国芳国貞展で雪の結晶発見!
Bumkamuraザ・ミュージアムで開催中の
『俺たちの国芳 わたしの国貞』展に行ってきました。
国芳と国貞、大好き!
なぜなら
1)天保時代(私が一番好きな時代)に生き、
作品を創っているから。
2)髑髏(どくろ)がパンクでかっこいい~。
3)ネコも今の漫画に通じるキュートさ。
の魅力があるからなのですが、
なによりも私にとっての魅力は、
彼らが 土井利位(どいとしつら)侯の描いた雪の結晶を描いている から
なんです。
この展覧会ではボストン美術館の膨大なコレクションの中から170作品がやってきています。
その中で、2つ、土井利位の雪華が描かれているものを発見しました!!!
92歌川国芳「幼童席書会」と146「浅草 雷神門之光景」歌川国貞です。
(※番号はこの展覧会での通し番号です)
詳しくご紹介しましょう。
1)『幼童席書会(ようどうせきがきかい)/A Children's Calligraphy Gathering』
国芳
1842(天保13年)頃。
ボストン美術館ではこちら
3枚続の浮世絵の中央手前。しゃがんで右を見ている女性の着物に土井利位の雪の結晶が描かれています。
ありがたいことに国立国会図書館デジタルコレクションにも収録があるのでそちらの絵をご紹介します。
↑国立国会図書館蔵
着物の柄をもう少しアップにして、
古河歴史博物館の図録『雪の華』に掲載されている
雪華表(土井利位が描いた雪の結晶に通し番号を振ったもの)と照らしあわせてみましょう。
※画像はクリックで拡大します。
※私が主観であてはめたものです。無断転載はご遠慮ください。
照らし合わせてみると、すべて1832(天保3)年に著した『雪華図説』からのものです。
『続雪華図説』は1840(天保11)年に著されました。
この浮世絵が摺られたのが1842年頃。つまり『続雪華図説』からの雪華が描かれてもおかしくないのですが。
推測されることは2つ。
・『続雪華図説』を国芳が見る機会がなかった。(国芳が空想でこの柄を描いた場合)
・この浮世絵がつくられたのが1842年ではなくて1840年よりも前だった。
注目したいのは、『雪華図説』の中の雪華を横に90度回転させたものが多いことです。
赤字でB3というように記したものがすべて90度回転。
回転させたものの方が多いです。
例
『雪華図説』で描かれたB3
国芳の「幼童席書会」でのむき。左90度回転しています。
なぜ、わざわざ横に回転しているのでしょう。
『雪華図説』。
当時はコピー機がないので、誰かが写し、
それを誰かが写し、という形で広がっていきました。
その過程で、雪華の向きが回転してしまったのでしょうか。
ただ、雪華が横回転していると申し上げましたが、女性の体が斜めになっています。
ですので絵の天地ではなく、着物の天地と考えると、
雪華の向きは回転しているわけではない、すなわち『雪華図説』の向きと一緒ともいえます。
国芳のこの絵は。
A)当時、このような柄の着物があった。
B)雪華柄を知っていた国芳が想像でこの柄を着物におとしこんだ。
どちらだろうと推測するのですが、
着物の天地と『雪華図説』の天地があっていることを考えると、
実際にこんな着物があったのかもしれません。
いずれにしても、雪の結晶だから白と水色にしよう!
と発想するわけではなく、黒、オレンジなど自由に色を使っているのが興味深いです。
2)『浅草 雷神門之光景(あさくさ らいじんもんのこうけい)/
Scene at the Gate of the Thunder God in Asakusa』
国貞
1853(嘉永6)年頃。
ボストン美術館ではこちら。
国内では江戸東京博物館にも所蔵があるようです。
3枚続の浮世絵の左側。女性の顔のちょうど右側にある染付の植木鉢が土井利位の雪の結晶柄になっています。
あでやかな作品。最近盆栽に目覚めたので、盆栽がいっぱい並ぶこの絵に興奮しました。
鉢の染付も青と白がとてもクール!!
はっきりと見える雪華柄が2つあります。
左側はおそらくG3(左)かH3(右)。
右側に描かれたものはおそらくG7(左)かG9(右)
いずれも『雪華図説』からになります。
『続雪華図説』が表されたあとにつくられた浮世絵なのですが、
『続雪華図説』からの雪華柄がないということは『続雪華図説』は庶民にはあまり流布しなかったのかもしれません。
国芳の『幼童席書会』で述べたことと重複しますが
国芳や国貞が浮世絵に雪に結晶を描くというのは2つのことが考えられます。
1)実際に雪華が描かれた着物や鉢が存在した。国芳、国貞はそれを忠実に描いただけ。
『浅草 雷神門之光景』に描かれた白地に紺色で雪華が描かれた鉢が当時本当にあったものなら、
ひれ伏したいくらいそのセンスに脱帽です!!
2)雪華柄を知っている国芳、国貞が、着物の柄や鉢の絵にそれを使った。
1)だった場合、江戸時代当時の庶民が雪の結晶柄を日常的に目にしていたことがわかります。
(実際に、いろんなものに雪の結晶柄をあしらうブームがあったといわれています)
2)だった場合。絵師が絵に使うことが、雪の結晶柄ブームの後押しをすることが推測されます。
というわけで、私は土井利位(with鷹見泉石)の雪華柄に魅せられているだけではなく、
天保~嘉永の人達が、雪華柄をどのように受け止めたのか、
当時のブームの様子を少しでも知りたいのです。
土井利位が著して、セレブ(大名や当時の文化人ほか)に贈答した
「雪華図説」「続雪華図説」が、どんな人やツールを媒体にして庶民に広まったのか。
調べものはつきません♪
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