ロプーヒナ(その2)『戦争と平和』ほかの作品に出てくるあばれ者
5月14日のマリア・ロプーヒナの続きです。
文豪レフ・トルストイの名作『戦争と平和』にはドーロホフというならず者がでてきます。
このドーロホフの登場場面だけをピックアップして読むと、文芸大作『戦争と平和』が痛快なアウトサイダー小説に早変わり。
実に魅力的なドーロホフの描写は2011年1月20日のブログをご覧ください。
ドーロホフ以外にもトルストイは『二人の軽騎兵』であばれ者を描いています。
軽騎兵トゥルビン伯爵です。
『トルストイ全集3』(河出書房新社 1973)からご紹介します。(青字は引用部分)
「あれはあの決闘家の軽騎兵だ」(p90)
「あの男はサーブリンを殺し、マトニョーフの両足をもって窓からほうりだし、
ニェステロフ公爵から30万ルーブリ、カルタでまき上げたという男だ。(私による略)
ばくちうちで、決闘家で、女たらしだが、
それでいて腹からの軽騎兵だ、軽騎兵だましいそのものなんだ」 (p90)
背こそあまり高くなかったが、みごとな、美しい体格をしていた。
冴えた碧色のよく光る目と、ふさふさとうず巻いている、
かなり大きな暗い亜麻色の頭髪とは、彼の美貌にすばらしい特徴をあたえていた。(p100)
舞踏会では団長夫人は、トゥルビンがスキャンダラスなことをしでかさないかといぶかしがっているのですが
伯爵はしかし、間もなくこの先入見を、
もちまえの愛想よさと、注意深さと、美しく快活な容貌とで征服してしまった (私による略)
トゥルビンに好意を持つアンナがお金の援助を申し出ると、トゥルビンは柔和な表情から一転、激怒。
「女が男を侮辱したら、その時はどうするか。ご存じですか?」
困惑して目を伏せるアンナに
「衆人環視のなかでね、その女に接吻するんですよ」(p105)
このあとトゥルビンはアンナの馬車に無理やり乗り込みます。
『二人の軽騎兵』は前半はこのトゥルビンの物語。
後半は20年後、トゥルビンが亡くなっており、息子のトゥルビンジュニアの話になります。
よく似た美しい息子は23歳の近衛軽騎兵になっています。
若い伯爵トゥルビンは、精神的にはまるで父に似ていなかった。
彼には、前時代のあの乱暴で、情熱的な、実をいえば放恣な傾向は影さえもなかったのである。(p116)
イケメンで女たらしで賭博が好きで、大胆不敵、落としたい女性は必ず落とす、だけど軽騎兵だましいを持つ。
そんな人物をトルストイは生き生きとした筆運びで描いています。
小さくまとまったジュニアより、この不埒なトゥルビンのような人物をトルストイは好きなのかなと思うほど。
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『エフゲニー・オネーギン』プーシキン著
プーシキンの有名なこの作品にもあばれ者が登場します。決闘好きのザレツキーです。
『オネーギン』プーシキン著 池田健太郎訳(岩波文庫 1962)からご紹介します。(青字は引用部分)
第六章 決闘
ザレーツキーという男が住んでいて、今だに無事息災を保っている。
このザレーツキーは、昔は乱暴者で、賭博仲間の親分格で、放蕩者の領袖で、
居酒屋の用心棒だったが、今は善良な、素朴な家庭の父で、
男やもめで、信頼できる友人で、平和な地主で、その上誠実な人でさえあった。
昔はよく社交界の追従の声が、彼の凶悪な勇気をほめちぎった。
事実、彼は十メートルほどの距離から、ピストルでトランプのポイントを打ち抜いた。
またある時は、戦闘に出て有頂天のあまり武勲を立てたが、
へべれけの酔漢そこのけにカルムィク馬からどうと泥濘へ落ち、
フランス軍の捕虜になった。(私による略)
また昔はよく慰みに人をからかったり、馬鹿者をだましたり、
陰にまた陽に利口者を愚弄するのが得意だった。(私による略)
若い友人同士を喧嘩させて、決闘場に立たせる術も心得ていた。
そうかと思うと彼らに仲直りをさせて、三人仲良く朝食を食べ、
そのあとで陽気な冗談や駄ぼらを放ち、こっそり彼らを笑い物にした。 (p97~98)
