50年以上前の聖火リレーと、覚えていてくれる人のありがたさ
先日、母とあと3年で東京五輪という話をしていた時
初めて知ったことがありました。
私、1964年の東京五輪の聖火リレーを見ていたのです。
母は「覚えていないの?」
年齢がバレますが、わずか2歳と5ケ月。まったく記憶にありません。
家が聖火リレーのルート(中山道)のすぐ近くだったために祖母、母、姉、私で見に行ったのだそうです。
「まったく、覚えていないよ! 私、どんな反応だった?」と尋ねると。
聖火リレーを見たあと、祖母が庭で梅の木についた毛虫を棒切れに火をつけて退治したことがあったそうです。
その時、私が祖母のまわりを「オリンピック、オリンピック」と言いながら走り回っていたと語ってくれました。
子供ながらに、火のついた棒切れを持つ祖母が、
たいまつに火をつけて走る聖火ランナーと重なったのでしょうね。
今の自分のどこにも残っていない記憶ですが、母が覚えていてくれているのがありがたいです。
私に語りながら、母の頭の中に50年以上前の場面、小さな私が走りまわる光景が浮かんでいるんだなと思うと不思議な気分。
もう小さな私はいないのに。梅の木もないのに。
先日、学生時代からの親友も、私自身が忘れきったことを覚えていてくれて、それを語ってくれました。
自分自身さえ忘れている過去の自分の一瞬を覚えてくれている人がいる、
それはありがたいことです。
私自身は子供がいませんが、甥っ子もいますし、この先まわりの小さな子と触れ合うこともあるでしょう。
3歳ぐらいまでの記憶は残らないだろうから、なおさら、
こんなことに喜んでいたよ~。なになにに夢中になっていたっていうのを覚えておいてあげたいです。
それが将来、何かに迷った時にヒントになるかもしれないから。
そして、これから記憶力がどんどん衰えていく世代(^_^.)
まわりの友人のこともたくさんたくさん記憶に留めていきたいな~。
科学が進んで、頭をくっつけたら相手の頭の中の映像が共有できる、なんて装置があったらいいですね。
(でも、よからぬことを描いていてそれを盗み見られたら大変だし、頭がくっつきあう満員電車はカオスになりそう)
« 写真集を思い出す夕焼けと夏の暑さ、でも夜中は冬 | トップページ | グラデーションマニアゆえのマイ色見本帖 »
「 others」カテゴリの記事
- しびれる『葬送のフリーレン』(その2)第10話。アウラとの対決に忠臣蔵を思い出しました(2023.11.18)
- 元気です~(2023.05.21)
- ちょっと撮り鉄子になった日の話。(2023.03.07)
- 61才。まだ3時のおやつ前(2023.01.15)
コメント