2009年8月13日 (木)

ガガーリン83 ガガーリンとマイヤ・プリセツカヤが微笑みあう写真をみつけました

意外と思われるでしょうか。自然と思われるでしょうか。宇宙飛行士ガガーリンはバレエ界の至宝マイヤ・プリセツカヤと面識があります。

1961年4月12日、ガガーリン(当時27歳)は人類初の有人宇宙飛行を成し遂げました。その祝典が4月14日、モスクワのクレムリン宮殿でおこなわれました。そのレセプションにマイヤ・プリセツカヤも出席。バレエを披露したそうです。

ガガーリンはもちろん「時の人」。そして、プリセツカヤは(当時36歳)もは前年1960年にボリショイ劇場の首席バレリーナとなっています。

『宇宙船ボストーク』にこう書かれています。

クレムリン宮殿の中では、お客さんたちはグランド・パレス(大宮殿、クレムリンの一部)のセント・ジョージ大広間に集まっていた。(中略)ソヴェト政府の公務にたずさわったひとかどの人は全部顔をそろえていた。繊細なバレリーナ、胸に勲章を飾った、恰幅のいい将軍たち、作曲家、科学者、サーカスのスターたち、宇宙開発関係の技術者、外交官、それにジャーナリストたち。もちろんソヴェト共産党および政府の指導者たちは全部い合わせていた。(p20より)

演説と乾盃のあとで、何人かのソヴェト最高の芸術家たちがガガーリンへの敬意を表するためにコンサートをひらき、これでモスクワでのガガーリン・デーは幕を閉じた。
その偉大な芸術のために、ほんの二、三日前に授与されたばかりのレーニン勲章を胸にかざったスヴィアトスラフ・リフテルがラフマニノフの曲を演奏した。バレリーナのマヤ・プリゼツカヤは『小さなセムシの小馬』の1シーンを踊ったが、ふだんよりずっと光輝にあふれた出来だった。
(p23)

イギリスの新聞『Daily Worker』では4月15日の紙面でクレムリンでのレセプションについて書かれています。

The party culminated in a star concert, including ballerina Maya Plisetskaya
and Bela Roudenko, who sang at last month's Daily Worker birthday
celebrations,


訳してみます。
バレリーナのマイヤ・プリセツカヤやベラ・ルーデンコも参加したスターコンサートで宴は最高潮に達した。ベラは先月のデイリーワーカー創立記念日に歌った歌手である。

◆マイヤ・プリセツカヤの自伝で、ガガーリンとプリセツカヤの2ショット写真をみつけました。
日本語翻訳本『闘う白鳥-マイヤ・プリセツカヤ自伝』にはないのですが、英語翻訳本『I am MAYA PLISETSUKAYA』に掲載されていました。微笑みあっていて、ガガーリンの人なつっこい笑顔、きさくさがうかがえる写真です。
同じ写真がネットでも見られます。『Власть(ブラスチ)』というロシアの雑誌の2005年10月31日号。http://www.kommersant.ru/doc.aspx?DocsID=622334

◆二人の交流がわかる記事をみつけました。
ロシアの新聞『ТРУД』のwebサイト、2005年11月19日の記事です。

リュドミラ・ズィキナ(先月に亡くなったロシアの国民的民謡歌手)が語っています。訳してみます。

私のプリセツカヤとの親交はユーリィ・ガガーリンのおかげで偶然に生まれました。1964年4月12日、宇宙飛行士の日を祝してクレムリンでおこなわれたコンサートでのことです。プリセツカヤはシチェドリンのバレエ「せむしの仔馬」の美しい娘を踊りました。(中略)プリセツカヤとガガーリンはどんな仕事でもたゆまないトレーニングが必要だという会話をしていました。

ソ連の当時の時の人同士、宇宙飛行士と天才バレリーナは交流があったのですね。ガガーリン著『宇宙への道』にもでてきませんし、二人が互いの交流を書いている文献は未発見ですが、みつけたらまたご紹介します。

♪♪ メ モ ♪♪
◆『宇宙船ボストーク』 について。
 W.G.バーチェット、A.バーディー著 岸田純之助訳 岩波書店 1962年

 原題:Cosmonaut Yuri Gagarin-First Man in Space-
☞1961年にイギリスで出版。西側でガガーリンに単独会見をできた最初のジャーナリストたちのよる本。
 当時の新聞などだけではわからない帰還後のガガーリンのことを独自の視点でこまかに描写していて、とても興味深い内容です。

※固有名詞の表記が今の一般的なものとは違いますが原文のまま引用しました。

◆マイヤ・プリセツカヤの自伝について
原題『Я, МАЙЯ ПЛИСЕЦКАЯ(ヤー・マイヤ・プリセツカヤ)』マイヤ・プリセツカヤ著
(ロシア語)→未読
英語翻訳本『I am MAYA PLISETSUKAYA 』→一読。ガガーリンとの写真あり。
日本語翻訳本『闘う白鳥-マイヤ・プリセツカヤ自伝』山下健二訳 文藝春秋
→既読。ガガーリンとの写真掲載なし。

◆ベラ・ルーデンコ/Бэла Андреевна Руденко

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2009年7月 2日 (木)

ガガーリン82 NHKのドラマ「2つのスピカ」でガガーリンのことが

NHKのドラマ『2つのスピカ』。宇宙を目指す若者のお話。今日、第三話の副題が「地球は青かった」だから、ガガーリンに関することがでてくるのかなあと思ってみました。

おもしろかったです。
まだご覧になっていない方にはネタばれになってしまいます。

落ち込んでいる主人公、鴨川アスミを仲間がこんな風に励まします。
ガガーリンが宇宙飛行士第一号になった一番の理由は笑顔だったと。
だから、笑顔になった方が、宇宙に近づく。

