広重「永代橋 佃しま」の描かれた日を推測する(その6)その他
「永代橋 佃しま」に付随することをランダムに
◆「永代橋 佃しま」以外に広重が永代橋や佃島を描いた作品をいくつか。
「東都名所永代橋全図」
手前左に勇壮な永代橋、右上に佃島。
国立国会図書館デジタルコレクションより
直接のURLはttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1307043
「江戸名所 永代橋佃島」
画面中央に大きく横たわる永代橋、右上に佃島。
国立国会図書館デジタルコレクションより
直接のURLはttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1303555/1
「 江戸十橋之内永代橋」
中央部分に描かれた永代橋。「永代橋 佃しま」と同じように橋脚が目を引きます。
国立国会図書館デジタルコレクションより
直接のURLはttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1307366/1
「江戸名所之内 永代橋佃沖漁船」
手前に永代橋、奥に佃島。
東京国立博物館 画像検索より
直接のURLはttp://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0037146
◆「名所江戸百景」の役割…お土産のツール
当時この「名所江戸百景」を買って楽しんだ人は、生まれつき身近な土地になじんでいる江戸っ子ばかりでは決してなかった。
(私による略)
地方から訪れた短期滞在者が、国元への土産に今日の絵葉書代わりに買い求めることがあったであろう。
(by小林忠『浮世絵「名所江戸百景」復刻物語』小林忠監修 p44より)
◆「名所江戸八景」の役割…安政の大地震後のエール
安政の大地震が江戸を襲ったのは1855年(安政2年)11月。
そのわずか3か月後から発表しているのです。
広重が地震後の復興を祈願して、「こんなに素晴らしい町なんだよ」と
江戸の人たちにエールを送った作品が「名所江戸百景」と言えるのかもしれません。
描かれた風景の中には、地震で失われて今は存在しない眺め、
かつての風景へのオマージュもあったかもしれません。
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