不良で171年ぶりの「二度目の後の月」は見られませんでした。残念。
さて天保時代というと、鷹見泉石(土井利位の雪の結晶観察のブレーンであり古河藩家老)や
作家の曲亭馬琴(滝沢馬琴)が熱心に日記を書いていた頃。
この二度目の後の月についてはどう記述しているのだろうと調べてみたところ。
鷹見泉石の日記によると江戸の町は「晴」だったようです。
(『鷹見泉石日記 第6巻』古河歴史博物館編/吉川弘文館 2003 p237より)
ただ、業務についての記述ばかりで、月のことには筆が及んでいません。
曲亭馬琴日記ではちょうど天保14年閏9月13日の記載はありません。
ところで、旧暦8月15日の「中秋の名月」と旧暦9月13日「後の月(のちのつき)」に関して、
芋名月、栗名月という言葉を耳にされる方も多いと思います。
その名の由来に関しては
中秋の名月は里芋などを供えるから芋名月。
後の月は栗や豆などを供えるから栗名月、豆名月。
とされていますが、江戸時代、お供えものは中秋の名月だから芋、
後の月だから栗や豆とは限らなかったようです。
曲亭馬琴家族は、年中行事マニアかというほど、丁寧にいろんな行事を祝っているのですが、
馬琴の片腕となって馬琴亡き後、日記を書き続けた滝沢路(たきざわみち/馬琴の息子の嫁)が月見行事について詳細に記しています。
それを読むと
中秋の名月でお供えしたり食べたもの。
月見だんご、きなこだんご、あずきだんご、いも、栗、枝豆、きぬかつぎいも、柿。
後の月でお供えしたり食べたもの。
あずきだんご、栗、枝豆、さといも、きぬjかつぎ、柿。
など。
どちらにも、芋も栗も豆も登場しています。
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