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以上、日本で演じるとするなら海老蔵かな~と勝手に想像している、
ロシア文学のあばれ者3人衆、ドーロホフ、トゥルビン、ザレツキーをご紹介しましたが、
なんとこの3人には実在のモデルがいるのです。
それもすべて同じ人物
それがフョードル・イワノビッチ・トルストイです。
ロシア語でアメリカ人を意味する「アメリカニェツ」をあだなに持ち、
トルストイ=アメリカニェツとも呼ばれる人物。
それぞれの作品の解説にも書かれているのでご紹介しましょう。
■前述の『トルストイ全集3』の『二人の軽騎兵』の解説より。
主人公である父軽騎兵トゥルビン伯爵は、トルストイ自身の又伯父にあたる、
あばれ者で有名なフョードル・トルストイをモデルにしたものと伝えられ、
その放縦ながら、無欲豪快な性格は、まさしく一世の英雄型であり、
トルストイ自身の好みもそこにあるらしく、この軽騎兵は、
その後、『戦争と平和』の中に、あばれ者ドーロホフとして、
その一面をみごとに芸術化されているといわれている。 (p441 )
■『完訳 エヴゲーニイ オネーギン』プーシキン著・小澤政雄訳(群像社 1996)での注釈より
ここで「ほら吹き」としているのはフョードル・イヴァノーヴィチ・トルストイ(1782-1846)のこと、
「アメリカ人」のあだ名をもつ退役近衛将校で、決闘屋で、カルタのばくちうち。
中傷でプーシキンの名誉を傷つけたのでプーシキンは彼と決闘しようとした。 (p124)
■『完訳 エヴゲーニイ オネーギン』での注釈より。
決闘好きで決闘家のトルストイ=アメリカーネツは武勲をも誇りにしていた。
彼は1812年に、蟄居を命じられていたカルーガ村を勝手に離れて、ボロジノの戦野に現れ、
「兵隊外套を着て、一兵卒と共に敵との戦闘に加わり、手柄をたて、四級十字架勲章を貰った」(p181)
このフョードル・トルストイ。文豪トルストイとは親戚の関係ですが、プーシキンとはどんな関係があったのでしょうか。
『プーシキンの生涯 下』グロスマン著・高橋包子訳(東京図書 1978)
によるとプーシキンは後に妻となるナタリヤの母との仲介をフョードル・トルストイに頼んでいます。
『ロシア貴族』ロートマン著・桑野隆・望月哲男・渡辺雅司訳(筑摩書房 1997)によると
プーシキンはフョードルによる中傷によって自殺の際にまで立たされていたことを、皇帝に告白しています。
また、プーシキンは1821年の寸鉄詩でフョードル・トルストイのことを、
陰気で破廉恥な人生に彼はずっと浸っていた
世界の端のすべてをずっと自堕落で冒涜してきた
けれども少しは身をただしおのが恥をやわらげた
そしていまでは彼は――幸いにトランプの席の泥棒にすぎない
と記して侮辱していると書いています。
さて、こちらがフョードル・イワノーヴィッチ・トスルトイです。
なぜ、マリア・ロプーヒナ(その2)でこのフョードルが出てくるかと言いますと。
マリアの旧姓がマリア・イワノーヴナ・トルスタヤ。
フョードルのフルネームはフョードル・イワノーヴィッチ・トルストイ。
ロシア人の名前は、名前・父称・苗字で構成されています。
マリアもフョードルも父親がイワンであることがわかります。
つまり、二人は姉弟なんです
びっくりしました。ロシアのなぜか無性に気になる絵の女性と、ロシアのなぜか無性に気になるキャラクターが姉弟。
つづきはその3に。
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♪私メモ
フョードル・イワノーヴィッチ・トルストイ
(Фёдор Иванович Толстой/Fyodor Ivanovich Tolstoy)
Американецアメリカニェツのあだなを持つ。
ロプーヒナ その1 その2 その3
私流『戦争と平和』(トルストイ著)の読み方 1 2 3 4
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