ガガーリン103 映画『ガガーリン 世界を変えた108分』を観ました
ガガーリンを主題にした映画『ガガーリン 世界を変えた108分』を観ました。
ロシアで制作された映画
(原題は『Гагарин. Первый в космосе
(ガガーリン ピエルブイ・フ・コスモセ/意味はガガーリン 人類初の宇宙飛行士)』です。
なので、全編ロシア語+日本語字幕。
美しい響きを堪能できます。
以下、内容に触れています。
→日本語版の映画のキャッチコピーは
あなたの見たこの地球は、
今も青く澄んだ光りに包まれていますか。
いいコピーですね。
ロシアで上映時のコピーは
История о человеке , сила духа которого позволила впервые проникнуть за пределы земного пространства
のようです。
訳すとしたら、
世界で最初に地球空間を脱し宇宙に達することを可能にした強靭な精神を持った人間の史実
でしょうか。
【正気の沙汰ではない着陸場面】
今までもガガーリンを題材にした映像作品やガガーリンの実際の映像が公開されていますが、あらためて今回の映画を見て「こんな恐ろしいことによく挑戦したものだ!」と実感しました。
打ち上げだけではなく、無事帰還(着陸)させることがいかに難しいことなのか。がよくわかります。
『宇宙への道』ガガーリン著 江川卓翻訳(新潮社 1961)の着陸のくだりです。
高くのぼってしまうと、降りるのも一仕事だ。 (私による略)
宇宙船が濃密な大気層に入っていくと、その外被はたちまち灼熱状態となり、のぞき窓をおおっているカバーをすかして、宇宙船を包む薄気味のわるい紫色の炎の照りかえしが見えた。 (私による略)
加速度はつよまる一方で、上昇のときよりはるかに大きかった。 (p242~243)
手記だけですと何気なく読んでしまうこの場面が映画で再現されているわけですが、のぞき窓の向こうの炎と、ものすごいであろうG。それが映像から伝わってきました。
また、交信記録でガガーリンが何度も「気分良好」と報告するわけですが、『ガガーリン 世界を変えた108分』では、まったく良好ではない時にもこの発言をしている様子もわかります。
交信記録は会話の内容よりその時の脈拍などが大事だったのですね。
【世界を変えた108分の重み 映画もこの尺で作られています】
108分とはガガーリンがボストークで宇宙へ飛び立って帰還するまでの時間。
日本語版では113分の作品ですが、ロシア語や英語版は108分なのです!
きっと、「たった108分で世界を変える出来事が行われた」というその「時間の短さ」を観客に体感してほしかったのだと思います。
日本語版のプラス5分はどこでしょう?
映画の最後に帰還後に英雄となったガガーリンの様子が実映像とともにダイジェストで語られました。あの場面でしょうか・・・?