人間ではなくロボットを宇宙に送れば、最悪の事態で命を落として地球に残された人が悲しむようなことはおこらないと語る機械工学科の大学院生に、人間が宇宙に行くからこそ、そこからみた美しい眺めを地球の人に伝えることができる、と鴨川アスミは答えます。
この場面でも、ガガーリンが「地球は青かった」という言葉が引き合いにでていました。

そして、興味深かったのが第三話の最後。本上まなみ扮する教官がガガーリンの言葉「地球は青かった」を田辺誠一扮する教官に語ると、田辺誠一は、「それは日本で一人歩きした言葉で、本当の言葉は・・・」と地球が青い円光につつまれていた・・・という言葉を語るのです。
途中で本上まなみにさえぎられる形で終わってしまいましたが。

このドラマで一人でも多く、ガガーリンの言葉は「地球は青かった」だけでおわらず、ガガーリンが残したもっとこまやかな地球の眺めの描写に興味を持ってくださったらいいなと思いました。

先週の第二話では、うみへび座のアルファルドが効果的に使われていました。アルファルドは「孤独なもの」という意味。宇宙学校の中でクールで孤立している優等生の女の子に、鴨川アスミが語ります。アルファルドは決して孤独じゃないと。
明るくないから目立たないだけで、アルファルドのまわりにはいっぱい星はあるんだよ。と。

『2つのスピカ』。上記のように天文の話が、友達を励ます時などにうまく使われていて、とっても素敵なドラマです。

※録画してみたわけではないので、台詞を正しく再現できているわけではありません。
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ガガーリンカテゴリー。更新をひさしくしておりませんが、まだまだ続けていく予定ですので首を長くしてお待ちいただけたら幸いです。

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2008年5月13日 (火)

ガガーリン81 来日その9 早稲田大学でのガガーリン

カテゴリー「ガガーリン」シリーズ。あちこち飛んでいますが、ガガーリン59 来日その8の続きです。
1962年5月に来日したガガーリンは5月23日(水)、早稲田大学で講演を行いました。概要は新聞各紙で報道されていますが、詳しい内容を早稲田大学の図書館で知ることができます。

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2008年4月14日 (月)

ガガーリン80/「地球は青かった」の言葉が突出したわけ(その2)

日本でガガーリンの言葉「地球は青かった」が定着していく流れは以下のようになります。(※当時のラジオやテレビでの報道のされ方は確かめられていません)

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2008年4月12日 (土)

ガガーリン79/「地球は青かった」の言葉が突出したわけ(その1)

Manchikyu20080405 今日は4月12日。
ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行をおこなった日(1961年)です。

ニュースで月からの満地球の画像をご覧になりましたか?
2008年4月6日(日本時間)にかぐやによって撮影されたもの。
地球でみるまあるい満月、のように月から見るまあるい地球。
青く輝くしゃぼん玉のよう。

さて、久しぶりのガガーリンカテゴリのアップです。

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2008年1月14日 (月)

ガガーリン78/地球は青かった(ニューヨークタイムズ編)空が黒いという不思議

ガガーリンの言葉「地球は青かった」。アメリカの新聞ニューヨークタイムズで追ってみました。

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2008年1月13日 (日)

ガガーリン77/「青い光の輪」の中国語訳

人民日報にもガガーリンの「地球は青い光輪につつまれていた」にあたる言葉があります。

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2008年1月12日 (土)

ガガーリン76/地球は青かった(中国語編)         地球像个天藍色大球

ガガーリンの言葉「地球は青かった」。
海外ではどんな言葉で語られているのかを当時の新聞から追っています。中国語編は「人民日報」から。

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2008年1月11日 (金)

ガガーリン75/「青いもや」の謎

フランスの新聞、ルモンドにもユマニテにもガガーリンの言葉として「地球は青いもやに覆われている」という表現があります。

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2008年1月10日 (木)

ガガーリン74/宇宙から見た地球の青(フランス語)

46年前、初めて宇宙に行った人類、ガガーリンはその様子を「地球は青かった(正確なニュアンスは青みがかっていた)」と語りました。
そして、さらにこまやかに宇宙からの地球の眺めについて描写していました。
総飛行時間108分。地球の軌道をまわっていた時間89分。
108分=1時間48分。二時間ドラマの尺ぐらい。89分といえばサッカーの試合の前半+後半の時間ぐらい。長いといえば長いですし、短いといえば短い。けれど、このわずかな時間がすべての有人宇宙飛行のはじまりとなったのですね。
そして、映像や写真という形に残せない。だからこそ、ガガーリンは全身全霊でこの108分を体験し、その様子を「言葉」にしたのでしょう。
みんなに伝えるために。自分自身がずっと記憶していられるように。

ガガーリンの語った言葉を追うにつれ、その的確な描写力に驚かされます。それは今、あたりまえに宇宙からの地球の映像を眺められる現代の私たちだからこその特権。
映像をみながら、ガガーリンの表現したかったはこれね、と思えるのです。
たとえば、青い地球とその背景の漆黒の宇宙空間。その境にある美しい大気の青い帯。

ガガーリンがその美しさを表現している言葉に触れられるのはとてもうれしいことです。
「地球は青かった」だけ語った人として、済ませないでよかったって思うのです。
さて、71、72とフランスの新聞「ユマニテ」シリーズを続けましたが、今回の74もユマニテから。
ガガーリンが遺した美しい描写のフランス語訳を。

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