『君の名は。』(その2)映画2回め! 1回目では気づかなかったところがいっぱい
野球が好き。パリに留学したい。あの子に夢中・・・
誰もが心がときめくものに出会う。
でもなぜ惹かれるのか理由がわからずにいる。
報われる答えを手にせずにいる。
私もそう。
土井利位侯と鷹見泉石が描いた雪華(顕微鏡による雪の結晶図)に烈しく魅せられても
「だから、土井利位侯や鷹見泉石の生まれ変わりに出会って結婚」とはならない。
江戸時代にタイムスリップもしない。
だからこそ、この映画が心に響くのかもしれません。
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月に映画館に5回以上通う映画マニアの姉は心も体もふとっぱら。
姉のおごりで『君の名は。』をふたたび観に行きました。
星にちなんだ名を持つ姉(3回目)、私(2回目)、天文部だった甥(1回目)の星&月好きトリオで。
以下ネタバレ部分。黄色い文字にしました。(1回目の感想はその1に)
その3(小説版)はこちら その4(スピンオフ小説)はこちら
◆2回目で気づく伏線
特にオープニングのシーン。
「現在」が三葉(東京でOL)、瀧(就活中)とわかってから見ると、なるほど!だらけ。
また、印象的なのが。
瀧(本物)がスマホに残っている「デートが終わるころには、空に彗星が見えるね」のメッセージを読み、
空を見上げて、彗星が見える?三葉は何言ってるんだ? というような反応を示すシーン。
1回め観た時は。
東京の明るい空では彗星も目立たない、娯楽の多い都会にいる瀧は三葉ほど彗星に興味を示さない、と解釈していました。
2回めでは。
3年間のずれを示していたとわかりました。
彗星は2013年。瀧がスマホを見ているのは2016年。
空を見上げても彗星がいるはずがない、ということなんですね。
◆疾走感が魅力
アニメ「時をかける少女」にも通じます。
入れ替わった二人が、何度か繰り返しながら、事態を把握し、互いにルールをつくる。
ここを時間かけずにテンポよく見せるところが秀逸。
御神体があるカルデラ付近で互いの存在を求めて走りあうところもぐっときます。
なぜ3年のずれに気づかないとか、つっこみどころや、2回見ても時系列が把握しきれないところがあるけれど、
満足感が圧倒的に上回ります。心が身体を追い越すように、面白さが理屈を追い越します。
それにしても映画108分の間に、主役の二人が絡む場面がおそらく1分未満。異色な設定ですね。
◆入れ替わりは組紐作りのよう
二人が入れ替わり、時が進む。組紐作りと同じなんですね。
道明の組紐 丸台・四つ打ち台
↑映画とは関係ありませんが、組紐作りがわかりやすいのでご紹介
左右の糸同士が交錯し(すれちがい)、位置が入れ替わる。
また交錯して位置が入れ替わる。
その繰り返して織られていく組紐はまさに、三葉と瀧ですね。
組紐はわかりやすく二人の「むすび」を現わしているのですね。
◆片割れ時を端的に示した場面が印象的
御神体のあるカルデラの淵を歩く二人。
互いの声は届くのに、時が違っているので姿は見えない。
けれど片割れ時に二人が時空を超えて初めて出会う。
画面の片側に瀧、片側に三葉。片割れ時が縦分割で端的に示されているのが見事。
◆大事な人、忘れたくない人、忘れちゃだめな人・・・。
瀧、三葉それぞれがモノローグで叫ぶシーンがせつないです。
まず瀧が。そしてしばらくしてから別場面で三葉が語ります。
三葉が中学生の滝に渡した組紐のように、放物線を描いている彗星の軌跡のように。
誰かに届けたくて放つ想い。
二人は同じ想い(昭和の言い方だと両想い)というハッピーさと
別の場所で叫んで相手が目の前にいないもどかしさや罪の意識。
神木くんと上白石さんの掛け合い(時差があるけれど)に心を揺さぶられました。
この映画の、核と言える、叫び。
◆忘れずにいたいのにはっきりと覚えていないのがミソ
映画『時をかける少女』の原田知世が記憶を消されていく場面。せつなかったです。
忘れたくないのに記憶を消される・・・。でも彼女はラベンダーの香りに何かを思い出します。
『君の名は。』でも、かすかにしか覚えていないという設定がミソですよね。
初めて逢ったのに懐かしく感じる。
行ったこともないのに、妙に惹かれる風景がある。
多くの人が覚えのある感覚。
私たちも、三葉たちと同じことが実は起きているのかもと思えるから。
ところで、手を開いた三葉。名前は「鋤田」くんだと誤解しなくてよかったでした!
◆ソウルメイトの映画
赤い糸でつながっている運命の片割れ。というソウルメイトの映画。
しかも「赤い糸」がアイテムとして巧みに使われています。
おむすびもそうですが、日本では「むすぶ」という概念は大切なもの。
この映画は「むすぶ」「つなぐ」という概念が大切に扱われていて、
神社。巫女。神事。組紐。御神体ほか日本の良さがたっぷり。
◆もう少し工夫があったら
なぜ三葉の入れ替わりが瀧だったのかの必然性が今ひとつ。
最初の出会いは2013年。三葉(高2)が瀧(中3)に会いに東京へ行き、名を名乗って、赤い組紐を渡した時だけど。
それ以前に出会っていたという設定があればと思いました。
幼い三葉は親子4人で東京旅行に行き、瀧と出会っている。
この子みたいになりたい。東京で暮らしたいと思う出来事があった。
となれば、「来世は東京のイケメン男子になりたい」と願うくらい、東京に憧れていたことの説得力が増えます。
瀧も幼い頃、三葉との接触で糸守の風景を知って、気に入っていた。
という設定があれば、入れ替わり時代の記憶が薄れているのに、糸守の風景、街並みは脳裡に残っていることの説得力が増します。
そして、瀧が口噛み酒を飲んで、三葉のこれまでの人生を走馬灯のように眺める場面で、幼い頃に三葉と自分が出会っていることに気づいた。
という設定があれば面白いと思うのですが。
◆三葉はナウシカ
三葉(中身は瀧)は女の子に告白されたり、テッシーと男同士のダチのような雰囲気がすごくいいですね。(町を救おうと部室で悪だくみを考える時とか)
でも、糸守を救おうと父親に談判する三葉(中身も三葉)は、三葉(中身は瀧)と同じくらい気迫があってよかったです。ナウシカのようでした。
◆瀧という名前
苗字ではなくて名前なんですよね。さんずいに龍。龍といえば水の神様。
巫女家系の三葉と結ばれるのにぴったりの名前と言えるかもしれません。
なぜ、三葉の相手が瀧だったのか。
小説版を読んだら、映画ではわからなかった背景が描かれているのかしら。
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ネタバレ終わり。
ともあれ。
映画のあと、東京の雑踏を歩くのがうれしくなる映画。
この世界がいとおしくなる。
すくなくとも、喧噪の不快さが薄れたり、味気ないはずのビルの街並みが違う風に見えてくる映画です。
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