これからこの映画をご覧になる方は、本編が始まる時に、「パイエハリ(さあ行くぞの意味。ガガーリンが出発の時に語った)と心の中でつぶやいて、この映画の上映時間に宇宙空間へ行って地球を一周して帰還したんだと想像しながらご覧になられると、108分の重みが体感できると思います。
【描かれていることいないこと】
映画は1961年4月12日がガーリンが輝かしい歴史を刻んだ日の朝から始まります。
そして、ボストークで宇宙へ行って帰還した直後までを描いています。
とてもシンプルな構成。その間に子供時代のこと、飛行士時代、訓練時代、奥さんとなるワーリャとなれそめや結婚生活などが、回想シーンとなって織り交ぜられているのです。
さて、ガガーリンの偉業とともに伝えられている主なエピソードがどのくらい映画の中に登場するか。登場したものを○、していないものを×で記してみます。
×バスから降りて用を足す。
→基地にバスで向かうガガーリンが途中でバスを停めてタイアのホイールに用をしたため、後の宇宙飛行士たちはゲン担ぎでこの行為をするといわれています。
この映画ではその場面はありませんでした。
○出発するときに「パイエハリ」といった。
→ロシアで一番有名なガガーリンの言葉といえば、さあ出発だ!をあわらすПоехали! (パイエハリ)。
映画でも登場します。
△ボストーク乗船中にガガーリンがみた地球の青い大気の層。虹色の層。
→映像では登場するも、その眺めをガガーリンが交信記録で伝えた言葉は登場せず。
○ガガーリンの肩書きが飛行中に中尉から少佐になったこと。そのため、ガガーリンの父親がニュースに触れても自分の息子のことだとは思わなかったこと。
→描かれていました。ガガーリンの父親役の俳優、すごくいい味でした。
このエピソードは当時どんな風に日本に伝えられていたのでしょうか。引用でご紹介。
産経新聞(大阪)1961年4月14日の記事です。
タス通信が十三日明らかにしたところによると、ガガーリン少佐は宇宙飛行直前までは空軍中尉にすぎなかった。しかしマリノフスキー国防相は十二日、同中尉が祖国に栄光をもたらす空前の壮途につく直前、少佐に特進させた。
『宇宙への道 ユーリー・ガガーリンの手記』ガガーリン著 日本共産党中央委員会宣伝教育部訳(日本共産党中央委員会宣伝教育部 1961)には父親のエピソードが。
p219~220
父親は、わたしの飛行を知ったときの様子を話した。その日、かれはグジャツクから一二キロメートルはなれたコルホーズの簡易食堂を建築していた村へ大工仕事をやりにいっていた。小川の渡り場で、顔見しりの渡し守の老人が父に質問した。
「あなたの息子さんの階級はなんですか?」
「中尉です」と父はかれにこたえた。
「ラジオ放送によると、なんでもガガーリン少佐という人が月にむかって飛んだということだよ」。と老人はつづけた。
「いや、うちのが少佐になるのはどうして、まだまだ先の話です」。父はこたえた。
ガガーリンのお父さんが、ラジオで騒がれているのが息子だと思っていなかった様子がわかります。
ちなみにロシア語で中尉はстарший лейтенант、少佐はмайор です。
×帰還した時、新聞社の取材を受けて、地球は青みがかっていたと詳細を語ったこと。
イズベスチヤとプラウダの新聞記者に語ったこの言葉が日本の新聞に大きく掲載され、ガガーリン=地球は青かったとなるのですが、このくだりは描かれていませんでした。
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今回の映画をみても、やはりガガーリン=地球は青かった、はロシアではお約束ではないんだなということがわかりました。
ガガーリンは乗船中にも地球が青い大気の層に包まれていることも画像ではみせましたが、言葉では語られませんでした。
強く訴えかけてきたのは、飛行士同士の葛藤や訓練の過酷さ。死と隣りあわせの訓練をしている者同士だから感じられる連帯感。
そしてボストークでの任務の危険さ。いくつか想定外の出来事が起きていて、失敗に終わりガガーリンが死ぬ確率がかなり高かったこと。
あらためて、よく遂行できたものだと思いました。
着陸に向かう場面。よくぞこの恐怖や過酷なGに人間が打ち勝ったものだと・・・。
映画の最後には当時の実際の映像が流れます。赤の広場で歓喜に湧く人。ガガーリンの少し早口の快活なスピーチ。栄光を祝がされる姿。笑顔など。
その後のガガーリン。
宇宙へ行く夢を叶えた達成感や解放感も味わいますが、自分が国を、そして人類の未来を背負ってしまった責任を感じます。
英雄になった先に待っていた重圧。ソビエト国家の威信と2人の子を持つ一青年としての素顔とのギャップ。
想像を超えるプレッシャーだったのでしょう。
当時の宇宙飛行士養成の訓練の様子も克明に映像で再現されています。
今、宇宙飛行士の訓練に携わっている方がご覧になると、「当時はあんな方法をとっていたの!」と時代錯誤に驚かれたり、「当時からもうあのトレーニングが確立されていたんだ」と感心したりする場面が多いのでしょうね。
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